埼玉県長瀞・和銅遺跡の自然銅

埼玉県長瀞・和銅遺跡の自然銅

1.初めに

「続日本紀」に、日本で最初の自然銅の発見とそれに伴う年号の改元が次のように
記されています。
「慶雲5年(708年)、武蔵国秩父郡より和銅を献る。・・・・・・武蔵国に自然に
なれる和銅(にきあかがね)いでたりと奏して献れり、・・・・是をもちて、天地の神の
顕し奉れる瑞の宝に依りて、御世の年号を改め賜い換え賜はくと詔たまう。
・・・・・慶雲5年を改めて和銅元年と為て、御世の年号と定め賜ふ。」
この和銅を産出したとされる採掘跡を中心に、一帯が遺跡になっているので訪れた。
しかし、銅鉱山につきものの孔雀石など全く見当たらず、1300年前の過去の遺跡です。
(2002年5月訪問)

2.産地

秩父から長瀞に向かって国道140号線を進むと、「和銅xx」という表示が目立つ
ようになります。
「聖(ひじり)神社」から美し山山頂の間に、和銅遺跡が点在しています。聖神社の前にある
案内板で場所を確認すると良いでしょう。
和銅遺跡案内板
(1)聖神社
大きな自然銅の塊を所蔵することで有名です。社務所に人が見当たらず、残念ながら、
自然銅そのものは、見せていただくことができませんでした。

左:聖神社     右:神社所蔵自然銅【県立自然史博物館資料】
(2)自然銅採掘跡
聖神社から、約500m坂道を登っていくと、右側に案内板があり、この付近に駐車し、
歩いて約10分で採掘跡に到着します。
ここは、中生代の堆積岩といわれ、そこ銅鉱床の銅が地下水などで溶けだし、再結晶したものを
偶然に発見したもののようです。
和銅採掘跡
(3)試掘坑
美し山の中腹に「試掘坑」と呼ばれる、坑道が残っています。いつ頃、何の目的で開坑したのか、
明らかになっていないようです。
試掘坑

3.産出鉱物

銅鉱山につきものの孔雀石など全く見当たらず、鉱物らしきものは探せません。

4.おわりに

(1)美し山公園から見下ろす秩父の町並みは、秩父のシンボルの武甲山とともに
素晴らしいものです。
武甲山と秩父の町並み
(2)昔、社会科の教科書で、秩父で発見された自然銅を使って、日本最初の貨幣である、
「和同開珎(わどうかいちん)」が発行されたと教えられましたが、最近の考古学の発達で、
日本最初の貨幣「富本銭」が発見されるなど、歴史が塗り替えられつつあります。
和同開珎【銅銭】
(3)1300年前に、自然銅が発見され、献上されたときの朝廷の喜びようは相当なもので、
秩父郡の税金を免除したと歴史書に残されています。
折しも、ワールド・カップが開催中で、自国が勝った翌日を急遽祝日にする国があるなど、
人間のやることは1300年たっても余り変わりません。

5.参考文献

1)藤井一二:和同開珎,中公新書,1991年
2)日本貨幣商協同組合編:日本貨幣カタログ,日本貨幣商協同組合,1997年
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