石川県小松市遊泉寺銅山の紫水晶

      石川県小松市遊泉寺銅山の紫水晶

1. 初めに

   今から20年も前、採集採集を始めて間もない頃、図鑑を見ていて「遊泉寺銅山の
  紫水晶」が眼に止まり、”冠(松茸)水晶”を思わせるその形と薄紫の上品な色が
  眼に焼きついている。
   それ以来、機会があれば産地を訪れ採集したいものと念じていた。
   石川県の石友・Yさんが精力的に遊泉寺の周辺を探査してくれ、水晶を産する
  我々の間で”呑兵衛谷”と呼ぶズリとその近くに露頭を発見してくれた。さらに
  名古屋・Sさん一家が紫水晶のズリを発見してくれた。
   今回の「加賀・能登の鉱物を訪ねて 第2弾」の締めくくりにそれらの場所を案内
  していただき、小さいながら綺麗な紫水晶と水晶の群晶を採集することができた。

     参加者一行【撮影:滋賀Oさん】

   遊泉寺銅山は大きな銅山だったらしく、竪坑跡、精錬所の煙道と煙突などの
  鉱山遺跡がアチコチに残っている。
   今回採集した遊泉寺銅山の紫水晶は、昔図鑑で見たものと違う気がする。
  図鑑で見たのと同じものが、いつの日にか採集できるように念じている。
   案内していただいた、YさんとSさん一家に厚く御礼申し上げます。
  (2003年7月採集)

2. 産地

   いろいろなHPなどに掲載されている産地だと思いますので、詳細はそちらを
  参照してください。

    銅山の入口右手には、「遊泉寺銅山跡遊歩道案内板」があり、銅山が稼行中の
   施設の配置などを知ることができ、ズリの探査に役立ちます。
    また、左手には、小松製作所(現コマツ)創立70周年を記念して平成3年(1991年)に
   建てられた「遊泉寺銅山跡記念碑」と「由来」を記した記念碑があります。

         
              案内板                     記念碑

    「由来」によれば、遊泉寺銅山の歴史は次の通りです。

    『 遊泉寺銅山は、文化4年(1807年)に創業、藩政時代には盛衰があったが
     当時は藩の有力な財源であった。明治に至って採掘権が、明治維新の志士
     土佐藩士 竹内綱(芳谷炭坑株式会社)に渡り、後に長男竹内明太郎氏
     (竹内鉱業株式会社)吉田茂元首相の実兄が当鉱業の経営に当った。
     氏の経営は当時の最先端をゆくもので、明治40年(1907年)には、鉱山から
     小松まで軽便鉄道を敷設し叉、採掘を人力より機械化するために、神子
     清水発電所を建設し、精煉方法も溶鉱炉に、さらに電気分銅所を設置し
     その規模を拡大した。大正5年(1916年)頃には、純銅を生産する鉱山として
     従業員も1,600人を数え、家族も合わせて5,000人が住み、病院、郵便局
     小学校、衣料や雑貨屋、魚屋、料理屋、質屋等軒をならべた鉱山町を
     現出した。
      明太郎氏機械工業の重要性にかんがみ、再度にわたり先進諸外国の
     実情をつぶさに視察、立ち遅れている機械工業の役割を認識し、遊泉寺
     銅山私設鉄工所として小松鉄工所を設置操業した。
                       ・・・・・・・・・・・・
       その後、鉱脈の不足や第一次世界大戦後の不況などのため、遊泉寺
     銅山は大正9年(1920年)閉山のやむなきに至った。』

3. 産状と採集方法

   「日本鉱産誌」によれば、遊泉寺銅山は石英粗面岩の中の鉱脈で、黄銅鉱、閃亜鉛鉱
  などを採掘した。1894年(明治27年)から3年間で894トンの銅鉱石(Cu4.18%)を採掘した
  とある。閉山後は、尾小屋鉱山岩淵支山となっていた時期もあるようです。
   広い範囲にレンガ造りの施設、選鉱場跡、坑道(試掘坑)などがあり、その周辺に
  ズリや時として紫水晶を含む露頭が見られます。

         
        精錬所煙突            試掘坑(?)
                 遊泉寺銅山遺跡

4. 産出鉱物

 (1)紫水晶【Amethyst:SiO2】
     ここの紫水晶は、金平鉱山と同じ”キャンドル”と呼ばれるものと、エッジのシャープな
   六角柱状結晶をしたものの2つのタイプがある。いずれにも、柱面には小さな紫水晶が族生し
   ”子持ち”状になっており、それぞれ味わいがある。

           
         ”キャンドル”            六角柱状
             紫水晶【いずれもクリーニング前】

 (2)黄銅鉱【Chalcopyrite:CuFeS2】
    水晶の母岩になっている石英脈の中に塊状で産し、各種鉱物の運搬役としての
   石英の存在が良く解る標本が採集できる。

     黄銅鉱

 (3)このほか、白い(透明)水晶は多いが、それ以外の鉱物種は極めて少ない。

5.おわりに 

 (1)建設機械で世界的に有名な小松製作所(現コマツ)が、遊泉寺銅山の私設鉄工所から
    スタートした、という事実を今回初めて知った。これは、日立製作所と日本鉱業
    (現ジャパンエナジー)なども同じ関係で、明治、大正期に鉱山は色々な産業を育てる
    揺り篭の役割を果たし、現在の日本の工業の発展につながっていることに思いを
    深くする。

 (2)いきなり、”我利我利”になって恐縮だが、”松茸(冠)”の産地を探したいと念じて
    います。

6.参考文献

1)石川県地方開発事務局編:石川縣地質鑛産誌,同局,昭和28年
2)石川県地方開発事務局編:石川縣地質図,同局,昭和26年
3)日本鉱産誌編纂委員会:日本鉱産誌 T−b  主として金属原料となる鉱石 銅・鉛・亜鉛
                 東京地学協会,昭和31年
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