北陸新幹線開業記念 北陸の古典的産地でミネラル・ウオッチング初め 石川県加賀市『中谷 宇吉郎 雪の科学館』











                     北陸新幹線開業記念
              北陸の古典的産地でミネラル・ウオッチング初め

        石川県加賀市 『中谷 宇吉郎 雪の科学館』

1. はじめに

    私は、国内外の見知らぬ土地に行くと、そこにある自然史系の博物館や美術館などを訪れるのを楽しみにして
   いる。
    2015年1月から2月にかけて、念願だった南極でのミネラル・ウオッチングを楽しんだ。南極の鉱物の主役の
   一つは、降った雪が長い歳月をかけて押し固まった六方晶系の鉱物である氷【ICE:H2O】だった。氷が作り出す
   天空ショーの不思議さに驚かされたり、南極氷で作ったウイスキーのオン・ザ・ロックの香りや喉越しまで堪能し、
   目だけではなく、五感をフル動員して『南極』を実感してきた。

    ・  古希記念 南極ミネラル・ウオッチング
     2015年 南極探検旅行 【南極の水晶】
     ( Mineral Watching in Antarctica
      Antarctica Expedition 2015 , - QUARTZ from Antarctica - )

    ・  古希記念 南極ミネラル・ウオッチング
     2015年 南極探検旅行 【氷がつくる天空ショー】
     ( Mineral Watching in Antarctica
      Antarctica Expedition 2015 , - Fantasy by ICE - )

    考えてみれば、2015年になって4ケ月も経つのに『2015年採集初め』をしていないのだ。この春北陸新幹線が
   開業したこともあり、両者の中間地点の北陸でのミネラル・ウオッチングに『2014年採集納め』をご一緒した兵庫
   県の石友・N夫妻をお誘いした。

    初日は、「蛍石」で有名な宝達山を訪れ、蛍石の自形結晶や大きな脈、そして「水晶」の逸品を採集して大満
   足し、夜は小松市の”隠れ家”のような温泉宿で疲れを癒した。
    2日目は、「尾小屋鉱山金平坑」跡で人気が高い「紫水晶」を探していたが、昼前から雨が降り出し、撤収した。

    雨などで早く引き上げるときのコンテンジェンシー・プランとして考えておいたのが、お隣の加賀市にある『雪の
   科学館』見学だった。『雪は天から送られた手紙である』、という有名な言葉を残した雪の研究者・中谷宇吉郎
   (なかや うきちろう)を記念して、生誕地に建てられたものだ。

     
              中谷 宇吉郎

    館内には、博士の生涯・人柄・研究機材と成果が展示してあり、それらがふんだんに映像をつかい理解しやす
   いようになっている。何よりも、学芸員が演じる実験を通じて、雪や氷のでき方を目の前で観察したり、それらを
   手指でさわってみて体感できるのは、こどもたちばかりでなくわたしたち大人にとっても新鮮な驚きの連続だっ
   た。
    理系の孫娘を北陸に連れて行く格好の理由ができた、とほくそ笑むジージだった。
    ( 2015年4月訪問 5月報告 )
   

2. 場所

    車だと北陸道「片山津IC」から5分、小松空港から15分の近さだ。「金平坑」から下道を走って、30分で着く。
   ただし、駅からはバスだと55分かかり、アクセスは良くないようだ。
    「雪の科学館」から少し離れたところに、中谷宇吉郎の生家やお墓もある。

       
                 アクセスマップ                      柴山潟の畔、遠く白山を望む
                          【「雪の科学館」パンフレットより引用】

    博物館に入るには、駐車場から下の図の左上にあるアプローチの斜面をのぼり、展示棟への架け橋の端立つ
   と雪の結晶をイメージした六角塔3つの2階建物が見え、晴れた日にはその後に白山を望むことができる。橋を
   渡って、入口(2F)から入るのが正規のルートらしい。
    わたしたちは、入り口が良くわからず、1階にある”足の不自由な方の出入口”から入ってしまい、エレベータで
   2階の受付に行ってしまったが、全員「前期高齢者」なので、別段とがめられることもなく、逆に”どーぞ、どーぞ”
   と言われる有様だった。

    
                  「雪の科学館」全体構成
               【「雪の科学館」パンフレットに加筆】

    開館時間: 9:00〜17:00 (入館は16:30まで)
    休館日  : 毎週水曜日(祝日は開館)
           (GW,年末年始など 0761-75-3323 に問い合わせ)
    入館料  : 一般・大学生           500円
            高齢者(75歳以上)        250円
            高校生以下および障がい者  無料

    受付で入館料を払って、入館券の半券を貰い、1階に移動だ。

    
                         入館券

3. 展示内容

    「雪の科学館」の特色は、中谷 宇吉郎博士の生涯・人柄・研究機材と成果が展示してあり、それらがふんだ
   んに映像をつかい理解しやすいようになっている。何よりも、学芸員が演じる実験に参加することで、雪や氷の
   でき方を目の前で観察したり、それらを手指でさわってみて体感できることだろう。

    本館の展示は、次のようになっている。

     
                    展示配置図(2階/1階)
             【「雪の科学館」パンフレットより引用】

 3.1 1階展示概要
     1階の展示は、建物の上から見て反時計(左)回りに5つのゾーンから構成されている。

  (1) 宇吉郎の「ひととなり」ゾーン
       『雪は天から送られた手紙である』、という詩のような言葉を残した地元加賀市片山津出身の中谷 宇吉
      郎の生涯とひととなり、科学、芸術、生活、そして人や自然との出会いなどについて紹介。

     
                    「ひととなり」ゾーン
               【「雪の科学館」パンフレットより引用】

       宇吉郎は、明治33年(1900年)に生まれる。大正11年(1922年)東京帝国大学理学部に入学、寺田寅彦
      の指導を受けたのが機縁で実験物理学に進む。大正15年(1925年)大学を卒業、理化学研究所の寺田研
      究室の助手になる。
       昭和2年(1927年)結婚、昭和3年(1928年)〜昭和5年(1930年)イギリスに単身留学。この間、夫人が
      病死。
       昭和5年(1930年)北大理学部助教授として札幌に赴任。昭和5年(1932年)教授に昇任。雪の結晶の研
      究を開始する。昭和8年(1933年)十勝岳の山小屋白銀荘で天然雪の観測を開始する。昭和10年(19353
      年)北大に常時低温研究室の建築が落成、昭和11年(1936年)3月12日、人工雪の製作に成功する。
       2年間の病気療養。昭和13年(1938年)最初の随筆集『冬の華』と『雪』が出版される。昭和14年(1939年)
      製作指導した東宝文化映画「Snow Crystals」が完成。昭和16年(1941年)『雪に関する研究』で、帝国学
      土院賞が授与される。北大低温科学研究所が発足。太平洋戦争開戦。
       昭和20年(1945年)終戦。昭和24年(1949年)3ヶ月間アメリカとカナダへ出張。昭和27年(1952年)アメリ
      カの雪氷永久凍土研究所(SIPRE)の主任研究員となり、2年間、家族とともにシカゴに住む。アラスカの氷
      河の単結晶氷を使って、チンダル像と氷の力学的変形の研究を行う。
       昭和29年(1954年)ハーバード大学から『Snow Crystals, natural and artificial』が出版される。
       昭和31年(1956年)ハワイ島のマウナ・ロア山頂で雪の結晶の観測を行う。
       昭和32年(1957年)アメリカの国際地球観測年の遠征隊に参加し,初めてグリーンランドへ行く。その後、
      毎年夏の1〜2ヶ月、北緯78°の観測所サイト2で、氷冠の雪氷研究を続ける。
       昭和34年(1959年)北極海の氷島T-3を視察。昭和35年(1960年)還暦。アラスカのメンデンホール氷河
      を視察。イギリス南極地名命名委員会が南極半島沿いの小群島に「ナカヤアイランズ」と命名。
       昭和37年(1962年)死去(享年61歳)。

       このゾーンで心惹(ひ)かれたのは、雪の結晶・『雪華図』を描く2品だった。『雪華図』で有名なのは、
      下総(現茨城県)古河藩主・土井利位(としつら)の『雪華図説』で、2008年には、これについてまとめてお
      いた。さらに、2010年は、古河歴史博物館を訪れた結果にについてもまとめておいた。
       今回の「中谷 宇吉郎 雪の科学館」の訪問は、この延長線上にあるもので、7年ぶりに念願が叶ったと
      もいえる。

      ・雪の結晶 『雪華図説』
       ( Snow Crystal "Sekkazusetsu" , Yachiyo City , Chiba Pref. )

      ・雪の結晶 『雪華図説』 その2 −古河歴史博物館−
       ( Snow Crystal "Sekkazusetsu" Part2
                    Koga City Museum of History , Koga City , Ibaraki Pref. )

       【閑話休題】
       ひとつは、「雪花之図」と題する掛け軸だ。有名な『雪は天から送られた手紙である』の一行に雪の結晶
      図を散らした宇吉郎自筆のものだ。
       もう一つは、昭和16年、宇吉郎に帝国学土院賞が授与されたときに、親族一同が贈った雪華を散らした
      文箱(ふばこ)だ。

          
               雪華図を散らした「文箱」           「雪花之図」掛け軸

  (2) 「雪の結晶」ゾーン
       宇吉郎が撮影した雪の結晶の白黒写真が展示してあり、その脇には近年撮影したと思われる雪の結晶
      の拡大写真がバックライトを浴びて壁一面に飾られている。その美しさには、思わず息を呑む。さらに、結晶
      の一つ一つが形が違い、中には12角形を思わせる結晶や”鼓(つづみ)”のような”立体形”もあり、興味は
      尽きない。

                                        
          
          雪の結晶一般分類図を描く絵葉書                  雪の結晶写真

       ここには、宇吉郎が人工雪を作った実験装置も展示してある。

       
       人工雪製作装置

  (3) 「氷の結晶」ゾーン
       アメリカの研究所で行ったアラスカ氷河の氷を使ったチンダル像や氷の変形などの研究成果を紹介。
       氷河の氷のように結晶方向がそろった氷に強い光が当ったときに、内部のごくごく小さなゴミや氷の構造
      の弱い部分からとけだして、雪の結晶の枝が6方向に成長するように、氷の結晶の6つの方向にそって溶
      けていく。こうしてできた像を、この現象を発見したイギリスの科学者チンダル(1820-1893)の名をとって、
      「チンダル像」と呼ぶ。
       鉱物でいえば、『負晶(ふしょう)』に相当するものだろう。(氷も立派な鉱物だが・・・・)

       
             「チンダル像」

      【後日談】
      蔵書の中に、宇吉郎がアラスカの氷について研究した結果を載せている本があったことを思い出して探して
     みた。「科学の方法」というタイトルから想像する方法論を述べたものではなく、『現代の自然科学の本質』は
     何かを説いている。この本を読んでいたのは、世の中は”STAP細胞騒ぎ”の最中だった。

      この本の中に、アラスカの氷の単結晶に荷重を加え変形させた実験とその結果があり、これをみると、”氷
     は鉱物だ”ということが理解できる。

          
               氷の単結晶標本                     変形結果
                            【「科学の方法」より引用】

  (4) 「グリーンランドとハワイ」ゾーン
       宇吉郎の研究フィールドは、ハワイやグリーンランドなど世界各地に広がっていく。行く先々で雪や氷の
      研究だけでなく、岩石や溶岩なども採集・観察し、それらが展示してある。
       火山活動が盛んなハワイ島のマウナ・ロア山(標高4,169m)の溶岩を「古備前焼の壺」に見立てて並べ
      て展示してある。

       
                    マウナ・ロアの溶岩と「古備前焼の壺」

       グリーンランドの岩石も展示してある。これらの石はモレーン(堆石あるいは氷堆石)と呼ぶ、氷河が谷を
      削りながら時間をかけて流れる時、削り取られた岩石・岩屑や土砂などが土手のように堆積した地形から
      採集されたもので、表面にこすり傷があるのが特徴だ。

       
                       グリーンランドの岩石

  (5) 「世界の中の宇吉郎」ゾーン
       宇吉郎の研究成果は世界中の研究者から評価され、国際雪氷委員会の副委員長を務めた。世界の学
      会での活躍と交流を紹介。

 3.2 『雪と氷の実験観察』
      「雪の科学館」の特色の一つは、雪と氷の実験観察に見学者が参加できることだろう。われわれが見学し
     ていると、学芸員から「まもなく、実験観察が始まります」と案内があり、こども4人、大人が10人くらいが集ま
     った。

      1) 人工「ダイヤモンド・ダスト」
          ダイヤモンド・ダストは北海道などの寒冷地では見られるが、それを人工的にこしらえようとい試みだ。
         上に開閉扉がついた四角い冷凍庫(おおよそ40×60cm×深さ60cm)の中をカメラで写し、モニターで
         観察できるようになっている。冷凍庫の温度は、一番低い底でマイナス30℃くらいだ。
          モニターには細かい霧のようなものが映っているだけだ。冷凍庫の中の水分を増やすため息を2、3
         回吹き込んでおいて、”プチプチ”を一つ破裂させると、一瞬にして霧が氷の結晶に変化して、”キラキ
         ラ”と輝きだす。ダイヤモンド・ダストの誕生だ。その鮮やかな変身ぶりに思わず”スゴイ!!”と唸(う
         な)ってしまった。

          
                 「ダイヤモンド・ダスト」実験
              【「雪の科学館」パンフレットより引用】

      2) 「過冷却水でシャーペット氷つくり」
          「水は”必ず"0℃を境にして水←→氷に変化する」、と思い込んでいた。しかし、零度以下の水、いわ
         ゆる「過冷却水」があることを初めて知った。ペットボトルに入れた水をユックリ冷やしていくと氷点下に
         なっても凍らない「過冷却水」ができる。
          ペットボトルに7分目くらい入った過冷却水を元気な小学生男児が勢いよく振ると、中の水はシャー
         ベット状の氷に変身した。

          受け皿の上にフイルムケース大の氷の塊を置いて、その上に漏斗(ろうと)のようなものから過冷却
         水を注ぐと、氷の上にシャーベット状の氷が筍(たけのこ)のように成長する。全員に触らせてくれたが、
         指で挟むと簡単につぶれてしまう軟らかさだ。

          
         「過冷却水でシャーペット氷つくり」実験

         【道草】
         あれは、2014年の暮れだった。正確には、撮っておいた写真のデータから、2014年12月26日の9時
        18分だった。孫娘たちの帰省を控え、家の周りをすこしばかりきれいにしておこうと庭に出た。気温はそ
        れほど寒くないので氷点下ではなかったはずだ。
         水道の蛇口の下においてあるバケツに氷が張っていたのでそれを割ってみると、水の中にはクリーニ
        ングの仕上げに漬けておいた母岩付き水晶があった。
         母岩をバケツの水の中から出してみると薄い樹枝状の「氷の結晶」がついていた。もう一度、水に漬け
        て引き上げると、別な場所に形の違う「氷の結晶」ができていた。面白いので、何回か繰り返して、気に
        入った氷の結晶の写真を2枚ほど撮って置いたのだった。

          
                        「氷の結晶」

         このときは、気温が氷点下でもないのに、なぜ氷ができるのか、その理由が自分でも説明できず、
        ”モヤモヤ”したままだった。

         北陸のミネラル・ウオッチングから帰宅後、甲府気象台のデータベースにアクセスして、念のため当日
        の気温を調べて、グラフにしてみた。

          
                        この日の気温推移

         日付が変わるころ氷点下になり、午前6時ごろ下げ止まり、7時過ぎから上昇し始め、9時過ぎにはプラ
        スになっていた。この日の気温が急激に上昇していることからも判るように快晴で陽当たりの良いわが
        家の気温はこれよりも高かったと思われる。

         これらの事実から、バケツの中の水が「過冷却水」状態にあり、母岩を水の中から出す瞬間に氷が成
        長したものと考えられる。
         4ケ月ぶりに、気になっていた問題が一つ解決したことになりそうだ。

         【閑話休題】

      3) 「シャボン玉液膜で氷の結晶づくり」
          直径20cmくらいの輪にシャボン玉液を張り、冷凍庫に入れるとみるみる内に氷の結晶が成長して
         くる。こどもたちが、シャボン指を触れると、その部分だけ氷が溶けて、”丸い穴”があく。

      このほか、「雪のペンダントづくり」などをこどもたちが楽しんでいた。「雪の科学館」のパンフレットによれば、
     「人工雪」や「チンダル像」の実験観察などを行うこともあるようだ。

 3.3 中庭『グリーンランド氷河の原』
      1階の東側、大きなガラス越しに外の景色が見える。大小の石を敷き詰めた原っぱに水蒸気が”モウモウ”
     と立ち昇っている。

      ここは、霧の芸術家として活躍している宇吉郎の次女・中谷芙二子さんが修景した『グリーンランド氷河の
     原』だ。グリーンランドの北緯78度の極地にある氷河のモレーンの石を60トンも運んで敷き詰めたものだ。風
     に舞う「人工霧」が北の便りを届けてくれる。
      ここで、訪館の記念写真だ。モレーンの石の観察に余念のないMHだ。

         
               訪館記念写真                  グリーンランド氷河の石
               【撮影:Nさん】

      この奥には、加賀珈琲やスィーツセットそしてオリジナルドリンクなどが楽しめるティ・ルーム『冬の華』があ
     る。

 3.4 2階『映像ホール』
      2階には、映像ホールがあり、ほぼ1時間おきに、「科学する心-中谷宇吉郎の世界」(25分)を上映してい
     るが、残念ながら空腹には勝てず、われわれはパスだった。
      受付の脇には、ミュージアムショップがあり、宇吉郎の著書や雪の結晶の絵葉書、便箋そしてアクセサリー
     などを販売している。
      お土産に絵葉書セットとマーク・カッシーノ作「雪の結晶ノート」を買って館を後にした。

5. おわりに

 (1) 中谷宇吉郎を囲む学者・文人
      以前のページで数学者・岡潔について記したことがあった。岡の著書「紫の火花」をようやく読み終えた。
     岡が言いたいのは、教育、とくに幼児や若い人の教育が重要だということで、何度も何度も同じことを繰り返
     して書いている。
      この本の中に、中谷宇吉郎と中谷治宇二郎が何度か登場する。宇吉郎については、「雪の研究・・・・・」と
     短い説明があるのでこのページの主役の宇吉郎に間違いない。治宇二郎は考古学者で宇吉郎の実弟だと
     ある。なぜ、岡が中谷兄弟と入魂(じっこん)だったかは謎だった。
      昭和39年に出版された「紫の火花」というタイトルそのものが、数学者の本としては”奇抜”すぎる気がして、
     なぜこのタイトルなのかも知りたくなった。
      宇吉郎は専門書のほかに随筆や書画などを多数残していて、師である寺田寅彦の一面を髣髴(ほうふつ)
     とさせてくれる。
      そんなわけで、宇吉郎を取り巻く人間関係を調べて図にしてみた。そうすると、宇吉郎がこどもから大人を
     対象に科学や人生の「啓蒙書」を書いた源は夏目漱石に発しているのだと思うようになった。

     
              中谷 宇吉郎を囲む学者・文人

      まず、岡潔の「紫の火花」だ。岡は芥川龍之介に会ったことはなかったが熱心な読者だった。「真善美は私
     (岡)は実在感だと思う。真善美の中では、美が一番わかりやすい。・・・・数学の一番良い伴侶は芸術だ・・
     学生たちを絵の展覧会につれてゆく。・・そこによい絵があって、ちょうどその時自分の心の窓が開いていた
     ら、そのものの上に全き美というものを見、美は実際あるということを感じることができるからである。
      ・・・・・・・・・・・・・・・
      芥川はどこかで書いている。『自分(芥川)は文学を、つまり創作を自分の一生の仕事として選んだ・・・・
     東京の町はずれを歩いていたとき、雨の水たまりがあって、電線が垂れさがり、紫の火花を出していた。
      そのとき自分(芥川)は、他の何ものを捨てても、この紫の火花だけはとっておきたいと思った』、と    」

      美の姿をとらえようと追いもとめ、遂に捉えることができないまま短い生涯を自ら絶った芥川への鎮魂の
     思いを込めて「紫の火花」のタイトルになったのだろう。

      岡は1929年にフランスに留学する。同じ年に宇吉郎の実弟で考古学者の治宇二郎もフランスに留学する。
     病を得た治宇二郎を岡夫妻は献身的に看病・支援する。1年前にイギリスに留学していた宇吉郎は、日本に
     残してきた新妻を留学中に亡くしていた。宇吉郎はたびたびフランスに旅行していて油絵を描いていたとされ
     るが、治宇二郎を見舞うのが目的だったのだろう。フランスに滞在したときの宿はパリの南の門ポルト・ドルレ
     アンにある学生都市の薩摩会館の3階で、廊下を隔てた筋向いが岡の部屋だった。宇吉郎に、「岡さん、数
     学について書いたことはみな日付を入れて残しておきなさい」、と教えられ後々までこれを実行する。

      1931年、二人より一足早く宇吉郎は帰国する。病が重くなった治宇二郎に付き添う形で32年に岡も帰国す
     る。治宇二郎は、亡くなる36年まで、大分県の湯布院温泉で脊髄カリエスを療養することになる。岡は広島
     文理科大学に職を得るが、フランス留学中に決めたテーマ「多変数解析函数」に取り組む糸口を模索してい
     たが、周りの人々の眼には、論文も発表ぜず講義にも身を入れない不良教官としか映らなかった。
      夏休みなると由布院の治宇二郎を見舞い、休み中終日、”学問に対する抱負”を話し合った。そんな夏を
     3度送った。これが岡にとっての慰めだった。

      36年、治宇二郎が亡くなるころ、岡は”少し疲れたから休養するため”伊豆の伊東温泉で静養の日々をお
     くる。同じころ、宇吉郎も肝臓を病み、秋には岡と同じく伊東で療養する。二人は宇吉郎の師・寺田寅彦著の
     「蒸発皿」で読んだ『連句』に挑戦する。連句には俳句の知識は無論、寺田によれば西洋音楽もすこしは知
     っていなければならない、ということで準備が大変だった。かつて雷の研究をしていた宇吉郎が去来をもじっ
     て「虚雷」と自ら名づけ、丑年うまれの岡に「海牛」と命名した。
      岡は、「数学にインスピレーション型の発見と情操型の発見との二種類がある。・・・東洋の文化は情操型
     である。だから日本人は、むしろ情操型の発見の方が向くのではないか。」、と述べている。岡は、「紫の火
     花」を『情緒』という一章で書き出していることからもわかるように、俳句にも挑戦したのだろう。

      宇吉郎は、「心の持ち方は、あきらかに寺田寅彦先生の感化を受けている」、と書いているように宇吉郎の
     人生の機縁は寺田と出会いであった。宇吉郎が数多くの随筆などを残したのも寺田の影響が大きかっただ
     ろう。
      その寺田は、科学者でありながら、夏目漱石が主催する「木曜会」のメンバーで、岡が愛読した芥川も加わ
     っていた。
      こうしてみると、宇吉郎に影響を与えた源は夏目漱石だったと言えないこともないだろう。

6. 参考文献

 1) 中谷 宇吉郎:雷,岩波新書,昭和14年
 2) 中谷 宇吉郎:科学の方法,岩波新書,昭和33年
 3) 中谷 宇吉郎:わたしたちはどう生きるか 黒い月の世界 白い月の世界,ポプラ社,昭和39年
 4) 岡 潔:紫の火花,朝日新聞社,昭和39年
 5) 中谷 宇吉郎著:雪雑記,朝日新聞社,1977年
 6) 鈴木 牧之編撰、京山人百樹刪定、岡田 武松校訂:北越雪譜,岩波文庫,1984年
 7) 中谷 宇吉郎著:雪,岩波文庫,2001年
 8) 雪の科学館、西堀栄三郎記念 探検の殿堂製作:雪と極地の博物館 探検パスポート
                                    同館,平成18年
 9) 松原 聡、宮脇 律郎著:日本産鉱物型録,東海大学出版会,2006年
10) 古河歴史博物館編集:雪の華 『雪華図説』と雪の文様の世界 増補改訂2版
                  同館,平成19年
11) 古河歴史博物館編集:古河歴史博物館パンフレット,同館,2010年
12) 古河歴史博物館編集:雪の殿さま 土井 利位,同館,2010年
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