長野県佐久穂町十角平鉱山の「硫酸鉛鉱」

長野県佐久穂町十角平(とおすみだいら)鉱山の「硫酸鉛鉱」

1. 初めに

   伊藤 貞市、桜井 欽一両氏が太平洋戦争敗戦から間もない昭和22年(1947年)に
  著わした「日本鉱物誌(上)」(以下、和田維四郎の「日本鉱物誌」と紛らわしいので
  「日本鉱物誌第3版」とする)に、『長野縣南佐久郡大日方村佐久鉱山の硫酸鉛鉱』
  記載されている。『黄鉄鉱、方鉛鉱、閃亜鉛鉱等と共出す。・・・・・・・時に長さ2cmに達す』
  とあり、魅力を感じていた。
   しかし、「佐久鉱山」がどこにあったのかが判らず困惑していた。以前購入した、藤本
  治義先生の「南佐久郡地質誌」に、「佐久鉱山」が記載されているが、小海町にあった
  マンガン鉱山で、「硫酸鉛鉱」は採れそうもない。この本を読むと、「硫酸鉛鉱」が採れた
  鉱山として、佐久穂町大日方十角平にあった「十角平(とおすみだいら)鉱山」が記載されて
  いる。
   長野県川上村の「湯沼鉱泉」に宿泊し、山中社長に場所を聞いたら、偶々居合わせた
  佐久穂町出身のKさんを紹介してくれた。Kさんが大日方の親戚に電話してくれたところ
  地元のKさんが知っているとのことで、翌日訪れ、産地の入口まで案内していただいた。
   入口附近で、小さな”ズリ”を見つけ、「硫酸鉛鉱」を採集し、「これは幸先良い、本格的な
  ズリを探せば2cmも夢ではない」と同行の東京・Mさんと喜びあった。
   しかし、教えられた鉱山跡附近は植林されていて、ズリらしきものも見当たらず、鉱山跡を
  突き止めることができず”スゴスゴ”と引き上げてきた。
   集落まで戻ると、今年90歳になるという女性が、『18、9(歳)のころ、”チカチカ”光る石を
  拾って、野澤の工場(製糸)の友達に持って行って喜ばれた』と話してくれた。そのお孫さんも
  30年も前の子どもの頃に、”チカチカ”光る石を拾って遊んだと言うので、無理をお願いし
  現地まで案内していただいた。
   しかし、『昔と様子が変わってしまった』 と、産地を突き止めることができなかった。
   結局、最初に見つけた「硫酸鉛鉱」を採集したにとどまった。既に、”幻の産地(鉱物)”
  なりつつあるようです。
   有名産地を追いかけながらも、古い産地を訪ね、最新の状況をまとめておきたいと
  考えています。
  (2004年7月採集)

2. 産地

   十角平(とおすみだいら)鉱山は、佐久穂町大日向(おおひなた)十角平にある。十角平は
  ”小字”なのか、石川の石友・Yさんが送ってくれた戦前の地図にも載っていません。
   最近、「団地」ができていますので、地元の人に聞けばわかると思います。

3. 産状と採集方法

   「南佐久郡地質誌」によれば、『十角平鉱山は、古生層に迸入した石英閃緑岩の接触鉱床で
   方鉛鉱、閃亜鉛鉱、黄鉄鉱を採掘した。それに伴って、「硫酸鉛鉱」や水晶も産出した。
    大正期に採掘し、戦時中から再採掘戦後まで営業していたが現在(昭和33年)不振』

    地元の80歳を超えた男性の話では、『父親が”鉛山(なまりさん)”で働いていた。
   深さ4、50mの横穴(坑道)が何本かあった』
とのことなので、100年前後昔に鉛(方鉛鉱)を
   掘っていたことは間違いなさそうです。

    産地を案内してくれた40歳くらいの人は、『30年も前の子どもの頃、鉱山の石(ズリ)が
   山のように積んであって、そこを掘ると”チカチカ”光る石が採れた。整地された上に
   植林されたので、昔の面影が全く残っていない』
 と話してくれた。

    ズリ石と思われる転石が露出している部分を掘って採集するが、粘土質の泥に埋もれて
   いるので、その場での判定は難しい。

       
    鉱山跡【植林されている】           ズリ(?)
                  十角平鉱山跡

4. 採集鉱物

 (1)硫酸鉛鉱【Anglesite:PbSO4】
    「日本鉱物誌第3版」には、次のように記述されている。
    『 黄鉄鉱、方鉛鉱、閃亜鉛鉱等と共出す。晶相に種々あり。(1)lのみよりなる錐体のもの
     最も多く、時にoを伴ふ。白色半透明にしてo面は光沢強し。しばしば主軸は長軸の方向に
     平行連晶をなし、叉l面湾曲せることあり。普通長さ5mm内外なるも時に長さ2cmに達す。
     (2)m、lよりなる柱状のもの之に次ぎ白色半透明にして長さ5mm、径3mm内外なり。
     (3)m及びzの半数面よりなるものは産出多からず。無色透明にして、光沢強し。長さ
     5mm、径3mm内外なり。』

    今回、2つの産状のものを確認した。
   @ 結晶をなすもの
      ここの硫酸鉛鉱の結晶は、白色不透明、l面(221)が発達し、犬牙状を思わせる錐形の
    もので他の産地のものとその外形を著しく異にしている。
     褐鉄鉱に覆われた石英片に晶出し、それらが多数つながって”連晶”をなしている
    場合もある。
     また、方鉛鉱を含む石英塊の晶洞部にできた硫酸鉛鉱の結晶は、d面(102)と
    m面(110)が発達した尾去沢鉱山産のものと似た”板状”形態を示す。

       

               
           錘状                 板状
               硫酸鉛鉱結晶と結晶図【結晶図は「日本鉱物第3版」から引用】
   A 塊状をなすもの
       石英塊中や晶洞の中の方鉛鉱を置換する形で、方鉛鉱の周囲に塊状で産する。
      元々の方鉛鉱(閃亜鉛鉱?)が一部残っており、灰黒色、半透明の塊状を示す。
       硬度が2.5〜3と軟らかいので、ナイフの先で擦ると簡単に削れるので、石英との
      区別ができる。また、持った感じが”ズシリ”と重いことでも、ある程度判別できる。
       塊状の場合、「白鉛鉱【Cerussite:PbCO3】」との肉眼での判定は難しいと
      されるが、ここでは共生鉱物から考えて、硫酸鉛鉱と考えて良さそうです。

    塊状硫酸鉛鉱

 (2)水晶【Rock Crystal:SiO2】
    石英の晶洞部分に六角柱状をなして産する。大きさは、最大でも2cm程度で、標本と
   なるような美しいものは採集できなかった。
    しかし、水晶の表面や内部には、硫化鉄鉱系の銀白色の鉱物が見られます。

    水晶

 (3)その他、ここで採掘していた「方鉛鉱」「閃亜鉛鉱」は石英の中や晶洞中に小さな結晶が
   見られますが、量的には多くはない。
   黄鉄鉱に至っては、その姿を全く見ないのは、不思議な感じさえします。
    また、鉄明礬石【Jarosite:KFe'''3[(OH)3(SO4)]2】様の黄色粉末の集合体の2次鉱物も
   見られます。

    鉄明礬石(?)

5. おわりに

 (1)「日本鉱物誌第3版」を見て、古い産地を訪ね、目玉の鉱物を採集することができた。
    産地を探すのにお骨折りいただいた湯沼鉱泉の山中社長、Kさん、そして現地を
    案内していただいた皆様に厚く御礼申し上げます。

 (2)第2次世界大戦前後(1945年)頃までは、日本各地で鉱山が稼動していた。それから
    60年が過ぎ、その当時の様子を知っている人たちは、既に80歳前後になっている。
    今回、運良く当時のことを知る90歳の女性に話を聞くことができたが、5年遅かったら
    と思うと、今のうちに古い産地を回っておかねば、と決意を新たにした。

6. 参考文献

1)伊藤 貞市、桜井 欽一:日本鉱物誌(上),中文館書店,昭和22年
2)藤本 治義:南佐久郡地質誌,南佐久教育会,昭和33年
3)松原 聰:日本の鉱物,滑w習研究社,2003年
4)加藤 昭:二次鉱物読本,関東鉱物同好会,2000年
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