『この本谷(赤なぎ沢?)にあった鉱山は、開生(名古屋開開堂)、光明、阿部(所有者)
戸沢(地名)等の名称で呼ばれたが、後に「戸沢鉱山」に統一。明治30年(1897年)ここで
安質母尼(アンチモニィ)鉱が発見され、明治40年(1907年)に大阪人による最初の採掘が
行われたが、以後、赤薙(なぎ)に代表されるような崩落しやすい場所であるため、大雨の
たびに埋没休山、再び復旧して再稼動することを繰り返してきた。大正3年(1914年)の
第一次世界大戦中に第二回目の採掘が行われ、「ツボタタラ吹き」で精錬し馬の背で神坂峠を
越えて湯舟沢まで運び、大阪から欧州へ輸出した。第三回目の採掘は、昭和8年(1933年)
山王に「浮遊選鉱所」を設立し、製品は飯田を経て、蒲田と鶴見に送った。最後の操業は
昭和19年(1944年)の太平洋戦争中だったが終戦で休山、現在に至っている。
原鉱石である輝安鉱・ベルチェ鉱は、伊奈川花崗岩(粗粒角閃石黒雲母花崗閃緑岩)の中の
粘土化した鉱脈に含まれる。ベルチェ鉱は我が国の主要産地であり、輝安鉱では水晶に包まれた
2〜5センチメートルに及ぶ大きな結晶が採集されている。
金属の会 記
中部森林管理局南信森林管理署
阿智森林事務所』
ここから、林道を歩き、約25分で、産地Aの沢の入口に到着します。
3. 産状と採集方法
産地Aは、坑道前のズリが沢に流れ込んだと思われ、銀黒様の黒い筋が入った 珪質塊を
只管(ひたすら)叩き割って、輝安鉱(ベルチェ鉱)を探します。
産地Bでは、看板の説明にあった粘土を挟む石英脈が見られ、石英脈の中に輝安鉱の脈や
極稀に晶洞が見られます。
4. 採集鉱物
ここで採集できるのは、輝安鉱(ベルチェ鉱)とそれらが変質した2次鉱物の黄安華です。
輝安鉱とベルチェ鉱は肉眼での鑑定は困難で、戸沢鉱山で採集したもので、何となく
”赤錆”を伴うものは、ベルチェ鉱と判断して良いと思います。