瑞芳鉱山

瑞芳鉱山

1.初めに

この冬は、例年になく雪が多く、3月になっても産地らしい産地に行けないので、
文献で産地情報や鉱山の歴史などを調べている有り様です。
そんな折、古書店で、日立鉱山が編纂した「鉱床学」全4巻を入手したところ、
「瑞芳鉱山の地質鉱床」とともに、手書きの「月別産金調」が付いていた。
この本は、現場で働いていた顔氏が仕事の合間にまとめ、昭和16年に、
基隆要塞司令部の検閲を得て発行した97部のうちの72番目で、貴重なものです。
これによると、瑞芳鉱山は金瓜石鉱山と並ぶ台湾の代表的な金鉱山だったようです。
(平成13年3月情報)

2.概要

瑞芳鉱山は基隆瑞芳街金瓜石をはじめとする諸坑と同じ鉱区にあり、東北地区の
金瓜石鉱山と共に、台湾の主要金鉱山だあった。

瑞芳鉱山【大正4年旧制中学教科書】
明治23年に、基隆川に鉄橋を架ける際、川底で砂金を発見し、上流に溯り、明治26年に、
九分山鉱床を発見した。明治29年に、藤田組が、台湾鉱第1号として開発し、
その後大正9年に、台陽鉱業(株)が継承し、この本が書かれるまではあったようです。
ここの金は、産金量の大半が、山金と呼ばれる、自然金であったことが特徴です。

3.鉱床

瑞芳鉱山の鉱床は、浅熱水性鉱脈群(Epithermal veins)に属するもので、
第3紀の石英安山岩内の裂け目や破砕帯を充填して生成したもので、九分鉱床と大粗鉱床に
分けられた。
脈石は、灰青色粘土、高陵土、含マンガン方解石や石英などであり、石英脈には
微細な水晶を形成していた。
随伴鉱物は、黄鉄鉱(5角十二面体で6面体は少なかった)、方鉛鉱、閃亜鉛鉱
(半透明飴色〜不透明黒色)、黄銅鉱や輝安鉱であった。輝安鉱の存在は、低温生成を
物語っている。
瑞芳鉱山の金鉱床は、鉱脈中に、レンズ状、ポケット状などで、富鉱帯が存在したことが
特徴である。富鉱帯中の自然金の多くは塊状、短冊状、樹枝状を呈し、時々
偏菱二十四面体の自形結晶を示した。大きな塊は、800gのものもあった。
自然金は、酸化帯では渇鉄鉱及び粘土の中に有り、硫化帯では方解石にあり、時々、水晶の
包嚢物(インクルージョン)として、黄金入り水晶もあった。
銀は15〜35%と低かった。

4.産金量

昭和12年1月から17年12月まで、毎月の金、銀の産出量を手書きでまとめてある。
押されているミトメ印から、村上氏がまとめたものと推察される。これによると、
昭和13年の年産1.7tをピークに、以降産出量は漸減しており、戦争や鉱脈の
貧鉱化などの影響と思われる。

瑞芳鉱山の産金量推移

5.おわりに

(1)7年ほど前、東南アジアへ出張の帰りに、台湾に立ち寄ったのですが、南部の
高雄市だけで、北部の金瓜石などを訪れる時間がなく、今でも残念に思っています。
是非、一度は行ってみたいと思っています。
(2)参考文献
顔 シ倉波;「瑞芳鉱山の地質鉱床」,1941年
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