山梨県産 水晶印材コレクション - その11 -
             「水晶印判注文書」

1. はじめに

   2003年3月に甲府市で開催された骨董市で水晶印材を出品しているお店があり、早速
  8本まとめて購入した。
   この中に、インクルージョン入りが6本、その内、水晶峠産と思われる『山入り』のものは
  1本だけだった。

     「山入り」【2003年3月入手】

   それ以来、ネット・オークションや山梨県は無論、各地の骨董市、骨董店そして古書店を
  訪れる毎に、山梨県産の水晶製品とそれに関連するものに眼を光らせていた。
   その結果、既に150本あまりの水晶印材と「櫛」、「かんざし」、「帯留」そして「壺」などが
  集まり、入手の経緯とコレクションを中心に「山梨県水晶細工【印材】のミニ歴史」について
  は、HPに何回か記載した。

   ・山梨県産 水晶印材コレクション
   ・山梨県産 水晶印材コレクション-その2-
   ・山梨県産 水晶印材コレクション-その3-
   ・山梨県産 水晶印材コレクション-その4-
   ・山梨県産 水晶印材コレクション-その5-
   ・山梨県産 水晶印材コレクション-その6-
   ・山梨県産 水晶印材コレクション-その7-
   ・山梨県産 水晶印材コレクション-その8-
   ・山梨県産 水晶印材コレクション-その9-
   ・山梨県産 水晶印材コレクション-その10-

   2009年7月、ネット・オークションに「水晶印判注文書」なるものが出品され、競り合う相手
  もなく落札できた。

   内容は、山梨県西八代郡楠甫(くすほ)村(現市川三郷町)にあった印章店・潤光堂の
  望月 朝吉が明治38年(1905年)11月中旬から12月末にかけ、福島、宮城、岩手県を行商
  しながら注文をとった印判や水晶製品の寸法、値段などが書き記してある。ページの間に
  息子と思われる望月 正昭からのハガキが2通挟んであり、いわば『行商日記』でもある。

   「水晶宝飾史」によれば、西八代郡の河内地方十ケ村の人々による水晶の行商が始まっ
  たのは、明治30年(1897年)ごろとされ、内地はもとより遠く朝鮮にまで渡り、カバン1つを
  提げて、町から村へと足をのばし、水晶製品の販路を全国に広げ、業界の発展に大きく
  貢献したとされる。
   しかし、その商業活動は零細な印章店や個人であったため、まとまって記録として残って
  いるのは少ないようで、今回入手した「水晶印判注文書」は貴重な資料だろう。

   最盛期には、1,000人の行商人がいたとされ、その中の1人・望月 朝吉の足取りを追って
  みた。市川三郷町役場や同町地場産業会館内にある「印章資料館」での取材を重ねなが
  ら、「山梨県水晶細工【印材】の歴史」の知られざる部分にスポット・ライトをあててみた。

   このようにしながら、山梨県の特産である水晶製品の加工・販売に関する資料をまとめて
  現物と共に後世に伝えるのも、私の余生の生かし方だと思っている。
   ( 2009年7月入手 )

2. 「水晶印判注文書」表紙・裏表紙

 2.1 表紙・裏表紙
     入手した「水晶印判注文書」は、和紙に印刷した「注文書」を90枚余を袋とじにして、
    表紙、裏表紙をつけ、和とじにしたもので、1冊で約180件あまりの注文が書ける。
     表紙と裏表紙を下の写真に示す。

       
               表紙                    裏表紙
                    「水晶印判注文書」

     表紙の『水晶印判注文書』の文字は、字体名は知らないが、一目で「印章」を連想さ
    せる。

     裏表紙には、行商へ出発するにあたって書き込んだと思われる年月と持ち主の住所
    姓が書いてある。
     「明治38年11月吉祥」から、厳冬期を目前にし、寒さ厳しい東北地方での行商の売上
    げが伸びることと無事に帰れることへの望月 朝吉の祈りのようなものを感じる。
     これら、表紙、裏表紙からわかる情報を追求してみた。

 2.2 水晶印材を取り巻く当時の状況
     望月 朝吉が行商を行った明治38年(1905年)前後の水晶印材を取り巻く状況がどう
    だったか、水晶業界、交通・通信、社会の断面でイベントを下表にまとめてみた。

 和 暦 西 暦       水晶産業界   交通・郵便 政治・経済・文化
明治30年 1897年     「甲府水晶組合」結成
    河内地方農民による
    水晶行商盛んになる
    
明治31年 1898年    8月 常磐線全線開通  
明治32年 1899年     乙女鉱山の重石鉱採掘着手      
明治33年 1900年     水晶業者33、職工88人     
明治34年 1901年  7月 「峡中文学」に水晶
    印通信販売広告掲載
    度のわかるレンズの製造成功
   
明治35年 1902年     百瀬康吉が乙女鉱山で
    水晶・重石採掘
    この年から主な錺(かざり)業者
    甲府市中央部に移転開始
     
明治36年 1903年 11月 「甲斐物産商会」が通販誌
    「甲斐物産商報」発行
    水晶採掘に砂防を義務付け
    (水晶開発費増加)
    甲府−八王子間
    鉄道開通
 
明治37年 1904年      2月 日露戦争開戦
明治38年 1905年 11月 望月 朝吉 印判行商    9月 日露戦争終結
明治39年 1906年 10月 一府九県連合共進会が
    甲府城跡で開催
4月 「甲斐物産商報」
    第3種郵便物認可
    甲府−塩尻間
    鉄道開通
 
明治40年 1907年     大水害で水晶採掘不可能
    (県外、朝鮮産水晶移入)
    
明治41年 1908年     西八代郡(河内地方)水晶加工
    隆盛期に入る(第1回)
    
明治42年 1909年     石原宗平「篆刻宝典」刊行
    名工・土屋宗幸廃業
    
明治43年 1910年         
明治44年 1911年      研磨剤にカーボランダム導入
    足踏円盤研磨機発明
    モータ利用も進む
    
明治45年 1912年      
大正2年 1913年     内松兄弟がセイロン産水晶輸入      
大正3年 1914年     「大正博」に水晶製品多数出品     
大正4年 1915年        
大正5年 1916年        
大正6年 1917年 11月 「甲府水晶篆刻同業組合」結成      
大正7年 1918年 7月 ブラジル産水晶輸入
    西八代郡(河内地方)水晶加工
    隆盛期に入る(第2回)  
     

 (1) 水晶行商の始まり
      山梨県西八代郡河内(現市川三郷町)地方の人々によって、水晶製品の行商が始
     まったのは明治30年(1897年)ごろとされる。この地方の農地は狭く、農家は早くから
     副業で生計を立てねばならなかった。
      いろいろな副業が取り入れられ、一時「足袋(たび)」の製造・販売がこの地域の主
     たる副業だったが、明治30年以降、水晶印の販売を主とした行商は最高の副業と
     して望月 朝吉が住んだ楠甫村が最も盛んで、競争するように全村が行商に従事し
     た。
      楠甫村の名は、昭和26年(1951年)六郷町に合併、さらに平成の大合併で現在は
     市川三珠町の字「楠甫」として残っている。ここは、町の西南部、富士川に面し、山を
     背にした小さな集落だ。

          
               ↑楠甫地区
                     地図                     現在の楠甫地区の一部
                                             【富士川の対岸から撮影】

      「水晶印判注文書」に、息子・正昭が書いた朝吉宛のハガキが2通挟まっていた。
      11月28日付の文面に 『・・・・当家稲刈及稲コキも過般過(す)でに全部終・・・』、と
      あり、朝吉の家が農業にも携わっていたことを示している。

       
                       表

       
            ↑          裏
           稲刈・・・
            11月28日付          12月13日付
                正昭から朝吉宛ハガキ

 (2) 水晶の確保と印材の加工
      山梨県甲府盆地は、明治初年から明治44年までの間に、記録に残る水害は18回を
     数え、そのたび河川の沿岸は洪水に見舞われた。
      明治30年(1897年)、「砂防法」と「森林法」が公布され、明治36年(1903年)には、
     34,085haが水源涵養林や土砂防止保安林に編入された。これらの地域での鉱物採
     集などは制限され、取り締まりも強化された。
      荒川(金峰山〜黒平)と塩川(小尾八幡山〜増富)一帯について、水晶を採掘許可
     条件として、「掘り出した岩石と土砂が崩落しないよう、坑口の下方に必ず砂防施設を
     設け、採掘が終わった時は原形に復する」などが求められた。

      この結果、水晶を掘り当てられるかわからない試掘、採掘に多額の投資が必要に
     なり、事実上この地域での水晶採掘は不可能になた。
      玉宮(現甲州市)の竹森山は、訪れたことがある人はわかる通り、洪水の原因にな
     る虞(おそれ)が少ないと見られ、厳しい制限や取締りは行われなかったようだ。
      明治36年(1903年)、石原 宗平は、竹森山水晶坑の採掘・販売を一手に行うことを
     「甲斐繁盛記」の広告に載せている。

      いずれにしても、山梨県産の水晶の産出量は激減し、他県産や朝鮮産のものの移
     入(明治40年)やブラジル産の輸入(大正7年)が目前に迫っていた時期である。

 (3) 明治38年11月
      明治38年(1905年)11月がどのような時期だったのか、世界史的にも興味がある。
     前の年、明治37年2月、日本は大国ロシアとの戦争に突入した。いわゆる日露戦争で
     ある。
      日本海海戦での勝利などがあり、明治38年9月に、日本の勝利で終わった。それか
     ら2ヶ月しか経っておらず、日本国中が戦勝気分に沸いていた頃だ。

      かの、保科五無斎が遺稿となった『読売新聞記者黒頼巾に告ぐ』の中で、「『親もなし
     妻なし子なし板木なし 金も無ければ 死になくもなし 』、などと愚痴りたるが如きもの
     に非ず。戦勝国の男児、豈(あ)に斯かる愚痴を溢(こぼ)すの必要あらん哉 」、と
     言ったのが明治43年8月で、戦争が終わって5年近くが経っていた。明治38年の頃は
     全国民が『戦勝国』を意識していた時期だろう。

      交通の面でも、この年中央線甲府―八王子間が開通し、従来3日かかった距離が
     6時間に縮まった。明治31年に常磐線も全線開通、先に開通していた東北本線とあ
     わせて、望月 朝吉が行商した範囲には甲府から鉄道で行ける時代になっていた。

3. 「水晶印判注文書」 内容

 (1) 必要記入事項
      「水晶印判注文書」は、下図のような印刷された定型の注文書が袋とじになっている。

     

 注文書には、次のような情報を
書き込むようになっていて、注文書で
あると同時に一種の契約書になって
いる。

@ 実印・認印の区別
A 注文数
B 字体(篆刻する字体)
C 寸方(寸法の誤り、印材の寸法)
D 印材+彫刻料の金額
E 注文年月日
F 注文人住所・氏名

 多くの記入例を見ると
@、Cの蘭に、「紫」「茶」など
印材となる水晶の種類が
書き込まれているケースも
ある。


 (2) 記入例
         以下に、いくつかの記入例を示す。

          
              紫水晶             草入り水晶
                     水晶印材質

          
               角印               鈕付き
                    水晶印の形状

      水晶印材には、一般的な「透明」なものだけでなく、「紫水晶」や「草入り水晶」など
     国内他県産や地元山梨県産の水晶も使われていた。

      水晶印の形状は、一般的な「丸」、「角」そして「小判(楕円形)」などがある。その他
     「鈕(ちゅう)付き」と呼ばれる、鈕(つまみ)がついたものもあった。
      ほとんどの注文書の「寸方(寸法)」の欄に、印材の断面、長さの拓本が朱肉で取っ
     てあるのも注目すべき点だろう。念入りに、「□分丸 長さ△寸○分」と記入してある
     ものもある。

      寸法欄のほぼ真下に、鉛筆書きで数字が書いてある。これが何を意味するのかも
     疑問の1つだ。

      代金欄には、「サック付き」など印材以外の注文品や「代金引換」など引渡し方法を
     記録してあるものもある。さらに、「内金○○銭」と、手付け金を受け取っているものも
     ある。
      「一月中に送附スル事」などと契約条件も書かれているケースもある。

      これらの注文書の墨書の字体が1件1件違うことから、「注文主」自身が書き込んだ
     もので、「契約書」の意味合いも持っていたことが伺える。
      寸法欄の下の鉛筆書き数字の字体は同じで、同一人、つまり行商していた望月
     朝吉自身が書いたと推測できる。

 (3) 注文内容
         望月 朝吉が、11月中旬から12月末にかけ、福島、宮城、岩手県を行商しながら注
     文をとった印判や水晶製品の寸法、値段などをデータ・ベース化した。
      書き込まれている文字は全てデータにのせ、印材の断面、長さの拓本が朱肉で取っ
     てあるものはmm(ミリ)単位で実測し、比重2.7として重さも計算しデータ化した。
      鉛筆で書き込んである数字も「控え番号」としてリストに載せた。

No 月/日 市郡町村 官公庁・会社名 印材 篆刻 印の種類 数量 サック有無 発送方法 価格(円) 郵送料(円)価格に含まない 内金(円) 控え番号 備考
材質 断面形状 縦(mm) 横(mm) 長さ(mm) 重さ(g) 字体 文字数
1 11/13 福島県 相馬郡中村町 安田銀行 水晶 13   38 13.6 小篆縁 3   1   物品引換 2.00     585 縁中太字ヲ縁ニ附ク事印形充満
2 中村蚕病予防事務所 水晶 14   32 13.3 倭古篆朱字 2   1 2.10     131 印形ニ充満スル事    4分7厘圓 長サ1寸5厘
3 水晶 14   32 13.3 倭古篆朱字 2   1
4 11/15 宮城県 伊具郡丸森町   水晶 楕円 12 10 24 6.1 小篆縁中太 2 認印 1   0.80     23 篆字ノ尽崩スベカラズ
5   草入水晶 楕円 12 10 19 4.8 小篆縁リ中太 2   1   0.85   0.35 165 古印ニテ渡シ
6 11/16 役場 水晶 10   12 2.5 大和古篆 2   1   0.80     22 11/28限リ到着セザルトキハ破談ノ約定
7 11/18 伊具郡角田町 税務署 水晶 楕円 11 8 42 7.8 倭古篆 2   1   1.10     41  
8   茶水晶 楕円 11 8 23 4.3 倭古篆 2   1   1.10     23  
9 11/20 福島県 信夫郡福島町 日本錬□株式会社 水晶 14   39 16.2 小篆 4 実印 1 2.80     895 字細ク縁中太篆字ノマゝ
10 福島停車場 水晶 13   36 12.9 倭古篆 2 実印 1   0.80     165  
11   水晶 楕円 12 10 24 6.1 倭古篆 2 認印 1   1.05     23  
12 福島停車場 水晶 13   35 12.5 大篆 2   1 1.50     68  
13   水晶 楕円 12 10 18 4.6 倭古篆 2 認印 1   1.05     23  
14 福島県庁第四部保安課 水晶 楕円 12 11 39 10.9 古印と同じ 2   1   1.00     44  
15 福島県庁第四部 水晶 15   53 25.3 小篆 2   1   2.00     96 縁リ太ク字中太字ハ□ク安ク
16 福島県庁第四部 水晶 14   65 27.0 小篆 2   1   2.00     104 字細ク縁太ク篆字ノマゝ
17 福島県庁第四部 水晶 楕円 14 11 43 14.0 古印と同じ 3   1   1.10     535  
18 福島県庁第四部 水晶 楕円 12 10 45 11.4 倭古篆 2   1   1.10     44  
19 (11/21) 伊達郡   水晶 楕円 14 10 43 12.8 小篆 2   1   1.45     39 字中太
20 水晶 12   31 9.5   2   1      
21 11/21 伊達郡 役所 水晶 13   35 12.5 古印と同じ 2   1   1.00     465  
22 11/22 宮城県 角田町   水晶 楕円 12 9 33 7.6 倭古篆 2 認印 1   1.00     28  
23 税務署 水晶 楕円 12 10 33 8.4 隷書白字 2 認印 1   1.00     335  
24 11/23 亘理町   水晶 9   18 3.1 小篆 2 認印 1   1.00   0.3 23 太字細縁
25 11/26 名取郡茂ケ崎   水晶 楕円 12 10 23 5.8   2   1   0.80   0.3 165  
26 11/27 仙台市   水晶 楕円 12 10 43 10.9 倭古篆 2   1   1.35        
27 郵便局 水晶 14   34 14.1 古印と同じ 2   1   1.05     465  
28 水晶 13   32 11.5 小篆 2   1   1.00     39 字中太
29 水晶 15   55 26.2 大和古篆 3   1   2.50     111 印形ニ充満縁中太
30 〃(?) 〃(?) 〃(?) 水晶 12   35 10.7 倭古篆 2   1   1.00     465 4分丸 長1寸1分5厘
31 11/28 宮城県庁第四部 水晶 14   40 16.6   2   1   1.50     59  
32 宮城県庁第四部 水晶 12   35 10.7 古印と同じ 1 実印 1   1.00     465 1寸1分5厘
33 宮城県庁第四部 水晶 楕円 12 10 56 14.2   1 認印 1   1.30     615 1寸8分5厘
34 11/29 名取郡岩沼町   紫水晶原石          古篆 1   1   0.70     165  
35 12/1 桃生郡野中林町   紫水晶 13   32 11.5 草玉 4 実印 1 有2本入り 代金引換 2.80     102  
36 紫水晶 11   40 10.3 4 実印 1       3分5厘角1寸3分
37 12/2 牡鹿郡(石巻) 水産学校 水晶 13   40 14.3   3 実印 1 有ワニ皮2本入り 物品引換 1.20       4分4厘角 1寸3分
38 水晶 楕円     36     3 認印 1       打円形 1寸2分
39 12/4 本吉郡戸倉町   水晶 12       小篆縁リ中太 2 認印 1   郵送 1.50 0.10   47  
40 水晶 楕円 12 9     小篆縁リ中太 2 認印 1     
41   水晶 楕円 12 10 49 12.5 倭古篆朱字 2 認印 1   物品引換 1.50     515  
42 12/7 本吉郡気仙沼町   水晶 楕円 12 10 22 5.6 隷書 3 認印 1   0.95     30  
43 警察署 水晶 13   46 16.5 小篆縁リ中太 2   1   1.70     64  
44 〃(?) 水晶 12   43 13.1   2   1   3.00     94  
45 警察署 水晶 13   39 14.0 倭古篆 4 実印 1   1.30     68  
46   水晶 14   59 24.5 古印と同じ 4 実印 1   3.00     118  
47   水晶 13   31 11.1 古篆縁リ中太 2   1   0.85   0.35 14  
48 12/10 岩手県 西磐井郡花泉町   水晶 11   32 8.2 小篆字中太太輪 2 実印 1 1.40     52  
49 12/13 福島県 相馬郡中村町   水晶 14   29 12.0   5 実印 1   1.60     39 モノ字ヲ縁リニ2字下図ノ如ク入レテ刻ル事
50   水晶 13   39 14.0   5   1   2.15     69 字体上ノ通リ
51   水晶 13       字体ガ書印シテ□スル事 2   1   2.10     69 狗鈕付
52 12/16 宮城県 丸森町   水晶 12   38 11.6 小篆 3 (実印) 1   2.20     515  
53   水晶 10   50 10.6 楷書 2   1   1.40     49 3分1厘 長1寸6分5厘 無色
54 〃(?)   水晶 楕円 13 10 37 10.2 大篆 2 認印 1   1.10     365 字ヲ斜ニ入レテ縁中太
55 12/18 福島県 伊達郡梁川町   水晶 8   20 2.7 倭古篆 2   1   0.75     23  
56   水晶      28   倭大篆 2   1   0.75   0.45 165  
57 伊達郡半田村   水晶 12   36 11.0 倭古篆 2 実印 1 郵送 1.35 0.05   515 4分丸 1寸2分長
58 伊達郡桑折町   水晶 14   29 12.0 小篆 4 (実印) 1   1.35 0.05   61 サック代35銭
59 〃(?) 和泉屋方 水晶 楕円 14 11 21 6.9 適意 2   1   小包 1.00 0.10   24  
60 〃(?) 伊達郡 役所 17   42 25.7 小篆 2   1   物品引換 0.65     15 1寸4分
61 (12/20) 福島県 信夫郡福島町 (県庁)第四部 水晶 15   56 26.7 倭古篆 2 実印 1 2.40     123 縁中太
62 12/20 水晶 12   32 9.8 八方篆 2 認印 1 郵送 1.20 0.05 0.2 47  
63 水晶 楕円 12 9 47 10.8 小篆 2 認印 1   1.30 0.05 0.3 49  
64 星入水晶 楕円 12 10 47 12.0 古篆 2 認印 1   物品引換 0.85     37  
65 □□社 水晶 11   46 11.8 倭古篆 2 認印 1 2.00     90 2重縁
66 12/21   水晶 13   42 15.0 倭古篆 2   1 2.00     85 2重縁
67 (12/22) 宮城県 伊貝郡角田町 税務署 水晶 11       古印と同じ 2   1   2.00     69 兎の鈕付
68 12/22   水晶 楕円 10 8 41 7.0 古篆 2   1   0.80     165  
69            1   2.00    12 近眼鏡 2号玉 16度
70 12/25 仙台市 郵便局 水晶 13   47 16.8 小篆篆字ノマゝ 2 認印 1   1.50     64 縁太ク字縁リヲ去ル事
71   水晶 12   33 10.1 小篆 1   1 1.30     34 二重縁外極太ク 1月中ニ送付スル事
72 〃(?) (県庁)第四部 水晶 9   19 3.3 小篆 2   1   0.90     23  
73   福島県 信夫郡福島町 停車場 水晶 13   43 15.4 小篆 4   1   2.20   0.2 73  
      合     計 73    96.85 0.40 2.45   

4. 『外交』・・・水晶印の行商

    「六郷町印章誌」によれば、水晶印販売の初期、河内地方の人々が『外交』と呼ばれる
   行商で全国を回った。印の重要性、利便性そして生活必需品であることなどを宣伝し印を
   普及して回った。その販路の開拓は困難を極め、非常な努力を払ったものだった、とある。

    「水晶印判注文書」を残した望月 朝吉もそういった「外交」の1人だった。「注文帳」や
   そこに挟まれていた2枚の「ハガキ」、電報の「頼信紙」などから、行商による水晶印の受
   注〜顧客への引渡し〜代金の受け取りまでの実態が、ボンヤリとではあるが見えてきた。

    以下、市川三珠町の「印章資料館」の資料や「六郷町印章誌」の記述なども参考にして
   水晶印の『外交』の実態を追ってみた。

 4.1 行商人の資格
      最盛期には、水晶製品の行商人が1,000名近くいた、とされるが、簡単にだれでもが
     従事できるわけではなく、彼らは皆、「山梨県水晶商組合」が発行した、「外交販売許
     可証」の携帯が義務付けられていたようだ。

     
 「印章資料館」のショー・ケースに
何枚かの「外交販売許可証」が展示
してある。

 ・ 行商品目
 ・ 行商範囲(○○県下一円)
 ・ 行商人氏名

 など記載・押印してあり、行商人の
身分を証明する意味もあったのだ
ろう。
       「外交販売許可証」【印章資料館】

      「六郷町印章誌」によれば、『 当時は、印の外交員を「注文取り」ともいい、みな堂々
     たる人達で、多くは村長級の人が出かけていったものである。
      この人々は、一種の見識を持っており「首とつりかえの印」を販売するのだという信念
     をいだいていた・・・・』、とあるように、行商に誇りを持っていたのだろう。

 4.2 行商のスタイル
      行商は、自分が永年かけて開拓したお得意さん(官庁・会社・学校・商店・個人)の
     いる地方を回って、商品見本を見せて注文をとる仕事で、商業の原型というべき1形
     態だろう。

      私が小学生だった昭和30年ころまで、「越中富山の薬売り」が、毎年決まった時期に
     に訪れ、家庭薬の在庫を調べ、足りなくなった(=使った)分の代金を徴収し、新しい
     薬を補充していたのが行商の典型だろう。
     ( オジサンがくれる、お土産の紙風船が待ち遠しかった )

      水晶製品の行商がどのようなものだったのかを印材の仕入れ〜販売代金の回収ま
     でを順に追ってみよう。

  (1) 印材の仕入れと印材見本
       明治38年(1905年)ごろ、六郷町での印材加工はほとんど行われていなかったよ
      うで、行商人は印材加工中心地・甲府市内の印材製造業者や問屋から印材を仕入
      れていたと考えられる。

       仕入れに関する情報のいくつかが、「水晶印判注文書」に残されている。

       @ 仕入れ価格

          

 「水晶印判注文書」の注文の最終ページに
鉛筆書きのメモが残されている。

   売上 9115  元 3429

 これは、この「注文書」に書き込まれている
印材 72本と近眼鏡 1ケの売り上げ金額と
元値(仕入れ価格)を意味しているのだろう。

 仕入れ価格は、34円29銭だったとすると
単純には、1本の仕入れ価格は、0.476円
(47銭6厘)、となる。


       A 印材見本
           「六郷町印章誌」や「印章資料館」に、外交員が持ち歩いた、と伝えられる
          「注文取り用印材見本箱」の写真や実物がある。
           望月 朝吉も同様なものを持参したのだろう。「注文書」の下に、鉛筆書きの
          数字があるが、これが『商品番号』で、印材1本1本に貼られていたのだろう。
           この「水晶印材コレクション」シリーズの最初のページに掲げた印材には、下の
          写真に示すように、小さなラベルが糊付けされ、数字が書き込まれていた。

             
                   「注文取り用印材見本箱」              No付き水晶印材
                     【印章資料館展示品】              【マイコレクション】

  (2) いつ出発しいつ戻ったか
       望月 朝吉が楠甫村をいつ出発し、いつ戻ったのだろうか。今回入手した「注文書」
      は、11月13日の注文が最初になっているが、この数日前に出発したとは考えにくい。
       なぜなら、11月28日付の正昭からのハガキに「 稲刈り云々・・ 」の文字があり、
      山梨県では通常10月初旬には終わる稲刈りの状況を知らなかったことになる。

       帰ったのは、この「注文書」の最終ページの受注日が正月を目前にした12月25日
      以降、であり、場所が「停車場」(駅)であることから、この注文を取って、汽車に乗って
      楠甫村に帰ったのではないだろうか。

       「六郷町印章誌」によれば、『 行商人も最初は農閑期の現金収入の手段として
      季節的に従事するものが多かったが、思ったより利潤が良かったため順次専業化し
      た行商人が増加し、盆と正月の2度帰宅するくらいで、ほとんど1年中文字通り全国を
      東奔西走して売りまくった人々もあった。・・・・・・・・・・』、とあるように、望月 朝吉も
      盆と正月にしか帰らなかったのではないだろうか。

  (3) 行商範囲とそのその足跡
       望月 朝吉の「注文書」で、彼の足取りを追ってみると、福島県〜宮城県〜岩手県
      を回ったことがわかる。
       11月13日に福島県北部の太平洋に面した相馬郡中村町(現相馬市)を出発し、
      12月25日ごろ、福島県福島町(現福島市)に戻るまでの、約42日間の足跡を下の
      図に示す。
       その足取りは、私達が考えると一番効率が良い”一筆書き”になっていない。ここ
      にも、水晶製品行商の特徴が隠れているようだ。

       
                            望月 朝吉の足跡

  (4) 水晶印行商のサイクル
       「六郷町印章誌」や望月 朝吉の「印判注文書」そして望月 正昭のハガキなど
      から、水晶印行商のステップは次のようで、『注文取り→篆刻→納品(=売上金回収)
      →新たな受注 』
のサイクルをうまく回していたことで、”効率が良い(=利益大)”
      だったようだ。

       @ 注文取り(受注)
           望月 朝吉の「印判注文書」の『官公庁・会社』の欄に顧客情報の一部を
          まとめてある。これを見ると、県庁、郡役所、郵便局、学校そして停車場(駅)
          などの官公庁や安田銀行はじめ一般の会社の比率が36件/72件と約50%を
          占めている。このように、大きな組織では、一度にまとまった注文があったよ
          うで、11月20日には、福島駅、県庁などで10件もの受注を獲得している。
            「印判注文書」に残こる42日間の受注件数が72件で、1日平均1.7件に比べ
          いかに効率が良いかがわかる。

           私が、障害者の就労支援機構にいたとき、乳酸飲料”ヤ○○ト”のおねえさ
          んが昼休みに事務所に売り込みに飛び込んで来たことがあった。誰かが買う
          と、”釣られて”私も買うなど、その日に何本か売れ、彼女は定期的に来るよう
          になり、”固定客”をつかんだようだった。

           一方では、望月 朝吉は、小さな商売の機会を逃さない”甲州商人”特有の
          目端も利いたようで、11月18日(?)宿泊した「和泉屋」の従業員と思われる
          女性からも受注している。

       A 篆刻
           受注した印の篆刻は、どうしたのだろうか。「印判注文書」の備考欄に記録
          したように、短期間での納品を要求する顧客も何人かいた。

           ・ 11/16 丸森町役場   「11/28限り到着セザルトキハ破談ノ約定」
           ・ 12/25 仙台市      「1月中ニ送付スル事」

           盆と正月にしか帰らなかった、と思われる望月 朝吉が、どのようにして篆刻
          を国許(楠甫村)に指示したのかの手掛りが、望月 正昭のハガキと「六郷町
          印章誌」にある。

           正昭の11月28日発のハガキの文面に次のような記述がある。

           『 謹啓 陳者(のぶるに)去ル二十五日乃(の)御発荷□□□今夕正着落手
            仕リ□□乍憚御休心被下度たく
             尚を刻成乃義□□追って御報□申・・・・・                   』

           とあり、旅先の朝吉から送られたもの・情報で、篆刻できたことがわかる。

           つまり、受注した「注文書」と1点もののような場合印材も楠甫村の正昭宛に
          郵送し、これを元に篆刻したようだ。
           このことは、「六郷町印章誌」に「 注文を取ると帰郷し、・・・・印章彫刻技能
          士に頼んで彫ってもらい、・・・・・」、とあるのと合致する。
           朝吉は、時間と多くの費用がかかる帰郷の代わりに、郵送というスマートな
          手段を利用していたのだ。

           ここで、望月 正昭がどのような人物なのかも興味あるところだ。「印章資
          料館」に行き、職員の方に調べていただき、明治時代の楠甫村に、望月 正
          昭は2名いたことがわかった。
           結論から言えば、朝吉の息子・正昭は、「望月正峰」と号する篆刻師(印材
          に文字を彫る技能者)だった。
           「印判注文書」のページの間に、下の写真に示す、正峰の『印譜』が挟まって
          いたのだ。

           望月 正峰(正昭)の印譜

           「六郷町印章誌」によれば、正峰は後年『平刀』を創作するなど創意工夫に
          溢れ、同誌のグラビアに印譜がカラー印刷で載せられるほど腕の良い篆刻師
          だった。

          

 「印章誌」の印章彫刻と製造の章に、手で文字を
彫るのに使う印刀のスケッチが載っている。
 左の2本が『平刀』で、字直し(字造り)に使われる。

 『 楠甫村(現在六郷町)の正峰  望月 正昭氏が
  大正元年ごろ洋傘骨を平に打ちのばし、焼きを
  入れて平刀を創作した。
   後、伊勢の丸山 兼吉氏にこれを打たせ広く
  用いられるようになったといわれている       』


           各種の印刀

          

 「印章誌」のグラビアに掲載された
正峰 望月 正昭氏の印譜


           望月 朝吉の場合、篆刻士に頼まなくても、息子・正昭が篆刻したことによっ
          て、家の外にお金が出ない、という経済的な理由のほか、納期的に無理な注
          文にも対応でき、郵便などを使っても意思疎通が充分に図れ、間違いが少な
          いなどのメリットがあったのだろう。

           さて、11月16日に丸森町役場で受注した印の納期は、12日間しかなかった。
          このような、短い納期のものにどう対応したのだろうか。
           注文書やハガキなどの記述からは読み取れない。推測でしかないが、『電報』
          を利用したのではないだろうか。
           「印判注文書」の袋とじの間から、下の写真に示す電報の電文を書く「頼信
          紙」の切れ端が出てきたからだ。

           頼信紙の切れ端

       B 納品(売上金回収)
           「水晶印判注文書」に、『右ノ印注文致候代金ノ義は物品引換ニ相渡可申
          候也』、とあり、物と交換に代金を貰うシステムだった。

           ただ、例外的に、「郵送」6件(8%)、「小包」1件(1%)、そして「代金引換」1件
          (1%)となっていて、約90%は、直接お客に印を手渡して、代金を受け取ってい
          た。
           一見、これは無駄なようだが、新たなビジネス・チャンス(注文取り)にとって
          欠かせないものだったのだろう。

           旅先にいる望月 朝吉にどのように、篆刻が終わった印を渡したのだろうか。
          この答えは、正昭のハガキに残されている。
           12月13日発信のハガキに、『 前略 陳者(のぶるに)、昨日郵便小包ヲ以テ
          印彫 38本口御発送・・・・仙台柳町 岡源助様方ヘ□書及本吉郡気仙沼郵
          便局止ニテ封書1通差出中・・・・』
、とある。

           つまり、正昭は、個人宅、旅籠気付あるいは局留などを使って、完成した印や
          時には見本の印材などが朝吉に届くようにしていたようだ。

           朝吉は、注文を取る(=契約)と同時に、20銭から45銭の「内金(=手付金)」
          を受け取ることがあった。
           受取った件数は8件と、全体の10%に過ぎず、どのような場合に「内金」を
          とったのか、「印判注文書」からは読み取れない。

  (5) 水晶印行商の収支
       このような水晶印の行商での売り上げや儲けはどの程度あったのだろうか。先に
      も紹介したように、11月13日から12月末まで 『 売上 9115  元 3429 』、とあり
      差額の『5686』、つまり 56円86銭 が粗利益となる。
       純利益は、朝吉の交通費、宿泊費、昼食代、通信費などの販売経費そして正昭の
      篆刻料を差し引いたものになる。

       「六郷町印章誌」に、楠甫村の望月 政五郎氏が長野方面に明治31年12月14日
      から2月8日まで、57日間の行商したときの「雑記帳」が載っている。

        出〆  23円70銭(行商経費)  ( → 0.416円/日)
        入〆  34円44銭(売上金)    ( → 0.604円/日)

       望月 朝吉の場合、1日あたりの売り上げは、91円15銭/42日=2.170円/日 と、
      政五郎の4倍近くだったことが判る。それだけ、利潤も大きかったはずだ。

5. おわりに

 (1) 水晶印行商の実態
      今回たまたま入手した「水晶印判注文書」とそこに挟まっていた息子・正昭からの
     2通のハガキから、望月 朝吉の水晶印行商の実態を垣間見ることができた。
      最盛期には、1,000人いたとされる行商人、1人ひとり、訪れる地域、持参する商品も
     違い、それぞれ旅先での苦楽があったことだろう。

      「水晶印判注文書」に『明治参拾八年拾壱月吉祥』とあり、吉祥を願ったのは朝吉
     だけかと思っていたが、「六郷町印章誌」に掲載された望月 政五郎氏の「雑記帳」
     などの表紙にも『1月祥日』、『9月吉祥日』、『1月吉日』などの文字が見られ、思いは
     同じだったことも解った。

       望月 政五郎の「雑記帳」【六郷町印章誌から引用】

      『宝石の街・甲府』、と謳い、ジュエリー(宝飾)が観光、フルーツと並んで山梨県を
     支える産業の1つになっているのは、望月 朝吉を初めとする名もない多くの行商人
     の苦労があったことを忘れてはならないだろう。

      このようにしながら、山梨県の特産である水晶製品の加工・販売に関する資料をま
     とめて現物と共に後世に伝えるのも、私の余生の生かし方だと思っている。

 (2) データの分類
      このページは、「水晶印判注文書」の概要についてまとめることだけで終わってしま
     った。
      今後、朝吉が注文を取った印のデータを分類したいと思っている。

6.参考文献

 1) 望月 朝吉:水晶印判注文書,潤光堂,明治38年
 2) 山梨県水晶商工業協同組合編纂:水晶宝飾史,甲府商工会議所,昭和43年
 3) 六郷町印章誌編さん委員会編:合併二十周年記念誌 六郷 第二部 六郷町印章誌
                        六郷町,昭和50年
 4) 黒田 敏夫編集:日本地図帳,株式会社昭文社,1989年
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