11月初めの3連休に孫娘一家が山梨に遊びに来るというので、11月初めに山梨に帰った。孫娘たちが帰った後
妻の母親の介護や何やかやで、埼玉と東京に行き、戻ってMH農園の冬支度を終えた。東京に戻る前に1日暇な
時間ができたので再び『石器拾い』に出かけてみた。
10日ばかりの間に八ヶ岳山麓の高原地帯は一段と寒くなり、快晴で朝10時だというのに日陰は霜で真っ白だっ
た。前回訪れて好成績だった旧石器時代遺跡付近は、耕された畑の土が均されたばかりで、耕土にまみれた
石器を探し出すのは難しかった。それでも、結晶面が見える水晶と石器作りの第一歩となるその剥片、そして
黒曜石の剥片などを採集できた。
午後からは、場所を変えてこの地域では珍しい縄文時代の遺跡に向かった。ここは、黒曜石やチャートなどの
剥片そのものが少なく歩き回る時間が長かった。
日も傾きかかったころ、完形品の『石匙(いしさじ)』を採集し、続けて『母指状掻器』などを採集できた。
この日の歩数は ”11,444歩” で、特段の疲れやましてや足腰の痛みなどを感じることもなく、高原の爽やかな
空気を吸って、リフレッシュできたのは何よりの収穫だった。
( 2019年11月 体験 )
1) 隣接する結晶面を残す水晶原石
水晶の根元側には、赤や色に鉄分が固まって
いるのがわかる。黄鉄鉱などの鉄分が長い間に
雨水や地下水などに溶け、「針鉄鉱(ゲーテ
鉱)」などの水酸化鉄を含む鉱物に変化した
ものだ。
水晶原石は2面を残し、打ち砕かれている。
元の大きさを知りたいものだ。
残された結晶面と向かい合う面はないので
水晶の元の大きさは判らないが、少なくても
太さが34ミリ以上あったことは確実だ。
水晶原石のサイズ推定
2) 結晶面を残す水晶剥片
水晶の結晶面と平行に剥がした剥片で、このままでも「ナイフ」などの石器として使われることもあったようだ。
これを素材として、石槍などを加工したこともあったはずだ。
3) 透明な水晶剥片
原石から剥がした剥片で、透明で良質な部分を選んでいたようだ。このままでも「ナイフ」として使えるが、縄文
時代になると、「石鏃(矢じり)」などに加工する前段のもの。
4.2 黒曜石剥片
石器づくりは「原石を探し」、それから「石核(コア)」を作り、そこから「剥片」を掻き取り、その剥片から石器を
作る手法が用いられた。
黒曜石の石核を「敲石(たたきいし)」や鹿の角などなどで直接叩いたり、鹿の角などの「ポンチ」を介して
鹿の角のハンマーで叩いて「剥片」を製作した。
旧石器遺跡周辺で採集した黒曜石の「剥片」を示す。
4.3 縄文遺跡の「石匙」と「掻器」
縄文遺跡跡は数年前に新しい土を入れる「客土」が行われ、表面で観察できる石器や土器がメッキリ少なく
なった。何年かに一度深く耕すことがあり、それによって埋もれてしまった石器などが再び地表近くに顔を出すこと
がある。
さらに厄介なのは、ここでは土壌を改良するためか、木の樹皮を腐らせた「バーク堆肥」を鋤き込んだため、
完全に腐っていない松などの樹皮が石器と紛らわしいのだ。
1) 「石匙(いしさじ)」
ここは、黒曜石やチャートの剥片の絶対数は少ないが、石器、しかも作られた時の形を残している「完形品」
の比率が高いのが特徴だ。
ということは、この場所で石器が製作されたのではなく、物々交換で石器の完成品を手に入れて使用していた、
と考えられる。つまり、縄文時代になると”分業”が始まっていたと考えられる。
「石匙(いしさじ)」という名前だが、その用途は現在の「匙(スプーン)」とはだいぶ違い、紐代わりの蔓(つる)
を切ったり、肉や植物の根などを切ったり、現在の「小刀(ナイフ)」のような使われ方をしたようだ。
形状が繊細で小ぶりなものも多く、集落の女性たちが紐で首からつるして携帯し、使ったことを覗わせている。
石匙には、大別して「縦型」と「横型」があるとされるが、黒曜石製のものはその中間のようだ。しかも、隣接
する北杜市大泉町の「天神遺跡」から出土したモノに酷似しているのは偶然ではあるまい。
2) 「掻器(そうき)」
「石器には用途がよくわからないものが少なくない」、と石器収集家のYさんから聞いたことがある。「母指状
掻器」と名付けられたものもその1つだ。大きさが私の親指の爪の2倍くらいしかなく、半球状で周縁には”刃"が
付けられている。
狩りの獲物の毛皮を剥ぎ、内側に付着している脂肪層をそぎ落とすのには重宝しそうなので、「掻器」として
みた。
今回発見した結晶面付水晶や透明な剥片の特長を山梨県と長野県の水晶産地のモノと比較して、その思いは
■ 秋の風物詩
この季節になると山梨、というより甲府盆地の風物詩は、軒先に吊るされた干し柿だ。日記帳を見ると2018年は
干し終わてみて、配る人の顔を思い浮かべながら数え直してみると、もう少し作っておいた方が良さそうだと思われ
前の日に買った「農の駅」に行っても買えそうもないので、自宅に戻る途中、車を運転しながら昔からある八百屋
店主いわく、「今年は、甲府盆地の西半分は百匁柿が不作の年でどこにもない」、とのことだ。高いのも道理だ。
■ 孫娘との”秘密の場所”
翌朝早く、2人で”秘密の場所”に行くと、メスだけが3匹いた。孫娘は、「要らない」、いうので、そのまま逃がして
孫娘が帰って1週間ほどしたころ、スマホに孫娘から「じいじ、カブト虫が卵を産んだ」、と報告があった。その後も、
11月初めに帰省したとき、孫娘は真っ先に「カブト虫の幼虫を探したい」、というので、2人で”秘密の場所”に
孫娘が持参した小さな虫かごには3匹入れたら一杯で、残りはそのままにしておいた。ここが、孫娘との”秘密の
自宅に帰った孫娘から、「じいじ、3匹だと思ったら4匹いた。(脱皮して)2齢になった」、と専門的な観察報告も
来年夏には、また”秘密の場所”でカブト虫を観察できそうだ。
( Stone Implement made from QUARTZ Part5
Birth Place of QUARTZ , Kawakami & Minamimaki Village , Nagano Pref. )
一層強まった。
11月初めに久しぶりに山梨に戻った。朝夕はメッキリ肌寒くなり、こたつやファンヒーターを稼働させた。つい2週間
前までエアコンで冷房していたのがウソのようだ。
11月12日に約15個入り1箱500円を3箱買って干している。
それより5日ほど早いがまたすぐ東京に戻るので、石器拾いの帰りに「農の駅」に立ち寄り百匁柿を探すと、箱入り
と袋入りがあった。1箱約18個入りで1,500円だという。店の人が、「午前中、長野から買いに来た人がいたが、その
時はなくて、ついさっき入荷したばかりだ。明日入荷するかどうかも分からない」、というので、少し高いが2箱と小ぶり
の実が入った1袋を3,600円で買った。全部で34個だから、前の年より3倍以上高い。
翌朝、2時間ほどかけて皮をむいた。「甲州百匁柿」だから重さが百匁(375グラム)くらいある大きなものだが、
中には、460グラム(120匁)を超える物もある。
た。自宅近くにある(と言っても車で10分だが)「地元農協の販売所」に行ってみると、どこにも置いていない。顔な
じみの店の人に聞くと、今朝入荷した分は量も少なく、”アッと言う間に)全部売れてしまった、とのこと。同じように
百匁柿を探しているご婦人が「今朝、甲斐市の竜王まで買いに行っても買えなかった」、とのこと。
さんの店先を”チラッ”と見ると、箱に入ったのが置いてあった。1箱19個入りで2,500円と高いがノー・チョイスで購入
した。
趣味の切手などでもそうだが、『買ったことより、買わなかったことを後悔する方が尾を引く』のだ。
「百匁」を超す大物 甲府盆地の秋の風物詩「干し柿」
お盆に帰省したとき、孫娘は飼っているカブト虫を2匹(つがい)が入った虫かごを抱えてきた。母親は「じいじに
見せたいって、きかないんですよ」、とあきれ顔だった。
私が子どもの頃に飼っていたように、木登りができるように楢(なら)の木を切って入れたりしてあげた。着いたら
直ぐ「カブト虫探しに行こう」、」と言うので昼日中だったが”秘密の場所”に行って見ると、オスの死骸が何匹か
あっただけだった。
帰宅した。翌日だったかに、孫娘が「じいじ、カブト虫が交尾している!!」と私を呼ぶので、虫かごを覗いてみた。
こどものころあれだけ飼っていたのに、見るのは初めてだった。
これで、オスが死んで、メスだけ生きていた理由が判った。交尾を終えたオスは死ぬが、メスは卵をある程度成熟
させるまで生き続けるのだ。
「孵化したのは2匹で、幼虫が私の指くらいに大きくなった」、と何回か報告があった。
行った。楢の木の根元を何箇所か掘ってみたが見つからなかった。アチコチ探し回っていると、落ち葉が吹き溜まった
場所があったので、そこを掘ってみると、”ピン〜ポン〜”、カブト虫の幼虫が”ゴロゴロ”でてきた。あまりの凄さに
孫娘は、興奮気味だった。母親が見たら卒倒しそうだが、平気で素手で触る孫娘だ。
カブト虫幼虫を捕える孫娘
場所2”になったのは当然だ。
届いた。
6. 参考文献
1) 戸沢 充則執筆:矢出川遺跡群,長野県考古学会 矢出川遺跡群保存委員会,1983年
2) 白石 浩之:旧石器時代の石槍,東京大学出版会,1989年
3) 柴田 直子他編:川上村先土器時代 −由井茂也先生に感謝をこめて−,同氏,1992年
4) 石ノ森 章太郎:旧石器人の登場 マンガ日本の歴史45,中央公論社,1993年
5) 石ノ森 章太郎:縄文時代の始り マンガ日本の歴史46,中央公論社,1993年
6) 山梨県立考古博物館編:第23回特別展 縄文時代の暮らし 山の民と海の民
同館,2005年
7) 堤 隆:黒曜石3万年の旅,日本放送出版協会,2006年
8) ミュージアムパーク茨城県自然博物館編:第44回企画展 ザ・ストーンワールド
−人と石の自然史−,同館,2008年
9) 国立歴史民族博物館編:企画展示 縄文はいつからか!?,同館,2009年
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