6時過ぎに起きてデッキに出ると、北欧・バルト海の真っ青な空と海が広がっている。バルト海を囲む国々との
行き来はフェリーが便利で、大きな船とすれ違う。
予定より2時間早い9時過ぎに船はヘルシンキ港に接岸した。フィンランドで訪れてみたいと思っていた場所は
次の通りだ。
@ 「鉱物博物館」
もともとヘルシンキにあったのだが、2014年12月にタンペレに移設された。上の地図で見るとヘルシンキの
北北西にあるタンペレまで直線距離で160キロある。当初の予定だと、12時に下船して18時出港の帰船
時間17時まで、5時間しかなく、往復するだけで終わってしまいそうなので、端(はな)から諦めざるを得な
かった。
A 「ヘルシンキ中央郵便局」
私の趣味の一つが切手を集める『郵趣』だ。切手の集め方は人それぞれだが、特定の国の切手を集め
る「国別収集」と呼ぶジャンルがあり、私は日本以外、フィンランドの切手も集めている。
なぜ集めるようになったかと言えば、高校生のころフィンランドに同年代のペンパルがいて、届いた封筒に
貼ってある凹版印刷の美しい切手を見たのがきっかけだ。
それと、『森と湖の国』、と称される美しい自然と大国ロシアに隣接して独立の戦いを続けた歴史など、
日本と似たような点も多く親近感を抱いたからだ。
いつものように、孫娘はじめ友人・知人に送る絵葉書などを投函するつもりだ。
(2016年6月1日 体験 )
港の一角には古いレンガ造りの建物があるかと思うと、港を出ると目に入るのはヘルシンキの市街をバックに
回っている最近できたと思われる大きな観覧車だ。不思議と違和感を感じない。
(1) 「大統領府」
まず向かったのは「大統領府」だ。中に入ることはできないが、柵越しに2人の衛兵を見ることができる。
(2) トラム(市街電車)
訪れたほかのヨーロッパの国々と同じように、公共交通機関の主役はトラムと呼ばれる市街電車で、
市民や観光客にとって”便利な足”だ。2両連結の車体は緑と黄色のツートンカラーで、車体前面の上に
路線番号が大きく書いてある。2つの環状線と放射状線、あわせて9つの路線が市内を網羅している。
Aさんの甥っ子が、”乗り鉄”君だというので、何枚か写真を撮った。
(3) 「ウスペンスキー大聖堂」
日本語だと、「生神女就寝大聖堂(しょうしんじょしゅうしんだいせいどう)」、」と呼ぶらしい。ロシア帝国の
建築家アレクセイ・ゴルノスターエフの設計で、1862年から1868年にかけて、ヘルシンキ市街を一望できる
カタヤノッカ半島の丘陵地に建立された。独立前のフィンランドの歴史の一コマをみるようだ。現在では、フィ
ンランド正教会ヘルシンキ教区の主要な大聖堂になっている。
近づいてみると、この聖堂は巨大な岩盤の上に建っていることがわかる。岩盤の表面には、右上から右下
に”擦った”ような跡が見て取れ、氷河期の痕跡だろう。標高100メートル弱の岩山に登ると、赤いレンガ造
りの大聖堂の全体像が見えてくる。
大聖堂の中に入ると正面に金ぴかの大きな祭壇があり、上を見上げるとドームになっている。
(4) 「ヘルシンキ大聖堂」
大統領府の北にある大聖堂で、真っ白い壁と緑色のドームのコントラストが美しい。ヘルシンキを代表する
建物とされる。ドイツ人建築家カール・ルートヴィッヒ・エンゲルが設計し、1852年に竣工した。「ウスペンスキー
大聖堂」もそうだったが、日本の幕末から明治維新のころに建てられたもので、たかだか150年位の歴史しか
しかないのは意外だ。
建設当時ロシアの統治下にあったため、ニコライ教会とよばれていたが、1959年に大聖堂が正式名称に
なった。
元老院広場から建物の外観を見ただけだった。
この日は平日で、隣のテーブルに座ったサラリーマンらしき男性が注文し、運ばれてきたのは”ビッグマック”
4個分くらいありそうなハンバーグと大ジョッキくらいありそうなグラスに入った炭酸飲料だった。「胴回りは私よ
りかなり太いが身長は低い人が、あんなにたくさん食べきれるのか?」、3人は顔を見合わせた。
われわれが注文したのは、野菜がたっぷり挟まったハンバーグで、トナカイの焼肉をシェアした。トナカイの
肉は同類の”シカ肉”と同じで、思ったほど硬くはなかった。これで一人当たり18.5ユーロ(約2,300円)だった
から、フィンランドの物価は安くはない。
われわれがランチを終えたころ、件のサラリーマンは席を立っていた。テーブルの上のものは一片、一滴も残
さず平らげていた。
(6) ヘルシンキ中央駅
お腹も膨れ、次はヘルシンキ中央駅に向かった。国内だけでなく、ヨーロッパやロシアへの列車の発着駅に
なっている。
駅はフィンランド名産の花崗岩で造られ、高さ48.5メートルの時計塔が目を引く。正面出入り口の両脇に2体ずつ、
計4体のランプを持った像が鎮座している。一日に約20万人もの人々がこの駅を利用し、フィンランドで最も
利用客のある建物の1つだ。
構内に入ると、ガラスの天井からは外光が存分に降り注ぎ、明るい雰囲気だ。駅には19のプラットフォーム
があり、東側(右)から順に番号が振られている。
構内には、カフェ、ファーストフード店、スーパーマーケットやパブなどもある。6月初めはフィンランドも初夏の
気候でマーケットの果物店にはサクランボやイチゴが並んでいた。日本だとプラスチックケースに入って売って
いるが、ここでは、1L(リットル)や1/2L、という具合に量り売りになっている。
産地は”SUOMII"と表示されたフィンランド産は少なく、スペインやオランダなどの外国産が多い。値段も
フィンランド産のサクランボ1/2Lが6ユーロ(約750円)で、スペイン産のものに比べ20%高い。
ここで、野菜の種を売っていたので、「人参」、「赤かぶ」、「ミニトマト」を購入した。
【後日談】
帰国して、2016年の10月ごろ、「人参」の種を播いてみた。『人参作りに水切らすな』、の諺があるように、
種を播いて発芽させる時期に水やりは欠かせない。この年の秋、甲府盆地は雨が少なく、結局発芽しない
まま終わってしまった。
2017年6月初め、「ミニトマト」の種を播いた。人参の時の教訓を生かし、ポットに播いて自宅に置いて
いつでも水やりができるようにした。しかし、母親の介護や家の修繕で山梨を留守にすることが多い上、今年
は、”空梅雨”なので枯れないか心配だったが、日照時間が少なくなるよう自宅の裏(北側)に置いたところ、
中旬にはかわいらしい芽がでてきた。
前の日、ロシアのサンクトペテルブルクを訪れていた。「帰船時間に間に合わなかったら、陸路ヘルシンキに
先行する」、とルームメートに言って自由行動したのだが、サンクトペテルブルクからヘルシンキまで鉄道で来ら
れるのか気になっていたので所要時間や料金を窓口で尋ねてみた。閑散としているのは平日という理由だけ
ではなさそうだ。ネット等で予約できるので、わざわざ窓口まで来なくても良いのだろう。
路線図と時刻表が載ったA4のシートを1枚くれた。それを見ると、月曜日から土曜日ヘルシンキとモスクワまで
遠距離列車が運行していて、サンクトペテルブルクとの間には日に4往復(ほかに季節によって臨時が1往復)、
所要時間は3時間27分だ。
料金は普通39ユーロ(約5,000円)、2等79ユーロ(10,000円)だと教えてくれた。こちらが旅行者と見たのか、
「犬を同伴できる」、とまで教えてくれた。
これだけ近くて、便が良いので、船に乗り遅れたら列車で来ることも可能だった、と改めて確認できた。
帰り際に、建物の正面に出てみると大きな幟(のぼり)が出ていて「スーパーマーケット」と書いてある。その下
に小さな字で「郵便局(POSTITALO)」と書いてある。”庇(ひさし)を貸して、母屋を取られる”、を地で行く思
いだ。フィンランドには、世界的に有名な携帯端末のメーカー・”ノキア”もあり、郵便よりもSNSの時代なのだ。
切手などの郵趣品を売っている広いブースもあるが、最近のフィンランド切手は”キャラクター物”に走りすぎ
ていて、気に入ったものがなく何も買わなかった。孫娘や友人・知人への絵葉書を出しただけだった。
【後日談】
フィンランドを代表する岩石と化学者・鉱物学者のヨハン・ガドリンの肖像を描く切手を貼った絵葉書と封筒
を妻あてに何通か送って置いた。それらは全て無事に届いていた。
1) フィンランドの岩石を描く切手貼
1986年2月8日、国立地質学協会創立100周年を記念して、フィンランドを代表する岩石3種を描く
切手が発行された。左から同心円状の縞模様の「球状花崗岩」、「ラパキヴィ花崗岩」、そして「縞模
様入った片麻岩」を描いている。
これらの切手は旧通貨単位マルカ表記なので、不足分の1.3ユーロ(約160円)の切手を貼り足して
差し出した。
2) ヨハン・ガドリンを描く切手貼
ヨハン・ガドリン(Johan Gadolin、1760年-1852年)は、フィンランドの化学者、鉱物学者であり、
フィンランドの化学の基礎を築いた。
1792年、スウェーデンのイッテルビー村で発見された鉱物を研究した。この鉱物は、ガドリンの功績を
顕彰し、1800年に「ガドリン石(gadolinite)」と名づけられた。後に希土類元素ガドリニウムもガド
リンの名にちなんで、名づけられた。
・” Y ”のはなし
( Story of " Y " ( Yttrium ) , Yamanashi Pref. )
3) ムーミン切手
日本のこどもたちにもフィンランドと聞いておなじみなのが、サンタクロースそしてムーミンだろう。観光客
向けにムーミンのグッズを売っているが良い値段がついている。
2015年5月1日、日本でムーミンを題材としたグリーティング切手、52円切手10種と82円切手10種
が発行された。ムーミンを題材とした記念切手の発行は、フィンランド以外の国・地域ではこれまでなく、
これが初めてだった。
1階から3階の展示室の案内図を示す。
化石や生物よりもまずは鉱物・岩石だ。切手にも描かれたフィンランドを代表する岩石が展示してあるので、
写真に収めた。
フィンランドは花崗岩が多いのでいわゆる「ペグマタイト鉱物」が展示してある。しかし、首都にある自然史
博物館にしては、その量・質とも今一つで、やはりタンペレにある「鉱物博物館」まで行かないとダメなようだ。
一通り見学を終えると14時半だった。1階にあるカフェで、付き合っていただいたAさんにスイーツとコーヒーを
振る舞った。レシートを見直すと消費税が14%で、コーヒーが一杯2ユーロ(約250円)、スイーツが3.7ユーロ
(460円)と2.5ユーロ(300円)、これに消費税14%が加算される。
ここで情報収集だ。「フィンランド産の鉱物を売っている店を教えて欲しい」、とカフェの女性に頼むと、学芸
員らしき人を呼んでくれた。その男性が携帯でアチコチ電話をして、地図を出して「この辺りに、”SOMSOLA"と
いう店がある」、と教えてくれた。
博物館を出て、教えてもらったミネラル・ショップを探しながら通りを南東の方に行った。行きつ戻りつしながら
ようやく”SOMSOLA"という名の店を探し当てた。
店の女主人が薦(すす)めてくれたフィンランド産鉱物は、「ラブラドライト」に似た「スペクトロライト」と「アメ
シスト(紫水晶)」だった。
実はこの朝、地図にある港近くのマーケット広場にある色とりどりのテントをのぞいたら、同じものを「オーロラ
ライト」と名付けて売っていたのだ。ラブラドライトの虹色の干渉色が北欧、とりわけフィンランドの冬の夜空を
彩る”オーロラ”に似ているところから、地元では「オーロラライト」、とも呼ばれているようだ。
産地など聞きもせず、大西洋を挟んだ反対側のカナダ産の鉱物を売っているんだ、くらいの認識しかなくて、
しかも小さな塊が29ユーロ(約3,600円)だったので買わなかったのだ。
【後日談】
帰国後、手近にあった鉱物関係の本3冊をめくってみた。うち2冊、「鉱物・岩石紳士録」の『ラブラドライト』
のページに、「第2次世界大戦中にフィンランドでも発見され、スペクトロライトと呼ばれていた」とある。「宝石・
鉱物手帳」には、「産地 カナダ以外に、マダガスカル、フィンランド」、とあるではないか。
”SOMSOLA"の「スペクトロライト」は安いものでも50ユーロ(6,000円)もしていたので買わずに、名刺とスペク
トロライトの説明書(英文)を貰っただけで、港近くのマーケット広場へ急いだ。
街中にある緑地のエスプラナーディ公園には、若者グループや家族連れなどが芝生の上で日光浴を楽しん
でいる。緯度が高く、暗い冬が長い北欧の人たちにとってこの時期の日光浴は欠かせない。
港に向かって歩くと、マーケット広場の西の端に噴水がある。中央の港を振り返る美しい裸の女性像を四方
からアシカが取り囲んでいる。
フィンランド人彫刻家ヴィッレ・ヴァルグレンが 、パリのアトリエで出会った19歳のパリジェンヌをモデルにした
乙女の銅像をパリのアートサロンで発表した後、1908年にヘルシンキの噴水広場のメインモニュメントとして
母国に寄贈した。
建設当時は物議をかもしたが、その後すっかりヘルシンキのシンボルとなったハヴィス・アマンダ(Havis Amanda)
の銅像は、「バルト海の乙女」として人びとに愛されている。
メーデーの前夜祭にヘルシンキの学生たちが噴水広場に集まって、アマンダの像をモップで洗い、白い学生帽
をかぶせる「銅像着帽」の儀式があるのだ。
【後日談】
この噴水を見たとき、どこかで見た記憶があった。冒頭に高校生の頃、フィンランドの女子高生と文通して
いたことを話したが、彼女が送ってくれた地元紙の切り抜きをスクラップ帳に貼って置いたはずだった。このページ
をまとめるのにあたり、それを探し出した。
これを見ると暗くてよく判らないが学生たちがかぶっている白い帽子が乙女の頭に載せてあるようだ。
マーケット広場に着くと半分以上の店は閉まっていた。「オーロラライト」を売っていた店が3つ、4つあったはず
なので、片っ端から当たっていくと1店だけが開いていた。店先にはアクセサリー製品とともに、15センチはありそ
うな大きな研磨品が置いてあった。
店主に、「これはいくらか?」、と尋ねると、「これは売り物じゃない。これだけ大きいのはないからな」、と相手
にしてくれない。しつこく交渉しても足元を見られて「○○○ユーロだ」、と言われそうなので諦めた。
時計は16時を回り、出港まで2時間を切ったので船に戻ることにした。岸壁が見えてきたので、海べりを見ると
護岸工事でつかったフィンランド特産の縞状花崗岩が積んである。これの小さなものを拾って記念に持ち帰る
ことにした。
20時近くになって船はヘルシンキ港を出港した。高緯度のヘルシンキ港のこの日の日没は22:31ごろで、
周りはまだ明るい。船を追いかけるように、カモメがゆったりと青空を舞う。
・ 繊維壁・化粧壁塗り
・ 障子・ふすま・壁紙貼り
・ 引き戸のレール、ドアの取り付け
・ 床板張り
・ 戸袋・1階/2階屋根のペンキ塗り
・ 雨どいの撤去・新設
・ 流し台・ガス台の撤去・新設
などなど
大工はむろん、塗装工・経師・配管工、建具師、最後には庭木を剪定する庭師の領域までやってみた。
まさにDIY(Do It Yourself)だ。プロにお願いしたのは、畳表の張替えだけだった。
かかった費用は18万円余りで、最初業者に見積もりを出してもらった金額のおよそ1/5だった。所要期間は
2ケ月弱だった。夫婦合わせてだが月収50万円くらいの職人ということになるから、70過ぎの高齢者としては
マズマズだろう。
『月遅れGWミネラル・ウオッチング』で会ったH夫人から、「壁塗りなんか、よくできますね」、」と聞かれた。実
は、私が働いていた半導体や電子部品の製造工程に「スクリーン印刷」という技術があるのだ。左官のコテに
相当するスキージと呼ぶブレード(刃)を印刷対称に対して傾ける角度によって塗る厚さが変わってくるのだ。
立てれば薄く、寝かせれば厚くなる。もちろんコテを押し付ける力加減や壁土の粘度(流動性)も影響する
から極力一定になるようにし、頻繁に水を足して掻き回し粘度を調節する。
このように、理論は判っているので、あとはやってみて”TRY & ERROR"で身体で覚えていくのだ。
完了した時点で主な個所の写真を撮った。”AFTER"があるので”BEFORE"と対比できれば良かったと思って
いる。それは、次の機会に、と言いたいのだが、何年後になるか判らないが次は難しいかもしれない。
これで一段落したので、このエネルギーをミネラル・ウオッチングに向けられれば良いのだが・・・・・・・・・。