2007年GWの後半には、「著名人シリーズ」と題して、人名の付いた鉱物を求めて、
群馬県、栃木県の産地を回り、西ノ牧(あるいは、西牧:さいもく)鉱山の次にミス・マチ
ルダを求めて栃木県栗山村の西沢金山を訪れた。しかし、「ミス・マチルダ」は姿を
現さなかった。
この後、山梨県や長野県で湯沼鉱泉社長らによる 『 巨晶・美晶・微晶 』 の発見
が相次ぎ、地元を回るのが精一杯で西沢金山を訪れたのは1度だけだった。
2008年10月、岐阜県金加鉱山、五加鉱山を地元のI氏、「ヘナK小隊」ことK夫妻に
案内・同行していただき、色とりどりの2次鉱物を採集した。”赤い鉱物”がないことに
気付き、思い立ったように「ルビー・シルバー」を求めほぼ1年半ぶりに西沢金山を訪
れた。
この季節は、紅葉の真っ盛りとあって、宿泊した戦場ヶ原脇の国道を日の出前の
早朝にもかかわらずひっきりなしに車が通る。しかし、天王林道に入ると行き交う車の
数がメッキリ少なくなり、『奥日光』、だと感じる。
通い慣れた産地のこと、いつもの場所に行き、ズリ石を掘り出しては叩き、ひたすら
『ルビー・シルバー』を探すが、なかなか出てこない。小さな標本が2、3つ出ただけで
そろそろ引き上げようか、という時になって一抱えもある大きなズリ石が姿を現した。
「こんな大きなものに来た験しがないな」、と思いながらも2kgハンマで叩くと、全体が
真っ白な多孔質石英で、2筋の「銀黒脈」があった。その脈を観察すると晶洞部分には
”ルビー・シルバー”が点々とあった。晶洞の中なので『自形結晶』がほとんどで、中には
『水晶の柱面に成長したルビー・シルバー』 もあった。
こうなると『解体ショー』の始まりである。叩いては確認し、持ち帰るものと捨てるものを
峻別した。1辺が30cmもある大きな塊は「湯沼水晶洞」のためにキープし、子割りした
握り拳大のものは「ミネラル・ウオッチングの玉手箱」にと想い描いてハンマを振るう。
気付いてみれば、出発予定時間を1時間近く過ぎていた。
私の持論の1つに、『古泉に水枯【涸】れず』、がある。これは、故櫻井 欽一博士の
「古川に水絶えず」を捩(もじ)ったものである。日本国内にある鉱物産地は、”川”がイメージ
する線や面ではなく”泉”がイメージする”点”が相応しいからだとの思いがあっての
事でもある。
『山装(やまよそお)う』季節に抜けるような青空の下、遠くで啼く鹿の声を聞きながら
2kgのハンマを振るい、『ルビー・シルバー』に心ときめかせ、第2、(第3?)の青春を
謳歌できる幸せを噛みしめている。
( 2008年10月採集 )
この地図の北側(地図の上)から南(地図の下)を見た、「西澤金山全景」の絵葉書が
「西澤金山の絵葉書」に掲載されているされている。
これらの地図、写真と現在の地形を対比して見ると、坑口、選鉱場、製煉所、分析所
医局(診療所)、学校そして坑夫飯場(従業員住宅)などがあった位置を読み取ることが
でき、採集にあたって、大いに参考になっている。
つまり、鉱石がどの坑道から掘り出され、どのように運ばれ、どのように処理され
ズリ(捨石)はどこに堆積したのかを推理できる。
また、発見した遺物がどこのものだったか、逆に言えば、ここにあった施設からは
このような遺物が見つかるはずだと、予測することもできる。
このように、”宝探し”の要素も加わり、ミネラルウオッチングを一段と楽しいものに
してくれる。
今回採集した標本には2種類がある。1つは緻密な陶器質石英に脈状に入った
閃亜鉛鉱、黄鉄鉱などの硫化鉱物に伴い、皮膜状で産するもので、圧倒的にこの
産状のものが多い。
下の写真の標本には、一部輝きが強い黄色・皮膜状の「黄粉銀鉱」が見られ、「淡
紅銀鉱」だろうと推定している。
もう1つは、多孔質石英に伴い、小さな晶洞の中に『自形結晶』として産出するも
ので、産出は比較的まれ。
今回、一抱えもある大きな塊で産出し、銀黒(一部硫化鉱?)脈に沿って、点々と
ルビー・シルバーが観察できる。
(2) 西沢金山、と言えばマチルダ鉱【MATILDITE:AgBiS2】と自然金【GOLD:Au】
であろう。「西沢金山大観」によれば、マチルダ鉱は旭坑の”大直り”(富鉱帯)
に伴って大量に産出した、とある。しかし、現在ズリで採集するのは、よほどの努力と
運に恵まれないと難しい、というのが栃木県の石友の話である。
これらについては、別な機会に報告したい。