2015年秋のミネラル・ウオッチングのフォローアップで第2テラスを通りかかったときにこの話を思い出し、
『MH理論』が正しいのかどうかを確かめてみる気になった。
( 2015年10月計測 11月報告 )
湯沼鉱泉社長の話によれば、「この坑道は75年以上前の戦争前に有吉氏が金を目的で掘った」
らしい。確かに坑道の入り口付近の露頭には「ザクロ石」が観察でき、この産地の金がザクロ石に伴
うことを知っていた有吉氏なら試(ためし)に掘って見る気になったとしても不思議ではない。
ただ、有吉氏は本格的に掘る前に、”金が出る”という触れ込みで鉱業権を住友に売却して売り
抜けていたらしい。
日米開戦前まで政府は各種の軍需物資の輸入代金の決済用に金の採掘を積極的に進めてき
たが、開戦後輸入の道が途絶えると、金よりも銅鉄石炭などの生産増強が戦争遂行に不可欠に
なった。
1942年10月の「金鉱業及び錫鉱業ノ整理ニ関スル件」、1943年1月の「金鉱業ノ整備ニ関スル
件」、そして1943年4月の「金鉱業整備に関する方針」のいわゆる「金鉱山整備令」が商工省より
出された。
多くの金山の人・機材が金属鉱山に振り向けられる中、住友は甲武信鉱山を鉄山として生き延
びさせようと動き、社長によれば、「住友は、戦後の2、3年(5年?)くらいまでやった(稼行した)」よう
だ。
この坑道の前のテラスでは、鉱業的に価値のある鉱物としては唯一「磁鉄鉱」が採集できるだけだ。
”鉱物標本”としては、20年くらい前には「最大でも1.5センチの小さな緑水晶」がズリの斜面に落ち
ていて採集ポイントになっていたこともあったが、もっと立派な緑水晶産地が発見され、忘れ去られて
しまった。
現在ではこの上の「べスブ石」産地から始まる甲武信鉱山採集ルートの休憩場所の1つで、「珪灰
石」、「磁鉄鉱」、「べスブ石」などを見せて、この産地が『スカルン(接触交代鉱床)』だということを
理解してもらうことにしている。
坑道があるのだが、急な雨降りの時の退避場所として使うくらいで、中で採集しようなどという気は
起きなかった。したがって、坑内の構造がどうなっていて深さがどれくらいあるのかも解らなかった。
この坑にまつわるエピソードとして、社長が飼っていた川上犬を連れて山に登った時、その飼い犬が
坑道に走り込んで竪穴に落ちてしまった。社長一人では助け出せなくて、通りかかった人の力も借り
て、枝の付いた木を竪穴に入れて梯子代わりにして、社長が穴の底から犬を救い出した。この話を
何度か聞いていたのだが、竪穴の深さなどは想像するだけで具体的なイメージはつかめなかった。
@ ズリ体積計算の元になる基礎数値の計測
A 坑道内寸法の計測
B 坑道断面積の計測
3.1 ズリ実測
まずは、坑道前のズリの寸法を実測してみた。2メートルのメジャーしかなかったので、長い距離は、
歩数で数え、私の歩幅85センチをかけて長さに換算した。
・ 谷の幅 38m(45歩)
・ ズリの幅 17m(20歩)
・ テラスの幅 1.75m(2〜1.5m)
・ ズリの深さ 0.5m(写真撮影)
・ ズリの長さ 155m(第1テラスとの標高差90m、水平距離125mから計算)
ズリの形状は、第2テラスを底辺とし、第1テラスを頂点とする四角錐の体積として計算でき、その量
は、1/2×ズリの幅×深さ×高さ = 1/2 × 17m × 0.5m × 155m ≒ 660m3
ズリの重さは、磁鉄鉱やザクロ石を含んでいるので石英より大きい比重(約4)を掛けると、660 ×
4 ≒ 2,640 トンになる。
3.2 抗道深さ実測
今回、坑道の全体像を把握するため、探査した。入坑してわかったことだが、坑道の壁に「5」、
とか「35」などの数字が白ペンキで書いてある。歩幅から計算した坑道入り口からの距離(m)に
近い数字なのでそれも利用した。
10mを過ぎると坑道は左45度に折れ、真っ暗になる。「35」の表示のところはやや広くなっていて、
坑道が1時、3時、9時の方向に分岐し、ここで鉱脈を見失って、アチコチの方向に試掘してみたよ
うだ。結局1時方向に掘り進んでいる。入り口から110mほどのところに縦抗(斜坑)が入り口方向
に開いている。
斜坑の奥は30度を越えそうな急斜面で、木製のハシゴがあるが今にも壊れそうだ。ザイルを持た
ない上に単独行なので、斜坑の入り口で引き返したがその深さは40mくらいありそうだ。社長の話で
は、「縦穴は行き止まりで、第1テラスの坑道にはつながっていない。底まで犬が落っこちた」らしい。
縦穴から18mも進むと坑道は行き止まりだ。
3.3 坑道断面積の実測
坑道入り口で、両手を広げた写真を撮ってみた。
身長5尺7寸(174センチ)の私がギリギリ屈(かが)まずに歩けるので高さは約2m、広げた両手
が坑道壁に着くかつかないかなので幅1.8m、断面積は、3.6m2となる。
坑道から掘り出して、「鉱石」として持ち去った鉱石があるはずだから、坑道の長さはこれよりも
長くなるはずで、183+α だ。
4.2 実測による坑道総延長
実測した結果は、おおよそ165mだ。斜坑の深さは、遠くからの目測と社長の話を総合して40
mと置いたので、165±β mだ。
今まで入口から少し入ってみた印象や社長の話から、坑道は長くても70〜80mだろうと思って
いたが、意外に深いのにはビックリした。
4.3 「MH理論」の検証
計算値 183 + α m
実測値 165 ± β m
オーダーとして間違ってはなさそうで、ズリの量から坑道の深さを推計できそうだ。
探査して『新産地発見!!』、となるのが理想だが、坑道内には方解石脈と風化しかかった
ザクロ石があっただけだった。
引き続き、アチコチの産地を記録に残しておこうと思う。
【蛇足】
ゲーテの著作に「地質学論集 鉱物編」がある。
『 私(ゲーテ)は五十年来この分野で孜々(しし:勤めて怠らないこと)として研究を続け、
いかなる山も高すぎることはなく、いかなる縦坑も深すぎることはなく、いかなる横抗も
低すぎることはなく、いかなる洞窟も迷路として恐れることはなかった 』
早く、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(1749-1832)の心境に至りたいと思いながらも、
”縦坑は入るに深すぎる” Mineralhunters だ。
5.2 長峰登山道と「第1松茸水晶ズリ」
戦後、川端下水晶坑の尾根の南・長峰(2,065m)に登る人たちが年に20〜30人4くらいは
いたらしい。その人たちは、第2テラスの前から南側の尾根に出て、「第1松茸水晶ズリ」を右に見
て、「第2松茸水晶」の尾根に出たらしい。
私の記憶でも、「第1松茸水晶ズリ」への最短ルートになっている踏み分け道は、2005年ごろに
できたもので、それ以前は人跡未踏の状態だった。
社長によれば、当時の「第1松茸水晶ズリ」は、地元で”ゴーロ”と呼ぶ、石が”ゴロゴロ”して雑草
が生え、木は白樺の類が何本か生えていて、耕される前の今と同じような風景だったらしい。
ここで、「松茸水晶」が採れることを発見したのは愛知県のKさんで20年前のことらしい。25年
近く昔、私がKさんを案内したとき、Kさんは「甲武信鉱山は初めて」と言っていたからそのあと一人
で来て、発見したようだ。