山梨県産 水晶印材コレクション - その13 -

1. 初めに

    2003年3月に甲府市で開催された骨董市で水晶印材を出品しているお店があり、早速8本ま
   とめて購入した。
    この中に、インクルージョン入りが6本、その内、水晶峠産と思われる『山入り』のものは1本
   だけだった。

     「山入り」【2003年3月入手】

    それ以来、ネット・オークションや山梨県は無論、各地の骨董市、骨董店そして古書店を訪れ
   る毎に、山梨県産の水晶製品とそれに関連するものに眼を光らせていた。
    その結果、既に150本あまりの水晶印材と「櫛」、「かんざし」、「帯留」そして「壺」などが集ま
   り、入手の経緯とコレクションを中心に「山梨県水晶細工【印材】のミニ歴史」についてHPに
   何回か記載した。

   ・山梨県産 水晶印材コレクション
   ・
   ・
   ・山梨県産 水晶印材コレクション-その12-

    2010年2月、甲府市南部の骨董店や各地の骨董市をのぞくと、かつて水晶製品の行商人が
   持ち歩いたと思われる資料が並んでいたので、多少高かったが入手した。

    @ 側面に「松食い鶴」を手彫りした水晶印(1本)
    A ケース入り水晶印材見本(60本)と印影見本(1冊)
       側面に「大黒様」を彫刻したものがある。
    B 「噴砂彫刻印」中間製品(1本)

    これらを眺めると、文久年間(1860年ごろ)以来の『手彫り』から昭和6年(1931年)に開発さ
   れた『噴砂彫刻』へと、印章彫刻技術の変遷を読み取ることができ、貴重なものだと思われる。
   る。

    このようにしながら、山梨県の特産である水晶製品の加工・販売に関する資料をまとめて
   現物と共に後世に伝えるのも、私の余生の生かし方だと思っている。
   ( 2010年2月入手 )

2. 「水晶印材」と「印影」見本

    山梨県六郷町(現市川三郷町)は、現在でも『ハンコ(印鑑)の町』とうたっている。明治38年
   (1895年)、この町の望月 朝吉が印鑑の注文取りで東北地方を”外交”と呼ばれる行商をした
   日誌・「水晶印判注文書」を入手し、すでにHPで報告した。

   ・山梨県産 水晶印材コレクション- その11- 「水晶印判注文書」
    ( Seals made of Quartz from Yamanashi -Part 11-
      QUARTZ Seal Order Form Book by A.Mochiduki , Yamanashi Pref. )

    ハンコ、つまり印章は自分の名前を彫ったものを持っているのが基本だろう。もし、赤の他人
   のハンコを持っている人がいれば、”怪しい”。
    現在、よほど珍しい姓でなければ認印(実印にも使える)が100円ショップで入手できるが、
   昭和時代の終わりごろまで、ハンコはオーダー・メイド、つまり注文で作ったものだ。
    注文にあたって必須の情報は、@ 印材の材質・サイズ A 彫刻する文字 B 字体
   だろう。注文する人がこれらの情報を選択しやすく、かつ出来上がった品をイメージしやすくす
   るため、水晶印章行商人が携帯したものは、行商免許、注文書の他に、次のようなものがあっ
   た。

     @ 水晶印材見本
     A 印譜(印影見本)

    今回入手したこれらの品について紹介する。

 2.1 「水晶印材」見本

     

 水晶印材はキズがつかないように
フェルトを張った桐箱に並んでいる。

 10列、6段で、合計60本の印材の
見本が並んでいる。

 1桝(ます)の大きさは、横15mm
縦41mm、つまり5分×1寸3分5厘
だから、凡その印材の大きさも判る
だろう。

 印面形状   数量  内側面に彫刻
          (本)     (本)
 小判(楕円)  48       3
 丸(円)       1        0
 角(四角)    11       8
 合計       50       11

 側面に「大黒様(大国主命)」を
彫りこんだものが11本(約20%)ある。
 実物を手にするのは初めてだった。


     客は、これらの見本の中から自分の好みの形状、サイズを選んで注文したと思われる。

 2.2 「水晶印影」見本

  (1) 印章の用途
       水晶印に限らず、印章の用途は大きく次の3種に分類できる。用途によって、彫刻する
      文字を、姓名、姓だけ、あるいは雅号などを選んで注文する。

             
種別          説     明      備     考
実印  一人一個だけ、「印鑑登録」することができ、この登録してある印を実印とよぶ。住民票に記載してある姓と名を刻印することが多い。これは、その個人を特定するためである。  直形が既定の大きさ以上あれば、姓だけの印でも「実印」として登録できる。

 100円ショップの印を3男の嫁さんの実印として登録できた。

認印  印鑑登録していない姓印や姓名印を認印と呼ぶ。実印と認印には、印そのものに区別があるわけではない。  主として訂正用に用いる小型の簿記印を「訂正印」といって「認印」と区別している。
雅印 雅印とは、絵や書に押す名印・雅号印をさす。
出来上がった書画に、作成年月、作者名などを自ら署名、押印することを「落成款識(らくせいかんしき)」、略して「落款(らっかん)」という。
多くの場合、姓名印・雅号印・引首印(関防と通称)の3つの印が1組になっている。
  

  (2) 刻印の字体
       漢字が生まれた中国では、文字は精霊の象徴であると考えられ、決しておろそかに書
      いたり、彫ったりもしなかった、と伝えられている。
       印章に用いられる字体は、「篆書(てんしょ)」、「隷書(れいしょ)」、「古印体」などに変
      化し、これらの古字の書体が楷書・行書・草書などに変化した。
       印章に用いられる字体の主なものは、次のとおりである。

 草書古印 古 印 体  草 書  行 書  楷 書   隷 書  印 篆  小 篆   古 文
  

       ここで、印章に用いられる字体・書体についてまとめてみた。

書体名         解              説   備考
篆書
(てんしょ)
 中国太古の「甲骨文字」を統一して制定した円頸(えんけい)古拙の文字で、長い間に自然発生したものと考えられている。
 単に篆書という場合には、代表的に「小篆」を指していると考えてよいが、「甲骨文」・「籀(ちゅう:竹冠に[?留])文」を含めて「秦篆(小篆)」までを篆書ということもある。
   
大篆  西周の宣王の時代に、大史の籀(ちゅう)が「史籀(ちゅう)編」を作って全文を統一整理したのが大篆であるといわれ、「籀(ちゅう)文」とも呼ばれている。  
小篆  秦の始皇帝の天下統一後(紀元前3世紀)、李斯に命じ、周で使われていた「籀(ちゅう)文」を基礎に、省略し、種々の改良を加えて統一したもの。
 背が高く、丸味のある均整のとれた美しい文字で、「秦篆」とも呼ばれている。
 
印篆  漢時代(紀元前2世紀〜3世紀)の印は、ほとんど角印だった。「小篆」の文字をその中に納めやすいように考案された書体である。
 角印・丸印・小判印に配分しやすく、やや角ばり、荘重な印象
 
畳篆体  印面に文字を入れる時、画数の少ない(疎角)の字もまんべんなく印面を埋めることができるように、字の端(字角)を折りたたんだ一種の印篆である。  
隷書  曲線的な「小篆」を直線的に簡易化し、点角は蔵鋒(ぞうほう:返し筆)とし、終筆は力を入れて締め、波磔(はたく:主となる横画の右端あるいは右払いの先端のいずれか一カ所に波勢をつけること)のないもので、方頸古拙の味を表現したものである。
 秦の時代に、程?【貌+シンニョウ】(ていばく)によって作られたと伝えられ、前漢の時代に一般化した。
 「古隷」ともいわれている。
 
八分
(はっぷん)
 「古隷」の直線的組合せに波勢を加えて動きを表わした「八分」が後漢時代(3世紀)に流行し、「今隷」ともいわれる。
 現在、普通に「隷書」という場合、「八分」を指すことが多い。
 
古印体  奈良時代に隋・唐の鋳銅印の字体にならって作られた『倭(やまと)古印』をもとに生まれたもので、日本で始められた印象用の書体である。「篆書」・「隷書」とも異なった独特の文字で、わが国独自のもの。
 鋳込みの際に生じた、鋳だまりや銅の流れぐあいによって生じた切れ切れのところがあり、線に強弱の変化をつけた古雅なもの。
 
楷書  中国の後漢末ごろ、「隷書」の中から順次変化した「八分」から変化したもの。
 「篆書」よりも後にできたが、六朝(りくちょう)から唐初頭(7世紀ごろ)にかけては、まだ統一されていなかった。
 その後、印刷技術の普及・発展にともなって、標準的な字体(正体)として用いられるようになった。
 
行書  「楷書」を簡略にしたもの。  
草書  「隷書」を早書きしているうちにできたと考えられる書体・「章草」よりも、さらに書きやすく改められたもの。 昭和初期(1930年ごろ)までは、ときどき注文があった。

  (3) 「印影」見本帳
       望月 朝吉の「水晶印判注文書」を見直してみると、『小篆』、『倭(大和)古篆』、『隷書』
      など字体を名称で指定していることがわかる。この時既に「印影の見本帳」のようなものが
      あって、それを見ながら客が注文したとも考えられる。

       今回入手した『水晶印影』の見本帳は、番号で指定できるようになっていて、さしずめ
      現代の”通販カタログ”と同じ感覚で字体を選ぶ事ができるようになっている。

            
               表紙                 いノ部
                    「水晶印影」見本帳

3. 「噴砂彫刻印」

    たしか、千葉の単身赴任先を去る少し前、2009年2月頃、千葉県の骨董市で変わった形の
   水晶印を入手したことがあった。

     

 まるで、刻印の途中のようで
印が彫られていない。

 その代り、彫り残す部分と
思われる箇所に、”ゴム”質の
粘着性のある物質が貼り付け
られている。



彫刻面

     

 側面はまだ磨き終わって
いない”すりガラス状”で
不透明















側面


    これを見た瞬間、ものの本で読んでいた『噴砂彫刻印』の完成前の”中間製品”だと思い、
   ” Our Collection ”に加えておいた次第だ。

 3.1 印章彫刻技術
      「六郷町印章誌」によれば、水晶印の彫刻技術には、「手刻」、「電気篆刻」そして「噴砂
     彫刻機」による3つの方法があった。
  (1) 手刻(てぼり)
       水晶、瑪瑙、ひすい等の印材にタガネで刻(ほ)る石類印刻と象牙、水牛角、柘(つげ)
      等の印材に印刀で刻る木口印刻の2種類があり、以前は一般的に前者を『篆刻』、後者
      を『印章彫刻』、と呼んでいた。
       石類に刻るには、タガネで印面に字を彫りあげる方法を用いるが、これは昔中国から
      伝わった技術が水晶産地・山梨県に定着し、独特の伝統技術になった。

       ここで、「手刻(てぼり)」による水晶印の篆刻工程を紹介する。

No         工      程     説    明    (図)
1 印面に墨を塗る  
2 篆刻台に印材を挟み、”分差(ぶさし)”を用い、鉛筆で字割りする。
        篆刻台
3 ”朱墨”で左文字(裏文字)に字入れする  
4 『荒刻り』

 ”丸刀”の荒刻刀と小槌(こづち)を用いて、浅刻りで字形を刻る。
 水晶の場合、印面に息を吹きかけながら刻る。


  平刀         丸刀
          篆刻刀


         篆刻用槌


         水晶印手刻り

5 『字造り』

 ”平刀”を用いて字直しをする。

 
6 『さらい』

 ”丸刀”の”浚(さら)い刀”を用いて、刻りを深くする。

 
7 印面の凹凸を平らにするため、食用油を塗って、”洋傘骨刀”を用いてこすって仕上げる。
洋傘骨刀:「水晶印判注文帳」に登場した正峰・望月 正昭氏が大正元年ごろ洋傘骨を平らに打ちのばし焼きを入れて平刀を創作した。

  (2) 電気篆刻
       昭和元年(1926年)、水晶などの石物に篆刻するとき、篆刻刀を打つ小槌を電気動力式
      にしたことがあった。打力に任意の強弱を出すことが困難なため、普及する事なく終わっ
      たようだ。

  (3) 噴砂彫刻
       噴砂彫刻は、”砂”粒状の研磨材を”噴きつけ”る加工法である。1870年、アメリカのティ
      ルマン(B.C.Tilghman)が船舶の錆取り用に開発したサンド・ブラスト(Sand Blast)技術が
      元になっている。

       山梨県西八代郡大河内村(現南多摩郡身延町)出身の米沢 良知氏は、富里村(現身
      延町)の下部駅前に「山梨水晶株式会社」を設立し、社長として印章の彫刻とそれを通信
      販売する事業を大規模に経営していた。
       氏は、花崗岩石碑彫刻の方法を水晶印章彫刻に応用する研究を進めていた。苦心の
      末昭和6年(1931年)10月に完成し、自社の事業に採用した。
       この方法は、一般印章彫刻業者に公開したので、たちまち普及し、石類彫刻印に大変
      革をもたらした。

       ハンコの町・六郷町で噴砂彫刻機を初めて使ったのは、久那土(くなど)村(現身延町)
      で導入していた業者と協同加工を昭和7年(1932年)10月始めたときである。その後、昭
      和8年(1933年)7月、六郷町の有志が「峡南水晶篆刻所」を結成し、加工を始めた。

     

 6人の業者が集まって
噴砂彫刻機を用いて水晶篆刻
する作業所を開設したことを
知らせる、昭和8年(1933年)の
チラシ

 ”大革命”、とあり、画期的な技術
革新だったことをうたっている。

 ”篆刻料”は1文字12銭以上とある。
 当時の封書の郵便料金が3銭
だったので、今の250円程度だった。
 「手刻」では、大正15年(1926年)に
1文字平均15銭だったので、少し
安くなった程度のようだ。

「峡南水晶篆刻所」チラシ
【六郷町印章誌から引用】


       ここで、「噴砂彫刻」による水晶印の篆刻工程を紹介する。

No         工      程     説    明    (図)
1  印材にヒビが入らない程度に熱した鉄板の上印面が接するように載せる。  
2 『ゴム張り』
 印面に被膜(特殊ゴム)を張る。
 被膜は、ゼラチン、グリセリン、とりもち、おしろい、砂糖等を水で練り合わせたもの
 (初めは、”にかわもち”を使ったが、後にゼラチンを主にしたものに改良)
 
3 被膜を張った印面に板ガラスの小片を張り付け、表面の凹凸を修正する。
        ゴム張り後
4 印材が冷えたら、板ガラス片を取り、”ゴム切り刀”で印の側面にはみ出したゴムを切り取る。  
5 『字入れ』
 印面になるゴムの部分に墨を塗り、朱墨で左文字(裏文字)を書く。
 
6 『ゴム切り』
 文字だけ残して”ゴム切り刀”で切り抜き、ゴムの余分な部分をピンセットで取り去る。

        ゴム切り後
7  絶縁テープを印材の側面に巻く。  
8  小型コンプレッサー作った圧縮空気を短銃型噴砂機に送る。噴砂機の別の口につないだゴム管をカーボランダム(炭化珪素:SiC)のタンクにつなぐ。
 噴砂機の”引き金”を引くとカーボランダムを吸い上げ、圧縮空気と共に勢いよく噴出し、印面を削る。
(霧吹き:スプレーの原理と同じ)

 ゴム膜は、削られるのを防ぐ、”マスク”の役割を果たしている。

 短銃型噴砂機:スプレー・ガンと同じ


          彫刻


       噴砂彫刻作業

9  補刀をして、細かい修正をする。  

       私が入手した上の写真の印を見ると、『字入れ』が終わった段階の中間製品なのが判
      るだろう。

4. 「噴砂彫刻」技術の応用

    水晶印材の側面に「松竹梅」、「鶴」そして「大黒様(大黒天:大国主命)」など縁起の良い題
   材を彫りこんだものがあることを最近知った。

    金銀で象嵌を施した象牙の印材があるようだ。

      金銀象嵌象牙印【六郷町印章誌から引用】

    同じように装飾の目的で、側面に彫刻を施した水晶印材を相次いで入手した。これらを見る
   と、古いと思われるものは、「手彫」だが、新しいものは同じ図柄が描かれており、ゴム膜の模
   様をプリント(印刷)した後、「噴砂彫刻」で作られたようだ。

 (1) 「松食い鶴」手彫印材
      円形断面の水晶印材の側面に、縁起の良い「松食い鶴」を手彫したものがある。図案は
     上の金銀象嵌象牙印の右端のものによく似ていて、当時の流行を感じさせる。
      円柱の側面に彫刻してあるので、朱肉で拓本をとったものと並べて示す。

         
            印材         拓本【左右反転】
             「松食い鶴」手彫印材

 (2) 「大黒様」手彫印材
      角形断面の水晶印材の側面に、商売繁盛とゆかりの深い「大黒様」を手彫したものがあ
     る。彫刻面、拓本、そして反対面から見たものを並べてみる。
      以前のページで紹介した「五重塔印」と同じように、彫刻した反対面から見たものが一番
     リアルで綺麗に見えないだろうか。

            
            表        拓本【左右反転】        裏
                    「大黒様」手彫印材

 (2) 「大黒様」噴砂彫刻印材
      角形断面の水晶印材の側面に、上と同じように「大黒様」が彫られている。彫の深さが浅
     く、小判(楕円)断面のものも含め、同じ図案のものが、8本もあったことから、噴砂彫刻で
     大量に作られたものだろう。
      彫刻面、そして反対面から見たものを並べてみる。どちらの面からみても、同じような印
     象に見えないだろうか。

         
           表              裏
            「大黒様」噴砂彫刻印材

5. おわりに

 (1) 水晶細工の技の系譜
      今回入手した山梨県産水晶印材には、「噴砂彫刻」技術で篆刻したものや側面に文様を
     彫りこんだものがあり、いずれも初めて実物を見るものだった。
      このようにして、コスト(原価)を下げたり、付加価値を高めようという、甲州人の進取の気
     性を感じさせる。
      ( これが、『県民性』か )

 (2) 春遠からじ
      2月初めに、長男夫婦に娘が生まれ、われわれ夫婦にとって2人目の孫が生まれ、母子
     ともに元気で、『春から縁起が良いわい』だ。

      甲府も2010年の冬は例年になく寒い。立春も過ぎた先週、たいして積もらなかったが初
     めての雪が降り、寒い日が続いた。昨日あたりは4月中旬の暖かさになり、庭の蝋梅(ろう
     ばい)は満開だ。

      このまま、春になるとは思えないが、春はすぐそこまで来ている。多くの石友とミネラル・
     ウオッチングを楽しめるのも、もうすぐだ。

6.参考文献

 1) 山梨県水晶商工業協同組合編纂:水晶宝飾史,甲府商工会議所,昭和43年
 2) 六郷町印章誌編さん委員会編:合併二十周年記念誌 六郷 第二部 六郷町印章誌
                        六郷町,昭和50年


「鉱物採集」のホームに戻る


inserted by FC2 system