山梨県下部町湯之奥金山博物館企画展-砂金学ノススメ-

山梨県下部町湯之奥金山博物館企画展-砂金学ノススメ-

1.初めに

 山梨県には、武田信玄の隠し金山がいくつもあったと伝えられ、それらの中で、
塩山市北方の「黒川金山」と並んで下部町の「湯之奥金山」は有名です。
どちらも最近学術調査がなされ、なぞの多い「隠し金山」のベールが少し剥がされ、
学術調査の成果を踏まえ「湯之奥金山博物館」が平成9年4月に完成し、
ジオラマ展示・古文書や石臼などの遺物展示や砂金採り体験を通じて、往時の模様を
学習できるようになっています。
 博物館の友の会があり、私も2003年度から加入し、会員へ送付される”博物館だより”で
開設6年目を迎え、「第6回企画展 砂金学ノススメ〜各地の砂金と採集具展〜」が
3/29〜5/11まで開催されていることを知り、早速訪れた。
 私のHPにも登場する人たちも開催に協力し、”砂金”に的を絞り、まとまった
展示になっており、5月連休に、ご家族連れで、訪れてはいかがでしょう。
(2003年4月訪問)

2.場所

山梨県下部町の温泉街の川を挟んだ反対側に、金色も眩しい建物があり、ここが
「湯之奥金山博物館」です。
「湯之奥金山博物館」

3. 「第6回企画展 砂金学ノススメ」

3.1 開催主旨
 企画展開催の背景と目的について、博物館の谷口館長は、「博物館だより」の中で
次のように述べています。
  『日本における、砂金による産金活動は、天平時代に始まったとされる。
   最近、金鉱石や砂金(自然金)を採集する人々が増えている。その目的は
   @アウトドアスポーツ
   A趣味
   B日本や海外の採集具を調査・研究・復旧そして実践 である。
   これらの努力が必ず金山史研究の基礎的データ蓄積につながる。』
3.2 企画展解説
   企画展の展示内容について、学芸員の小松美鈴さんが解説文を執筆しています
   ので、そのエッセンスに加筆してみました。
 (1)日本産金史の始まり
    749年(天平21年) 『続日本紀』によれば、陸奥國より始めて黄金を貢す。
    奈良の大仏造営で鍍金用黄金の不足を心配していた聖武天皇は、産金の知らせに
    喜び、年号を”天平感宝元年に改めたほどでした。
    この産金地は、陸奥國小田郡(現在の宮城県涌谷町黄金迫)とされている。
    私は、涌谷町に行ったことはありませんが、最近骨董市で「涌谷局」の消印が
    押されたハガキを入手した。
    これを見ると、行ったような気になるから、不思議です。
宮城・涌谷の消印【昭和3年8月26日】
 (2)古代産金地の開拓・変遷
    750年(天平感宝2年) 、駿河國多胡之浜(現在の田子の浦)から産金があり
    その後、下野(栃木県)、常陸(茨城県)、佐渡(新潟県)からも産金が
    あった。
    (下野國(栃木県)馬頭町については、私のHPを参照してください。)
    奈良〜平安時代にかけて、継続的に砂金が献上された。
    古代の産金は、ほとんどが陸奥國に集中し、その後、藤原清衡からおよそ100年間
    藤原4代にわたる奥州平泉文化が花開き、かのマルコポーロをして「黄金の国
    ジパング」と言わしめた。
    清衡62歳の時(1124年)に建立した中尊寺金色堂は、平泉黄金文化の栄華を
    象徴している。
 (3)戦国時代への移行〜武田氏最大領域内の金山〜
    室町時代に入ると、砂金の産出量は減り、一方では国内では戦国時代を迎え
    武器の購入・戦功に対する恩賞用として、また世界貿易が発展し、万国共通の
    決済手段として黄金の必要性は高まってきた。
    16世紀中ごろから鉱山開発が進み、砂金に変り鉱石から金を採るいわゆる
    山金(さんきん)採取が主流となった。
    この時期の金山として、武田氏領内の諸金山や佐渡鶴子銀山(後の相川金山)など
    がある。
    愛知県の津具鉱山には、武田信玄公(山梨では、呼び捨てにせず、必ず”公”の尊称を
    つける)が金を掘ったとされる、”信玄坑”(”コウ”違いです)があるほどで
    広範囲に金を採掘したことが分かります。
武田氏最大領域内の金山【博物館だよりから引用】

 (4)世界各地のゴールドラッシュ
    中南米ついで北米が新大陸として発見されると、各地で砂金が発見され、砂金を
    求めて大勢の人々が押し寄せる”ゴールド・ラッシュ”と呼ばれる黄金(狂?)
    時代を迎える。その主なものは
    1848年  カルフォルニアのシェラ・ネバダ
    1851年  オースリラリアのビクトリア洲バララット
    1896年  カナダのクロンダイク
    1899年  北海道枝幸町
 (5)砂金の形状から見る自然の不思議
    砂金の形に「枝状」、「葉形」などがあるが、これには、次の2つの自然力が
    働いている。
   @金の生成環境
    金の鉱床は、日本と外国(大陸)では次のような違いがある。
    日本・・・・火山活動と密接に関係し、地表に近いところで生成し、微細な粒子が
          多い。
    大陸・・・・数億〜数十億年まえに生成し、大きな金粒も稀ではない。
   A地形・河の流れなど生成後の自然環境
    岩石から分離したばかりの金は角張っているが、下流に流されるに従って丸みを
    帯び、海岸まで流されると「浜砂金」と呼ばれる微細なものになる。
 (6)北海道の産金
    1205年(元久2年)知内川で砂金を採集(?)した記録が最初で、1619年には
    5万人が砂金採集に押し寄せたと言われている。
    北海道の砂金採取は、1999年前後に黄金を求めて大勢の人々が押し寄せて
    ”東洋のクロンダイク”と呼ばれた時期がピークであった。
    1971年(昭和46年)、日本最後の砂金掘り師・辻 秀雄氏が廃業。
    それでも、北海道には、「砂金掘り」の文化が色濃く残り、地方自治体による
    「砂金採り大会」なども開催されている。
 (7)平成の「砂金掘り師」達が求めるのは?
    問「金を掘ったらいくらになるの?」
    答「お金にはなりません」
      現在、砂金採取のみで生計を立てている人は、皆無であろう。
      砂金掘りは、趣味やアウトドアスポーツとして楽しむ人が増えている。

    昔、北海道の砂金採集で生計が成り立った頃、腕の良い人で1日の採集量は
    6〜7分(約2.5g)であった、とされる。
    現在の金価格は、1g当たり1,400円程度であり、1日あたりの収入が3,500円
    となる。
    実際に砂金を採集して見れば分かるが、1日に8時間やって1g採集するのでさえ
    難しく、時給200円にも満たない。これではとても生活できず、”お金儲け”の
    ためにやっているのではないことが分かる。
 (8)砂金掘りのマナー
    砂金掘りは、川底を掘り返す作業であるため、地元の人々の反感や不信感を
    買いやすいという面があるのも事実である。
    その理由の1つに、単なる物欲から、とにかく量だけとることを考えている人が
    いることが挙げられる。
    産地の保護とマナーを考えて採集していかなければならない。
3.3 展示内容
   展示室は、入口から見て左半分が、日本はじめ世界各地の砂金の実物を展示し
   右半分に、採集具が展示してあります。

    世界各地の砂金       砂金採集具
          砂金学ノススメ展示

   土曜日の午後だったのですが、見学者は私たち家族3人だけと、静かな(寂しい)
  状態でした。
   東京都の青梅市内を流れる多摩川など、以外に身近な場所で砂金が採集できるのには
  流石・黄金の国ジパングと言うべきか、驚きます。

4.常設展示

  奥山家で所蔵していた「甲州金・大判・小判」などが博物館に供託され、常設展示
  されています。
  江戸時代の徳川幕府の貨幣制度の手本となったとされる甲州金の実物を目にする
  機会は、今まで殆どありませんでしたが、常時見られるのは、地元山梨県民として
  嬉しいことです。
奥山家所蔵金貨展示コーナ

5. おわりに

(1)地方の時代と言われながらも、地方の特色ある博物館などの施設を”経済的経営”
   という観点で見ると、その存在は厳しいものがあり、そのためには
   @施設自身が存在意義をアピールする。
    1)リピータを増やす。
      常設展示の模様替えは無論のこと、企画展や特別展示によって、リピータを
      増やす努力が必要でしょう。
    2)博物館のホームページも開設してあり、各種イベント情報などを入手したり
      申し込んだりできます。
      http://www2.town.shimobe.yamanashi.jp/kinzan/
    3)博物館では、「世界遺産」登録に向けての署名活動を行っている。
      同様な鉱山遺跡をもつ自治体として、石見銀山のあった島根県大森町が
      既に、世界遺産登録に向けての動きで、一歩先んじています。
   A一般市民の応援
    1)「博物館友の会」が結成されており、私は2003年度は個人会員でしたが
      今年度は、家族が増えたので家族会員になった。
      ・年会費
       個人  1,000円
       家族  2,000円
      ・会員特典
       @一般展示無料
       A博物館行事への参加
       B博物館発行資料の割引購入
        などがあります。
(2)展示会を見たら、甲府地方は32℃という真夏の陽気にも誘われ、無性に砂金を
   採集したくなり、いつもの場所に行きパンニングしていると、神奈川県平塚市に
   住むという兄(小6)と妹(小3)が父親に連れられて、砂金採集に来た。
   今まで、何回か来たが、1ケも採れなかったと言うので、昨年8月に石友の
   東京都のOさん直伝のパンニング技術を指導(?)した。
   ”少年恐るべし”
   あっという間に、腕を上げ、5mmクラスを数個瞬く間に採集して、兄妹とも
   喜々として引き上げて行った。

     砂金産地           採集した砂金
             下部川の砂金

   「彼らは、この日のことを何時まで、憶えていてくれるのだろうか?」

6.参考文献

1)谷口 一夫:第6回企画展開催にあたって-湯之奥金山資料館だより-,同館,2003年
2)小松 美鈴:砂金学ノススメ-湯之奥金山資料館だより-,同館,2003年
3)矢野 牧夫:黄金郷への旅-北の砂金物語-,北海道新聞社,1988年
4)山陰中央新報社編:輝き再び石見銀山 世界遺産への道, 山陰中央新報社,1988年
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