水晶を描く風景印 ― 富士山と宝飾の山梨 ―







              水晶を描く切手と風景印
             ― 富士山と宝飾の山梨 ―

1. はじめに

    2013年7月、富士山が世界文化遺産になった。本来なら、富士山は山川草木を含むカテ
   ゴリーの”自然遺産”をめざすべきなのだが、”文化遺産”にしかなれなかったわけは以前
   のページで紹介した通りだ。
    ジャンルがともあれ、過去に世界遺産に指定された地域の観光客が急増した例から、観
   光立県・山梨県としては歓迎の声が大きいようだ。

    2013年9月、久しぶりに私の趣味の一つである郵便切手の集まりに出席した。千葉県に
   単身赴任していた3年の間、全く参加していなかったので、3年、いや4年ぶりくらいになる
   かも知れない。
    私が初めて入会した平成元年ごろ、出席者は15、6人いて、にぎやかだったが、A先生に
   よれば、「最近は7人前後」らしい。顔ぶれをみると、「古希」の方が平均年齢くらいで、私
   なんぞは鼻たれ小僧の口だ。

    例会では、会員が不要になった収集品を提供し、それを欲しい人が『盆回(ぼんまわ)し』
   や『オークション』などで入手する催しがある。
    K元会長が出品してくれた中に、「富士山と宝飾の山梨」と題する切手を貼ったタトウがあ
   ったので購入した。

    
             「富士山と宝飾の山梨」

    この切手の右下には水晶が描かれ、切手の上に押してある甲府中央局の「風景印」にも
   水晶と水晶玉が配置されている。もちろん、山梨を代表する富士山と葡萄(ぶどう)が切手
   と風景印の両方に入っている。
    郵政が発行した切手で水晶が描かれている最初のもので、風景印に水晶がデザインさ
   れているのは甲府中央局だけだろう。

    古来、『甲斐(かい:山梨県)の名産は葡萄と水晶』 、と言われているが、当分この座は
   揺るぎそうにない。
   ( 2013年9月 情報 )

2. 「富士山と宝飾の山梨」切手

    平成元年(1989年)から、総務省では、地域振興に寄与するため各都道府県を代表する
   風物を描く「ふるさと切手 "FURUSATO Stamps " ( Prefectural Issues ) 」を発行し、民営
   化された2007年10月1日以降も引き継がれ、現在も発行が続けられている。
    年間20件前後、1件あたり1種はまれで、5種、10種、時には47種も発行され、総発行数は
   数千種類になるのでないだろうか。”乱発”されるふるさと切手に嫌気をさして、新しく発行
   される切手の収集をやめたフィラティリストも少なくないようだ。

    2001年3月30日、466番目のふるさと切手として「富士山と宝飾の山梨」が発行された。

     




 切手の意匠(デザイン)は、富士山と
山梨の特産物である葡萄(巨峰:きょほう)、
ダイヤモンドそして水晶群晶(クラスター)を
描いている。
 葡萄の房の下の方は、研磨した紫水晶
(アメシスト)を葡萄の粒に見立てている。

 この切手には、普通の「水晶」と「紫水晶」の
2つが描かれていることになる。

    「富士山と宝飾の山梨」切手

3. 甲府中央局の風景印

 3.1 風景印の歴史
      わが国のスタンプ収集の歴史は古く、いつ頃始まったかは定かではないが、神社仏閣
     に参拝した際、押してもらう「御朱印帳(集印帳)」がその始まりとされる。
      今でも骨董市などで集印帳を見かけることがあり、入手したので紹介する。

         
                表紙                         中味
             【縦 18cm】
                            集印帳

      郵便局が観光宣伝と増収を目論んで昭和6年(1931年)から始めたのが「風景印」で、
     日露戦争(1904〜5年)後に日本の支配下に治めた遼東半島租借地(関東州)と南満州
     鉄道付属地に設置された13の日本郵便局でその年の4月1日から使われた『旅行記念
     特殊通信日付印』がその嚆矢とされる。

      
      日露戦争の激戦地「旅順」局の風景印【初日】

      このように海外での使用が先行した風景印だが、本土での使用は、「富士山」局と
     「富士山北」局から始まった。使用開始は、昭和6年7月10日だが、どちらも富士山の山
     開きの期間中だけ開局している「季節局」のため、8月31日まで、2ケ月足らずの使用だ
     った。

         
               富士山局                     富士山北局
                         本土での最初の使用
                          【昭和6年7月10日】

      7月15日に、横須賀、日光、江之島、・・・、筑波山、温泉(雲仙のこと)、洞川など11局
     8月1日に阿蘇山ほか15局、8月10日に鎌倉ほか9局と、次々に使用局が広まっていっ
     た。

      風景印の使用が、”名勝史跡そのほかの行楽地がある郵便局”、と定められたためか
     東京中央、大坂大手、名古屋など大都市にある局では富士山局から遅れること5ケ月、
     12月10日から使用された。

      こうして風景印の使用は本土、外地に広まり、最盛期には1,500局を超えたが、日中
     戦争の激化と共に”観光”どころではなくなり、さらに印面用のゴムなどの物資の不足も
     あり、逓信省告示 第1834号で、昭和15年(1940年)11月15日限りで中止された。
      ただ、国民精神の高揚に役立つなど、時局に適(かな)い、使用の意義の深いものに
     限り、事務上差し支えない場合、印が磨滅するまで使用が認められた。
      しかし、印の磨滅とともに使用は終わりを告げた。

     3.2 甲府中央局の風景印の変遷
      現在、甲府中央局で使われている風景印は3代目のようだ。それまでの変遷を調べて
     みた。

  (1) 戦前

       戦前の「甲府」局で風景印が使われたのは、風景印が使われ始めて2年近くが経った
      昭和8年5月1日からだった。
       逓信省告示のあった昭和15年11月15日で使用は打ち切られたようだ。

        




 風景印の意匠(デザイン)は、

『 昇仙峡と城址に
 特産の葡萄と水晶 』

 城址とは、甲府城のことで、
当時は石垣しかなかったが
現在では、いくつかの櫓(やぐら)と
門が復元されている。

 左上に描かれている
山は「富士山」らしい。

  (2) 戦後

   ・ 昭和23年(1948年)の図案改正

      戦後、昭和23年(1948年)3月10日に図案が改正された。この風景印は、昭和62年に
     甲府中央と局名が改称されるまで40年近く使われた。どこかにあるはず、と ”マイコレクシ
     ョン”をひっかきまわしてみたが探しきれなかった。
      探し出せたら掲載する予定だ。

   ・ 昭和62年(1987年)の局名改称

      昭和62年(1987年)7月1日に甲府郵便局が甲府中央郵便局と改称された。これに伴
     って、局名は当然として、図案の一部も変わったかもしれない。
      ( この当時、東京に住んでいて、将来甲府に住むことになるなど思いもよらず、地方
       都市のひとつ・甲府の風景印などに全く関心がなかった )

        




 風景印の意匠(デザイン)は、

『 富士山と特産の葡萄と水晶 』

 戦前の風景印の水晶は、
黒平(くろべら)や乙女鉱山などの
ガマ(晶洞)から掘り出されたと思われる
”ズングリ”した群晶だが、ここに描かれた
のは”ホッソリ”した外国産を思わせる。
 宝飾の街をイメージしてか、”水晶玉”が
群晶の上に載っている。

 中央に湯けむりをあげる温泉街が
描かれている。
 市内にある湯村温泉か積翆寺温泉らしい。

   ・ 平成19年(2007年) 日本郵政株式会社発足

      この年の10月1日、民営会社発足に伴って、「甲府」と「甲府中央」郵便局が同じ建物
     の中に並存する”珍奇”な光景が出現したらしい。
      上と同じ図案だが、局名が違う風景印をそれぞれの局が使っていたようだ。この期間
     「甲府」局が使っていた「風景印」が昭和23年から62年まで使われたものと同じようだ。
      ( ただ、”水晶玉”がなかったような気もするのだが・・・・・・ )

      
              「甲府」局風景印
               【2局並存期】

   ・ 平成24年(2012年) 日本郵便株式会社発足

      この年の10月1日、郵便局株式会社と郵便事業株式会社が統合し、日本郵便株式
     会社が発足した。これに伴い、「甲府」郵便局は「甲府中央」郵便局に統合され現在に
     至っている。

4. 甲府中央局の風景印のまとめ

    平成になってからの民営化や事業の統合などで甲府中央局(の風景印)がどのように
   変遷したのか、私の頭の中は混乱している。それらを整理する意味で、変遷を図表にまとめ
   てみた。

      
                      甲府中央局の変遷

5. おわりに

 5.1 ”スタンプ”考
      以前、鉱山に因(ちな)む郵便局の消印として、和歌山県白浜局の前身である「瀬戸
     鉛山(かなやま)」を次のページで紹介したのは、2006年だった。

     ・和歌山県瀬戸鉛山(かなやま)考
      ( Investigation on Seto Kanayama ( Seto Lead Mine
                            Shirahama Town , Wakayama Pref. )

      この中で、この地出身の石友・Yさんからのメールを紹介した。

       『 大兄のH.Pに和歌山県瀬戸鉛山村消印の切手が掲載されていたのを拝見
        致しまして驚きました。
         ここは私が高校卒業まで過した白浜では有りませんか! スタンプまで
        集めておられるのですね。感嘆します。                        』

      切手やハガキの印面に押された「消印」は、私たち”郵便趣味”(略して「郵趣」)仲間
     (英語で、フィラティリスト)の間では、収集ジャンルの柱の1つなのですが、Yさんにかか
     っては、”スタンプ”と片付けられてしまいます。

      あれから7年が経って、戦前の「風景印」が載っている本を探したところ、2011年発行の
     『 改訂新版 戦前の風景スタンプ集 』 があり、注文・入手した。
      この本の中では、「風景印」でなく『風景スタンプ( Japanese Scenic Cancellation ) 』
     が使われ、「風景印」は”死語”になってしまうのかも知れない。

 5.2 風景印図案
      2013年の夏、”その時、何歳になっているか”を勘定した人が多いのではないだろうか。

      ・ 2020年 東京オリンピック 開催
      ・ 2027年 リニア新幹線 東京―名古屋間 開通

      孫の成人式や結婚式などと並んで、この時までは元気でいたい、と思ったシニア世代
     は私たち夫婦だけではないだろう。

      リニア新幹線の停車駅は、品川―相模原―甲府―中津川―名古屋 で決まりそうだ。
     いつの日か、甲府郵便局の風景印の図案にリニア新幹線が登場するのだろうか。

6. 参考文献

 1) 澤本 健三編纂:逓信六十年史,逓信六十年史刊行会,昭和5年
 2) 友岡 正孝編:改訂新版 戦前の風景スタンプ集,日本郵趣出版,2011年
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