夏の観光旅行・トロッコ列車 − 北陸ミネラル・ウオッチング行 -

             夏の観光旅行・トロッコ列車
            - 北陸ミネラル・ウオッチング行 -

1. はじめに

    2013年のGWに遊びに来た三男の嫁さんが「夏休みにトロッコ列車に乗ってみたい」、と
   言っていた。
    7月、3連休初日の昼過ぎに三男一家が帰省したが、富山県宇奈月でトロッコ列車に乗
   り、周辺の観光をすると一泊二日では無理で、休みの長い8月に訪れる計画にし、ところ
   どころにさりげなくミネラル・ウオッチングを挿入するのも忘れないMHだった。
    朝ユックリ9時に山梨を発ち、途中でフリマをのぞき、お昼ごろ白馬に着いた。道の駅で、
   昼食に食べた蕎麦(そば)が美味しく、さすが『信州信濃の(新)蕎麦』、と舌鼓を打った。
   同時に、妻の好きな山野草を買い、御機嫌を取り結ぶのも忘れないMHだった。

    14時過ぎ、越中宮崎駅近くの「ヒスイ海岸」に到着し、孫娘は海水浴デビューだ。孫娘を
   妻に預け、三男夫婦と私は『ヒスイ探し』だ。波打ち際を往復し、それらしい石を探す。三男
   が拾った中には、”これぞヒスイ!!”、と呼べるものがあり、”Mineralhunters Jr(ジュニア)”
   誕生だ。
    陽が傾き、海岸を後にし、魚津の寿司店で海の幸を堪能し、ホテルに投宿した。

    2日目、朝食を済ませて、宇奈月駅に向かう。思ったより早く着き、予約しておいた列車
   より1本前に変更し、乗り込む。やがて発車し、黒部渓谷沿いの絶景を眺めながら、ノンビ
   リと走る。沿線案内の声は、富山県出身の女優・室井 滋さんだ。
    1時間半ほどの乗車で欅平(けやきだいら)駅に到着だ。女性陣は足湯でまったりしてい
   る。私は女性陣の写真を撮ったり、次の記念写真の撮影ポイントを探す。
    昼時になり、レストランに入ろうとしたら、「1時間待ちです」と言われ、立ち食いそばの列
   に並ぶが、店の人が1人で切り盛りしているので遅いこと遅いこと。ようやく食べ終わると、
   帰りのトロッコ列車の発車時間が迫っている。
    行きしなに一度通った路線だが、見る方向が逆になると違った景色が見えてくる。妻や
   三男家族は疲れが出て、”爆睡”だ。
    この日は、石川県小松市のいつものホテルを予約してあった。黒部ICから北陸道を南下
   し、日本海に陽が沈むころ小松ICを出た。骨董店の看板が眼に入り、立ち寄ってみると、
   雑然とおいてある絵葉書の束の中に、私が生を享(う)けた中国吉林省敦化の絵葉書が
   あったので購入した。これも何かの縁なのだろう。
    ホテルについて汗を流したあと、階下のダイニングで夕食だ。日本海の海の幸、白山の
   山の幸をいただく。

    3日目、ホテルで朝食を済ませ、尾小屋鉱山金平坑でミネラル・ウオッチングだ。2010年
   ごろ、整地が行われ、地形が一変している。かつて、「紫水晶」や「緑鉛鉱」を産した斜面は
   大勢の人が訪れているらしく、頂上まで掘り返されている。
    人が掘っていない裏のズリで「紫水晶」の良品を採集し、土嚢袋にズリ石を詰めて持ち
   帰った。車に残った妻と孫娘は、整地されたズリの中から「紫水晶」の群晶を見つけ出し、
   ”Mineralhunters 3世” 誕生だ。
    ここで、MH農園のスイカを食べ、白山スーパー林道に入る。白山山地の山襞を縫うよう
   にスリリングな林道を走ると、万年雪を頂く氷河地形、深い渓谷、そして流れ落ちる数々の
   瀧が現われ、その度たびに車を停め、記念写真だ。
    林道最高地点(1450m)近い三方岩隧道を抜けると白川郷のある岐阜県白川村だ。村を
   縦貫する国道156号線は白川郷に向かう車で大渋滞だ。われわれは反対方向に進み、
   道の駅で昼食を摂り、併設の資料館で合掌造りのお勉強だ。
    2012年7月に『奥飛騨の赤い○○○』を求めてこの近くを訪れ惨敗し、9月にリベンジを
   果たしたのは既報の通りだ。

    ・ 奥飛騨の赤い○○○を訪ねて - Part 2 -
     ( Visiting Red ○○○ in Okuhida - Part 2 - , Gifu Pref. )

    このとき知りあったある方が、私が永年探し求めていたものを持っておられるとのことで
   拝見させていただいた。価格も折り合いが付き、購入が決まった段になって、この品は、
   証明書がないと売買できないことが明らかになり、発行され次第、品物を送っていただく
   ことにして白川村を後にした。

    東海北陸自動車道で、高山に抜け、上高地を通り、塩尻ICから中央高速に乗り、帰宅し
   たのは19時前だった。

    家族サービスのフリをして、シッカリとミネラル・ウオッチングを行程に組み込んでの観光
   旅行だったが、「 秋にもまた来てみたい 」、と好評だったようだ。
    それにもまして、息子や孫娘がMineralhuntersに負けないくらいの採集力があるのを知
   ったのも大きな収穫だった。
    次の10月連休はどこに行こうか、と思案中のMHだ。
   ( 2013年8月 訪問 )

2. 第一日目【日本海でヒスイ探し】

    皆が起き出す前に、家を出て、ファミレスで一人朝食を済ませ、骨董市をのぞき、帰宅し
   たころ、皆は朝食だった。
    9時に山梨を発ち、途中でフリマをのぞくと、古い郵趣品があったので購入。孫娘は売っ
   ているカブトムシやクワガタが欲しそうだったが長い道中になるので掴んでみるだけで諦
   めさせた。

     カブトムシを掴む孫娘

    再び中央道にのり、安曇野(旧豊科IC)で下りると夏休みのせいで渋滞だ。ナビで間道を
   探し進み、大町近くになると渋滞は解消していた。

    お昼ごろ白馬に着いた。道の駅のレストランに入り、蕎麦(そば)を注文した。さすが『信
   州信濃の(新)蕎麦』、とその美味しさに舌鼓を打った。この道中で何回か蕎麦を食べたの
   だが、ここのが一番だった。

     「ソバ定食」

    併設してある「野草園」に行き、主人に一昨年買って帰った「シラネアオイ」が二輪花を
   つけ、今は種が膨らんでいることを報告し、種まきの注意を聞いた。
    ( もっとも、このページを読んだ石友・Y農学士から懇切丁寧なアドバイスが届く筈だ )
    さらに、妻が欲しがっている「オオヤマレンゲ」と「サルナシ」の苗を買い、御機嫌を取り
   結ぶのも忘れないMHだった。

    白馬から日本海に向かって下って行くと、ズンズン気温が上がって行く。糸魚川、青海を
   経由して14時過ぎ、富山県越中宮崎駅近くの「ヒスイ海岸」に到着した。
    孫娘を水着に着替えさせ、波打ち際に連れて行く。海水浴デビューだ。旅行の前に、孫
   娘に「海の水は甘い、それともショッパイか?」、とたずねたところ、「甘い」、と答えていた
   ので、海の水をなめさせると、顔をしかめ海水の味を実感したようだ。
    三男の嫁さんは、初めてみる(!!)日本海に大はしゃぎだ。

       
        孫娘の海水浴デビュー              初めての日本海
                 越中宮崎「ヒスイ海岸」

    孫娘を妻に預け、三男夫婦と私は『ヒスイ探し』だ。同じように、ヒスイを探している何組か
   の人たちと出会う。どうやら、ベテランの人たちは採集用具が違うようで、長い棒の先に穴
   のあいたお玉を結えつけた自作の採集用具を持ったカップルもいた。
    われわれは、目と手足だけをたよりに、波打ち際を往復し、それらしい石を探す。三男
   が拾った中には、”これぞヒスイ!!”、と呼べるものがあり、”Mineralhunters Jr(ジュニア)”
   誕生だ。

       
           ベテランの採集姿              三男の採集品
                      「ヒスイ」採集
    陽が傾くころ海岸を後にし、今夜の宿のある魚津を目指す。黒部川の河口近くを渡ると、
   この上流に7月に訪れた「黒四ダム」あることを思い出し、明日乗るトロッコ列車は黒部川の
   渓谷沿いに走るのでいやがおうでも期待が高まる。

    魚津の町はいつも通り過ぎるだけで宿泊するのは初めてだ。地質学的に興味がある
   「埋没林」の博物館を見学したかったが、すでに閉館の時間を過ぎていた。寿司店で”きと
   きと”の海の幸を堪能し、いつも利用するチェーン店のホテルに投宿した。

         
             河口近くの黒部川             ウニを食べるわが家の”あまちゃん”

3. 第二日目【トロッコ列車に乗るぞ!!】

    2日目、6時に起きて入浴。早々と朝食を済ませて、宇奈月駅に向かう。思ったより早く
   着き、予約しておいた列車より1本前に変更し、乗り込む。やがて発車し、黒部渓谷沿いの
   絶景を眺めながら、ノンビリと列車は走る。
    沿線案内の声は、富山県出身の女優・室井 滋さんだ。現在、BSで再放送されている
   「純情きらり」では主人公・桜子のおば・磯役だ。
    宇奈月駅をでて、新山彦橋を渡ると山彦橋と宇奈月の温泉街が見える。

       山彦橋と宇奈月温泉街

    やがてヨーロッパの古城を思わせる新柳河原発電所が宇奈月湖のほとりに見えてくる。
   昔の絵葉書を見ると、柳河原発電所は宇奈月湖の底に沈んでいるようだ。

         
          ヨーロッパの古城!?        柳河原発電所
           新柳河原発電所         【古い絵葉書より】

    「猿専用吊り橋」を右手に見て、黒薙(くろなぎ)駅を過ぎると深い谷を列車は渡る。その
   恐ろしさに後に曳(ひ)いてしまうところから、ついた橋の名前が「後曳橋」だ。
    行きは、座席に背もたれがないオープン型の普通客車を予約しておいた。谷から深い緑
   を通して吹き上げる風は涼しく、トンネルに入ると肌寒さを感じるほどだ。

       オープン型普通客車のバーバと孫娘

    猫又(ねこまた)駅を過ぎると、右手に「黒部川第二発電所」が見えてくる。第二、第三が
   あっての「黒四」なのだ。
    鐘釣(かねつり)駅の手前から列車は黒部川の左岸を走るようになる。ここまでは、進行
   方向右側の席からの眺めが良いのだが、ここから偶々(たまたま)空いた左側の席に移動
   だ。
    谷からの雪崩(なだれ)で積もった雪が真夏の8月でも融けずに「万年雪」として残って
   いることから、半端な積雪量でないことが判るだろう。

         
             「黒部川第二発電所」            「黒部万年雪」

    鐘釣駅近くには、河原露天風呂があり、一度浴びてみたいのだが、今回はパスだ。1時
   間20分ほどの乗車で終点・欅平(けやきだいら)駅に到着だ。女性陣は足湯でまったりと
   している。
    私は女性陣の写真を撮ったり、次の記念写真の撮影ポイントを探す。

         
                 「足湯」                  「河原展望台」
                          欅平(けやきだいら)

    欅平には「ビジターセンター」があり、黒部峡谷の動植物、そして少しだが地学的な展示
   がある。それによると、黒部峡谷は、花崗岩からなる古い立山連峰の下から後立山連峰
   が隆起し、その境界近くが水で浸食され、峡谷になったようだ。
    「黒部川の水が青いのは、花崗岩の成分が水に溶けているため」、と来る列車の中で
   室井さんの解説があった通りだ。

         
             黒部峡谷の成り立ち                  花崗岩
                        「ビジターセンター」の地学展示

    昼時になり、レストランに入ろうとしたら、「1時間待ちです」と言われ、これでは帰りの列
   車に間に合わない。仕方なく、立ち食いそばの列に並ぶが、店の人が1人で切り盛りして
   いるので遅いこと遅いこと。ようやく食べ終わると、帰りのトロッコ列車の発車時間が迫っ
   ている。
    行きしなに一度通った路線だが、見る方向が逆になると違った景色が見えてくる。妻や
   三男家族は疲れが出て、”爆睡”だ。
    帰りは、窓や背もたれ、さらに自動ドアのついたリラックス客車(別料金525円)を予約して
   おいたが正解だった。

       ”爆睡”する孫娘

    15時過ぎに宇奈月駅に着いた。ここから越中宮崎の「ヒスイ海岸」と北陸道黒部ICまで、
   ほぼ同じ距離だ。「ヒスイ海岸」でもう一度採集も頭をよぎったが、今夜の宿・小松までの
   距離を考えギブアップした。

    黒部ICから北陸道を南下し、日本海に陽が沈むころ小松ICを出た。市街地に入る少し前
   骨董店の看板が眼に入り、引き寄せられるように立ち寄ってみた。
    いろいろな品物が雑然とおいてあり、絵葉書の束をパラパラとめくると満州関係のものが
   あり、それらの中に、私が生を享(う)けた中国吉林省敦化の絵葉書があった。
    母の話では、終戦のドサクサで写真は1枚も持ちかえることができなかったらしい。満州
   の写真といえば、実家に送っておいた両親の結婚式や新居での生活などを写した数枚が
   あるだけで、両親から聞いた敦化の街がどのようなのか知りたかったので購入した。
    ネットオークションなどで目にすることもない絵葉書を地方都市で入手できるのも何かの
   縁なのだろう。

         
               @敦化駅                       A牡丹江鉄橋

         
              B敦化城内                  C独立守備隊兵舎と「砲台山」

     @ 母が花嫁として降り立った敦化駅
     A 釣りが趣味だった父が通った牡丹江
        母が一緒に行くこともあり、”母が家鴨(あひる)を釣った”話が伝わっている。
     B 敦化駅の西側にあった城郭内の市街。
     C 「砲台山(ほうだいやま)」は父が終戦まで勤務した陸軍病院の近くにあり、
       敦化のシンボルになっていたので『敦化陸軍病院歌』にもうたわれている。

        ♪♪ 一、 砲台山の朝の風
                若き心に吹き入りて
                慈愛看護と保健をば
                心に自覚わが任務
                強く正しく 歩みゆく

            二、 仰ぐ勲の表忠塔
                小鳥も歌うわが丘は
                歴史に残るその昔
                わが同胞(はらから)が戦えり
                尊き血汐 染めし丘

            三、 内に仁慈の火は燃えて
                外は勇武の威を保ち
                勅命(みこと)かしこみわが守る
                胸は誉の深みどり
                ああ聖なりや わが使命     ♪♪

     この日は、石川県小松市のいつものホテルを予約してあった。ホテルに着いてシャワー
    を浴び、汗を流したあと、階下のダイニングで夕食だ。日本海の海の幸、白山の山の幸
    をいただく。
     満腹になり、適度なアルコールで眠たくなり、ベッドに入ると Zzzz・・・・・・・・。

3. 第三日目【孫娘と紫水晶探し】

    3日目、ホテルで朝食を済ませ、尾小屋鉱山金平坑に向かう。ここで、ミネラル・ウオッチ
   ングだ。
    2010年ごろ、整地作業が行われ、地形が一変している。かつて、「紫水晶」や「緑鉛鉱」
   を産した斜面は大勢の人が訪れているらしく、頂上まで掘り返されている。

       鉄索鉄柱【金平坑】

    人が掘っていない裏のズリで「紫水晶」の良品を採集した。10時までミネラル・ウオッチン
   グの約束を守るため、時計を見ながらズリ掘りを切り上げ、下山する際、いつものポイントで
   ズリの土砂を土嚢袋に詰めて持ち帰った。
    孫娘は、整地されたズリの中から「紫水晶」の群晶を見つけ出し、”Mineralhunters 3世”
   誕生だ。

         
            MH採集品                 孫娘・バーバ採集品
                      金平坑の紫水晶

    私が採集した紫水晶の形はどこかで見た水晶にそっくりだ。2013年6月と7月、長野県の
   鉱山跡で開催したミネラル・ウオッチングで観察した水晶にソックリなのだ。同じ金属鉱山
   なので、似たようなプロセスで成長したのだろうか。

       鉱山跡の水晶
 

     【後日談】
      土嚢袋に詰めて持ち帰ったズリの土砂は、いつもならズリ山の麓を流れる沢でパン
     ニングするのだが、今回はミネラル・ウオッチングの時間を短くし、観光旅行の比率を
     あげるため、そのまま持ち帰った。
      ( これが、家族に嫌われない秘訣 )

      後日、MH農園の水やりに行ったついでに、脇を流れる用水でパンニングしたところ、
     「緑鉛鉱」、「紫水晶」そして「白鉛鉱」などが確認できた。

       用水路でパンニング

    夏のミネラル・ウオッチングの定番、MH農園特産の無農薬スイカを食べる。今年は、暑
   さが厳しい分だけ甘味が強く、皮が薄い上に皮まで甘いのだ。

      
               夏のMWの定番
           無農薬スイカを食べる孫娘

    白山スーパー林道の中宮料金所を目指して走ると、道の駅「一向一揆の里」が目に入る。
   ハッキリ言って、一向一揆についてはほとんど何も知らないが、好奇心だけは人一倍強い
   ”Mineralhunters” のこと、休憩を兼ねて立ち寄ってみた。

    道の駅の隣に「白山市立鳥越一向一揆歴史館」があるので、妻たちが買い物をしている
   間に見学した。(入館料 300円 )

     『 加賀一向一揆終焉の地
        真宗本願寺門徒による加賀一向一揆は、長享(ちょうきょう)2年(1488年)、守護・
       富樫政親(まさちか)を倒して、「百姓の持ちたる国」をつくりあげた。亨禄(きょうろく)
       4年(1531年)、加賀の本願寺教団内部での主導権争いもあったが、天文15年
       (1546年)に金沢御堂が建てられ、織田、上杉、朝倉などの大名と肩を並べた。
        武士による天下統一を目指す織田信長にとって目障りな一向衆との間で、元亀
       元年(1570年)、石山合戦が起こる。
        加賀一向一揆のうち、平野部の一向衆は金沢御堂の陥落と共に衰退したが、鈴木
       出羽守を総大将とする山内(やまのうち)衆は最後まで抵抗し、攻め寄せる柴田軍
       をいく度も撃破した。
        しかし、天正8年(1580年)、鈴木出羽守を大将とする鳥越城は落城した。その後も、
       白山麓の門徒は、再三にわたり蜂起し、鳥越城の争奪を繰り返した。しかし、天正
       10年(1582年)3月1日、織田方によって300人余りが磔(はりつけ)になり、加賀一向
       一揆は終焉する。6月には、明智光秀の手で織田信長は本能寺に倒れた。     』

    戦後、一向一揆は革新的な人々によって高く評価され、その後も歴史学者によって研究
   がなされ、新たな解明がなされている。
    笠原 一男氏は、「一向一揆は、本願寺教団の坊主と武士門徒によって組織された農民
   門徒の下克上的覇権争いへの参加」、と定義している。
    作家の五木寛之氏は、「白山麓山内衆が、最後までひるむことなく果敢な抵抗を続けた。
   この一帯は、それほどまでに強い信仰を絆に村人たちが団結していた」、言っている。

    ”お上の言いなり”にならず、自治の為に血を流した人々がいたことを忘れてはならない。

    さて、「歴史館」の展示品の中に、『金板片』がある。平成6年、鳥越城本丸跡を発掘中に
   発見されたものだ。

      『金板片』

    大きさは、2cm×2cm、厚さ1〜2mmの小さなものだが、中世の城跡から金の板片が見
   つかったのは初めてらしい。
    本願寺の10代目法主・証如の「天文日記」によれば、天文5年(1536年)から、加賀より
   毎年金を石山本願寺に送っている。
    天文22年、証如上人の病気回復祝いとして、能登の門徒が「京目金」3枚を送っている。
    さらに、「上杉家文書」には、越後で金を商取引に使用していたことが記されている。

    小和田氏によれば、金が全国的に統一した貨幣的役割を果たすのは近世(徳川時)に
   なってからで、中世では室町時代まで、守護大名が自分の料地で採集した金を≪神社へ
   の奉弊物≫、≪寺院への奉加施物≫、≪一般的な流通の交換対象物≫、として使用され、
   ていた。
    16世紀ごろから、金・銀屋で砂金を吹き直し、【のし金】という延板(のべいた)にして、
   切り分けて目方(重さ)により商取引に使っていた。
    鳥越城本丸跡で発見された「金板片」には、刃物の切り傷がついていることから、吹き
   直した金の延板を切り分けた残りと推定されている。

    白山麓には、「金平」、という地名が現存し、中世から金が採集されている、とある。この
   「金平」、とは、この日の朝、立ち寄った「金平坑」のことだろうか。

    白山スーパー林道の存在は知っていたが、高い通行料(3,150円)を払って曲がりくねっ
   た未舗装の林道だろうと想像し、今まで利用したことがなかった。今回、初めて通ってみて
   イメージを一新した。

    ・ 通行料     7月〜8月は、”夏得(なっとく)!!”料金(片道)
               普通車    2,500円
               軽自動車  1,000円
    ・ 全長33.3km  全面舗装
               大型バスが交差できる。

    蛇谷川に沿って、白山産地の山襞を縫うようにスリリングな林道を走ると、「しりたか滝」
   が見えてくる。案内版を読むと、「・・・・加賀藩は、蛇谷川入口からここまでを、幕府の目を
   逃れるため、おとめ(御留)山にした(黒鉛採掘)。・・・・・」、とある。
    この近くに、黒鉛鉱山があったらしい。ただ、採集は厳しそうだ。

    さらに進むと、落差86mの「ふくべの大滝」だ。孫娘とバーバで記念撮影だ。

        
               「しりたか滝」              「ふくべの大滝」

    林道の最高地点(1450m)が近づいてくると、真っ白い雪をいただく白山の頂きが見えて
   くる。

      白山山頂【栂(とが)の木台から】

    三方岩隧道を抜けると白川郷のある岐阜県白川村だ。白川郷展望台からは、白川郷
   だけでなく、天生(あもう)金山に通じる天生峠、埋蔵金伝説のある「帰雲(かえりくも)山」
   そして遠くに北アルプスを望むことができる。

      白川郷展望台からの眺望

    村を縦貫する国道156号線は白川郷に向かう車で大渋滞だ。われわれは反対方向に
   進み、道の駅「白川郷」で昼食だ。
    「蕎麦定食」と「飛騨牛めし」を注文する。「飛騨牛めし」は、もち米飯に牛肉の旨味が滲
   みてお勧めだ。お持ち帰り用に、「飛騨牛めし」を買い足すほどだった。

        
               「蕎麦定食」                  「飛騨牛めし」

    お腹が一杯になると、併設の資料館「合掌ミュージアム」で合掌造りのお勉強だ。釘を
   使わず、縄(なわ)だけで丸太を固定する技には感服だ。

      合掌造り

    2012年7月に『奥飛騨の赤い○○○』を求めてこの近くを訪れ惨敗し、9月にリベンジを
   果たしたのは既報の通りだ。

    ・ 奥飛騨の赤い○○○を訪ねて - Part 2 -
     ( Visiting Red ○○○ in Okuhida - Part 2 - , Gifu Pref. )

    このとき知りあったある方が、私が永年探し求めていたものを持っておられるとのことで
   拝見させていただいた。
    品物をみて、家族からは、次のような反応があった。

    妻   「 こんなものに、○万円も出すの!! 」、といつものことだ。
    三男 「 良いんじゃない 」
    嫁   「 おとうさま、値引いてもらわないとダメですよ! 」、とシッカリしている。

    価格も折り合いが付き、購入が決まった段になって、この品は、証明書がないと売買
   できないことが判明した。証明書が発行され次第、品物と一緒に送っていただくことにした。
    気になっていた「かやのみソフト」を食べて白川郷を後にした。
    ( 黒いのは、「かやのみせんべい」 だ )

      かやのみソフト

    東海北陸自動車道で、高山に抜け、上高地を通り、塩尻ICから中央高速に乗り、帰宅し
   たのは19時前だった。

    家族サービスのフリをして、シッカリとミネラル・ウオッチングを行程に組み込んでの観光
   旅行だったが、好評だったようだ。
    それにもまして、息子や孫娘がMineralhuntersに負けないくらいの採集力があるのを知
   ったのも大きな収穫だった。
    次の10月連休はどこに行こうか、と思案中のMHだ。

5. おわりに

 5.1 秋立ちぬ
      2013年の夏は”異常”としか言いようがない暑さだった。私が住む甲府市では、8月
     10日に40.7℃を記録。歴代第4位だとかで、1位になれず残念という気持ちと、あまりの
     暑さにいい加減涼しくなって欲しい、という複雑な心境だった。35℃を超える猛暑日が
     16日も連続すると32、3℃の日は凌ぎやすく感じるから不思議なものだ。

      夏の盛りには、庭の梅の木や花ミズキに”ジージ”、と鳴くアブラゼミや”ミーン、ミーン”
     と泣くミンミンゼミが訪れ、一段と暑さを演出していたが、立秋過ぎから”ツクツクホーシ”、
     と鳴くツクツク法師の声が聞かれるようになり、最高気温が30℃を下回る日もでてきた。
      ツクツク法師の鳴き声は、「(夏の終わりが)ツクヅク惜しい」からきていると聞いたか
     読んだことがあるが、その通りだ。

      この夏を振り返ってみる。

    (1) 孫娘たちに追われ通し

         三男一家と入れ替わりに、長男一家が帰省した。どちらの孫娘も”ジージ、ジージ”
        と私を追い掛け、外ではアブラゼミが”ジージ、ジージ”と鳴き、五月蠅いほど忙しか
        った。

         自然観察や工作などが好きな理系の孫娘には、昆虫観察に連れて行ったり、
        トンボのメガネをこしらえたりして一緒に楽しんだ。

           
             国蝶「オオムラサキ」         トンボのメガネ

         今年から幼稚園に通うようになり、身体を動かすのが好きな体育系のもう一人
        の孫娘を「フルーツ公園」に連れて行った。ここには、幼児も遊べる滝や水溜まり
        をせせらぎでつなぎ、遊具も備えた「アクアアスレチック」がある。
         普段は家のプールで水遊びしている孫娘だが、自然に近い形での水の流れや
        大勢の子どもたちに気後れしていたようだったが慣れてきて、浮輪をつけて泳げる
        までになった。

         浮輪で泳ぐ孫娘

    (2) 水不足のMH農園
         2013年夏の甲府盆地の気象は、『高温少雨』だった。今朝の全国の天気図を
        見ても、北海道から沖縄まで多くの地点で雨のマークがついているのに山梨県
        周辺だけ「晴れ時々曇」マークだ。

         この夏の甲府市の平均気温と降水量のデータをまとめてみた。
         ( 甲府測候所(気象台)開設以来のデータが簡単に入手できる便利な時代に
           なったものだ )

気温
   月  6月  7月  8月 6月〜8月平均
過去10年平均(℃) 21.9 25.5 26.6    24.7
2013年平均(℃) 22.7 27.0 28.5    26.1
   差(℃) +0.8 +1.5 +1.9   +1.4
降水量
   月  6月  7月  8月 6月〜8月平均
過去10年平均(mm) 122.5 132.6 149.5   134.9
2013年平均(mm) 89.5 33.0 39    53.8
   比率  73%  25%  26%    41%

         関東甲信越地方の6月〜8月の平均気温は、例年に比べ”+1.1℃”、と新聞に
        あるが、甲府では+1.4℃、8月だけを見ると2℃近く高かったことになる。

         6月〜8月の降水量は、例年の41%と半分以下、7月、8月は例年の25%前後と、
        1/4しか降らなかった。

         『 日照りに飢饉なし 』、と古い諺にあるが、お米は全国的に平年作以上のでき
        のようだ。
         しかし、MH農園のスイカは強い日差しで”日焼け”や”玉割れ”を起こして、写真
        のようなありさまだった。それでも、ミネラル・ウオッチングの度に持参すると、食し
        た皆さんから「甘い!!」、と好評だった。

         農園のスイカ

         これだけ暑い日が続くと、心配なのは電気の使用料だ。読売新聞の川柳欄に
        電力料金にかかわるものが続けて載っていたのを読むと、皆さんも気がかりなよ
        うだ。

          肝試会めいて月末電気代    東京    高田 淳子
          エアコンが倍返しする電気代  我孫子   世 喜

         わが家のこの夏の電気使用量と料金をグラフにまとめてみた。6月は普段の月と
        同じくらいだったが、7月、8月と”ウナギ登り”で増え、2倍、3倍だ。まさに、”倍返し”
        だ。

         2013年夏 電気使用量推移

         原発のほとんどが停止している中、これだけの猛暑で家庭の電力使用量が増え、
        さらに生産活動も活発で事業所での電力使用量も増えているのに一向に”電力
        不足”の声が聞かれない。
         ”捏(ねつ)造された電力危機”だったのだろうか。

    (3) 『人生ふた山』目のスタートだ
         単身赴任から戻って半年近くになる。小中学生から大学生、そして一般の人々
        を案内してのミネラル・ウオッチングやその下見など、ボランティア活動の日々を
        送っている。
         そんな中、”久しぶりに”と、”とうとう”が巡ってきた。

         @ パソボラ(パソコン・ボランティア)
            障がいをお持ちの方がパソコンを使いこなせるようにお手伝いするパソコン・
           ボランティア(略して、パソボラ)を県から委嘱されたのは2007年春ごろだった。
            半年ほど活動し慣れたころ、千葉県の電子部品メーカーへ単身赴任する
           ことになった。それから、2013年3月まで、パソボラ活動は休眠状態だった。
            パソボラの研修会があるというので久しぶりに参加した。受講生の顔触れは
           大きく変わり、知った人はほとんどいなかったが講師の先生は同じだった。
            これから、機会があれば支援させていただく予定だ。

         A 町内会役員
            単身赴任から戻るとすぐに妻から、「来年(2014年)から、町内会の役員で
           すよ」、と引導を渡された。この地区の慣習で、2年間やるらしい。
            妻に誘われ、町内の様子を知っておこうと、孫娘と町内会の盆踊りに行って
           みることにした。
            そんな訳でこの日は忙しく、午前中三男一家を連れて東京にあるお墓参り
           行った。数日前に長男一家が墓参りしてくれたお蔭できれいになっていた。
           翌日から仕事がある三男を駅まで送り、とんぼ帰りで山梨に戻り、夕食の支
           度だ。
            お正月やお盆などに、満州仕込みの餃子を作るのがわが家の伝統だ。具に
           味噌とごま油を加えるのが”秘伝”の味だ。
            具を作るのは三男の嫁さんに任せ、孫娘も具を皮で包むのを手伝って覚え
           てくれた。

            夕食が終わるころ、近くの神社の境内から太鼓の音と盆踊り曲のレコードが
           聞こえてきたので、妻、孫娘と連れだってでかけてみた。私たち夫婦と同じよ
           うなシニア世代と孫と思しき子どもたちが多い。
            環境に順応しやすい私に似たのか、孫娘も踊の輪に入って見よう見まねで
           踊っていた。

               
                  餃子作り               町内会の盆踊り

            いろいろ面倒だといわれる町内会だが、ボランティアのつもりでやってみよ
           う。
                    

6. 参考文献

 1) 西田谷 功:加賀一向一揆 〜最後の砦、鳥越城と共に終焉〜,葛エ本確文堂,
                                            平成24年
 2) 黒部峡谷鉄道:黒部峡谷トロッコ列車 案内パンフレット,同社,2013年
 3) 白山林道石川管理事務所ほか:白山スーパー林道 案内パンフレット,同社,2013年
 4) 山梨市フルーツパーク株式会社:笛吹川フルーツ公園 案内パンフレット,同社,2013年


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