2018年夏の観光旅行 − 東海・北陸ミネラル・ウオッチング行 -

                  2018年夏の観光旅行
            - 東海・北陸ミネラル・ウオッチング行 -

1. はじめに

    2018年の夏休み、横浜の孫娘は父親の仕事が忙しいのか帰省できなかった。千葉の孫娘は7月に続いてお盆
   にも遊びに来た。
    昆虫・動物・恐竜などに興味のある孫娘は、夏休みの宿題全部を最初の2日で終わらせ、半日かけて「狼王
   ロボ」の読書感想文も書き終えたとお嫁さんから聞いていた。

    岐阜県博物館で日本に3体、世界でも6体しかないとされる「ニホンオオカミ」のはく製を展示していると聞いたので、
   これを見た後日本海に出て翡翠探しをして帰る旅行を計画した。

    7月12日6時に自宅を出て、13日の17時に帰宅した。総走行距離は750キロだった。翌14日に孫娘は帰って行き
   チョッピリ寂しい思いをしている”じぃじ”と”ばぁば”だ。
    ( 2018年8月 体験 )

2. 第一日目【「ニホンオオカミ」に会いたい】

    1日目の朝6時に家を出て、自宅近くのSA から中央道に乗る。夏休みだけあって混んではいるが渋滞はしていな
   い。「諏訪湖SA」でいつもの朝食バイキングを摂ろうと思ったら、レストランが開いて満席になったばかりだった。入口
   に並んで席が空くのを待つ。20分ほど待って5人の席が空き案内してくれた。

    いつものように家庭料理の他に「川魚の佃煮」、「温泉卵」など地元の名産品をおかずにご飯をいただく。あわせ
   て「蕎麦」も頂いた。最後に運転の眠気覚ましにコーヒーをいただき出発した。
    中央道を南下、土岐JCTで東海環状道に入り、10時ごろ美濃加茂SAで休憩だ。ここには東海環状道の建設
   工事でたくさん出てきた「珪化木」が庭石代りに植え込まれている。説明板によると、瑞浪層群の中の蜂屋累層
   (2,000〜2,200万年前の蜂屋火山の活動で堆積した層)から出てきたようだ。
    中央道の建設の際、瑞浪付近では化石や「琥珀」が産出し、「瑞浪市化石博物館」に収蔵されている。

    
                 「珪化木」

    SAの北、中川辺地区にある飛騨川「川辺ダム」の下流右岸で「セラドン石」を探しに2005年に行った際、露頭の
   いたるところに「珪化木」が見られた。

    ・岐阜県中川辺のセラドン石
    ( Celadonite of Nakakawabe , Gifu Pref. )

    美濃関JCTで東海北陸道に乗り、名古屋方向に走り、関ICで降りた。ここまで、渋滞らしい渋滞はなかった。
   下道で岐阜城跡にある岐阜公園の北側駐車場に着いたのは10時半過ぎだった。岐阜も山梨に劣らず暑い。
   緑に溢れる公園の日陰を選んで300mも行くと急坂の上に博物館が見える。わずか100mくらいなのだが、急坂を
   登るのは辛い、と思っていたらモノレール型式の全自動・自走式の『スロープカー』なる乗り物が往復している。
    姉妹都市関係にある鹿児島県から贈られた「(桜島の?)溶岩」と「蘇鉄(ソテツ)」が乗り場脇にある。スロー
   プカーに乗り込むと冷房が利いていて、しばし”ホッ”とする。

       
             鹿児島県の溶岩と蘇鉄                スロープカー『らくらく号』

    スロープカーのスピードはゆっくりだが、名前の通り、”らくらく” 博物館の入口に到着した。

    特別企画展開催中なので通常の2倍近い入場料(一般 600円、高校生以下 無料)を払って入館する。
   早速記念スタンプを押す。
    記念スタンプの図案をみれば、この舘が力を入れている展示やその方針がわかる。『飛山濃水(ひざんのうすい)』、
   とあり、岐阜県北部の飛騨地方は山国で、南は美濃地方で木曽川、飛騨川など水が豊富なことを言い表して
   いるようだ。
    飛騨國と美濃國が合体し岐阜県が生まれた明治になってから使われ始めたフレーズだ。かつては、飛騨の住民
   は山国なので交通の改善、美濃の住民は豊かな水が仇となり洪水が多くその対策を要求し対立し、必ずしも
   良い意味の言葉ではなかったらしい。これらが改善された平成になって、岐阜県の豊かな自然を表現するフレーズ
   として定着したようだ。
    恐竜の骨格と銅鐸が描かれ、自然科学と人文(人間の創り出した文物・文明。人類の文化)をバランスよく
   展示しようとしているようだ。

       
                  入場券                        記念スタンプ

    博物館のパンフレットには、「岐阜県博物館のいろいろな楽しみ方」として、次のような5つをあげている。たしかに、
   館内の展示物には、”手のひらにOK”の絵と「さわってみよう」、と書かれたものが多く、触ってみるのを積極的に促し
   ているのは他の博物館ではあまり考えられないことだ。

     ・見て
     ・触れて
     ・理解して
(解説員がやさしく説明・学芸員によるギャラリートーク)
     ・体験を(日曜日は「わくわく体験」で化石の取出しなど、モノづくりなどを体験)
     ・映像を(ミュージアムシアター)

    建物は「本館」と「マイ・ミュージアム棟」が合体した形になっていて、マイミュージアム棟1階から入って、3階まで
   エレベータ―で昇ると、そこが本館の3階になっている。館のパンフレットにあるフロアーマップに、私たちが重点的に
   見学したブース(@〜E)を追記して示す。
    孫娘が見たい「ニホンオオカミ」のはく製は本館4階の特別展示室@、私が一番見たい3階の自然展示室Aにある
   岐阜県を中心とする地質・鉱物展示だ。

    
                     フロアーマップ

    @ 特別展『理科室からふるさとの自然を見つめて』
       〜知れば知るほど面白い標本の世界〜 、という副題がついた特別展だ。戦前の学校には、ライチョウや
      カモノハシなどの珍しい標本があり、児童・生徒はふるさと(国内)だけでなく外国の自然のあらましを学ぶこと
      ができた。現在は、学校教育の中で標本を使って自然を学ぶ機会は減ったが、博物館に蓄積された標本を
      見ることで、ふるさとの自然の変化を知り、同時に自然の造形の驚異に触れることができる、とある。

       「ニホンオオカミ」のほか、「トキ」など国内で絶滅した動物や「アマミノクロウサギ」のように実際に目にすること
      が困難な動物、そして外国産の鳥、蝶などの標本が展示してあった。
       変わったところでは、「人魚」のはく製が展示してあった。(もちろん、職人が作ったものだ)

     ・ 「ニホンオオカミ」
        日本に3体、世界に6体しかない貴重な標本だ。和歌山大学教育学部が所蔵する1904年(明治37年)
       ごろに奈良県で捕獲されたものがウインドウ越しに展示してある。
        少し離れた場所にタイリクオオカミのはく製が展示してあるが、こちらは”タッチOK"だ。なんでも、好事家が
       買ったはく製で、その遺産を家族が持て余し寄贈された物らしい。いつ、どこで捕獲されたのかなど不明な
       ため、標本としての価値がないので”触ってもOK"にしていると解説してくれた。
        ” ラベルがない標本は価値がない ” のは、動物も鉱物と同じだ。

         
                  「ニホンオオカミ」                    「タイリクオオカミ」
                                  観察する孫娘

        ニホンオオカミのはく製を見ても、これが本当に「狼」なのか、半信半疑だ。どう見ても、「犬」、飼い犬では
      なさそうだから、「山犬」だ。
       解説員の話を聞くと、間違いなく狼で、尻の方が低く、前足がY字型で立ち、前足に「狼爪(ろうそう)」もあ
      る。ただ、「狼爪」の有無だけでは「狼」かそうでないかの判断できないようだ。

          
                 「ニホンオオカミ」全体                      「狼爪」

        孫娘は、2014年に「福井県立恐竜博物館」で恐竜を見たときほど感激した様子がない。たぶん、本で
       読んだ「狼王ロボ」の主人公”ロボ”のような大きな体でもなく、牛を引きずり倒す体力そして「悪魔が知恵を
       授けた」と称される知性を感じられないからのようだ。やはりオオカミのイメージは本の中にしかないようだ。

        解説員によると、「ニホンオオカミをはく製にするとき、”狼の口は耳まで裂けている”という言い伝えに合わ
       せて、口角を耳の近くまで引っ張ってしまった」、ようで、展示の説明板に「はく製は失敗作」とある始末だ。

       
                 はく製は失敗作!?

     ・ 「人魚」のはく製
        上半身は人間で下半身が魚類の「人魚」伝説は世界各地にある。この展示にもはく製職人が作成した
       人魚が展示してある。上半身はサル、下半身はサケ科の魚を合体したもので、身長(?)は80センチくらい
       だ。

       
                         人魚のはく製

       【後日談】
        絵はがきコレクションの中に「人魚」があったことを思い出し、探し出してみた。キャプションには、「人魚
       ミイラ 実物」とある。印刷の質などから大正時代頃のものと思われる。いろいろな”パーツ”を寄せ集めて、
       作った苦心の跡がしのばれる。

       
                       「人魚ミイラ」絵はがき

    A自然展示室2 『鉱物』

     ・ 岐阜県の岩石・鉱物
      岐阜県は鉱物愛好家にとって聖地の1つだ。飛騨地方には鉛・亜鉛を産出した日本を代表する神岡鉱山、
     東(美)濃中津川市周辺は日本の3大(私は5大)ペグマタイト産地の1つだ。西(美)濃地方にはドロマイト
     鉱山があり、スカルン(接触交代鉱床)鉱物が産出する。滋賀県境に近い花崗岩地帯には日本屈指の
     晶洞型ペグマタイト鉱床があった。
      岐阜市北方の洞戸周辺は接触鉱床があり、日本を代表する「透輝石」美晶などのスカルン鉱物を産出する。
     大垣市赤坂にある金生山は石灰岩地帯で方解石やウミユリの化石が産出する。

      単に鉱物だけでなく、岩石も七宗町の上麻生礫岩の中の片麻岩礫が20億年前に生まれた日本最古とされ
     ている。
      ちなみに日本最古の鉱物は、岐阜県の天生峠から採取した飛騨片麻岩中のジルコンが33〜34億年前の
     もので一番古いとされていたが、2010年に発見された富山県黒部市宇奈月地域の花崗岩の中に含まれる
     ジルコンが37億5,000万年前のものとされている。

       
                               「岩石」展示

     ・ 鉱床のできかた
      神岡鉱山に代表される金属鉱床と非金属鉱床の代表例として東濃地区に多い陶器用粘土のでき方と
     そこで産出する鉱物や鉱産物を展示している。

       
                    金属鉱床                  非金属鉱床
                             「鉱床のでき方」展示

       岐阜県の金属鉱床のでき方の代表として3例を挙げている。

      @ 岩石の割れ目を充填して鉱脈をなす(鉛・亜鉛・モリブデン・タングステン)
      A 接触変成作用(神岡鉱山の鉛・亜鉛)
      B 古生代のチャートに伴って堆積(マンガン鉱床)

       
                         【神岡鉱山のスカルン鉱床の例】
                           「金属鉱床のでき方」展示

       岐阜県の非金属鉱床のでき方代表例として3例を挙げている。

      @ 岩石の割れ目を充填して鉱脈をなす(蛍石)
      A 接触変成作用(春日鉱山の珪灰石)
      B 岩石の風化・堆積作用(粘土・石英(珪砂))

       
                            【東濃の粘度鉱床の例】
                          「非金属鉱床のでき方」展示

      展示してある標本の中から、金属鉱床の鉱物として鋼に添加したり、潤滑剤の原料モリブデンを得る「平瀬
     鉱山の輝水鉛鉱」、非金属鉱床の鉱物として鉛筆の芯の原料石墨を得る「飛騨市河合町元田の黒鉛」を
     紹介する。
      「黒鉛」は、「鉛」の字が入っているが、金属鉱物の定義、『金属を抽出・精錬するもとになる鉱物の総称。
     多くは金属光沢を示す。』の全部に合致しないので、非金属だ。紛らわしさを除くためにも鉱物名は「石墨」を
     使うべきだろう。

          
            「輝水鉛鉱」【白川村平瀬鉱山】              「石墨」【河合町天生鉱山】

      「石墨」は、NHK Eテレの『がっちゃんのえんぴつ一直線』に出演した時に、がっちゃんを案内した鉱山跡のもの
     だ。パネルには”鱗状(うろこじょう)”と書かれている。大きさは、長径が30センチくらいあり、鉱山が稼働している
     時の標本だろう。

     ・ 『がっちゃんのえんぴつ一直線』出演記
      ( NHK ETV debut “ Making original pencil by Gaku Miyata“ )

      石墨を入場券の裏で擦ってみると真っ黒い”条痕”がついたが、擦りつける部位によっては全く書けないところが
     あるのは、上のページでも書いたように、塊でなく粒状や脈状に入っているからだ。

       
                   「石墨」の条痕

     ・ 特異な鉱床
        土岐市北東にあった東濃鉱山は、日本最大のウラン鉱床である月吉鉱床の形態や鉱石の分布状況
       などを明らかにする目的で、1972年に開発が始まった。しかし、採算が合う埋蔵量はなく、核燃料資源の
       採掘は行われなかった。2004年に休止鉱山。
        花崗岩は、ほかの岩石よりもウランなどの放射性元素を多く含む。ウラン鉱床の成因として、東濃地区に
       多い花崗岩上部の風化帯からウランが地下水に溶けだし、その地下水が堆積岩中で還元的になることに
       よっ てウランが沈殿したと一般的に考えられている。

       
                  東濃ウラン鉱山

        現在、東濃鉱山が再び脚光を浴びているのは、計画では「リニア新幹線」が鉱床を横切るので、放射能
       の影響アセスメントがらみだ。

     ・ 地下空間の再利用
        採掘を終えた鉱山の坑道や廃線になった鉄道のトンネルなどの地下空間は、温度変化が少ない、振動
       や雑音、そしてある種の素粒子などの影響を受けないなどのメリットを生かして、いろいろな形で再利用され
       ている。
        東濃ウラン鉱山は、1986年から休止するまで地層科学研究に利用された。世界的に有名なのは神岡
       鉱山の坑道跡に設置された「スーパーカミオカンデ」だろう。この施設で世界で最初に”ニュートリノ”を検出し、
       ノーベル賞受賞につながった。

       
                    地下空間の再利用

     ・ ミニ企画コーナー@〜B
          鉱物関係のミニ企画展示が3か所のショーケースの中で行われていた。ここで、思いがけない発見をすること
      になる。

      【ミニ企画コーナー@】

       
                             【ミニ企画コーナー@】

       ここの表示は、「いろいろ鉱物」とあるが、たぶん「いろいろな鉱物」のことだろう。「岩石は鉱物から」という
      コーナーでは、鉱物の集合で岩石は出来ていることを学ばせてくれる。
       「鉱物の種類」では、鉱物は化学式で分類され、世界で約4000種あることを知る。
       ここには、富山県産の「石墨」が展示してある。真っ黒い塊で、これだったらそのまま字が書けそうだ。ネットや
      文献で調べて、場所は特定できたので、訪れたいと思っている。
       上でも紹介した、「平瀬鉱山の輝水鉛鉱」が展示してある。石英質の盤(ばん:ゲス板)の上に層状に晶出
      している。益富先生の『鉱物』の中に、「輝水鉛鉱は高温の生成。従ってこの石英は高温の晶出とわかる」
      とある。その見本のような標本だ。

          
               「石墨」【富山県産】                   「輝水鉛鉱」【白川村平瀬鉱山】

      【ミニ企画コーナーA】

       
                             【ミニ企画コーナーA】

       ここには岐阜県内の鉱物標本が展示してある。これらの中で、私が初めて知る産地と有名だが訪れたことが
      ない産地の標本を紹介する。

          
               「赤鉄鉱」【大垣市】                    「珪灰石」【揖斐川町春日】

      【ミニ企画コーナーB】

       
                             【ミニ企画コーナーB】

       ここは、水晶を例に鉱物のいろいろな性質などを解説しているコーナーだ。まさに、『ミネラル・ウオッチング
      (鉱物観察・採集)は、水晶に始まり、水晶に終わる』
を地で行く形だ。

                ・ 石英のなかま                     ・水晶のでき方
              結晶質・潜晶質・非晶質         マグマが冷え低温になると水晶(低温石英)ができる

          


                ・ ジオード(晶洞)                   ・水晶の結晶
       球状で周辺は玉髄、中心部の空洞に水晶         柱面に条線・面角一定・右/左あり

          

       ここに展示してある標本の内、神岡鉱山の水晶で珍しいと思われる「魚卵石が表面をコート」と「長細い
      水晶の群晶」を紹介する。
       「魚卵石」は、そのような鉱物はないから、神岡では珍しくない「魚眼石」かとも思う。ただ、石英の鉱物の
      カテゴリーにあるから「魚卵状珪石」あるいは「玉滴石(オパール)」の間違いではないかとも思うが、薄暗い上
      遠いので鑑定できなかった。

          
              「魚卵石(ママ)on水晶」                        「水晶群晶」

    B 『長良隕石』にタッチ
      2012年に長良川近くで発見された長径約20センチ、重さ6.5キロの鉄隕石。その後、その近くで相次いで
     似たような隕石が発見されている。1944年秋に目撃された「火の玉」と関係がありそうだ。
      隕石は、鉄を主成分とする「鉄隕石」で、傍らに置いてある馬蹄形磁石を近づけると吸引する。この隕石に
     手を触れると、「長良隕石 タッチ証明書」がもらえる。孫娘の番号は1078だったから、すでに1000人以上が
     体験していることになる。

          
            「長良隕石」にタッチする孫娘                「長良隕石 タッチ証明書」

    C 岐阜県で発見された『恐竜化石
       岐阜県では草食恐竜「イグアノドン」や獣脚類肉食恐竜などの化石が発見されている。その前には、恐
      竜の”うんち”が化石になった「糞石(ふんせき)」が置いてあったので、孫娘は恐る恐るタッチした。

          
             「イグアノドンの歯」化石                    「糞石」にタッチする孫娘 

    D 岐阜県の遺跡で発掘された『水晶の首飾り
         岐阜県の遺跡から発掘された品々が展示してあった。鉱物や岩石で作られた勾玉や装身具の中に、
      水晶の切子玉で作った首飾りがあった。

       
                水晶製切子玉の首飾り

       中津川あたりに多い「煙水晶」ではなく「透明水晶」製だから県外で作られた可能性が高い。出雲國
      (現島根県)から税として水晶玉が多量に奈良の都に運ばれた。それらが地方の豪族に下賜された可能
      性もある。

        ・国立歴史民俗博物館の鉱物
         ( Minerals of National Museum of Japanese History , Sakura City , Chiba Pref. )

       いずれにしても、どこで採れた水晶で、どこで作られたのかも興味深い。

     【番外】
      長良隕石を展示している近くで、「誕生石」が展示してある。ご承知のように、誕生石は生まれ月ごとに
     宝石を割り振ったもので、20世紀初頭、アメリカの宝石商組合が販売促進のためにこしらえたものだ。
      とは言え、人にプレゼントする時には知っておいた方が良いだろう。

       
                 誕生石一覧

      ケースの中には、原石とそれをカット・研磨した宝石が展示してある。

       
                            「誕生石」の原石と研磨品

    E ミュージアムショップ
         博物館や展示会を訪れると展示図録(過去〜開催中)や標本などを買うのだが、欲しいものが見当たら
      ず、珍しく何も買わなかった。”終活”(?)を意識し、できるだけモノを増やさないようにしているせいもあり
      そうだ。

    博物館の見学を終えて駐車場に戻ったのは1時近かった。お昼を食べようとファミレスに入ると、「スタッフが少な
   いので、お待ちいただくことになります」、と言われたが、待つしかない。この季節、休む人が多く”人手不足”のよう
   だ。20分ほど待って、5人の席が空いて案内され、覚悟したほど待たされずに注文品が並んだ。

    ファミレスを出たのは2時近かった。博物館がある関市は鎌倉時代から続く刀鍛冶が有名で『刃物の町』だ。
   日本刀を鍛錬する光景を見たいと思ったが、年に十数回しかそのチャンスはなく、次回は9月第1日曜日だという
   ので諦めた。

    下道を走り、ガソリンを入れた後、美濃ICから東海北陸道に入り、北上する。この日の目的地・富山県魚津
   まで、200キロ余りある。途中の渋滞情況にもよるが、到着は5時を回るだろう。
    予測通り、2車線になる「白鳥IC」の手前から渋滞が始まり10キロほどノロノロ走る。30分もすると車は流れ出し
   た。
    途中のSAに入ると、昨年の秋らしいが「このSA近くに熊が出ました」、と注意を呼びかける看板が出ていた。この
   辺りは標高1,000mを越え、やはり飛騨は山国なのだ。

       
               「熊 危険」の看板

    やがて道路は日本海に向かって緩やかな坂を下っていく感じだ。ここまで、天気は目まぐるしく変わり、『弁当
   忘れても、傘忘れるな』
という警句があると聞いた通りだ。それと、沿道の民家の屋根が黒光りする上等な瓦葺で、
   これも雨が多い地域ならではの備えのようだ。

    小矢部砺波JCTで北陸道に入り、新潟方面に向かう。「魚津IC」で降りたのは17時を過ぎていた。ホテルに行く
   前に魚津の海岸を歩いてみることにした。
    魚津港に行くと、岸壁には釣り人が多い。地元だけでなく遠くから来た人、男性だけでなく女性や子どもも多い。
   みなさんの狙いは夕食のおかずになるような大物らしいが、10センチ以下の小さいのしか釣れていないようだ。

    この海岸では、春先に富山名物の「蜃気楼」が観察できることがあると、案内板がでていた。

       
                               魚津の「蜃気楼」

    ホテルにチェックインしたのは18時半ごろだった。20日ほど前にいつも利用するホテルチェーンを当たって空き部屋が
   あったのがここだけだった。お盆なので宿泊費は通常の60%くらい高かったが、満杯のようだった。

    部屋に荷物を置いてホテル近くで夕食をとることにした。歩いて5分ほどの地元の店に入った。魚津は魚の町な
   ので、天丼にうどん(そばも選べる)などがついたセットを注文した。出てきたのは大きな海老がついた期待以上の
   質と量で、コスパも良く皆さん大満足だった。

       
            地元の店で夕食をいただく

    ホテルに戻り、風呂を浴び、早めにベッドに入った。
 

2. 第二日目【「ヒスイ」に会るか?】

    2日目5時に目が覚めた。昨夜は時折雨が強く降っていた。街にはモヤがかかり、空はどんよりと曇っている。
   朝ぶろを浴びて、ヒゲを剃り、スッキリする。
    6時30分から朝食だ。バイキング形式なので、ご飯とおかずを少なめに摂る。〆はコーヒーを飲みながら各種の
   パンにジャムを付けていただく。これはお薦めだ。

    朝の連続テレビドラマを2つ見て、ホテルを出たのは8時少し前だった。魚津ICから北陸道に入り、朝日ICで降り
   「宮崎ヒスイ海岸」に行く。今にも雨が降りだしそうだ。海岸には海水浴の家族連れの他、一見して翡翠探しと
   思われる老若男女が下を見て波打ち際を行ったり来たりしている。息子と私はその仲間に加わった。
    孫娘は、ばあばが子守で、ビーチサンダルを履いて波打ち際で波と戯れている。

    ヒスイどころかネフライトすら見つからない。海岸についてものの15分もしないうちに雷鳴が鳴り、雷光が走り、
   落雷の音もする。間もなく”ポツポツ”と大粒の雨が降り出し、まるで夕立のようになり、50m先が見えないほどだ。
   あれほど海岸にいた人たちは潮が引くように一人もいなくなった。私も引き上げることにした。

       
           人っ子一人いなくなった「ヒスイ海岸」

    この激しい雨では何もできず、白馬村に向かうことにする。姫川に沿って148号線を登って行く。小谷(おたり)の
   トイレを備えた駐車場で休憩だ。
    この道路は、「日本風景街道・塩の道」に指定されている。昔、”歩荷(ぼっか)”と呼ばれる男たちが、日本海
   沿岸の糸魚川から内陸部にある松本まで塩を運んだ道だ。同じような塩の道は太平洋側にもあり、山国の甲府
   には富士川沿いに運ばれてきたようだ。

       
                               「塩の道」

    沿道沿いには、「塩の道資料館」や「塩の道博物館」があり、一度行ってみたいと思っている。

     【後日談】
      私の郵便蒐集ジャンルに「風景印」がある。風景印(風景入通信日付印)とは、は郵便局に配備されて
     いる消印の一種で、局名と押印年月日欄と共に、局周辺の名所旧跡等にちなむ図柄が描かれている。
     大きさは直径36mm以内で形は円形が基本であるが、特産品などをかたどった変形印もある。押印は鳶色と
     呼ばれる赤茶色のスタンプインクが使われる。
      2018年1月1日時点で営業中の全国24,050の郵便局のうち、11,139郵便局、つまり半分弱の郵便局に
     配備されている。
      糸魚川市にある「越後大野」局の風景印は、”遠く白馬連峰を望む大野平野の塩の道を歩むボッカ”が
     描かれている。ボッカを描く風景印は、他にも糸魚川横町、根知(ねち)など何局かある。

       
               ボッカを描く風景印
             【糸魚川市・越後大野局】

    白馬村の「道の駅白馬」に着いたのは11時を少し回ったころだった。ここで少し早いがお昼にする。ここでは蕎麦
   が一番のお薦めだ。
    ここでは「野草園」に立ち寄るのを楽しみにしている。ここの”飄々とした”ご主人との会話が楽しいのだ。

    
              「野草園」

    店を訪れるとお客の対応をしているのは女性だった。娘さんだと思ったらお手伝いの方だった。「ご主人は?」と
   聞くと、「病気で療養中です」、とのこと。この前会ったのが2014年だったから、人の世は4年の年月の間にいろいろ
   あることを思い知らされる。
    せっかくなので、茶花にもなる「オオヤマレンゲ」の幼木を購入し、ご主人の早い回復を祈り白馬を後にした。

    安曇野ICで長野道に入り、17時過ぎに無事自宅に戻った。総走行距離は750キロだった。

5. おわりに

 5.1 孫娘と一緒に過ごす残り時間(日数)
      NHKの『チコちゃんに叱られる』を見ている。ちょうどお盆の季節だったので、5歳児のチコちゃんがゲストに「お盆」
     の意味を尋ね、答えが間違っていると、”ボーっと生きてんじゃねえよ!”、と叱られる。

      以前放送された分のダイジェストの中に、「子どもが親と一緒に過ごせる残り時間」というのがあった。これは、
     父母あるいは祖父母よりも子どもあるいは孫のほうが長生きするとすれば、「祖父母が孫と一緒に過ごせる残り
     時間」と考えて良い。ここで、時間といっているが、「一緒にいるられる時間/24」で、実際は日数だ。

      某大学の先生が導き出した式を一般化し、(式1)、(式2)のように変形してみた。父母あるいは祖父母の
     年齢を x として、

       父親(祖父)との場合
       D(0.009X2-1.97x+109.3)・・・・・・・・・・(式1)

       母親(祖母)との場合
       D(0.009X2-2.09x+121.1)・・・・・・・・・・(式2)

       ここで、Dは(式3)のように計算する。
       D = (1年に会う日数 × 会っている間1日当たり一緒に過ごす時間 )/24・・・・・(式3)

       調査結果によると、平均的には、1年に延べ6日会い、1日4時間一緒に過ごすので、
       D = (6 × 4)/24 = 1 (日) だから、残り時間は平均余命の年を日に変えたものになるらしい。

       孫娘の場合、正月、5月連休、7月、お盆休み、秋の連休の年5回くらい、滞在日数は5+4+3+4+3=19日
      フルに会っている日は寝るときも一緒なのでベッタリで20時間、到着と帰る日は半日だから10時間とすると
      D = {[19 - (5 × 2)] × 20 + (5 × 2) × 10}/24 = 280/24 = 11.7 ≒ 12 (日)

       今のところ、平均よりは1桁以上多いようだ。これを(式1)、(式2)に代入すると、

       孫娘は、私と170日、妻とは227日になる。会っているときの一刻、一刻が貴重だ。

 5.2 孫娘の日記
      夏休みが残り10日になったころ、息子の嫁さんから孫娘が書いた絵日記の画像がメールで送られてきた。
     「岐阜県博物館」でのニホンオオカミとの出会いは、”いちばんの思い出”になったようだ。

    
                いちばんの思い出「ニホンオオカミ」

 5.3 MH農園
      2018年も猛暑だ。特に7月は記録的な暑さだった。8月に入って台風が運んできた多量の水蒸気が雷雨に
     なって降ってくれ、お蔭で水やりがいらなくなり助かっている。

      初夏に収穫した赤玉ねぎ、ニンニクは今までにない質と量だった。

          
                  赤玉ねぎ                            ニンニク
                                                【全部でこの1.5倍】

      庭の梅の木もたくさん実をつけてくれた。冬に思い切った剪定をしたので量こそ25キロだったが粒が大きくて、
     その大きさを掌(てのひら)と見比べて欲しい。梅干しと梅酒をたっぷりこしらえた。
        そして、ジャガイモも好成績だった。ただ、ジャガイモは大きなものほど腐っているものが多く、収穫量の10%
     くらいは捨てざるを得なかった。それでも、100キロ近くは残った。
      もともと緯度が40〜50度あたりで栽培されていたジャガイモを熱帯と同じかそれ以上暑い日本で作るのだから、
     無理があるのだろう。栽培の時期などを見直さないといけない。

          
                    ウメ                             ジャガイモ
                                             【試し掘り分、全部でこの5倍】

      一番気になっていたのはスイカだ。2018年は苗を買い損ねてしまい、種から苗を育てた。苗を植えるころに、
     種を播いたから、一ケ月以上の遅れだ。小さな苗を植えたときには無事に育つか心配だったが、防虫ネットで
     日よけして乾燥を防ぎ育てたところ、8月に入る頃には実も大きくなった。

          
                    苗                             収穫前
                                 スイカ

      お盆前に試しに収穫して切ってみると、真っ赤に熟していて、甘さも十分で隣近所や畑友達などにお配りし
     た。苗1本分で買った種から13本の苗ができたから、来年からは苗を自分で作ろう。
      今元気なのがサトイモだ。今年は田んぼ脇の用水路のそばの畑をわざわざ一段低くして種芋を植えてみた。
     これが図に当り、孫娘の背丈以上に茎が伸びている。お月見の頃に収穫するのが楽しみだ。

          
               まずまずの出来のスイカ                    元気なサトイモ

6. 参考文献

 1) 加藤 昭 et al:鉱物採集の旅 東海地方をたずねて,築地書館,1983年
 2) 益富 寿之助:鉱物 −やさしい鉱物学− ,保育社,昭和60年


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