北極圏をめぐる地球一周の旅 【ポルトガル】 ( Tour around the World & Arctic Circle 2016 - Portugal - )









        北極圏をめぐる地球一周の旅  【ポルトガル】

             ( Tour around the World & Arctic Circle 2016 - Portugal - )

1. はじめに

    5月19日にジブラルタル海峡を通って大西洋にでた。ポルトガルのリスボン港を目指して順調な航海を続けて
   いた。翌20日の朝6時には入港する予定だ。
    改めてしげしげとポルトガルの地図を見ると、西側を大西洋に面したその国土は縦長の四角形に近く、お隣
   のスペインに比べるといかにも小さな国だ。

      
                ポルトガル地図

    5月20日5時30分にデッキに出てみると、夜明け前であたりは薄暗かった。船尾の方に橋にかかる満月が見え
   たので、月を追いかけて飽きることなく30分近く写真を撮り続けた。

         
                           夜明け前の満月【リスボン港】

    後になって、地図を見てみると、この時すでに船は太西洋から首都・リスボンに通じるタホ川を遡(さかのぼ)
   っていて、見えていた橋は「4月25日橋」だった。

      
                         リスボン港地図

    さらに船がタホ川を遡ると、左舷にライトアップされた「リスボン大聖堂」が見えてきた。6時ごろ、船はサンタ・
   アポローニア客船ターミナルに停泊した。

      
                            リスボン大聖堂

    ポルトガルについて知っているとことと言えば、鉄砲が1543年(天文12年)、種子島に漂着したポルトガル人に
   よって伝えられた、とか金平糖、カステラ、そして天ぷらなどもポルトガルから伝えられた、といった雑学の類(たぐ
   い)だけで、歴史や文化などについては全く知らなかった。
    そんなわけで、リスボンに上陸しても行くあてもなく、「リスボンとシントラ観光&ユーラシア大陸最西端のロカ
   岬へ」と題するオプショナル・ツアーに参加を申し込んであった。

    ・ リスボン旧市街車窓観光
    ・ 世界遺産ベレンの塔
    ・ 世界遺産「ジェロニモス修道院」
    ・ ユーラシア大陸最西端のロカ岬
    ・ 世界遺産「シントラ王宮」観光
    ・ 海岸のレストランでランチ
    ・ リスボン市内車窓観光

    このツアーを通じて、ポルトガルの歴史・文化そして国民性などの一端を知ることができた。
    ( 2016年5月20日 体験 )

2. リスボン市内観光

    7時45分に集合し、バスに乗って、まずはリスボン旧市街の車窓観光に出発だ。ガイドに促されて、建物と
   建物の間を見ると、突き当りに巨大な鉄塔が見えた。これが、高さ45mもある「サンタ・ジュスタのエレベーター」
   だ。
    起伏の多いリスボンの街の低地バイシャ地区と高地シアード地区を結ぶ市民の足として1902年に造られた。
   設計は建築家ラウル・メスニエル。眺望スポットとしても人気で、ピーク時には長蛇の列ができるらしいが、朝早
   い時間帯だったせいか、人影すら見られなかった。

      
                       「サンタ・ジュスタのエレベーター」

    リスボンはイタリア・ローマよりも古く、紀元前1200年にさかのぼる長い歴史を誇っている。15世紀初頭にアフリ
   カ西海岸に進出し金と黒人奴隷貿易で利益を上げ、大航海時代に先鞭をつけた。ポルトガルが派遣した
   ヴァスコ・ダ・ガマが1498年にカリカットに到達して、インド航路が開かれ、1510年にはゴアを占領してインド、
   東南アジア進出の拠点とし香辛料貿易を展開した。

   しかし、1755年11月1日 朝9時40分に「リスボン大地震( do Terramoto de Lisboa )」が発生、これに伴う
  巨大津波が町を襲い、さらに火災も発生し、6日間燃え続けリスボンの中心部は灰燼(かいじん)に帰した。
  このとき災害を免れたのは、この後訪れる「ジェロニモス修道院」だけだったと言われる。
   「リスボン地震」の250周年を記念した切手が2005年にポルトガルから発行されているので、日本で買って持参
  し、妻あての封筒に貼って世界遺産・シントラで投函した。

      
         「リスボン大地震」 250周年記念切手を貼ったカバー(封筒)

    そのような訳でリスボン市内の建造物は1755年以降に造られたものがほとんどだが、石造りの建物や記念碑
   には歴史を感じる。

      

      

      

    一方、ビジネス街には全面ガラス張の近代的なビルも見られる。

      

    旧市街の車窓観光を終え、高速道路(たぶんA3)に乗って西に向かい、市外で南に折れるてタホ川添いの
   道路を再びリスボン市内に向かって走ると川沿いに「ベレンの塔」が見えてきた。
    この塔はリスボンのベレン地区にあり、「リスボンのジェロニモス修道院とベレンの塔」の構成資産として世界遺
   産リストに登録されている。
    16世紀にマヌエル1世によってヴァスコ・ダ・ガマの世界一周の偉業を記念して作られたタホ川の船の出入りを
   監視する目的の要塞で、かつては内部には大砲が装備されていた。建築様式はマヌエル様式である。

      
                       世界遺産 ベレンの塔

   再びバスに乗って東へ1キロ弱走ると「発見のモニュメント」が車窓から見えた。ベレンの塔同様、川沿いに建つ
  この像は、船が出港してから見た景色の方が何倍も良かった。
   ここで、しばらくジェロニモス修道院が開くまで時間調整だ。土産物屋が何軒かあったので”ポルトガルの鉱物”
  がないかと探したがなくて、息子のお嫁さんにマグネットを買った。

   また、バスに乗って目と鼻の先にあるジェロニモス修道院の駐車場に移動だ。バスを降りて、ジェロニモス修道
  院に向かう。右側(東側)はサンタ・マリア教会になっている。

      
                    世界遺産 ジェロニモス修道院

   すでに200人以上の外国人観光客が並んでいた。観光客を当て込んだ”押し売り”を摘発しているのだろうか、
  男女の警察官が、ヒジャブこそ被っていないがイスラム女性が着るような真っ黒い服装のおばはんを尋問し、持
  ち物をチェックしていた。結局、このおばはんは、警察官に連れていかれてしまった。あまりにも退屈な待ち時間
  に写すともなくシルエットが写っていた。

         
                尋問される物売りのおばはん                      シルエット

    ジェロニモス修道院はマヌエル様式の最高傑作ともいわれ、ヴァスコ・ダ・ガマによるインド航路開拓及び、エン
   リケ航海王子の偉業を称え、1502年にマヌエル1世によっ着工され、1511年に回廊など大部分が完成したもの
   の、その後、マヌエル1世の死などあり、最終的に完成するまでに300年ほどかかっている。
    その建築資金は最初バスコ・ダ・ガマが持ち帰った香辛料の売却による莫大な利益によって賄われ、その後
   も香辛料貿易による利益によって賄われた。
    開場の時間になり、西門から入ると、教会内部が見渡せる。

      
                          サンタマリア・教会内部

    「内陣」にある祭壇飾り板は、宮廷画家ローレンソの作だ。向かって左側にマヌエル1世と王妃マリア、右側に
   息子のジョアン1世と王妃カタリナの棺が安置され、王家の霊廟となっている。

      
                               「内陣」

    教会内部にある天井を支える柱は、インド航路を連想させる葉っぱを広げたヤシの木を模したとされ、海を
   モチーフにした模様が刻まれれている。南側の壁に埋め込まれたステンドグラスには、聖母子像が描かれている。

      
                      ヤシの木を連想させる柱と複雑に交錯する梁

    南門を入って左側にインド航路を発見したヴァスコ・ダ・ガマの石棺が安置されている。右側には、その偉業を
   一大叙事詩に謳い上げたポルトガルが生んだ偉大な詩人、ルイス・カモンイスが眠る。

         
               ヴァスコ・ダ・ガマの石棺                     案内プレート

    石棺の裏側の壁に取り付けられた説明書きに、「 ヴァスコ・ダ・ガマ(1468-1524年) 1497-1498年にインド
   航路を開拓したポルトガル人航海者。新しい貿易ルートを構築し、インド洋におけるポルトガルの優位を不動
   にした 」 
とあり、その功績を顕彰している。王家の教会に埋葬されるという、臣下としては破格の厚遇だ。

3. ユーラシア大陸最西端のロカ岬

    ジェロニモス修道院を後にしたのは、11時ごろだった。この後の行程は、下の地図の ロカ岬 → シントラ
   → レストラン(昼食) → リスボン の予定だった。

      
                      ポルトガル西海岸地図

    バスは西に走り、リゾート地になっているカシュカイシュの町に入る。このあたりは、別荘地として人気が高く、
   最近値段もウナギのぼりで、チョットした物件は1億円前後するという。
    砂浜には5月中旬だというのに、サンサンと照りつける太陽を浴びながら、ヌードの女性が日光浴を楽しんで
   いる。

         
                海岸のリゾート地                    日光浴するヌード女性

    ここから、大西洋を左に見ながらロカ岬に向かって北上する。海岸には黄色など原色の花々が咲き乱れ、
   空には海鳥が強風にあおられながら舞っている。小さな入り江のような岸壁では太公望が繰り出している風景
   は、日本の地方の海岸と同じだ。
    やがて、前方にロカ岬がある一段高い台地(地図の緑色)が見えてきた。しかし、そのあたりは、霧に覆われ
   ているようで霞んで見える。

         
               入り江には釣り人も                       ロカ岬遠望

    海岸沿いにロカ岬に行ける道路はなく、一度山の中腹まで上ってロカ岬に向かって下ることになる。下る道路
   は未舗装で狭くてまさに悪路だ。
    揺られ揺れながら進むこと30分、前方にロカ岬( Cabo da Roca )のシンボルの石碑が見えてきた。何はとも
   あれ、石碑とその先の大西洋を見に急ぐ。

      
                             霧に霞むロカ岬の石碑

    深い霧に覆われ大西洋の大海原は見ることができなかった。石碑の北にある灯台まで300メートルくらいしか
   ないのだがその全体像もハッキリしない。
    ここには、ポルトガルの詩人カモンイスの叙事詩の一節を刻んだ石碑があるので、記念写真だ。

         
               霧に煙るロカ岬灯台                   石碑の脇で記念写真

    ロカ岬はユーラシア大陸最西端で、北緯38度47分、西経9度30分。緯度は日本だと山形市よりも北に相当
   する。
    石碑には、次のように刻まれている。

      AQUI......                        ここに・・・・・・・
      ONDE A TERRA SE ACABA           地終わり、
      E O MAR COMECA...........              海始まる・・・・・・。

    「有料で、ユーラシア大陸最西端到達証明書を発行してくれる」、という情報があったが、どこで売っているか
   わからない。そんなことよりも、有料トイレのチケットを50セントか1ユーロで買ったのだが、入り口のゲートが開かず、
   男女ともゲートを乗り越えて用を済ますありさまだった。

4. 世界遺産 「シントラ王宮」観光変じて「自然史博物館」見学

    またバスに乗り込んで世界遺産・シントラをめざす。上の地図をみていただければわかるようにシントラは「カス
   カイス自然公園」を挟んで山向こうにある感じだ。またしても山肌を縫うように悪路をバスは疾走する。暖かい
   海岸が近いせいか、山肌には色とりどりの花が見られる。一山越えたころ、シントラの街が見えてきた。

         
           「カスカイス自然公園」を抜けて                 シントラの街の民家

    シントラの街が近づくと一方通行などの交通規制と大勢の観光客が訪れていて、渋滞気味だ。ここシントラ
   は深い緑に囲まれた山の中に、王宮を中心にして、豪奢な城館や別荘が点在する。かつてこの地を訪れた
   イギリスの詩人・バイロンが、「この世のエデン」と称えた美しい景観は世界遺産に登録されている。

      
                        シントラ地図

    王宮入口から南を見るとシントラ市街の背後の小高い山の上に「ムーア城」跡がみられる。

      
                            シントラ市街とムーア城跡

    シントラには「自然史博物館」があると現地に着いてから知った。ここで頭を悩ます問題が起きた。両方を観
   る時間的な余裕はないので王宮か自然史博物館かの選択を迫られる。MHとしては、当然自然史博物館だ。
    王宮の受付で博物館の場所を聞くと「王宮の中だ」、というので入場料を払って入って探すがそれらしいもの
   はない。外に出て、土産物屋で聞くと「王宮の裏だ」、というので裏手に回ってみる。そこで聞くと「この先だ」。
   それらしい建物が判らず、しばらく行くと「戻った、あそこだ」と指さして教えてくれた。
    入り口で確か1ユーロを払って中に入る。鉱物の展示はごく一部にあるだけだった。

         
               自然史博物館外観                     鉱物展示の前で

    鉱物標本を見て正直”ガッカリ”だった。標本に必須の鉱物名・産地などを示すラベルが全くないのだ。鉱物
   名はある程度わかるが、産地名がなければお手上げだ。『ラベルがない鉱物標本は価値なしをポルトガルの
   博物館で改めて認識する始末だった。

      
                                  鉱物標本展示

    またバスに乗って昼食を食べる大西洋に面した海岸にあるレストランを目指す。どこをどうバスが走っているか
   判らなかったが、後で地図を見て、「カスカイス自然公園」の南側を回っていたのだろうと思う。
    オーシャンビューのレストランに着いたのは14時を少し回っていて、お腹は”ペコペコ”だった。ポルトガル料理の
   コースが次々と出され、ワインなどのドリンクは実質飲み放題のようだった。

       
                  スープ                      生ハムを載せたパン

       
             フライ(てんぷらの元祖?)                  魚料理

    
             デザートのチーズケーキ

    出てくる料理は、どれもこれもギリシャなどの塩味がきつ過ぎることもなく、かといってイタリアのパスタのように
   パンチが利いていないこともなく、どれもおいしくて、この旅で初めておいしい料理に出会った気がした。
    バスの中でガイドさんから、「ポルトガルの若い人たちは両親の家に集まって週末を過ごす」と言っていた。何
   だか家族が揃って過ごした昔の日本を思い出し懐かしくなったのも、料理が美味しかった理由の一つかも知れ
   ない。
    ( 皆さんの感想もそうだったから、単に空腹だったせいではないことは確かだ )

    【後日談】
    タレントの関口知宏が鉄道に乗って世界各国を旅する番組がNHKBSで放送されている。このページをまとめて
   いるときポルトガルを10日間かけて旅する番組の再放送があった。
    ポルトガル(Portugal)で造られるワインが”ポートワイン”、雨の日に着た”カッパ(合羽)”はポルトガルの”CAPA"
   だったり、1755年6万人が亡くなった「リスボン大地震」以降、国力に陰りが見え始めたこと、などを伝えていた。

    番組のおわりちかくで、関口が、「日本以外に住むとなったら、ポルトガルという選択もありかな。それは、ここに
   来ないとわからない」、と語っていた。
    ポルトガルを初めて訪れてみて、その気持ちは良くわかる MH だった。

    料理に満足して外に出てみるとレストランのある崖の下は小さなビーチ(砂浜)になっていた。ビーチに降りて
   いくと渚(なぎさに)に水着姿のポルトガル美女がいたので、断って写真を撮らせてもらった。
    ( 船に戻って、この写真を旅友・O氏に見せると、「盗撮でしょう」、と言われたが、了解を得ています )

       
                            水着姿のポルトガル美女

    レストランを後にしてバスは再びリスボン市内に戻ってきた。バスの窓から水道橋が見えた。後で調べてみると
   「アグアス・リヴレス水道橋」だ。18世紀に建造されたもので、世界で最も高い石造りのアーチだ。
    橋脚の間を走るレールと比べてみるとその高さがわかるだろう。この橋の上を歩いて渡れる、という情報もあるが、
   「お金をもらってもいや」という人がほとんどだろう。

    
                           「アグアス・リヴレス水道橋」

    こうして苦労して運んだ貴重な水を町中の噴水からは惜しげもなく噴き出して浪費(?)しているのを目の当
   たりにすると、心の豊かさの差を感じてしまう。

    
                                街中の噴水

    われわれが船に戻ったのは17時少し前だった。

5. おわりに

5.1 ミネラル・ウオッチング in Portugal
   ポルトガルは銅生産量が西欧では第1位という、鉱産国だというのは意外だった。これもスペインの鉱山地帯
  の延長線につながる「イベリアパイライトベルト」がもたらす恩恵のようだ。
   古くは金、銀が、近年では銅、鉛、亜鉛も採掘され、後ほどで切手に描かれたそれらの鉱物を紹介する。
  しかし、日本などと同じように国内の鉱山業は停滞しているようだ。それでも稼行している鉱山の鉱夫たちが
  ひそかに持ち出した鉱物を売っているという情報を最近目にした。

    スペインの「黄鉄鉱」などは日本でも立派な標本を手に入れることができるが、ポルトガルの鉱物を見たことが
   ない。そんなわけだから、ポルトガルではミネラル・ウオッチングの計画は全くなかった。 それでも、露頭を見れば
   叩きたくなるのが、MHの性だ。

  (1) ロカ岬
       ロカ岬は100mくらいの断崖絶壁にある。崖を見ると巨大な露頭だがあそこを叩く勇気はない。足元を
      見ると、ところどころに露頭が顔を出している。永年の風雨でだいぶ風化が進んでいるようで、簡単に塊が
      手に入った。岩石は ” キラッ ”、” キラッ ” と光る「黒雲母」と白い四角い結晶の「長石」そして石基の
      「石英」が混じった「花崗岩」だ。
       ポルトガルの花崗岩は日本に墓石などとして輸入されている。愛知県岡崎で産出し、現在採れない
      「稲武石」によく似た石目で細かく綺麗で、しかも値段が手頃、ということで外国産の石材の中では品質・
      安心度No1らしい。

       
              ロカ岬の断崖絶壁                     「花崗岩」

  (2) レストラン脇
       昼食を摂った大西洋岸のレストランの脇の崖を降りて水着姿のポルトガル美女の写真を撮らせてもらっ
      た。崖を見ると一枚岩の巨大な露頭になっていた。露頭には幅2センチ前後の白い脈が幾筋か見えた。
      露頭の岩石は石灰岩でハンマの代わりに近くにあった石で叩いてみると、白い脈は「方解石」だった。

       
         大西洋岸でミネラル・ウオッチング                石灰岩と「方解石」

5.2 郵趣 in Portugal
      郵便関係で日本と外国とで一番違うのは郵便物を投函するポストではないだろうか。そんなわけで、昔
     所属していた東京・青梅郵趣会(現在は活動していない)の会長だったSさんおように、世界各国のポスト
     を見て回って一冊の本にまとめた人もいるくらいだ。

      乗船してそれほど日が経たないうちに、私が鉱物(単に石)や切手が好きなことは船の中の多くの人に知
     れ渡り、街中で撮った郵便局やポストの写真を届けてくれるようになっていた。この日も私とは別にリスボン
     市内を観光して回った”博多のあねご”が、「MH、市内に郵便局とポストがあったから写真を撮ってきた」と
     写真のデータをいただいた。

       
                  郵便局                     赤と青の丸型ポスト
                      郵趣関係写真【”博多のあねご”より恵与】

      郵便局には”ラッパのマーク”の看板が出ているのはヨーロッパにほぼ共通するようだ。ポストの色の違いは、
     赤が普通郵便用で青は速達郵便用ということだ。

      シントラの街を訪れたときに、リスボンの街にあるのと同じ赤いポストと建物の壁に埋め込まれた四角くくて
     赤いポストがあったので写真に撮ると同時に妻あての封筒を投函してきた。

       
               壁に埋め込み型ポスト                   赤の丸型ポスト

      NHKの番組の中で、ワインの栓に使われるコルクの樹皮をはぐ作業と外国人観光客が列車の中でコルクで
     できた絵葉書を書いている場面があった。

       
                コルク樹皮の採集              コルク素材の絵葉書を書く観光客
                   【NHKBS 「関口知宏ヨーロッパ鉄道旅・ポルトガル」より引用】

      コルクはポルトガルの特産だと知ってはいたが、絵葉書を売っているとは思いもよらなかった。知ってい入れば
     当然買って書いて出したのだが・・・・・・。

      日本で買ったポルトガル切手をすでに貼ってあった封筒を持参していて、シントラの街で投函したことは
     すでに述べた。
      ポルトガルでは、過去に鉱物を描く切手を何種類も発行しているので、それを貼った封筒も持参していて
     投函したところ、これも無事留守宅に届いていた。
      4枚の切手の内、左下の切手は「硫砒鉄鉱」だが、(湾曲した)柱状の結晶は日本産鉱物50種の中に
     「尾平鉱山産柱状硫砒鉄鉱」が選ばれているくらい珍しいものだ。

     ・「あなたはおもちですか?」 鉱物コレクターの資格審査
     (How Many Specimens do you have ? , Qualification of Mineral Collector)

      
                                       上 「黄銅鉱+閃亜鉛鉱」  上 「緑柱石」
                                       上 「硫砒鉄鉱(柱状結晶)」 上 「鉄重石」
                            ポルトガルの鉱物切手貼り封筒

5.3 海から見たポルトガル
    18時過ぎに船はリスボン港を出港し、次の寄港地・フランスのル・アブールを目指して来た時と逆にタホ川を
   下り大西洋に向かっている。朝着いたときは真っ暗で月やライトアップされた「リスボン大聖堂」くらいしか識別
   できなかったが、まだ日没まで2時間以上あり、リスボン市街全体がハッキリ見える。

    夜明け前に月が掛かっていた「4月25日橋」がハッキリと見え、その南の方に大きなキリスト像があるのに気づ
   いた。この像をみると、誰しもポルトガルの植民地だったブラジルのリオ・デ・ジャネイロのキリスト像を連想する
   だろう。

    リスボンにあるのは、「クリスト=レイ像」と呼ばれ、カトリックの記念碑で、リオ・デ・ジャネイロにあるコルコバー
   ドのキリスト像に触発されて1950年に着工し1959年5月に除幕した。像の基礎は門の形をしていて高さは
   75mある。その上に設28mのキリスト像が立っている。
    右舷を見ると、この日訪れたジェロニモス修道院が見え、その手前川沿いに「発見のモニュメント」が見える。

       
           「クリスト=レイ像」遠望                  「発見のモニュメント」
                                       【後ろは 「ジェロニモス修道院」】

     記念碑は52メートルの高さのコンクリート製で、キャラベル船の船首の曲線に似せてある。最初の紀念碑は
    1940年、ポルトガルで開催された国際博覧会の象徴として制作した。当時の独裁者アントニオ・サラザール
    時代の過去のポルトガル栄光の時代へのノスタルジーを表現している。
     最初に作られた碑の素材がもろかったため、エンリケ航海王子没後500年の記念行事として、1960年にコン
    クリートで再度制作された。王子は記念碑の先頭に立ち、遠くを見つめている。王子の後方の両舷に、
    大航海時代からルネッサンス期の探検家、芸術家・科学者・地図制作者・宣教師ら31人の像が並ぶ。

      
                              左舷(東)側
                           【2人目が ヴァスコ・ダ・ガマ】

      
                              右舷(西)側
                           【11人目が 詩人・カモンイス】

     すぐに右舷側に世界遺産「ベレンの塔」が見えてきた。水に浮かぶ石造りの要塞の姿は水の上からしか見
    られない光景で、船旅ならではのメリットだ。

      
                           世界遺産「ベレンの塔」
                            【タホ川からの眺め】

     すぐに「4月25日橋」が近づいてくる。この橋は、長さ2,277 mの吊り橋で、橋の名前とは関係ない1966年
    8月6日に開通した。上段が6車線の道路、下段が複線の鉄道となっている。鉄道部は建設当初から設計
    図にはあったが、建設費が不足したため着工が延期され、完成したのは1999年だった。
     開通した当初は、当時のポルトガルの独裁者・サラザールにちなみ、サラザール橋と呼ばれていたが、1974年
    「4月25日」にカーネーション革命が起きたのすぐ後、改称された。

     遠くてハッキリ見えなかった「クリスト=レイ像」が橋をくぐると、間近に見え、その憂いを含んだような表情ま
    で読み取れる。

     
                            「クリスト=レイ像」

     タホ川の入り口の航路標識を過ぎると大西洋の大海原だ。船尾はるか遠くにリスボンの街が遠ざかる。

     
                           遠ざかる「4月25日橋」とリスボンの街

     3日後の5月23日の朝には、フランスのル・アブール港に入港する予定だ。

6. 参考文献

 1) 地球の歩き方編集室編:各国編2013〜15,ダイヤモンドビッグ社,2015年


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