・栃木県西沢金山の鉱物と遺物【2007年5月】
( Minerals and Reric from Nishizawa Gold Mine , Tochigi Pref. )
2010年、千葉県に2度目の単身赴任になったころ、栃木県の山奥の産地が遠くに感じられ、
足が遠のいていた。
京都に住む石友・Nさんから、西沢金山の『ルビー・シルバー』産地を案内して欲しいとメー
ル貰ったのは、産地への林道が冬季閉鎖になった2012年の初冬だった。そのとき、5年も前
の状況を前提に、「 ルビーシルバーなら、行けば確実に採れますよ 」、と大口をたたいた
ものの内心不安だった。
2013年7月、北関東の骨董市を回るついでに、足尾銅山そして西沢金山を回ってみた。「足
尾銅山観光」に展示されていた足尾銅山の歴史資料と「紫水晶の群晶」は、どこかに移転し
たらしく、廃墟のようなありさまで、5年の年月の永さを思い知らされ、「ルビーシルバー」が
採れるか不安が一層募った。
足尾銅山で、古銭を買ったり昼食を摂ったりしていたので、西沢金山跡に着いたのは14時
半を回っていた。いつもの場所に向かうと、ガラスや陶磁器片があちこちに落ちていて、つい
ついそれらの産業遺物に眼がいってしまう。
それらの観察を一通り済ませ、丸秘ポイントに腰を落ち着け、いつもの採集スタイルで観察
スタートだ。
この季節、青葉が繁り、産地は薄暗く、キャップランプを点けて、ルーペで確認する。30分
ほどして、割ったズリ石の面に赤い”皮膜状”鉱物を認め、ルーペで確認すると「淡紅銀鉱」
で、「黄粉銀鉱」を伴っていた。この個体を小割りにするといくつかの持ち帰り標本になった。
こうして、丸秘ポイントが健在なことを確認し産地を後にした。この日は、東北道IC近くの
ホテルに泊まり、翌日関東地方の骨董市をのぞくと、古いガラス容器がソコソコの値段で取引
されているは新発見だった。
( 2013年7月 採集 )
この地図の北側(地図の上)から南(地図の下)を見た、「西澤金山全景」の絵葉書が「西澤
金山の絵葉書」に掲載されている。
これらの地図、写真と現在の地形を対比して見ると、坑口、選鉱場、製煉所、分析所、
医局(診療所)、学校そして坑夫飯場(従業員住宅)などがあった位置を読み取ることが
でき、採集にあたって、大いに参考になっている。
つまり、鉱石がどの坑道から掘り出され、どのように運ばれ、どのように処理され、ズリ
(捨石)はどこに堆積したのかが推理できる。
また、発見した遺物がどこのものだったか、逆に言えば、ここにあった施設からはこのよう
な遺物が見つかるはずだと、予測することもできる。
このように、”宝探し”の要素も加わり、ミネラルウオッチングを一段と楽しいものにしてくれ
る。
私の採集方法は、大きめのハンマーを「金床(かなとこ)」代わりに置き、この上でズリ石
を割り、割れ口をルーペで確認する。このときの注意点は、次の通りだ。
@ 割る時に飛び散らかさない。
1点でも「ルビーシルバー」を観察できた母岩には、脈が来ているので、割った時
の勢いで、片割れを飛ばさないよう、手加減して割る。
A キャップランプを点けて確認
季節や時間にもよるが、青葉が繁り、陽も傾いたころ、産地は薄暗く、照明が必要
だった。逆に言えば、木の葉がない早春か晩秋の晴れた日の午前中の採集なら照
明は不要だ。
( 今回のように遅い時間からスタートしたのは初めてだった )
今回採集した標本写真の半分以上は輝きが強い黄色・皮膜状の「黄粉銀鉱」が見られ
紅色鉱物は、「淡紅銀鉱」だろうと推定している。
また、まっ黒で金属光沢の「銀黒様」鉱物が随伴しているが、加藤先生の「硫化鉱物読
本」によれば、自然銀、脆銀鉱、針銀鉱、角銀鉱、そして含銀安四面銅鉱などの可能性が
ある。
(2) ガラス・陶磁器製品【 Glass and China Wares 】
建物跡と思われる周辺には、ガラスや陶磁器製品が散乱している。ほとんどが破片で、
完全なものは少ないが、ここに「西澤金山」があったことを物語る名前の入ったものもある。
下のガラス瓶の破片には「西澤金山醫局」とあり、水薬を入れた薬ビンだったと思われ
る。湯のみの破片からは「西澤金山」 を示す、『西』の文字の一部が読み取れる。
極ごく稀にだが、ガラスや陶磁器製品の完形品を見かけることがある。ガラス素材には
”気泡”がたくさん含まれていて、技術がそれほど進んでいなかった時代の品であること
が一目で判る。
ビンをいつ頃、どのようにして造ったのかや、何が入っていて、誰が使ったのか、などを
想像するだけでも楽しい。
(3) 屋内配線用電気部品
50年位前に建てた家でも使われているのと同じ、瀬戸物でできた屋内配線用の電気
部品が落ちていた。
「西沢金山大観」によれば、西沢金山に電気が引かれたのは明治42年(1909年)だった。
『 水力電気ハ本山(西沢金山)ノ渓流ニ依ル能ワザルヲ以テ 中宮祠(中禅寺)湖畔ニ
於ケル地獄川ノ湧水ヲ利用シ 明治42年 菖蒲ケ濱ニ水力発電所ヲ設ケ 実用馬力
123馬力ヲ得 其内85馬力ヲ使用シ 選鉱、製錬所其他ノ原動力 又ハ電燈等ニ供シ
ツゝアリ・・・・・・・・・・・・・・・ 』
別な章には、『 ・・・・夜間ハ之ヲ利用シテ(西沢金)山内ニ電燈ヲ点シ居レリ 』 、とある。
西沢金山の入口にあたる日光市の町でも地域によっては電灯が灯(とも)ったのは、
昭和になってかららしい。それより20年も前に、山奥の西沢金山では電燈の明かりの下で
生活していた。
同じような例は、新潟県の山奥にあった「橋立金山」にも見られ、鉱山が当時の最先端
産業だったことを示している。
・新潟県青海町橋立金山跡の自然金
( Native Gold of Hashidate Gold Mine , Oumi Town , Niigata Pref. )
近々、京都・Nさんも参加するミニ・ミネラル・ウオッチングがあり、宿での「オークション」や
「玉手箱」に今回の採集品を出す予定だ。
皆さんの反応を見て、次のステップを考えようと思っている。
(2) ガラス瓶
2日目、山梨に戻る前に、関東の骨董市に立ち寄った。鉱山、鉱物、郵便趣味などの
資料を探していると、古いガラス瓶が並べてあった。
古いワイン・ボトルには6,000円の値が付き、古いガラス容器がソコソコの値段で取引
されているは新発見だった。
今回入手した中に、世界遺産になった富士山関連のものが何点かあった。
富士登山記念絵葉書は、カルピス製造株式会社が作成したもので、馬返し(1450m)を
起点に、一合目(1550m)から頂上(3776m)までの到着時間や気温が記入できるように
表がある。
現在われわれが、「五合目」と呼んでいるのは正しくは「新五合目(2305m)」で、この
絵はがきにある「三合目(2200m)」と「四合目(2386m)」の四合目近くになる。
気温を知るための「カルピス寒暖計」が11か所に備えてあり、ここでは「カルピスの一杯
売り」もあったらしい。温度が、現在の摂氏でなく、華氏なのも時代を感じさせる。
( 仕切り線真ん中で、『きかは』、とあるから、大正初期から昭和初期のものだろう )
「富士山」の消印は、山開きの間山頂にあった郵便局【季節局、という】に投函された
郵便物に押したものだ。
『 大正十二年七月丗十日 午前十時七分 不二頂上ニテ ○○ △ ○○ □』、と
いう書き込みに、ふたつとない(不二)山の頂きに立った親子(?)の誇らしげな様子が
目に浮かぶ。
(3) 『多摩ずりだしうどん』
中央道に乗り、昼食を摂ろうと「石川SA」に入った。メニューを眺めると、『多摩ずりだし
うどん』、が眼に入った。
『ずり』、とあるからには鉱山に関係あるかも知れないと思い注文した。しばらく待って
出てきたのは、冷やしたざるうどんで、鶏肉、ナス、ネギなどを入れた醤油仕立ての暖かい
汁につけて食べるものだった。
『ずりだし』 の意味をたずねてみると、「多摩地方では、大鍋で茹(ゆ)でたうどんを取り
出すのを”ずりだす”、というところから付けた」、とメニューの名前の由来を語ってくれた。
残念ながら、鉱山には全く関係なかった。ちなみに、味の方は、田舎風のつけ汁で、真
夏でも釜揚げうどんを注文する私にとって、暖かいのは何よりだった。