千葉県で石器拾い

               千葉県で石器拾い

1. 初めに

    2010年3月、千葉県の電子部品メーカーから招請いただき、技術コンサルタントとして赴任し
   て2ケ月が経とうとしている。

    千葉県に来て、ミネラル・ウオッチングよりも「骨董市」、「古書店」そして「切手店」巡りが多くな
   っている。
    2010年4月、とある骨董市を訪れると、「石器」や「勾玉」などの出土品を売っている店があった。
   店主との四方山話(よもやまばない)の中に、『千葉県の○○で、翡翠が出る』、と聞いた。「翡翠」
   は無理にしても、土器のカケラくらいはあるのではないかと、妻と2人で訪れた。

    畑のヘリをウロウロ歩き回り、農作業の人に「土器や石器は出ませんか?」、と尋ねても色よ
   い返事は返ってこない。しばらく、ウロウロしていると、車が止まり、降りてきた人が「土器や石器
   は向こうで出る」、とその場所に案内してくれた。
    そこには、『足の踏み場がないほど』の表現が決してオーバーではないほど、土器片が散らば
   っていた。
    ここは、縄文〜弥生〜古墳時代と長い年月古代人が生活を営んだ場所らしく、縄文土器や磨
   製石器などが観察できる。
    石器の材料は、チャートが80%以上を占め、長野県ではありふれていた「黒曜石」は少なく、「水
   晶」に至っては、全く観察できなかった。
    図らずも、千葉県の遺跡で観察した土器や石器を長野県のものと比較することができ、「石器
   拾い」を指導してくれた石友・小Yさんと千葉の産地を案内してくれたN氏に、厚く御礼申し上げる。
    ( 2010年5月 観察 )

2. 産地

    千葉県○○市の郊外で、ここの存在を知る地元の人も多いようだ。

3. 産状と採集方法

    畑を耕したときに掘り起こされた土が雨にあたったり、風に吹かれたりして、石器が表面に
   露出していることがある。採集方法は、表面から採集する、いわゆる”表採(ひょうさい)”だ。
    畑の表面を見ながら、くまなく歩き回ると”キラリ”、と輝く石器に出会えることがある。

        石器拾い風景

4. 採集標本

 4.1 石器に使われた鉱物と岩石
      長野県川上村と隣の南牧村で採集した石器に使われた鉱物・岩石については既にHPで
     報告した。

      ・水晶で作られた石器
       ( Stone Implement made from QUARTZ , Kawakami Village , Nagano Pref. )

      長野県では、地元特産で、旧石器時代に既に「全国ブランド」になっていた『黒曜石』が90%
     近くを占めていたが、千葉県では約15%と少なく、”貴重品”だったと思われる。
      千葉県では、「磨(すり)石」、「磨製石斧」そして「石棒」などが採集でき、それらの石材は
     その都度紹介する。

                               単位:ケ(%)
鉱物
岩石種
長野県千葉県 備     考
黒曜石 269(88%)20(15%) 質の良いものと悪いもの混在
大きなものは見当たらない
チャート22(7%)116(85%) 石器を採った残りの「石核」らしき
ものもある 
頁岩 13(4%)0(0%) 
瑪瑙(めのう)0(0%)0(0%) 
石英(水晶)3(1%)0(0%) 水晶は全く見当たらない
鉄石英0(0%)0(0%) 
合 計307(100%)136(100%) 

      写真に示すように、数では約15%の「黒曜石」だが、細かいものがほとんどで、重量だと10%
     以下だろう。

        石器に使われた石材

 4.2 採集した石器と土器
      今回、採集できた石器と土器の一部を紹介する。

  (1) 石鏃(せきぞく)
       俗に、”やじり”、と呼ばれ、弓矢の矢の先端に差し込み植物繊維で縛りつけたり、アス
      ファルトなどの接着剤で固定して使用した。
       ”飛び道具”の発明によって、狩猟生活の効率が飛躍的に向上したと思われる。

        石鏃(やじり)

       写真のものは、チャートで作られ、矢に接げる部分を持つ『有茎式』、と呼ばれるもので
      長野県で採集したものと形が違っているのも興味深い。

  (2) 磨製石斧
       磨製石斧は、木を切ったり、畑を耕すのに使われた、とされている。石材は、暗緑色で層
      状に割れやすいところから「千枚岩(Phyllite)」とでも表現すべきものだろう。

        石斧

  (3) 石棒
       石棒は、円形の断面で、もともとは長さがあったのだが、折れてしまっている。縄文中期
      〜後期の中部・関東地方では、男性器をかたどった石棒が、住居の入口・炉端・奥壁に立
      てられていた。
       石棒は土偶と同じように、意図的に壊されたり、焼かれたりしているものが多く、何らかの
      宗教儀式に使われたと考えられる。私が採集したのもその1つかも知れない。
       石材はチャートで、これだけ丸く加工するには膨大なエネルギーを必要としたはずだが、
      その見返り(子孫繁栄)効果も大きかったと言うことなのだろうか。

        石棒

  (4) 磨石(すりいし)
       植物質食料の粉砕・製粉に「石皿」とペアで「磨石」が使われた。旧石器時代には少なか
      ったが、縄文時代早期以降日本列島で多くの遺跡から見つかるようになり、特に縄文時代
      中期以降に多くなる。
       栗(クリ)やドングリなどの堅果類、クズやワラビなどの根茎類の粉砕・加工などに用いら
      れた。
       磨石には、表面が滑らかな「石英安山岩」系を使ったものと、多孔質でザラザラした感じ
      の「輝石安山岩」系を用途によって使い分けていたようだ。
       大きさも大小あり、手の大きさや、使いやすく小さくなるまで使い込んだ、と思われるもの
      もある。
        「磨石」か「磨製石斧」の一部か判断に苦しむものも数個採集できた。

        磨石

  (5) 縄文土器
       長野県川上村ではほとんど見ることができなかった縄文土器が多数採集できた。私にと
      って縄文土器の魅力は”素朴で力強さ”で、モダン・アートが足元にも及ばないエネルギー
      を感じる。
       その代表的な土器の周縁部を飾ったであろう部分の大きなカケラを採集できたので紹介
      する。

          
                人面?                    ??
                          縄文土器

  (6) お金
       この辺りは古くから人が住み、畑として耕作されてきたせいか、「お金」が落ちていた。長
      野県の石友・小Yさんの話では、江戸時代の金貨を拾ったこともあるらしい。
       左の100円硬貨は、現在でも使えるはずだ。

       
           100円      1銭
         昭和53年    大正11年

5. おわりに

 (1) 『 所変われば 』
      今回、千葉県で「石器拾い」を楽しむことができ、案内していただいた地元のN氏に、厚く御
     礼申し上げる。
      所変わっても、このように親切に案内していただける”人情”は変わらないのが嬉しい。

      案内していただいた遺跡は縄文時代以降のもので、長野県の旧石器時代のものよりも
     1万5千年以上新しいせいか、あるいは地方色があるのか、石鏃の形や縄文土器の文様など
     が違うようで、まさに「所変われば」の感を深くした。

      「磨製石斧」や「磨石」などに使われている石材の産地は茨城県や埼玉県だろうと推測し
     「黒曜石」は長野県産の特徴を備えている。広い範囲と交易があったことがうかがえ、「翡翠」
     もあながち夢ではなさそうだ。

6. 参考文献

 1) 柴田 秀賢、須藤 俊男:原色鉱物岩石検索図鑑,北隆館,昭和48年
 2) 戸沢 充則執筆:矢出川遺跡群,長野県考古学会 矢出川遺跡群保存委員会,1983年
 3) 柴田 直子他編:川上村先土器時代 −由井茂也先生に感謝をこめて−,同氏,1992年
 4) 相模原市立博物館編:相模原市立博物館 常設展示解説書,同館,平成8年
 5) 山梨県立考古博物館編:第23回特別展 縄文時代の暮らし 山の民と海の民
                     同館,2005年
 6) ミュージアムパーク茨城県自然博物館編:第44回企画展 ザ・ストーンワールド
                               −人と石の自然史−,同館,2008年
 7) 国立歴史民族博物館編:企画展示 縄文はいつからか!?,同館,2009年


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