初日は、「蛍石」で有名な宝達山を訪れ、蛍石の自形結晶や大きな脈、そして「水晶」の逸品を採集して大満
足で小松市の温泉宿に宿泊した。
翌朝、いつもと同じ6時に起き、宿の広い庭と池の周りを妻と散策した。桜は前の週に降り続いた雨であらかた
散ってしまっていたが、新緑が美しかった。どこで鳴くのか、鶯が囀(さえず)っていた。
N夫妻の部屋を見るとすでに起きているようで、われわれの散策する姿を写真に収めてくれていた。
一周すると軽く汗ばみ、朝風呂で汗を流してヒゲも剃る。7時30分から朝食を”シッカリ”3膳もいただき、出発だ。
この日は、尾小屋鉱山金平坑で「紫水晶」探しだ。2年前の夏、孫娘一家と富山で『トロッコ列車』に乗った翌
日ここを訪れ、短時間で形の良い紫水晶を採っていた。
そこは、誰も手をつけていない場所だったので、N夫妻を案内することにしたのだが、2年ぶりなので荒らされ
車に戻ると雨は本降りだ。まだ、お昼前なのでこのまま帰る気にもなれない。かねてから訪れてみたいと思っ
ここは、金平金山(後に尾小屋鉱山金平坑)の一部で、古い坑道や鉱山施設が随所に残されている。
その後訪れる人も多く、盛んに掘り返された結果、Nさんが見てきたところによれば、「鉄塔の脚元が掘られて
明治維新後、金平集落が共同で採掘権を得て、住民が随意に採掘したため、この間に乱掘した旧坑は無数
金平鉱山は、石英粗面岩の裂罅(割れ目)を充たす含金銀石英脈で、金の品位は7〜10グラム/トンであった
ここでの採集方法は、次の3通りである。
@ 表面採集・・・・・・・「緑鉛鉱」の母岩付きや分離結晶はズリの表面を”舐める様に”見て周りながら採集する。
2003年、N夫妻に案内していただいたとき、N夫人が”ハイ、ありました”、と「緑鉛鉱」を
A ズリを掘る・・・・・・初めて案内して頂いた時には紫水晶がズリの表面に点々と見られたが、現在ではほとん
B パンニング・・・・・・表面は雨に洗われ綺麗なズリ石も一皮下は粘土質の土砂でドロドロに汚れていて、
最初ここを訪れた時、力に任せてバケツに水を入れてズリまで運び、ズリ石を洗いながら
今回、次のような鉱物の産出を確認できた。
(1) 紫水晶/石英【Amethyst/QUARTZ:SiO2】
(2) 緑鉛鉱【PYROMORPHITE:Pb5(PO4)3Cl】
パンニングすると10mm前後をを筆頭に、かなりの量の緑鉛鉱が採集できる。ズリでは目立たない”緑色”の
【後日談】
@ 準備するもの
A 手順
1) 洗い桶に水を張り、その中で塗り盆でパンニングする。
B 結果
C 選別・保管
(3) 方鉛鉱【GALENA:PbS】
青や緑そして白〜黄色の二次鉱物を伴って、「方鉛鉱」、「閃亜鉛鉱」そして「黄銅鉱」が石英の上に共生
Nさんが見せてくれた標本は、「黄銅鉱」の周りに酸化鉱物の「黒銅鉱」【TENORITE:CuO】が生成したもの
この産地は、「パンニング」ならまだまだ楽しめそうだが、「紫水晶」は厳しくなりつつあるようだ。
− 北陸ミネラル・ウオッチング行 -
( Sightseeing and Mineral Watching in Hokuriku Area , Summer 2013 )
ている懸念もないわけではなかった。
産地に入ると、「こんなところまで掘ってある!!」、のには驚いた。その上のズリは、一面耕された畑のように
なっていて、私が目をつけておいた場所は、何回か掘り返されて”ズリのまたズリ”になっている。悪い予感が
的中だ。
誰もやっていなそうなポイントを探してやってみるが「あったー!!」と叫ぶような”美晶”は出てこない。そのう
ち、”ポツリ、ポツリ”と雨粒が落ち始めた。いつものように、ズリの土砂を土嚢袋に入れ、担いで下山する。整備
された水路でパンニングすると、小さな紫水晶やきれいな緑鉛鉱を揺り分けて採集できた。
「こんなところまで掘ってある!!」 パンニングするN夫妻
ていた雪の研究で有名な中谷宇吉郎を記念した「雪の科学館」が近くにあるはずだ。Nさんがナビで調べてくれ、
30分くらいらしいので、そこに行くことにして、産地を後にした。
( 2015年4月 採集 )
2. 産地
ここは、こどもや女性でも簡単にアクセスでき、しかも人気の高い「紫水晶」が採集できる産地として、いろいろ
なHPなどに掲載されているので、詳細はそちらを参照してください。
竪坑跡 鋼索鉄塔
【2003年7月の様子】
いて、1本はむき出し状態」 らしい。
広い範囲に広がっているズリは掘り返され、一面耕された畑のようになっている。
畑のように耕されたズリ
【2015年4月】
3.産状と採集方法
「日本鉱山総覧」によれば、金平鉱山は金山として元禄(1700年頃)のころ発見され、加賀藩時代には、民営、
官(藩)営として大規模に稼行された。この時代に、鉱石を粉砕するのに使われた石でできた「搗き臼(つきうす)」
を過去に発見したこともある。その後、この一帯で土木工事が行われ、これらの産業遺物も散逸してしまったの
だろう。
「搗き臼」
【2003年観察】
にある。その後の鉱業権者は、富鉱に恵まれることがなかったが、昭和8年(1933年)ようやく金鉱194トン、銅
鉱4トンを産出し、準重要鉱山となった。
翌昭和9年(1934年)に減産し、その地位を失い、翌10年(1935年)金銀鉱725.4トン、銅鉱24.6トンを産出し、
再び準重要鉱山に返り咲いた。
「日本鉱産誌」によれば、尾小屋鉱山と合併し、その支山となったのが、産出量が激減した昭和9年(1934年)
であった。
が、金山の常として、下部は鉛・銅・亜鉛鉱、さらに銅鉱に移行していた。
分離結晶を採集するのには「ピンセット」あると便利。
拾い上げる姿を見て、「なんというオバハンや」、と驚嘆した。
それほどの”眼力”が何年経っても一向に育たないMHsとして、編み出したのが”奥の手
B” だ。
ど見られないので、紫水晶の良品を探すにはある程度ズリを掘る必要がありそうだ。
「緑鉛鉱」の母岩付きや単晶を見つけるのは難しい。
ズリの土砂を土嚢袋に入れ、川まで運び、川の中で泥を落として母岩付きを探し、残った
土砂をパンニングして緑鉛鉱の単晶(群晶)を採集する。
今回、N夫妻は、「パンニング皿」の上に「フルイ」を置く、『親亀小亀』作戦をとっていたが、
これも有効だ。
探したことがあったが、非能率なので1回で止めた。
4. 産出鉱物
ここの紫水晶は、全体に色が薄く、母岩の部分は濃い紫色だが先端では透明になっているのも珍しくない。
また、結晶の柱面が”キレイ”なものは少なく、柱面に小さな水晶が平行連晶のように成長した”子持ち水晶”
状になっているのが普通だ。
「紫水晶」
”緑鉛鉱”というくらいなので、神岡鉱山産のもののように”緑色”が普通だがここでは”灰白色〜緑色〜
褐色〜紫色”のものが産出する。ほとんどが”褐紫色”で、”緑色”のものは稀だ。
褐紫色 緑色
【ここでは、珍しい!】
「緑鉛鉱」
ものが意外にあるのに気づく。
この日は、降り始めた雨に追いかけられるように産地を後にしたので、現地では挟雑物を残した荒っぽい
パンニングしかできなかった。
帰宅後、『精密パンニング』で、揺り分けを行った。
・ 塗り盆(漆塗りのお盆)
・ 金網製お玉(目の大きさ 約1.5mm)
・ 〃 ( 〃 約0.5mm)
・ 洗い桶
準備するもの
【手順 3)が終わった状態】
2) 残った重鉱物を小さな目(0.5mm)のお玉に入れて洗い桶の水の中で振るう。
( 金網から漏れた微細なものは捨てる )
3) 塗り盆の上においた大きい目(1.5mm)のお玉に残った重鉱物を移し、洗い桶の水の中で振るう。
4) 新聞紙の上に広げた白い紙の上で乾燥させる。
塗り盆で揺りわけ
精密パンニングの結果、サイズ別に2つに分類できる。
0.5mm<サイズ≦1.5mm 1.5mm<サイズ
1.5mmの金網の目に残ったものの中から、径が太くて長いものや、頭が付いているものなど、『標本』
になり得るものを探し出す。
それ以外のものは、まとめて、「管ビン」や「丸ケース」あるいは「透明袋」に入れて保管する。
管ビン 丸ケース
保管方法
閃亜鉛鉱【SPHALERITE:ZnS】
黄銅鉱【CHALCOPYRITE:CuFeS2】
する標本が得られた。
ここでは、稼行対象となったこれらの鉱物が採集できるチャンスは多くはない。二次鉱物のうち、青いのは
青鉛鉱【LINARITE:PbCu(SO4)(OH)2】、緑色〜黄色は緑鉛鉱【PYROMORPHITE:Pb5(PO4)3Cl】
や孔雀石【MALACHITE:Cu2(CO3)(OH)2】、白いのは硫酸鉛鉱【ANGLESITE:PbSO4】と白鉛鉱【CERUSS
-ITE:PbCO3】だ。
だった。
方鉛鉱 閃亜鉛鉱
二次鉱物を伴う鉱石
5. おわりに
(1) 『49’s』
ズリを掘っていてなかなか出てこないと、つい口に出るのが、”49’s”(フォーティ・ナイナーズ)転じて、「掘っ
てもないなー」だ。原義は1948年にアメリカ・カルフォルニアで金が発見され、翌49年に一攫千金を夢見て押し
寄せた人々【49年組】を指す。
記憶に間違いがなければ、これを最初に使ったのは、15年ほど前のクリスタル・ワールドのカタログだったと
思う。ただ、”49’s”だったと記憶するが、”49ers”だったかも知れない。
6. 参考文献
1) 澤田 久雄編纂:日本鉱山総覧,日本書房,昭和15年
2) 石川県地方開発事務局編:石川縣地質図,同局,昭和26年
3) 石川県地方開発事務局編:石川縣地質鑛産誌,同局,昭和28年
4) 日本鉱産誌編纂委員会:日本鉱産誌 T−a 主として金属原料となる鉱石
東京地学協会,昭和30年
5) 加藤 昭:二次鉱物読本,関東鉱物同好会,2000年