2010年の『採集初め』をどこにしようかと考えていると、冒頭のフレーズが思い出され、山梨
県内のフィールドにしよう決めた。2009年に石友・Hさんからいただいた「島根県花仙山の碧
玉」が頭にあり、市川三郷町三沢川の碧玉産地に決めた。1月末の暖かい日曜日、妻と2人で
産地を訪れた。( 妻は、車の中で待機 )
産地は以前と大きく変わった様子は見られず「碧玉」が点々と観察できる。ここの地質は、火
砕流堆積物で、以前は気付かなかったが「枕状溶岩」が見られ、「セラドン石」や「鱗珪石」も産
出することが確認できた。
そうなってくると、「碧玉」の緑色の着色原因に「セラドン石」がかかわっているのでないか、
という疑問も生まれてくる。
また、私自身「鱗珪石」を採集したのは初めてで、山梨県から「鱗珪石」の産出報告は初めて
ではないだろうか。
【後日談】
このページを読んだ、千葉の石友・Mさんから、「鱗珪石は、すでに山梨県甲府市酒折で
産出報告がある」、とメールをいただいた。調べてみると、「セラドン石」も県内で産出するよ
うだ。ご教示いただいた、Mさんに御礼申し上げる。
産地近くに居合わせた婦人に「津向の文吉」について聞くと、「子孫の方があそこに住んでい
る。この地区は『鴨狩津向(かもがりつむぎ)』、という」、と教えてくれた。
文吉と縄張りを争った「吃安(どもやす)」は、役人によって毒殺され、「吃安」の縄張りを引き
継いだ「黒駒の勝蔵」は維新の先がけとして働いたにもかかわらず新政府によって打ち首にな
った。彼らに比べ、島流しになったものの生きて故郷に戻り、73歳の天寿を全うした「津向の
文吉」の生涯はある意味では恵まれたものだったろう。
8年ぶりにこの産地を訪れ、以前は気付かなかった地質や産出鉱物種に眼を止め記録に残
すことができたのは、多くの石友に教えていただいたお蔭と感謝して産地を後にした。
( 2010年1月採集 )
それらの間に、500円玉大から子どもの頭大の暗緑色の碧玉が点々と観察できる。
採集方法は、ハンマとタガネで、周りの比較的軟らかい角礫岩を崩して、”掘り出す”。
@ 表面にだけ酸化鉄が凝集し緑色を呈し、内部は透明な石英
A 酸化鉄が内部にも均一に分布し破断面(断口)全体が貝殻状で
暗緑色の弱い脂肪光沢を示すもの
最初に訪れた1990年ごろには、@も見られたが、今回観察できなかった。
この産地では、次に紹介するように「セラドン石」が観察できる。そうなってくると、「碧玉」
の緑色の着色原因に「セラドン石」がかかわっているのでないか、という疑問も生まれてく
る。
(2) セラドン石【CELADONITE:KFe3+(Mg,Fe)Si4O10(OH)2】
玄武岩質岩体に最大500円玉大の気孔があり、その内面を鮮緑色被膜状のセラドン石が
覆っている。
「セラドン石」の産地として、岐阜県中川辺、静岡県やんだ、千葉県長崎鼻そして石川県
恋路海岸の産出例について過去に報告したが、産状は極めて似通っている。
(3) 鱗珪石【TRIDYMITE:SiO2】
透明〜白色、六角薄板状結晶で玄武岩質岩体にある気孔の内部に産する。ほとんどが
鮮緑色のセラドン石に覆われているが、稀にセラドン石の上に成長しているものもあり、
生成が何回かにわたって行われたことを暗示している。
ごくまれだが、Danaの” SYSTEM of MINERALOGY ”にある『輪座3連晶』も観察でき
る。2枚の結晶が120度の角度で向かい合って”双晶”になっているのがお解りだろう。
六角薄板状で六方晶系の高温型(ベーター型)鱗珪石の外形を持っているが、中身は斜
方晶系のアルファ型になっている。益富先生の「鉱物」によれば、1470℃から870℃の間で
急冷した場合、アルファ型が生成する、とある。
これは、「高温石英」(ベータ型石英)は
六方晶系の六角重(複)錐形をしているが
573℃以下では中身は水晶(アルファ型
石英)になっている関係に似ている。
SiO2の安定領域図
【「鉱物」から引用】
不明だった鉱物を現地でルーペ観察した時点では、このような母岩に産出する例が多い
”沸石”系の鉱物だろうと考えていた。
帰宅後、『モース硬度』と『へき開』で鑑定してみた。
鉱物種 | モース硬度 | へき開有無 | 備 考 | 輝沸石 | 3.5〜4 | 一方向に完全 | レビ沸石 | 4〜4.5 | ほとんどなし | 湯河原沸石 | 5〜 | ほとんどなし | 不明鉱物 |
カッターでキズがつかない 6以上 | なし | 「鱗珪石」 |
@ 水晶と同程度のモース硬度がある。→「石英」のなかま
A 「へき開」がない。→ 「石英」の可能性大
こうして、『鱗珪石』、との結論に達した。
(4) 玉髄【Chalcedony:SiO2】
半透明〜乳白色、油脂光沢をした細い”指状”で玄武岩質岩体の気孔の中に観察できる。
気孔の部分には、”球が集合した(葡萄状)”の玉髄も観察できる。
さて、この産地の地質は、火砕流堆積物で、「碧玉」のほかに、「枕状溶岩」、「鱗珪石」、
「玉髄」そして「セラドン石」が産出するもろもろの岩体を含んでいる。
ここに運ばれてくる前の場所がある(あった)筈だ。それも探し出してみたいと思い始めて
いる。
また、「碧玉」の”鮮緑色”と「セラドン石」の関係も突き止めてみたい。
(2) 「セラドン石」の思い出
「セラドン石」を求めて最初に訪れた産地は岐阜県中川辺だった。1回目は、自力採集で
きず、滋賀県の石友・Nさんに「見本」を恵与いただき、2回目の訪山でようやく自力採集で
きた。
その後、石川県恋路海岸、静岡県やんだ、そして千葉県長崎鼻などを訪れ「セラドン石」を
今回、岩体を割って、”鮮緑色”の鉱物が眼に飛び込んだ瞬間、「セラドン石だ!!」とわ
8年前に訪れたときには、全く気付かなかった「セラドン石」や「鱗珪石」に眼を止め記録に
(3) 「津向の文吉」 ―Part 2−
文吉と縄張りを争った「吃安(どもやす)」は、別な罪で八丈島に送られ、島抜け(脱獄)し
( Celadonite of Nakakawabe -Part 3- , Gifu Pref. )
採集できた。
( Celadonite of Koiji Seashore -Part 2- , Ishikawa Pref. )
( Pink Apophyllite from Yanda , Kawadu Town , Shizuoka Pref. )
( ARAGONITE from Nagasakihana , Chyoshi City , Chiba Pref. )
かった。
残すことができたのは、多くの石友に教えていただいたお蔭と感謝している。
産地近くに居合わせた婦人に「津向の文吉」について聞くと、「子孫の方があそこに住ん
でいる。この地区は『鴨狩津向(かもがりつむぎ)』、という」、と教えてくれた。
甲府市で開かれた骨董市で会った六郷町の人が、「お寺には文吉のお墓があって、墓石
を欠いて持っていく人がいる」、と教えてくれた。(「森の石松」の墓と同じようだ)
て故郷の武居村に帰ったが、役人によって捕えられ牢内で毒殺された。
「吃安」の縄張りを引き継ぎ、清水の次郎長の敵役なった「黒駒の勝蔵」は維新の先がけ
として働いたにもかかわらず、新政府によって甲府市山崎の刑場で打ち首になった。
富士川の河原で喧嘩出入りを繰り返した幕末の博徒たちの末路は、文吉以外悲惨なも
のだった。
6. 参考文献
1) Edward.S.Dana:A System of Mineralogy 6th Edition , JOHN WILEY & SONS INC.
1920年
2) 益富 壽之助:鉱物 ―やさしい鉱物学―,保育社,昭和60年
3) 益富地学会館監修:日本の鉱物,成美堂出版,1994年
4) 加藤 昭:沸石読本,関東鉱物同好会,1997年
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