その数日前に、あと1,000回くらいで100万回になるな、とは思っていたのだが、お盆休みの間の母親の介護を
どうするかで頭が一杯で、アクセス・カウンターどころではなかった。
ケア・マネージャーさんとも相談し、お盆休みの間は甲府の私の家で過ごしてもらうことにして、その受け入れ準備
や迎えに行ったりでテンヤワンヤだったのだ。
HPを立ち上げたのが1998年3月28日だったから、20年目に達成したことになる。『山高きがゆえに貴(たっと)から
ず。樹有るを以(もっ)て貴しと為(な)す 』。これは中国唐時代の詩文家・劉兎錫の言葉とされ、平安時代に成
立し、鎌倉時代に普及し、江戸時代の寺子屋の教科書として使われていた『実語教』にある。
これまでに閲覧した人々からの”毀誉褒貶(きよほうへん:ほめることと悪口を言うこと)”、中には「毀」(人を悪く
いうの意味)、「貶」(けなすの意味)もないわけではない。
それでも、このHPがなければ一生知り合うことがなかった国内外の人々(老若男女)と知り合うことができ、私の
人生を豊かにしてくれていることは紛れもない事実で、これからも更新を続ける決意を新たにした。
( 2017年8月 作成 )
Mar.28.'98 Home Page 開設
Dec.01.'99 カウンタ取付、掲示板にリンク。
Apr.08.'98 Home Page 全面改装
Apr.14.'98 Link 情報と標本追加。
Apr.15.'98 タイトルを電光掲示板方式に変更。
Apr.19.'98 mail宛名を入力しmailto機能使用可能。
Apr.22.'98 自己紹介追加と連絡先に勤務先追加。
Nov.01.'98 産地情報改装と転勤先追加。
Mar.14.'99 福島県矢塚の産地情報追加。
Apr.09.'00 技術士のページ追加。
Aug.15.'02 原因不明でカウンタがゼロ・クリア(約40,000→0)
アクセス・カウンターを取り付けたのは、HPを開設して1年8か月後の1999年12月だった。取り付けたというが、正確
には、PCが得意な愛知県の石友・Kさんが取り付けてくれたのだ。従って、この1年8ケ月の間の閲覧数はカウント
されていない。アクセス数を気にしていなかったことがお分かりいただけるだろう。
また、2002年8月15日には、カウンタの表示が”0”になってしまうというトラブルも発生した。この時は、約40,000
だったことを記憶していたので、「初期値設定機能」を使って復旧させた。
1993年に技術士の資格を取得したので、技術士の存在を少しでも多くの人に知っていただければと思い、「技術
士のページ」を追加したのは、HP開設後丸2年経った2000年4月だった。
これによって、現在もお付き合いいただいている千葉・Tさんはじめ、他社や他業種の技術士の方と知り合うことが
できた。
もともとこのページは私がミネラル・ウオッチングに行ったものの、目的の鉱物が採集できないどころか産地がどこか
判らずスゴスゴ引き返したことがあったので、同じような想いをした人がいるだろうと思い、産地とそこで採集できた
鉱物を紹介することから始めたものだった。
産地紹介の最初のページは、福島県塙町片貝字長久木だった。採集した鉱物を私の肉眼鑑定では緑簾石と
してあるが、斜灰簾石だとする人もいる。
・矢塚の緑簾石
(Epidote in Yatsuka,Fukushima Pref.)
長島乙吉・弘三親子の「日本希元素鉱物」を入手し、この産地が希元素鉱物の産地であることも知った。さらに
益富地学会館監修による 「日本の鉱物」を読むと、長島乙吉氏がここで採集し遺品となっている「ベスブ石」が
掲載してある。
・福島県塙町矢塚の鉱物
( Minerals of Yatsuka ,Hanawa Town , Fukushima Pref. )
このように、自分が読んだ文献や現地で会った古老などから聞きだした情報をもとに、産地の歴史やかつて産出
した鉱物なども追加するようにした。
これらのデータから、アクセス数の推移をグラフにまとめてみた。横軸にHP開設からの日数、縦軸に累積アクセス数
を示している。
6000日(約16年)ごろから伸びが鈍化している。これは、2013年ごろから産地の荒廃が叫ばれるようになり、立ち
入りが禁止になる産地が相次ぎ、”新(再発見)産地情報”を提供できる機会が少なくなり、これを期待していた
読者離れが起こったものと推測する。
これは、頻繁に更新し新しい情報を提供するとアクセス数は伸び、その逆もまた真、ということで、下の年間更新
回数を見ると裏付けられる。
HPに掲載した産地についてメールで問い合わせいただいた方々を産地に案内することも度々あった。それが
発展した形で年2回、全国の石友と1泊2日のミネラル・ウオッチングを開催している。
こうして、私がお付き合いいただいている、多くの友人が生まれた。
また、スペインの大学教授から産地情報と標本を欲しいという問い合わせがあり、送って差し上げたこともあっ
た。
HPを通じた国内外の人々との交流が私の人生をより豊かなものにしていることは間違いなく、お付き合いいた
だいている皆様には感謝している。
これからも、できるだけ新しい、あるいは世に知られていない情報を提供したいと思っている。