古希記念 南極ミネラル・ウオッチング 南極探検旅行 【帰国】 ( Mineral Watching in Antarctica  Antarctica Expedition 2015 , - Return to Japan - )









        古希記念 南極ミネラル・ウオッチング
        2015年 南極探検旅行 【帰国】

             ( Mineral Watching in Antarctica
               Antarctica Expedition 2015 , - Return to Japan - )

4. 南極探検

 4.21 『帰国』

  (1) ヒューストンへ
       帰りは来た時の逆コースで、ブエノス・アイレス→ヒューストン→成田だ。

       
                    BA → ヒューストン 搭乗券

       ブエノス・アイレスのエセイサ国際空港を22時過ぎに飛び立ったUA818便は北西に進み、アン
      デス山脈を越えて太平洋にでる。南米大陸に沿って太平洋を北上し、中米を横断し、ヒュー
      ストンに向かうコースだ。
       9時間半飛ぶと機はメキシコ湾上で、もう1時間もすればヒューストンに着陸だ。

          
           ブエノスアイレス_ヒューストン飛行コース                   メキシコ湾上空

 (2) ヒューストン空港にて
       ヒューストン空港に着陸したのは2月1日早朝6時だった。一緒だったAさんとも別れ、ここから
      は完全に一人旅だ。壁には「エボラ出血熱」の警告ポスターが出ていて、少し緊張する。入国
      審査に時間がかかることはわかっていたので、トイレで髭剃りなどを済ませてから入国カウンター
      の列に並ぶ。
       予想以上に長蛇の列で進まない。それもそのはず、開いている窓口が少ないのだ。その上、
      アメリカのパスポートを持っているのに、われわれと同じ外国人の列に並ぶ”ボケ”もいる始末だ。
       やっと入国できたのは9時近かった。成田便が10時40分発だから、自由な時間は1時間弱
      しかない。

       ヒューストン空港は往路でも長時間滞在したので勝手がわかっている。ターミナル間をつなぐ
      無人運転の電車に乗ってターミナルAの「郵便ポスト(Mail Drop)」に直行だ。
       ここで、「南極探検帰路 ヒューストン経由」記念のエンタを投函する。

          
             ヒューストン空港ターミナルA東口                     記念エンタを投函
                 【右下にmail Drop】

       搭乗手続きをすると、私の好きな窓際の席は残っていなくて、AISLE(通路側)の席だった。
      なんだか、”お上りさん”が多そうな予感がする。

       
                  ヒューストン → 成田 搭乗券

       出国審査を済ませ出発ロビーに移る。ヒューストン空港でやるべきことを終えたと思うと小腹
      が空いたのに気付いた。喫茶コーナーで菓子とコーヒーを頼むと、税込1ドル7セント(127円)
      だというが、現金の持ち合わせが少ないのでカードで決済する。

 (3) 一路成田へ
       搭乗開始のアナウンスがあり、UA007便に乗り込む。北太平洋を”ひとっ飛び”すれば成田だ。

          
                ヒューストン空港搭乗開始                  ヒューストン_成田 飛行コース

       機は定刻に飛び立った。すぐに昼食が出された。日本の缶ビールがあったので注文し、これも
      カードで決済だ。6ドル99セント(832円)と日本で飲む値段の4倍近いが、理屈やソロバン抜き
      に飲みたいものは飲みたいのだ。

          
                 2週間ぶりの日本のビール                レシートには6.99ドル

       太陽を追いかけながら西に進むので、陽の傾く暇がなくて、飛行機の外はずーっと明るいまま
      だ。直射日光が当たると暑いのでカーテンを締め切った機内は薄暗くて、画面を見るのには好
      都合だ。
       映画のプログラムを見ると、アカデミー賞(最)有力候補といわれたB・ピット主演の「フューリー
      (FURY)」をやっているので、選択して見ていた。もっとも、この映画は、南極に行く直前の1月
      6日に甲府で一度見たものだった。

       
           B・ピット主演の「フューリー(FURY)」の一場面

       隣の席のアメリカ人(30代後半の男性)が話しかけてきた。「MHが見ているのと同じ映画を
      観たいのだがどうすればよいか」というので、タッチパネルを操作して出してやった。すると、聞きも
      しないのに、「これから中国に行って、中国の娘と結婚式を挙げるのだ」、教えてくれ、結婚相
      手の写真を出して見せてくれた。後ろの席に座っている2人も同じ”新郎”仲間のようだ。
       さらに、「飛行機に乗るのが初めてで」と時差ボケ用に持ってきたというビニール袋一杯の乗り
      物酔い止め薬を見せてくれた。
       極めつけは、「新婦に渡す指輪を忘れ来た!!」、というではないか。どうなっているんだこの
      男は??

       この男の話を聞いてまず思いついたのは”ハニー・トラップ”だった。だが、この男から得られる
      情報は、トウモロコシの作り方か家畜の飼い方くらいで、国家機密などは盗れそうもないから、
      この考えはすぐに消えた。
       次に思い浮かんだのは、新婦と生まれた子にアメリカ国籍をとらせようという中国人の計略だ。
      ご存知のように、アメリカ人と結婚すれば生まれた子どももアメリカ国籍だし、アメリカ領内で
      生まれた外国人の子どもでも、アメリカ国籍を選択する権利を持っているのだ。
       そんなわけで、現在グアム島では、アメリカ人妊婦よりも”観光で訪れる”中国人妊婦のほう
      が何倍も多いと、テレビで報じていた。
       こんなことを推理している間に、長旅の疲れが出たのか”ウトウト”してきた。

       往きと同じように北太平洋上では気流が悪く、機はひどく揺れ、ベルト着用サインが出っぱ
      なしで、行きたいトイレを我慢せざるを得なかった。
       やがて機も安定を取り戻すと、アリューシャン列島の付け根付近にいた。日付変更線をまた
      いだので、日本時間2月2日の12時過ぎだ。成田まではあと3時間半だ。

       
                  成田まで3時間半だ

 (3) 成田空港にて
      15時50分、定刻に成田空港に降り立った。晴れてはいるが、外の景色は何だか寒々としてい
     る。
      入国審査はあっけないほど簡単に済み、スーツケースを受け取り、真っ先に訪れたのは空港
     内にある郵便局だ。

          
                   成田に帰着                       「成田郵便局空港第一旅客ビル内分室」

       郵便局で、「南極探検 帰国」記念エンタに押印してもらった。

 (4) 無事帰宅
      成田エクスプレスで新宿に出て、特急に乗り甲府駅に着いたのは20時近かった。駅の周辺は
     最近降ったらしい雪が残り、南極よりも寒いと思った。
      出迎えてくれた妻の車に乗り、2週間ぶりに自宅に無事帰った。
      翌朝、家の周りを見ると、家々の北側には融けないで雪が残っていて、南極の続きにいるよう
     な錯覚を起こすところだった。

       
                     自宅周辺に残る雪

5. おわりに

 5.1 南極探検を終えて
      南極に行ってみようと思った直接のきっかけは、2014年1月2日、某市で開催された骨董市で、
     白瀬南極探検隊に参加した甲斐出身・村松進が開南丸で芝浦を出発する(予定だった)明
     治43年(1910年)11月28日に郷里の友人に差し出した絵葉書を入手したことだった。

      その頃、同期会幹事のIさんから、古希(数えで70歳)を記念して5月に同期会を開くとの連
     絡があり、私も70歳を迎え、やりたいことができるのは良くてあと10年だから、人生でやり残した
     ことを少しでも少なくしておこうと思うようになった。

      私の趣味の1つ、ミネラル・ウオッチング(鉱物採集)にとって、究極と考えられるのフィールドには、
     @ 宇宙 A 高山 B 深海 C 極 などがある。海ばかりで鉱物がない北極にくらべ南極は、
     日本人によって新鉱物「南極石(ANTARCTICITE)」が発見されていることからも判るように魅力
     的な場所だ。

      たまたま新聞を読んで南極旅行のツアーがあると知り、説明会に出席し、その場で申し込んだ
     のは4月19日だった。
      それから9ケ月後の2015年1月19日に自宅を出て、2月2日に帰宅した。

      ツアーに参加されたのは、「世界中歩いて、行っていないのは南極だけ」、という方々が多く、
     私のように、仕事以外での海外渡航が初めてで、しかも「初めての団体海外旅行先が南極」、
     というのは極めて珍しい部類だった。

     ”海外旅行慣れした”参加者が異口同音に、『素晴らしかった』と私と同じ感想を述べていた。海外
    観光旅行が初めてで、全てがもの珍しく、比較対象を持たない私なりの理由は次の通りだ。

    ・ 豊かな一方、厳しい自然(動・植・鉱物)を垣間見る
      動物園かテレビでしか見たことのないペンギン、クジラなどを手が触れるような間近な距離から
      観察できた。
      純白で清浄な世界と映るテレビ画面からは伝わってこない現実の南極”ペンギンの排泄物の
      強烈な臭いと鳴き声”など
      上陸地での岩石・鉱物を観察し、写真に収め、クリノメータでの走向・傾斜測定
      水晶は南極にもあり、私の持論の1つ『ミネラル・ウオッチングは水晶に始まり水晶に終わる』
      南極でも通用する。
    ・ 雄大な風景
      「氷河を見られる観光地は多いが、南極のに比べたら他のは箱庭のようなもの」
                                              ・・・・旅慣れたYさん
    ・ めまぐるしく変わる天候と貴重な気象現象
      オーロラこそ見られなかったが、鉱物・氷が作り出す気象現象”ハロ”などを体験
    ・ 善・悪人との数々の出会い
      ブエノスアイレスの観光スポットで、被害はなかったが「ケチャップ強盗」に遭い、「物乞い」も
      多く見られ、日本の豊かさと安全を再認識
      悪い思い出を消し去る、行く先々での素晴らしい人々との出会い
    ・ 記念の年に、先人の足跡をたどる
      古希の記念の年に、白瀬南極探検隊・村松やシャクルトンの「帝国南極横断探検隊」の
      行動を擬似体験できた
      行く先々の郵便局で旅の思い出の記念カバー作成と孫娘や友人に絵葉書郵送

      今回の旅を通じて、『いかに世界が広く、知らないことが多い』かを痛感した。
      次なる旅を計画中だ。

5.2 南極の旅から帰って
      南極旅行で知り合った南極友の中には80歳を超えておられる方もいて、帰国後も手紙などの
     やり取りを続けさせていただいている。元気とは言え、南極への長旅は高齢の方にとっては厳し
     いものもあり、一時少し体調を崩されたと葉書にあった。
      体力には多少自信のあった私も、帰国すると”ドッ”と疲れが出たのだから、私より一回りも
     年長の方にとって無理もない話だ。ある年齢を超えると、1才歳をとるということが前の年に比べ
     体力が何割か低下したように感じるのかも知れない。ついには、1/∞(無限大)になるのだが。

      両陛下がペリリュー島などの第2次世界大戦の激戦地を戦後70年目の今年訪れた。80歳を
     超えられたお身体には過酷な慰霊の旅だったろうと私の南極の旅からも想像に難くない。
      両陛下がそこまでされるのは、『日本は2度と戦争をしてはいけない』との強い想いからだと思う。
     それは、現人神(あらひとがみ)に祀り上げられて、結果として軍部の言いなりになり、自らの名で
     「開戦の詔勅」を発し、大勢の軍人、民間人が亡くなり、国土も荒廃した責任を戦後も感じ
     続けられた昭和天皇のご遺志だろうと推察する。
      さらに、戦前のあの時代に戻りそうな現在の政治状況に対して、直接口出しできないお立場
     だから、無言の抗議をされておられる、と考えるのは私の考え過ぎだろうか。

      海外を回ってきて、日本人に対する評判は良いという印象だ。良すぎて、「ケチャップ強盗」の
     ”カモ”になっているのかも知れないが、加害者になるよりはましだ。
      平和憲法の下、『2度と戦争をしない』を国是として、戦後の荒廃から立ち直るのには産業を
     発展させて国民生活を豊かにする道を選んだのは間違いでなかったと思う。これが覆るような
     ことがなことがないようにしたい。

「鉱物採集」のホームに戻る


inserted by FC2 system