ベルチェ鉱の古里「戸沢鉱山」

ベルチェ鉱の古里「戸沢鉱山」

1.初めに

 私のHPを見て頂き、産地の情報を提供したり、案内して差し上げた人たちと
採集会を開催するようになって、4年目を迎えた。
 最近では、参加メンバーが新たに開拓した産地を案内していただくスタイルに
変貌しつつある。
 2004年6月ミニ鉱物採集会は、「ベルチェ鉱の古里と蛭川村の有名・無名鉱山を訪ねて」と
題して、愛知県の石友・Hさんにベルチェ鉱が日本で最初に発見された「戸沢鉱山」を
案内していただいた。
 「ベルチェ鉱」は全員採集でき、露頭では晶洞の中から柱状結晶も採集できた。
 案内いただいた、Hさんに改めて、御礼申し上げます。
(2004年6月採集)

2. 産地

   戸沢鉱山は、岐阜県との境、長野県阿智村「赤なぎ沢川」沿いにあった幾つかの鉱山の
  総称のようです。
   「赤なぎ沢川」に沿って林道(黒沢山林道?)を上流に向かうと、ゲートがありその手前に
  駐車します。
   ゲート脇には、最近建てられたと思われる『戸沢鉱山跡について』という看板があり
  鉱山の歴史、産状、産出鉱物について記述してありますので、引用させていただきます。

   『この本谷(赤なぎ沢?)にあった鉱山は、開生(名古屋開開堂)、光明、阿部(所有者)
   戸沢(地名)等の名称で呼ばれたが、後に「戸沢鉱山」に統一。明治30年(1897年)ここで
   安質母尼(アンチモニィ)鉱が発見され、明治40年(1907年)に大阪人による最初の採掘が
   行われたが、以後、赤薙(なぎ)に代表されるような崩落しやすい場所であるため、大雨の
   たびに埋没休山、再び復旧して再稼動することを繰り返してきた。大正3年(1914年)の
   第一次世界大戦中に第二回目の採掘が行われ、「ツボタタラ吹き」で精錬し馬の背で神坂峠を
   越えて湯舟沢まで運び、大阪から欧州へ輸出した。第三回目の採掘は、昭和8年(1933年)
   山王に「浮遊選鉱所」を設立し、製品は飯田を経て、蒲田と鶴見に送った。最後の操業は
   昭和19年(1944年)の太平洋戦争中だったが終戦で休山、現在に至っている。
    原鉱石である輝安鉱・ベルチェ鉱は、伊奈川花崗岩(粗粒角閃石黒雲母花崗閃緑岩)の中の
   粘土化した鉱脈に含まれる。ベルチェ鉱は我が国の主要産地であり、輝安鉱では水晶に包まれた
   2〜5センチメートルに及ぶ大きな結晶が採集されている。
                                金属の会 記
                        中部森林管理局南信森林管理署
                               阿智森林事務所』

    『戸沢鉱山跡について』

   ここから、林道を歩き、約25分で、産地Aの沢の入口に到着します。

    産地A入り口

3. 産状と採集方法
   産地Aは、坑道前のズリが沢に流れ込んだと思われ、銀黒様の黒い筋が入った 珪質塊を
  只管(ひたすら)叩き割って、輝安鉱(ベルチェ鉱)を探します。
   産地Bでは、看板の説明にあった粘土を挟む石英脈が見られ、石英脈の中に輝安鉱の脈や
  極稀に晶洞が見られます。

       
          産地A       産地B【白いのはほぼ垂直な石英脈】
                 戸沢鉱山採集風景

4. 採集鉱物
      ここで採集できるのは、輝安鉱(ベルチェ鉱)とそれらが変質した2次鉱物の黄安華です。
    輝安鉱とベルチェ鉱は肉眼での鑑定は困難で、戸沢鉱山で採集したもので、何となく
  ”赤錆”を伴うものは、ベルチェ鉱と判断して良いと思います。

       
 輝安鉱(ベルチェ鉱)【柱状結晶】        黄安華
                戸沢鉱山標本

5. おわりに

 (1)「ベルチェ鉱の古里を訪ねて」ベルチェ鉱の良品を採集でき、案内していただいたHさんに
    厚く御礼申し上げます。
 (2)ベルチェ鉱と輝安鉱の識別について、別途HPで報告したいと考えています。

6. 参考文献

1)益富地学会館編:日本の鉱物,成美堂出版,1994年
2)今村理則編:飯田・下伊那の金属鉱山,,
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