中学生とミネラルウオッチング 2015年5月











        中学生とミネラルウオッチング 2015年5月

1. はじめに

    私のHPを読んだK県の私立小中一貫校のR・H先生から『クラスの小学6年生18名を鉱物採集に
   連れて行きたいのだが、適当な場所を教えて欲しい』、と相談のメールをいただいたのは、2007年
   9月の初めだった。
    10月に山梨県の水晶産地に案内したところ、生徒だけでなく付添いの保護者や引率の先生方
   にも好評で、同校の恒例行事になった。
    この話が他校にも広まり、神奈川や東京そして横浜の学校や違った学年のこどもたちを案内して
   欲しい、という依頼が飛び込むようになった。それが、いつしか各学校の恒例行事になっていった。

    2015年春、東京の私立一貫校のS先生から、「中学一年生の鉱物の授業で、案内して欲しい」
   との連絡があり、5月中旬に案内することになった。
    野辺山にある「南牧村民俗資料館」で待ち合わせ、甲武信鉱山の貯鉱場を目指した。貯鉱場
   では、湯沼鉱泉に逗留していた兵庫県の石友・N夫妻がきて、「昨日、日本式双晶が採れたから
   みんなも頑張って」とエールを送ってくれた。
    梓川を渡る難所があるのだが、全員長靴を持参していたのと思ったより水量が少なく、冷たい梓
   川の流れを難なく渡り切った。
    「方解石」、「緑水晶」そしてパンニングで「砂金(山金?)」や「灰重石」を観察し、持参した風
   呂敷を暗幕代わりにして、「灰重石」にミネラライトを当てると青白く光るのには皆さんビックリして
   いた。
    全員に渡した「チェックリスト」に採集済みの”〇”も増えたころ、昼食を食べ、最後の追い込みを
   かけて産地を後にした。

    行きしなに梓川に浸しておいた、夏のミネラル・ウオッチング恒例の冷えたMH農園、ではなくて購
   入した『スイカ』も皆さんに大好評だった。ここで、皆さんとお別れした。

    気になっていたのは、「チェックリスト」に載せておいた「日本式双晶」を誰も採集できず、見せて
   あげられなかったことだ。時間はまだ13時を回ったところだ。
    ここから一番近い日本式双晶産地はほぼ確実に採れる「ミニツイン坑」があるのだが、標高差で
   500mの急斜面を登るのはシンドイので、もう少し楽な産地を目指すことにした。
    ここを訪れるのは、3年ぶりくらいだろうか。その後、だいぶ叩かれて脈はやせ細っている。脈の端を
   見ると、タガネを打ち込んだ跡があるが堅くて諦めたらしく、そのままになっている箇所がある。タガネ
   を差し込んで、4キロハンマで数回叩くと、手ごたえがあって、さらに叩くと大きな塊がグラグラしだし
   た。一番長いタガネをバール代わりにして塊を動かして抱き留め、衝撃を与えないように下に置い
   た。
    塊を2つに割ると、大きな晶洞が現れ、両翼6cm近い日本式双晶もついている。小割りすると
   双晶のついた群晶がいくつか採集できた。そのうちの一つとキラキラ光る「黄鉄鉱の」の群晶をS先
   生にお送りしたところ、「これを見てこどもたちから歓声があがった」と知らせくれ、こどもたちひとりひと
   りと何人かの保護者からもお手紙をいただいた。

      
              こどもたちと保護者からの手紙

    私の持論の1つに、『ミネラル・ウオッチング(鉱物採集)は、水晶に始まり、水晶に終わる』
   ある。嬉々として水晶を探す中学生と教育関係者を見ていて、その感を一層深くした。参加した
   皆さんが、鉱物を通して、自然を大切にする心を養ってくれることを祈っている。
    ( 2015年5月 観察 )

2. 甲武信鉱山貯鉱場へGO!!

 (1) 「南牧村民俗資料館」に集合
      2015年5月、引率のS先生と生徒たち一行と「南牧村民俗資料館」で落合い、初対面の挨
     拶をした。

      @ 鉱物は、植物、動物と違って再生しない。余分に採らない。採った標本は、洗浄・
        整理して記録に残し、家族にも見て楽しんでもらう。
      A 自然は美しい。しかし、危険が潜んでいるので引率の先生の注意を守り、事故
        がないようにしよう。

 (2) 川上村を目指せ
      すぐにJR小海線の踏切を渡り、川上村に入る。初夏の日差しが畑のビニールに反射してまぶ
     しい。気温は20℃と甲府より5℃以上涼しく、高原の爽やかさだ。
      この村特産のレタス栽培が始まっていて、苗の植え付けやその準備に大勢が忙しく働いている。
      湯沼鉱泉入口を右に見て、秋山集落の手前から、梓川沿いに進み、甲武信鉱山への林道
     を入るとすぐに駐車場がある。
      車を降りて、あらかじめ伝えてあった採集・収納道具と昼食をリュックに詰め、長靴に履き替
     える。
      そこに、湯沼鉱泉に逗留していた兵庫県の石友・N夫妻がきた。甲武信鉱山の方からの戻り
     だという。N夫人が、「昨日、ここで小さいけれど日本式双晶が採れたからみんなも頑張って」と
     エールを送ってくれた。
      まず、こどもたちに手伝ってもらい、スイカを梓川の流れに沈めて冷やしておく。そして出発だ。

 (3) 梓川を渡って
      梓川の上流に向かって進む。川岸の露頭の岩石が「花崗岩」で、ところどころに『捕獲岩』が
     含まれていることやその理由なども説明する。当然、花崗岩に含まれる3種の鉱物「石英」、
     「長石」、『黒雲母」の説明も抜かりはない。

     一番気を遣うのが、安全に梓川を渡ることだ。全員長靴を持参していたのと、山梨県は10日
    以上雨が降っていないせいか思ったより水量が少なく、冷たい梓川の流れを難なく渡り切り、
    貯鉱場跡に着いた。

 (4) 甲武信鉱山貯鉱場跡
      貯鉱場の跡に立って、次のような説明をさせていただいた。

      @ 昭和25年ごろまで、ここから500mほど標高が高い位置に鉱山があって、そこで採掘した
        品位の高い鉱石を索道(ケーブル)でここまで運んでいた。
      A 甲武信鉱山は「スカルン(接触交代)鉱床」と呼ばれ、南の海で生まれた珊瑚礁などが
        起源の石灰岩と山梨県側に水晶をもたらした花崗岩とのコラボレーションでいろいろな
        鉱物が生まれた。
      B それは、今から1,200万年くらい前だった。

3. 甲武信鉱山貯鉱場でミネラル・ウオッチング

      ここでの採集は、つぎのように3通りあることも説明した。

      @ 表面を見て回り、「方解石」、「水晶」、「柘榴石」などを探す。大きすぎる標本は、持参
        した金槌(かなづち)で小さく割る。このとき、眼鏡(めがね)やゴーグルを着けるのを忘れ
        ないように。
      A 川岸には崖になっている場所があり、そこを掘ると水晶などが次々に出てくる。
      B 私が持参した4つのパンニング皿を使って土砂をパンニングすると、「自然金」や
        「Bi(蒼鉛)−Te(テルル)鉱物」そして「灰重石」など、比重の大きな重たい鉱物
        が採集できる。

      今回、「鉱物図鑑」代わりに、ここで採集できる鉱物の特徴や産出頻度を一覧表に
     『甲武信鉱山の鉱物チェックリスト』としてまとめたものを一人ひとりに配った。

      
                   『甲武信鉱山の鉱物チェック・リスト』

      さっそく、思い思いの場所で採集を開始した。私のところには、次々と鑑定依頼が舞い込んで
     くる。「水晶」と「石英」の違いが判らない子どもも多い。ましてや、「石英」と「方解石」の違い
     などわかるはずがない。『結晶面の有無』や『硬度』の違い、『へきかい』などを使って鑑定する
     事を説明すると納得してくれた。

      パンニング組は、冷たい梓川の流れがあまり流れ込まず水が冷たくない”よどみ”に陣取って
     もらう。「砂金」や「灰重石」が簡単に採集できので、拍子抜けした感じもあった。

         
                    ズリ                       パンニングに適した”よどみ”

      皆さん思う存分ハンマーを叩いたり、パンニング皿を振るったりして、この産地を代表する鉱物
     を採集できたようだ。
      持参した風呂敷を暗幕代わりにして、「灰重石」にミネラライトを当てると、青白く光るのを
     見て皆さんビックリだった。
      大きな「方解石」の塊をハンマで割ると、劈開(へきかい)し、透明な『アイスランド・スパー』が
     採れ、これで直線を見ると2本に見える『複屈折』もみなさん驚きだった。
      12時近くになり、みんなで昼食をいただく。

      昼食の後の残り時間、約30分は、『チェックリスト』の採れていない鉱物を探すことにする。
     「灰重石」と「日本式双晶」を採れていない子が多いので、まず「灰重石」をパンニング皿で
     採ったものを子どもたちに配り、全員が手にした。
      しかし、「日本式双晶」だけは、だれも採れなかった。

      心残りはいつものことだが、貯鉱場を後にすると、夏のミネラル・ウオッチング恒例の冷えた
     『スイカ』が待っていた。冷たくて、甘いので皆さんに大好評だった。

      ここで、こどもたちとお別れした。

4. 『日本式双晶』を求めて【後刻談】

    気になっていたのは、「チェックリスト」に載せておいた「日本式双晶」を誰も採集できず、見せて
   あげられなかったことだ。時間はまだ13時を回ったところだ。
    ここから一番近い日本式双晶産地はほぼ確実に採れる「ミニツイン坑」があるのだが、標高差で
   500mの急斜面を登るのはシンドイので、もう少し楽な産地を目指すことにした。
    ここを訪れるのは、3年ぶりくらいだろうか。その後、だいぶ叩かれて脈はやせ細っている。脈の端を
   見ると、タガネを打ち込んだ跡があるが堅くて諦めたらしく、そのままになっている箇所がある。タガネ
   を差し込んで、4キロハンマで数回叩くと、手ごたえがあって、さらに叩くと大きな塊がグラグラしだし
   た。一番長いタガネをバール代わりにして塊を動かして抱き留め、衝撃を与えないように下に置い
   た。
    そのままで、重たくて持ち帰れないので取り敢えず塊を2つに割る。大きな晶洞が現れ、両翼6cm
   近い日本式双晶もついている。

         
         「日本式双晶」を含む晶洞                「日本式双晶」部分
     【2つに割った状態、タイルの一辺10cm】               【両翼3cm】

    続きの脈を叩いていくと、双晶のついた群晶をいくつか採集できた。石英の脈には、”ピカピカ”の
   自形結晶がついた「黄鉄鉱」の塊も出てくる。
    陽もだいぶ傾いてきたので、この日はこれで切り上げることにした。

    ここは、”行きはヨイヨイ、帰りはヨレヨレ”の産地なので、これを持ち帰るのが大ごとだった。大きな
   晶洞と小割りした採集品、そして採集道具をリュックに詰めた。(これが間違いの元だった)。
    小さいほうの晶洞を抱きかかえて斜面を登り始めたが50mほど登ったところでギブ・アップして、
   小さい方の晶洞やバケツをその場において、2往復する腹を決めた。

      
          斜面の途中に置いた晶洞

    何回も休み休み斜面を登り切って車にたどり着いて、リュックから大きな晶洞を出して見ると、
   6cmはあった双晶がもげてなくなっていた!!。嗚呼(ああ)悲しいかな。そのうえ、タガネの尖った
   先がリュックを突き破り、10cmものカギ裂きができている。
    気を取り直して、置いてきた晶洞を取りに戻る。それを抱えて車まで戻ったころには、八ヶ岳の山
   入端(やまのは)に太陽が沈もうとしていた。

    【後日談】
    こうして採集した「日本式双晶」のひとつと、キラキラ光る「黄鉄鉱の」の群晶をS先生にお送りし
   たところ、「これを見て、こどもたちから歓声があがった」、と知らせてくれ、こどもたちひとりひとりから
   手紙も同封されていた。また、子どもたちの採集品を見た、保護者の方からも、丁寧なお手紙を
   いただき、恐縮している。

    晶洞の大きい方はわが家の収納スペースをオーバーしており、間もなく開かれる”湯沼鉱泉雪害
   復興記念”と銘打った、「月遅れGWミネラル・ウオッチング」のオークションで、高額で落札してほしい
   と願っている。
    久々に東のHファンドも参加するし、西のN財閥も欲しがるはずだ。

5. おわりに

 (1) 今回のように、小・中学生から大学生、そして鉱物に興味を持ち始めた人々を産地に案内す
    る依頼が舞い込んでくるが、できるだけ都合をつけて対応させていただいている。

     2005年8月、湯沼鉱泉で知り合ったとき小学校の6年生だったSさん一家のYさんからT大4年生
    生になったこの4月、「後輩たちが夏休みに今年も湯沼鉱泉に泊るので、産地を案内して欲しい」
    とメールがあり、快諾した。4日間、一緒にミネラル・ウオッチングできるのを楽しみにしている。

     自然の営みに比べれば、「流れ星」のように短い私の一生だが、ミネラル・ウオッチングをご一緒
    した人たちの記憶の中に生きていければ、望外の幸せだ。

6. 参考文献

 1) 谷山 四方一:鉱物鑑識の実際と鉱山探検,厚生閣,昭和14年(1939年)
 2) 山梨県・山梨県地質図編纂委員会編:山梨県地質誌 山梨県地質図説明書
                           同委員会,昭和45年(1970年)
 3) 益富 壽之助:鉱物  −やさしい鉱物学 -,保育社,昭和60年(1985年)
 4) 中川 清:山梨県の水晶 水晶Vol.11 No.1,鉱物同志会,1998年
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