台湾瑞芳鉱山-Part2-

台湾瑞芳鉱山-Part2-
1.初めに

以前入手した台湾瑞芳鉱山の産金量のデータから、この鉱山が非常に
大規模なものであったと推定できたのですが、稼働状況は分かりませんでした。
石友の古書店「常陸野」の顧客で台湾に住む現地の方が「台湾世紀回味」と
いう本を送ってくれたので、拝借した。
この本は、21世紀を迎えるにあたり、台湾の過去1世紀余りを振り返る
目的で編纂したもので、当然、台湾語で書かれています。
私は、北京語は分かるので、何とか意味は通じます。
すると、産業の章に、金瓜石鉱山が1ページ割いて紹介してあり、瑞芳一坑の
前での記念写真や1920年代の操業中の写真が掲載してありますので、ご紹介
致します。
(2001年7月情報)

2.台湾の鉱物

台湾の産物が「漫画年」と「台湾地方」のページに紹介されています。
主な鉱業産物は、金(砂金)、銀銅、硫黄、石炭、(石油、サンゴ、塩、樟脳)
などで、装飾石としては、「文石」があります。

漫画年「台湾産物」

3.金瓜石鉱山の位置と歴史

金瓜石鉱山は台湾の北東部に位置し、海岸にも近い。

金瓜石の位置
本書によれば、瑞芳金鉱の採掘権は、日本の藤田組が所有しており、1918年に
日本人の手を離れ「台陽鉱業株式会社」が成立した。

台陽鉱業株式会社の社旗(1930年代)

金瓜石鉱山(1920年代)
ここで、中国人による革新的な「包産至戸」と呼ばれる一種の請負いシステムを採用し、
1932年から1943年にかけて、「大著金」と呼ばれる産金ブームを巻き起こし、
「高級品は金瓜石へ、二級品は台北(首都)へ」と言われたほどであった。
瑞芳鉱山の賑わいの一端を示す1930年代の記念写真が有ります。

瑞芳一坑前記念写真(1930年代)
しかし、栄華を極めた瑞芳鉱山も一旦鉱脈が尽きると、蔓草が生い茂り、荒廃して
しまうのが鉱山の宿命です。
1987年に資源探査衛星が豊富な金の埋蔵を観測したと言われていますが、今では、
鉱業よりも観光業(これもコウギョウ?)で、生き延びるチャンスが到来しつつある
状況です。

金瓜石鉱山近影

4.おわりに

偶然入手した資料をキッカケに、色々な情報を知る事ができました。台湾を訪問したのは、
もう10年近くも前で、その時は、南部の高雄だけでした。
今度一度ユックリ鉱物採集で訪れてみたいと夢を持っています。
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