「ノアの洪水」と鉱物学者・ステノ

1. はじめに

    2015年2月、古希を記念した南極探検旅行からの帰り、ヒューストンから成田への飛行機の中で
   退屈しのぎに、B・ピット主演の「フューリー(FURY)」を観ていた。もっとも、この映画は、南極に行く
   直前の1月6日に甲府で一度見たものだった。このとき、「ノアの方舟」を題材にしたR・クロウ主演の
   「ノア 約束の舟」の予告編が映されたが、内容が今一つなので観る気にはならなかった。

   ・  古希記念 南極ミネラル・ウオッチング
    2015年 南極探検旅行 【帰国】
    ( Mineral Watching in Antarctica
     Antarctica Expedition 2015 , - Return to Japan - )

    隣の席のアメリカ人(30代後半の男性)が話しかけてきた。「MHが見ているのと同じ映画を観たい
   のだがどうすればよいか」というので、タッチパネルを操作して出してやった。この男の話を聞いていると
   アメリカ人にも飛行機に乗るのが初めてで、タッチパネルの操作ができない人がいるんだ、と再認識し
   た。

    2015年6月11日付読売新聞に「進化否定 米の博物館」という記事が載った。

     
                          「進化否定 米の博物館」の記事
                               【読売新聞より引用】

    「 日本を含む多くの国では、『人類など地球上の生物は、長い時間をかけて自然に進化して
     きた』
というのが常識だが、米国では必ずしもそうではないようだ。
      旧約聖書の『創世記』の通り、神が6,000年前に6日間で万物を創り上げたと信じる「キリスト
     教保守派」の人たちが中南部を中心に少なくないからだ。・・・・・
      ケンタッキー州では、進化論を否定する「天地創造博物館」が人気スポットになっている。・・・

      見学コースを進むと「ノアの方舟」の模型やアダムとイブの人形などが現れ、テーマパークのようだ。
     「1日目、神が天地を創造、・・・・5日目、海と空の生物誕生、6日目、陸の生物誕生」。
     6,000年前、神が6日間ですべてを創造した、という説明が並ぶ。・・・・・・・           」

    アメリカでは「進化論」を教えない、教えると罰せられる州があるとは知っていたが、一般市民を対
   象にした生物の進化についての意識調査では、「最初から現在の姿で存在していた」と信じる人々
   が科学知識が普及した現在でも約1/3もいるのには驚かされる。

    14世紀から17世紀にかけて、ヨーロッパの科学者や哲学者は、観測結果や理論計算にもとずき、
   宇宙などに関するカトリック教会の教えに反する学説を公表した。その代表は「地動説」で、その結
   果、ガリレオ(1564年-1642年)は教会によって異端審問にかけられ自宅軟禁を言い渡され寂しく
   世を去った。一部の本は1992年に法王ヨハネ・パウロ2世が過ちを認めるまで、カトリックの禁書目
   録に含まれていた。

    「面角一定の法則」という鉱物学の基本法則を発見したステノ(1638年-1686年)も、地質学者
   として「ノアの洪水は本当にあったのか?」という問いに答えをださなければならなかった。その学説の
   表現次第では、ガリレオと同じ運命が待っていた。

    D・R・モンゴメリーの「THE ROCKS DON'T LIE(岩は嘘をつかない)」を読むと「ノアの洪水」伝説を
   軸に、ステノをはじめとする地質学者が科学者としての良心と宗教による過酷な制裁とのはざまで
   どう振る舞ったかが生々しく描かれている。

    組織の一員であったり、扶養すべき家族がいたりすると難しいことなのだが、『いつ、いかなるときでも、
   良心に従って発言、行動する人』、でありたいと戦後70年の今、痛切に感じるMHだ。
    ( 2015年2月〜6月 体験・調査 8月 報告 )

2. 天地創造神話とノアの方舟

    ユダヤ教・キリスト教の聖典である旧約聖書『創世記』の冒頭に、天地の創造のプロセスが次の
   ように記述されている。

    1日目 暗闇がある中、神は光を作り、昼と夜が出来た。
    2日目 神は空(天)をつくった。
    3日目 神は大地を作り、海が生まれ、地に植物をはえさせた。
    4日目 神は太陽と月と星をつくった。
    5日目 神は魚と鳥をつくった。
    6日目 神は獣と家畜をつくり、神に似せた人をつくった。
    7日目 神は休んだ。

    6日間で地球を構成する大地(鉱物)から人間を始めとする動植物に至るまで神がつくったことに
   なる。7日目にさしもの神も(疲れて?)休んだので、この日が安息日になり、1週間が7日なのはここ
   からきていることをご存知の読者もおられるだろう。

    やがて、神は地上に増えた人々が悪を行っているのを見て、大洪水を起こしてこれを滅ぼすときめ
   神のめがねに叶った善良なノアに方舟の建設を命じた。
    方舟は木でつくられ、三階建てで内部に小部屋が多く設けられた巨大なものだった。方舟の内と
   外は防水のためタールが塗られた。ノアは方舟を完成させると、妻と三人の息子とそれぞれの妻、
   そしてすべての動物のつがいを乗せた。
    大洪水は40日40夜続き、地上に生きていたものを滅ぼしつくした。水は150日の間、地上で勢い
   を失わなかった。その後、方舟はアララト山の上にとまった。

    40日のあと、ノアは烏を放ったが、とまるところがなく帰ってきた。さらに鳩を放したが、同じように戻
   ってきた。7日後、もう一度鳩を放すと、鳩はオリーブの葉をくわえて船に戻ってきた。さらに7日たって
   鳩を放すと、鳩はもう戻ってこなかった。
    ノアは水が引いたことを知り、家族と動物たちと共に方舟を出た。

    現在ある地球上の地形はこの時の大洪水で作られたとする創世記の『ノアの洪水譚(たん)』は
   地質学の発展に大きな影響を与えることになる。

    貝などの海生生物の化石が海よりもはるかに高い山の上で発見されたことで、ノアの洪水は地球
   を水没させた大災害だったと信じられた。
    こうして、大洪水で世界が作り変えられたという考えは聖書に記された真実であると同時に、中世
   にいたるまで地質学の学説でもあった。

3. アメリカの進化教育

 3.1 進化否定のアメリカの博物館
      読売新聞の記事によれば、アメリカケンタッキー州ピーターズバーグに「天地創造博物館」があ
     る。この博物館は、12万人の会員を持つキリスト教団体「アンサーズ・イン・ジェネシス(創世記
     の中の答え)」が、20ヘクタールの敷地に2,700万ドル(邦貨33億円余)をかけて建設し、2007年
     5月に開館した。2015年2月までに、230万人が訪れ、週末には行列ができ数10分待たなければ
     中に入れないほどの人気らしい。

      館内には、恐竜のわきに、現代人と同じ顔立ちの母親とこども(?)が一緒にいるという、あり
     得ない展示がある。

        
               博物館の位置                         恐竜と人類が共存!?
                             【読売新聞より引用】

      こういった施設に対して、「博物館と呼ぶべきでない」とか「宗教施設だ」と批判するアメリカの
     教育関係者もいるが、天地創造をテーマにした博物館は増加傾向にある。
      こうした博物館は、2013年現在、アメリカに27ヶ所、カナダや英国、オランダなどに9ヶ所ある。
     「アンサーズ・イン・ジェネシス」は、車で40分ほどの場所に、全長155メートルの実物大の『ノアの
     方舟』を展示する別な博物館を2016年開館をめざして建設中らしい。

     
               建設中の実物大『ノアの方舟』
                  【読売新聞より引用】

 3.2 アメリカ人の「生物の進化についての意識」
      旧約聖書にもとづく天地創造の考え方は、信心深い米国人の間にそれなりに受け入れられ
     ているようだ。
      アメリカの調査機関「ピュー・リサーチ」が2014年に米国の科学者団体「米国科学振興協会
     (AAAS)」と合同で、一般市民とAAAS会員の科学者を対象に意識調査を実施した。

     
                「生物の進化についての意識」 調査結果
                  【読売新聞の記事をグラフに作成】

      「進化」については、市民の31%が「人類やほかの生物は最初から現在の姿で存在していた」
     と進化を否定している。24%は進化を認めつつ、「現在の姿の人類などを創造するため、特別
     な存在(神のこと?)が進化を導いた」、と回答した。これに対して、AAAS会員の科学者たちは、
     「自然に進化した」 が90%だった。
      AAASの前最高経営責任者(CEO)は、「進化は聖書の記述と違うため、受け入れられない人
     もいる。科学は時に宗教的な信念に負けてしまうが、なるべく食い止めなければ」、と話す。

      もし、日本で同じ調査を行ったらどういう結果になるだろうか。「自然に進化した」が100%近
     いのではないだろうか。

 3.3 アメリカの「生物の進化」教育
      「生物の進化」に対するアメリカ市民の意識は、読者にとっても驚きではないだろうか。アメリカ
     市民がこのような意識を持つのは、公立学校の教育の結果で、そのような教育を受けた人たち
     が、次の世代の教育に影響を及ぼしているようだ。

      1925年(昭和元年)、ケンタッキー州の南隣・テネシー州で「進化教育を禁じる法律」が制定
     され、これに違反した高校の理科教師が有罪になった例がある。
      こういった法律に対して、連邦最高裁は、1987年に合衆国憲法修正第1条の「政教分離」
     に違反するとして、天地創造を学校で教えることを禁じた。

      だが、2008年にルイジアナ州で「科学教育法」が成立した。「学問の自由」の名目で、公立
     学校で天地創造を教えることが可能になった。同様の法律制定の動きは、中南部を中心に広
     がりつつある。
      これらの動きに米政府は慎重だ。オバマ政権のロベルト・ロドリゲス大統領副補佐官(教育
     政策担当)は、2013年、「進化論には多数の裏付けがあり、生物学のもっとも基礎的な理論」
     としながらも、「学校教育の基準作りは州政府と地方自治体の仕事」と、天地創造教育の排
     除には踏み込まなかった。

4. 「ノアの洪水」と鉱物学者・ステノ

    鉱物に少しでも興味がある人なら、”どの産地の水晶でも面と面の角度が同じなのはなぜなのか”、
   と疑問を持ったことがあるのではないだろうか。そして、「面角一定(安定)の法則」*という言葉を聞いた
   ことがあるだろう。
    また、水平に堆積した地層の上の方が新しい時代のものだという「地層累重(るいじゅう)の法則」**
   も聞いたことがあるだろう。

    *

    ・接触測角器 −結晶形態学入門(1)−
     ( Contact Gomiometer - Introduction to Crystal Morphology (1) - , Yamanashi Pref. )

    **
     第1法則 古い地層の上に新しい地層が累重する。
           堆積物の一番下の層は最初に堆積したものである。
     第2法則 地層は水平に堆積する。
           (初原地層水平堆積の法則 Law of original horizontality)
     第3法則 その堆積は側方に連続する。
           (地層の側方連続の法則。Law of lateral continuity)

    これらの鉱物学や地質学の基本的となる重要な法則を発見、基礎を作ったのが、デンマーク生ま
   れの科学者ニコラス・ステノ(Nicolaus Steno、1638年-1687年)だ。デンマーク風にはニールス・
   ステンセン(Niels Stensen)だが、後にイタリアで活躍したことや当時の習慣に従ってラテン風に
   ステノと名乗った。
   ( スウェーデンの女性作家セルマ・ラーゲルレーヴが執筆した児童文学に「ニルスの不思議な旅」
    があるが、ニールスという名前は、当時デンマークがスウェーデンに占領されていたことと関係あるの
    だろうか )

    ステノは、裕福な金細工師の息子として、1638年の元旦にデンマークのコペンハーゲンで生まれた。
   ルター派の家庭に育ったステノは、世界の終末まであと数世紀しかないと教えられて育った。
    18歳の時、コペンハーゲン大学の医学部に入学し、「グロッソぺトラ(舌石)」などの化石にあると
   される治癒力や薬効について学んだ。
    しかし、一番興味をもったのは、人体の解剖実習を伴う解剖学の授業だった。

    1659年にコペンハーゲンがスウェーデン軍に包囲されたとき、ひそかに町を脱出し、オランダのアムス
   テルダムに滞在し、ライデン大学で医学を修め、ステノの名声を高めることになる解剖学的発見をす
   る。

    ・ 唾液管の発見
      羊の頭部を解剖しているときに発見。それまでは、どうやって口の中に唾液が出てくるかは謎だ
      った。
    ・ 涙腺の発見
      痛みや悲しみを感じると、脳から絞り出されるという、当時の常識を覆した。

    1665年の冬、大学を卒業したステノはフランスのパリに出た。人間の脳を解剖していて、大脳基
   底部にある小さな松果体は固定されていて回転できないことがわかった。「この豆に似た小さな腺に
   人の心が宿っていて、糸をひねったり引っ張ったりして、人体を巧みに操っている」、という大哲学者
   デカルトが唱えた説に、大胆にも異論を唱えることになる。

    科学界の寵児となったステノは、フィレンツェのトスカナ大公フェルディナンド2世(1610-1670年)の
   主治医に抜擢され、世界最初で当時あった唯一の正式な研究機関「アカデミア・デル・チメント
   (実験アカデミー)」への入会も認められた。
    この機関は、ガリレオの教え子たちによって創設され、大公の財政支援を得ていた。

    フィレンツェに赴く途中、アルプスとアペニン山脈を越えたが、そのとき、どんな大波も届かないと思
   われる標高の高いところで、岩の壁面に露出している化石の層を発見した。水平な層ばかりでなく、
   ねじ曲がったものや大きく傾いたものもあった。
    フィレンツェ周辺の丘陵地に見られる化石は貝のようにも見えたが、たいていの自然哲学者は太
   古の生き物の痕跡とは思っていなかった。カキやハマグリに似ているだけの取るに足りない鉱物の変
   り種で、いわば自然の悪戯だというのが学者の一致した意見だった。

    ステノがフィレンツェに到着して間もない1666年10月、トスカナ地方の漁師がアルノ川の河口近く
   で巨大なホオジロサメを引き上げた。数トンもある巨大なサメの知らせがメディチ家に届くと、フェル
   ディナンド2世はアカデミアに調べさせるためにフィレンツェの宮廷に運ぶように命じた。
    しかし、サメは大きすぎて運べない上、すでに腐り始めていたので、大きな頭部だけを運び込んだ。

    大公はじめ宮廷の人々が固唾をのんで見守る中、ステノが執刀した。サメの顎(あご)は、人間を
   丸呑みできるほど巨大だったが、脳はたったの85グラムしかなかった。
    ステノは歯に注目した。縁がギザギザの歯はどれも謎めいた「グロッソぺトラ」にそっくりだった。「グロ
   ッソぺトラ」がサメの歯だったことがわかった。

        
           「グロッソぺトラ」=サメの歯の化石                 巨大なサメの顎(ジョー)
                           【「第26回 国際ミネラルフェア」パンフより引用】

    次に、巨大なサメの歯がどうして硬い岩石の中に埋め込まれることになったのかという新たな疑問
   が湧いた。「太古の海底の泥に埋まったサメの歯が化石になった後で、何らかの理由で海底が海面
   より高く持ち上げられたに違いない」。
    1667年春、ステノは解剖の結果を手短にまとめて大公に報告した。この中で、「グロッソぺトラ」の
   起源と化石に対する認識を改める必要性にも言及している。
    ステノが解剖結果にもとづいて、「グロッソペトラ」はサメの歯が化石化したものだということを明らか
   にしたので、学者たちも化石が生物の死骸だと認めるようになった。

    ステノは地質学的問題にのめり込んでいく。トスカナ地方の山を歩き回り、化石を集めはじめた。
   大公もステノの好奇心を満足させてやろうと、石切場や鉱山を開いて、地下に埋まっているものを
   掘り出させた。
    ステノは観察を重ねれば重ねるほど、太古の海の堆積物が化石を含んだ岩石になったと確信する
   ようになった。さらに、傾いた地層は、水平に堆積した後で、片方が持ち上げられたのだと述べてい
   る。
    ステノが、ほかの著名な学者の単なる思い付きと違って、岩石の歴史を読み解くために簡潔にま
   とめた『指導原理』が現在「地層累重(るいじゅう)の法則」**
と呼ばれているものだ。
    1668年の夏、ステノは化石やトスカナ地方の地質に関する調査結果を論文にまとめ、ローマ教会
   の検閲官に提出した。ローマ教会は、自然界に関する学術的な発見や見解、解釈が神学的に
   容認できるかどうかを定期的に審査していた。
    こうした手順を踏んだため、ステノの代表著作「De solido intra solidum naturaliter
   contento dissertationis prodromus ( 「固体【岩石と考えると解りやすい】の中に自然に
   含まれている固体【化石】についての論文への序論)」、略称「プロドムス」の発表は翌1669年に
   持ち越されたが、”ガリレオの轍”を踏まずにすんだ。

    この著作の中で、野外観察の結果にもとづいて、ステノは地球の歴史と”ノアの洪水がトスカナ
   地方の地形を作り出した”
過程を解き明かした。同時に、化石が岩石の中に閉じ込めら
   れたプロセスも明らかにした。
    フィレンツェ周辺の地形形成には、”聖書の記述6日”に対応する6つの時代がある、とステノは結
   論付けた。

    @ 化石を含まない堆積岩が原初の海に堆積する。
    A 火または水の作用で原始地表の地下に巨大な空洞が形成される。
    B 地下の空洞が崩壊して、大洪水(ノアの洪水)が起きる。
    C 水没した谷に化石を含む堆積岩が層状に新たに堆積する。
    D 新たに堆積した岩石の下にも空洞が形成される。
    E 新たに形成された空洞が崩壊して、現在の地形が生まれる。

    これを「岩は嘘をつかない」で図解しているので、引用する。

     
                     フィレンツェ周辺の地形形成の6段階仮説
                        【「岩は嘘をつかない」より引用】

    デンマークは、この「著作発表300周年」を記念する額面1クローネ(邦貨約20円)切手を1669年
   9月25日に発行した。

     
      「ステノの著作発表300周年」記念切手
       【1669年9月25日 デンマーク発行】

    ステノが描いたトスカナ地方の地史は、創世記を史実とする伝統的な解釈と見事に調和している
   が、洪水の水はどこからきたのだろうか。ステノはさまざまな自然現象を組み合わせて、ノアの洪水を
   説明しようとした。しかし、だれも説明できなかったようにステノにも説明できなかった。

    プロテスタントとカトリックの世界観の相違はステノを悩ませ続けていた。ステノが苦悩した最たる原
   因は、聖書に曖昧な記述や不整合性が見られるときに、プロテスタントは聖書を文字通りに解釈
   するが、カトリックは比喩を通して解釈する傾向があるという対立点だった。
    結局、この発表の2年前、1667年11月2日の「万霊節」にステノは、生まれついてのプロテスタント
   を捨てカトリックに改宗した。

    1672年にステノはコペンハーゲン大学の解剖学教授になったが、宗教上の理由で排斥され、再び
   フィレンツェにもどった。ここで、神学の勉強を始め、1675年に司祭になり、神学の論文数編を公表
   している。
    1677年、司教となりドイツ北部で、数少ないカトリック教徒のために尽力した。ステノは清貧の誓
   いを立て、神に帰依するため科学的研究を捨てた。司教の指輪を売ってまでして貧しい人々を救
   おうとしたので、裕福な教区民や聖職者仲間たちから煙たがられた。1686年に死亡した時、手元
   には擦り切れた服が数着残っているだけだった。

    1988年10月23日、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世の手によって福者の位にあげられ、聖人と認めら
   れた。奇しくもこの日はステノと同時代のアッシャー主教(1581-1656年)が1650年に出版した「旧
   約聖書の年代記」の中で、紀元前4004年10月23日 日曜日の「天地創造の日」と称した日だっ
   た。

    ステノの論文は存命中にほとんど読まれることがなく、後世の自然哲学者がこの説を検証して広
   めるまでは日の目を見ることはなかった。
    敬虔なカトリック教徒になっていたステノにとっては皮肉なことに、トスカナ地方の地形形成に果た
   したノアの洪水の役割を解き明かすために打ち立てた基本原理が、最後には天地創造の年代と
   ノアの洪水が地球規模だったというそれまでの常識を揺るがすようになった。

5. おわりに

 5.1 「ノアの洪水譚(たん)」
      科学的に考えるなら、まず「ノアの洪水譚」が文献学的に本当にあった話なのかどうかを調べる
     べきだろう。あったとするのはするなら、その話はどのように伝えられて旧約聖書に載っているのか。

      九州国立博物館で、”100のモノが語る世界の歴史”というサブ・タイトルがついた「大英博物
     館展」が開催されている。これだけを観に行くには遠すぎるので、パンフレットだけを見ていると、
     「世界最古の文学」のキャプションで、イラクで発掘された紀元前700年〜600年に起きたメソポ
     タミアの大洪水伝説を語る粘土板が展示されている。

     
               バビロニアの洪水伝説を記す粘土板
                    (紀元前700-600年ごろ)

      「ノアの箱船」より古い「洪水」の記録、とある。「岩は嘘をつかない」を読んで解ったその理由
     は、次の通りだ。

      『 ・・大英博物館の地下の薄暗い一室で、学芸員助手のジョージ・スミス(1840-1878年)は
        読み終わったばかりの物語に愕然(がくぜん)とした。
         聖書よりも古いシュメール文化の古代図書館跡から発掘された粘土板に古代の楔形文
        字で書かれていたていたのは、「ノアの洪水伝説」とそっくりな粗筋が書かれていた。

         間もなく洪水が起こると神が正しき人に警告したこと、大きな船の建造、何日も降り続く
        雨を乗り切り、洪水が引いて、山に取り残された。

         衝撃的な発見だった。「ノアの洪水伝説」が異教徒の神話に流れを汲むものだなどと、
        栄光の絶頂にあるビクトリア朝の英国人のみならず世界中のキリスト教徒の誰が想像でき
        ただろうか。
         しかし、スミスは「ノアの洪水」がバビロニアの物語を焼き直したものだという、確たる証拠
        を発見したのだ。

         スミスは、若いころに古代メソポタミア文明に取りつかれてしまった。紙幣彫版工の見習い
        になったが、粘土板に刻まれた楔形文字を解読するのを夢見て、夜は独学で解読の勉強
        をしていた。

         1849年から1854年にかけて、英国の考古学調査隊が数千枚の粘土板を大英博物館
        に持ち帰った。しかし、粘土板の重要性に気づかれぬまま保管室に放置されていた。ただの
        粘土片と思われていたのは、実は世界最古の書籍だったのだ。

         1863年、楔形文字の知識があるスミスは学芸員助手として大英博物館に雇われた。
        スミスは破片になった粘土板をつなぎ合わせて復元する、気の遠くなるような作業を10年
        近く続けた。
         1872年の秋、「世界の創造」に触れている断片を見つけた。その粘土板を解読すると、

         「船がニシルの山地に漂着して、ハトを飛ばすと、とまれる場所が見つからずに戻ってきた」

         という記述が目に留まった。それは、洪水譚の一部であり、旧約聖書より古い時代のバビ
        ロニアを支配したカルディア人・イズドゥバル(後のギルガメシュ)の話を発見したとすぐにわか
        った。
         「イズドゥバル」の名前の入った破片を探し出し、大洪水の話の粘土板はほぼ復元できた。

     
                   スミスが復元した「洪水譚」の粘土板
                     【「岩は嘘をつかない」より引用】

         スミスは1872年の12月3日、首相やウエストミンスター寺院の首席司祭も列席した聖書
        考古学会の講演会でこの発見を発表した。
         講演には学者も一般の聴衆も同じく心を奪われ、新聞は「ノアの洪水伝説の起源は聖
        書以前に遡ることが発見された」と書き立てた。

         新聞社から1,000ギニー(現在の約2億円)の資金提供と博物館から6ケ月の休暇を
        もらったスミスは、1873年5月にアッシュールバニパル王の図書館跡の発掘を始めてから
        わずか8日で復元中の粘土板の欠けた部分を発見した。
         スミスは同じ話を記した粘土板を多数発掘し、洪水譚にはさまざまなバージョンがあり、
        天地創造の物語の起源はさらに古い時代に遡ると知らされた。
         1974年の2度目の発掘調査から持ち帰った数千枚の粘土板の断片を丹念に調べ、バベ
        ルの塔の建設とそれに伴う言語の乱れの物語も発見した。
         スミスは、3回目の発掘調査でシリアに出かけ、赤痢にかかり1876年に8月に帰らる人に
        なった。                                                』

         考古学者が創世記はもっと古い時代の伝承をもとに作られたものだという結論を出した
        ことで、「ノアの洪水は実際にあった」というような聖書の伝統的な解釈は新たな試練を迎
        えることになった。
         現在では、聖書を字義通り解釈できるように、科学的知見を無視したら、都合の良い
        部分だけを認めたり、不都合な事実は積極的に毀損(きそん)したりする、こうしたキリスト
        教徒は「創造論者」と知られている。

         現在議論されている安保法制でも、「創造論者」が多いのに危機感を覚えるのは、私だけ
        だろうか。

 5.2 天地創造神話
      生物の進化についてのアメリカの一般市民の認識を知り驚かれた読者も多いと思う。しかし、
     つい70年前までの戦前の日本では、「古事記」や「日本書紀」に書かれた神話が史実だと教育
     されていた。
      新国立競技場建設問題を迷走させた元凶の一人、”蜃気楼”に至っては、平成になっても
     「日本は神の国」などと”妄言”を吐く始末だから、よその国を笑えたものではない。

      「古事記」には、伊弉諾(イザナギ)、伊邪那美(イザナミ)」の二神が協力して海をかき回した
     矛(ほこ)の先から滴り落ちて最初に生まれた国土が「淡路島」だったとある。話としては、荒唐
     無稽で、地質学的には説明のしょうもない話だ。

      2015年、淡路島で3組の銅鐸が一回り小さな銅鐸を入れた「入れ子」状態で発見されて
     いる。同時に、舌(ぜつ)と呼ぶ、銅鐸の中に吊るして音を鳴らすための棒もセットで出ている。
      「古事記」の主役の天皇家、あるいは近い過去に渡来した藤原氏の出自を神代に遡るよう
     歴史を改竄(かいざん)した不比等にとって、淡路島が特別な意味を持っていたと解釈すると、
     何らかのメッセージが伝わってきそうだ。

6. 参考文献

 1) 梅原 猛:海女と天皇(下) 日本とは何か,新潮文庫,平成7年
 2) 東京国際ミネラル協会編:第26回 東京国際ミネラルフェア 「ザ・シャーク,同協会,2013年
 3) D・R・モンゴメリー著、黒沢 玲子訳:岩は嘘をつかない,白揚社,2015年
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