栃木県西沢金山の鉱物と遺物(その2)

1. はじめに

    2006年7月、西沢金山を初めて訪れ、「マチルダ鉱」、「ルビーシルバー(淡紅銀鉱)」、
   そして「マンガン重石」など、産出する鉱物のユニークさに惹かれた。
    それにも増して、2006年8月、『第2錫鉱記念碑』の取材で岐阜県中津川市を訪れ、その
   碑面に、またしても”高橋 源三郎”の名を認め、栃木県の山奥の西沢金山と岐阜県の
   錫鉱が一本の糸で結ばれていたことを知り、何か縁を感じて、2006年から2008年にかけて、
   足繁く西沢金山を訪れた。

  ・栃木県西沢金山の鉱物と遺物【2007年5月】
   ( Minerals and Reric from Nishizawa Gold Mine , Tochigi Pref. )

  ・栃木県西沢金山のルビー・シルバー【2008年10月】
   ( Ruby Silver from Nishizawa Gold Mine , Kuriyama Village , Tochigi Pref. )

    2010年、千葉県に2度目の単身赴任になったころ、栃木県の山奥の産地が遠くに感じられ、
   足が遠のいていた。
    京都に住む石友・Nさんから、西沢金山の『ルビー・シルバー』産地を案内して欲しいとメー
   ル貰ったのは、産地への林道が冬季閉鎖になった2012年の初冬だった。そのとき、5年も前
   の状況を前提に、「 ルビーシルバーなら、行けば確実に採れますよ 」、と大口をたたいた
   ものの内心不安だった。

    2013年7月、北関東の骨董市を回るついでに、足尾銅山そして西沢金山を回ってみた。「足
   尾銅山観光」に展示されていた足尾銅山の歴史資料と「紫水晶の群晶」は、どこかに移転し
   たらしく、廃墟のようなありさまで、5年の年月の永さを思い知らされ、「ルビーシルバー」が
   採れるか不安が一層募った。

     紫水晶群晶に魅入るN夫人【2004年】

    足尾銅山で、古銭を買ったり昼食を摂ったりしていたので、西沢金山跡に着いたのは14時
   半を回っていた。いつもの場所に向かうと、ガラスや陶磁器片があちこちに落ちていて、つい
   ついそれらの産業遺物に眼がいってしまう。
    それらの観察を一通り済ませ、丸秘ポイントに腰を落ち着け、いつもの採集スタイルで観察
   スタートだ。
    この季節、青葉が繁り、産地は薄暗く、キャップランプを点けて、ルーペで確認する。30分
   ほどして、割ったズリ石の面に赤い”皮膜状”鉱物を認め、ルーペで確認すると「淡紅銀鉱」
   で、「黄粉銀鉱」を伴っていた。この個体を小割りにするといくつかの持ち帰り標本になった。

    こうして、丸秘ポイントが健在なことを確認し産地を後にした。この日は、東北道IC近くの
   ホテルに泊まり、翌日関東地方の骨董市をのぞくと、古いガラス容器がソコソコの値段で取引
   されているは新発見だった。
    ( 2013年7月 採集 )

2. 産地

    栃木県日光戦場ヶ原と栗山村川俣温泉を結ぶ山王林道沿いに西沢金山跡がある。以前
   は、「西沢金山跡」の看板もあった、と文献にあるが、現在では確認できていない。
    ( 石友・Mさんの話では、朽ちて倒れているらしい )

3. 産状と採集方法

    「西澤金山大観」には、大正5年(1916年)1月に作成された鉱山の色刷りの実測図が記載
   されている。

     この地図の北側(地図の上)から南(地図の下)を見た、「西澤金山全景」の絵葉書が「西澤
    金山の絵葉書」に掲載されている。

       
            西沢金山実測図【「西沢金山大観」から引用】

       
         西沢金山全景【「西沢金山の絵葉書」に追記】

     これらの地図、写真と現在の地形を対比して見ると、坑口、選鉱場、製煉所、分析所、
    医局(診療所)、学校そして坑夫飯場(従業員住宅)などがあった位置を読み取ることが
    でき、採集にあたって、大いに参考になっている。

     つまり、鉱石がどの坑道から掘り出され、どのように運ばれ、どのように処理され、ズリ
    (捨石)はどこに堆積したのかが推理できる。
     また、発見した遺物がどこのものだったか、逆に言えば、ここにあった施設からはこのよう
    な遺物が見つかるはずだと、予測することもできる。
     このように、”宝探し”の要素も加わり、ミネラルウオッチングを一段と楽しいものにしてくれ
    る。

     私の採集方法は、大きめのハンマーを「金床(かなとこ)」代わりに置き、この上でズリ石
    を割り、割れ口をルーペで確認する。このときの注意点は、次の通りだ。

     @ 割る時に飛び散らかさない。
         1点でも「ルビーシルバー」を観察できた母岩には、脈が来ているので、割った時
        の勢いで、片割れを飛ばさないよう、手加減して割る。
     A キャップランプを点けて確認
         季節や時間にもよるが、青葉が繁り、陽も傾いたころ、産地は薄暗く、照明が必要
        だった。逆に言えば、木の葉がない早春か晩秋の晴れた日の午前中の採集なら照
        明は不要だ。
        ( 今回のように遅い時間からスタートしたのは初めてだった )

        
        「金床」代わりのハンマーとズリ石                 キャップランプ
                             採集風景

4. 採集鉱物(遺物)

 (1) ルビー・シルバー【Ruby Silver】
      西沢金山で、紅色結晶や皮膜状で産出する銀鉱物には、濃紅銀鉱【PYRARGYRITE
     :Ag3SbS3】と淡紅銀鉱【PROUSTITE:Ag3AsS3】の2種がある。
      化学式をみればわかるとおり、アンチモン(Sb)と砒素(As)の違いだけであり、淡紅銀鉱
     のほうが、やや明るい紅色をしている、とされるが光にさらされると黒くなるので外観から
     鑑定することはできない。
      私の場合、黄粉銀鉱【XANTHOCONITE:Ag3AsS3】と共生するものは同質異像関係に
     ある「淡紅銀鉱」としているが、それ以外は「ルビーシルバー」と呼んでいる。

      今回採集した標本写真の半分以上は輝きが強い黄色・皮膜状の「黄粉銀鉱」が見られ
     紅色鉱物は、「淡紅銀鉱」だろうと推定している。
      また、まっ黒で金属光沢の「銀黒様」鉱物が随伴しているが、加藤先生の「硫化鉱物読
     本」によれば、自然銀、脆銀鉱、針銀鉱、角銀鉱、そして含銀安四面銅鉱などの可能性が
     ある。

        
             全体【横 4cm】                         拡大
                    ルビーシルバー(淡紅銀鉱)と「黄粉銀鉱」
                          【陶器質石英に伴う】

 (2) ガラス・陶磁器製品【 Glass and China Wares 】
      建物跡と思われる周辺には、ガラスや陶磁器製品が散乱している。ほとんどが破片で、
     完全なものは少ないが、ここに「西澤金山」があったことを物語る名前の入ったものもある。

      下のガラス瓶の破片には「西澤金山醫局」とあり、水薬を入れた薬ビンだったと思われ
     る。湯のみの破片からは「西澤金山」 を示す、『西』の文字の一部が読み取れる。

        
            薬瓶破片                 湯のみ破片
                     ガラス・陶磁器製品

      極ごく稀にだが、ガラスや陶磁器製品の完形品を見かけることがある。ガラス素材には
     ”気泡”がたくさん含まれていて、技術がそれほど進んでいなかった時代の品であること
     が一目で判る。
      ビンをいつ頃、どのようにして造ったのかや、何が入っていて、誰が使ったのか、などを
     想像するだけでも楽しい。

        
      丸ビン【高さ 15cm】       角ビン【高さ 8.3cm】
                ガラスビン完形品

 (3) 屋内配線用電気部品
      50年位前に建てた家でも使われているのと同じ、瀬戸物でできた屋内配線用の電気
     部品が落ちていた。

      屋内配線用電気部品

     「西沢金山大観」によれば、西沢金山に電気が引かれたのは明治42年(1909年)だった。

      『 水力電気ハ本山(西沢金山)ノ渓流ニ依ル能ワザルヲ以テ 中宮祠(中禅寺)湖畔ニ
       於ケル地獄川ノ湧水ヲ利用シ 明治42年 菖蒲ケ濱ニ水力発電所ヲ設ケ 実用馬力
       123馬力ヲ得 其内85馬力ヲ使用シ 選鉱、製錬所其他ノ原動力 又ハ電燈等ニ供シ
       ツゝアリ・・・・・・・・・・・・・・・                                    』

          
            中禅寺湖菖蒲が浜付近                       建物
                              「菖蒲ケ浜発電所」
                            【「西沢金山大観」から引用】

      別な章には、『 ・・・・夜間ハ之ヲ利用シテ(西沢金)山内ニ電燈ヲ点シ居レリ 』 、とある。

      西沢金山の入口にあたる日光市の町でも地域によっては電灯が灯(とも)ったのは、
     昭和になってかららしい。それより20年も前に、山奥の西沢金山では電燈の明かりの下で
     生活していた。
      同じような例は、新潟県の山奥にあった「橋立金山」にも見られ、鉱山が当時の最先端
     産業だったことを示している。

      ・新潟県青海町橋立金山跡の自然金
       ( Native Gold of Hashidate Gold Mine , Oumi Town , Niigata Pref. )

5.おわりに

 (1) 産地は健在
      多くの産地が「採集禁止」や”絶産”になるなか、5年前と同じように採れるのだろうか、
     と心配していた。
      それは取り越し苦労だった。5年前とほとんど変わらぬ姿で迎えてくれ、何とかいくつかの
     標本を手にすることができた。

      近々、京都・Nさんも参加するミニ・ミネラル・ウオッチングがあり、宿での「オークション」や
     「玉手箱」に今回の採集品を出す予定だ。

      皆さんの反応を見て、次のステップを考えようと思っている。

 (2) ガラス瓶
      2日目、山梨に戻る前に、関東の骨董市に立ち寄った。鉱山、鉱物、郵便趣味などの
     資料を探していると、古いガラス瓶が並べてあった。

        ガラス瓶【骨董市にて】

      古いワイン・ボトルには6,000円の値が付き、古いガラス容器がソコソコの値段で取引
     されているは新発見だった。

      今回入手した中に、世界遺産になった富士山関連のものが何点かあった。

          
             富士登山記念絵葉書                富士山頂局印

      富士登山記念絵葉書は、カルピス製造株式会社が作成したもので、馬返し(1450m)を
     起点に、一合目(1550m)から頂上(3776m)までの到着時間や気温が記入できるように
     表がある。
      現在われわれが、「五合目」と呼んでいるのは正しくは「新五合目(2305m)」で、この
     絵はがきにある「三合目(2200m)」と「四合目(2386m)」の四合目近くになる。
      気温を知るための「カルピス寒暖計」が11か所に備えてあり、ここでは「カルピスの一杯
     売り」もあったらしい。温度が、現在の摂氏でなく、華氏なのも時代を感じさせる。
     ( 仕切り線真ん中で、『きかは』、とあるから、大正初期から昭和初期のものだろう )

      「富士山」の消印は、山開きの間山頂にあった郵便局【季節局、という】に投函された
     郵便物に押したものだ。
      『 大正十二年七月丗十日 午前十時七分 不二頂上ニテ ○○ △ ○○ □』、と
     いう書き込みに、ふたつとない(不二)山の頂きに立った親子(?)の誇らしげな様子が
     目に浮かぶ。

 (3) 『多摩ずりだしうどん』
      中央道に乗り、昼食を摂ろうと「石川SA」に入った。メニューを眺めると、『多摩ずりだし
     うどん』、が眼に入った。
      『ずり』、とあるからには鉱山に関係あるかも知れないと思い注文した。しばらく待って
     出てきたのは、冷やしたざるうどんで、鶏肉、ナス、ネギなどを入れた醤油仕立ての暖かい
     汁につけて食べるものだった。

          
                食券                        品物
                          『多摩ずりだしうどん』

      『ずりだし』 の意味をたずねてみると、「多摩地方では、大鍋で茹(ゆ)でたうどんを取り
     出すのを”ずりだす”、というところから付けた」、とメニューの名前の由来を語ってくれた。
      残念ながら、鉱山には全く関係なかった。ちなみに、味の方は、田舎風のつけ汁で、真
     夏でも釜揚げうどんを注文する私にとって、暖かいのは何よりだった。

6.参考文献

 1) 鉱山懇話会編:日本鉱業名鑑,同会,大正2年〜大正7年
 2) 渡辺 渡:西沢金山調査書,日本鉱業会誌第224号別刷,明治38年
 3) 梁木 毅六編:西沢金山大観,不明 ,大正5年
 4) 小林 利喜造、関根 定吉、野島 幾太郎共述:西沢等の各鉱山と鬼怒川の将来
                          三共社,大正6年
 5) 野島 幾太郎述:栃木県会と鬼怒川の各鉱山,三共社印刷所,大正7年
 6) 喝破禅師:新下野 創刊号 −悲観乎 楽観乎 西沢金山の将来−
                                    新下野社,大正7年
 7) 栃木県:栃木県史 第十巻 産業経済編,栃木県,昭和
 8) 藤原町(現日光市):藤原町史 通史編,藤原町,平成3年
 9) 佐藤 壽修:歴史と文化第4号 −西沢金山にみる日本の動き・世界の動き−
         栃木県歴史文化研究会,1995年
 10) 栗山村(現日光市):栗山村誌 −西沢金山の発展−,同村,1998年
 11) 加藤 昭:硫化鉱物読本,関東鉱物同好会,1999年
 12) 松原 聡:日本の鉱物,株式会社学習研究社,2003年
 13) 松原 聡、宮脇 律郎:日本産鉱物型録,東海大学出版会,2006年
 14) 井上、興野、登根:西澤金山の絵葉書,日本地学研究会,2006年
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