栃木県富井鉱山の鉱物

1. 初めに

   栃木県宇都宮市郊外篠井(しのい)町にあった富井鉱山で産出したという
  紫水晶2ケがテレビの「何でも鑑定団」に出た事があった。1ケ100万円、
  合計200万円という法外な(?)値段がつけられたことがあった。
   そのとき、ビデオに録画していなかったので、どのような標本だったかを
  正確にお伝えできないが、茨城県つくば市にある地質標本館に所蔵されている
  「富井鉱山産紫水晶群晶」の中の1本を大きくしたような印象だった。

   
   富井鉱山産紫水晶【地質標本館HPから引用】

   値段はともかく、美しい紫水晶だという記憶があり、1999年9月に初めて訪
  れ、2回目にようやく場所がわかり、その後も、2002年、2004年と何回か訪れ
  たが「雨塚山」や「鉛沢」のような紫水晶にはお目にかかったことがなかっ
  た。

   2007年2月、高取鉱山で会った某氏に新らしい情報を聞き、早速訪れ、小さ
  な頭付き紫水晶や赤鉄鉱などを採集した。
   益富地学会館の「日本の鉱物」には、富井鉱山産の「紫水晶」ではなく
  「抜け殻石英」が記載されているる有様で、「鑑定団」に出たような紫水晶は
  夢なのだろうか・・・・・・・と思い始めている。
  ( 2007年2月採集)

2. 産地

   富井鉱山は、日光街道119号線から「ヒーローしのいサーキット」(15年ほど
  前はゴルフ場)を目指して行くと、東海寺の先左側にNTTの無線中継所(?)
  らしき施設がある。「学校林」の標識があるので、それに従い、そこを右に
  入る。
    右に入る枝道があるが、そこを直進すると2又になっており、やや登り坂に
  なっている左を進み、橋を渡ると左側に広い駐車スペースがある。右上の林の
  中には、「学校林」の石碑が見える。
  広場(今回、伐採した杉丸太が積んであった)の崖下が「選鉱場」か「ズリ」の
  跡らしい。

  1999年に初めて訪れたとき、栗畑で働いていた地元の年配の人に聞くと、ここは
  戦国時代に常陸の国主、佐竹氏が金を露天掘りで掘り始めた。東海寺の虚空像も
  その時代に常陸国(現在の茨城県)の東海村にあったものを移したので東海寺と
  名づけられた。
   その後時代が下って、坑道を掘り進み、銅やモリブデン(?)を採掘した。地
  元の人が「男山」と呼ぶ山の尾根の中腹に露天掘り跡が有るそうで、その尾根を
  下がった所に坑口があり、その反対側の坑口は私が入った沢のもう少し上流で
  地元の人が「本山(もとやま)」と呼んでいる所らしい。(「本山」は地図にも
  ある。)
  その人が坑道に昔入れてもらったことがあったが、反対側に抜けるのに、40分
  くらい歩いた。
   その後、昭和になり、「富井(日東)鉱山」が金銀銅を採掘したが、やがて閉
  山し、坑口から出る鉱毒水が問題になり、坑口は閉鎖されてしまった。

   東京科学博物館に所蔵されている「野州篠井村金山図」には、『 男山(元山トモ
  言フ 』の中腹まで細い道が描かれており、上の話を裏付けている。

   
        野州篠井村金山図【日本の鉱山文化から引用】

3. 産状と採集方法

   1999年に初めて訪れた時、場所が良く分からなかったので、とりあえず、鉱物採
  集の鉄則(?)の『 分からなかったら沢か尾根を攻めろ 』に従い、沢に入って
  みると紫石英や白い水晶が落ちていた。
   緑色や紫色がかった凝灰岩〜珪質岩に石英脈が貫入し、黄銅鉱などに接する部分
  の石英は紫色に色づいている。ただ、脈幅が太くても4cm程度と薄いため、その中に
  成長した紫水晶は、いわゆる”入れ歯”状態で、自形結晶が大きく成長する条件は
  整っていなかったようだ。
   上流に攻めていくと、折れ曲がったレール(鉱山のトロッコの軌道)や削岩機で
  開けた”丸い穴”の残るズリ石なども姿を現し、それらの源をたどってさらに上流
  に進むと”ズリ”が姿を現わし、鉱山跡であることを教えてくれる。
   ここより上流では、紫石英どころか、石英すら確認していない。この産地では
  沢沿いを歩きながらズリから流れて洗われた水晶を探すか、ズリを掘って探すことに
  なる。

      
      ズリ石【削岩機による孔】     ズリ【選鉱場跡?】
                  富井鉱山跡

4. 採集鉱物

 (1) 石英【QUARTZ:SiO2

     ここで産出する石英にはいくつかのタイプがある。

    @ 紫水晶【Amethyst】
       紫石英と呼ぶべき脈状のものが95 %以上で、水晶の柱面や錐面が明瞭に
      観察できる標本は、極めて希である。
       今回採集できた錐面と柱面を有する紫水晶は、「万珠鉱山」産のものに
      似た、小さなものである。

    A 抜け殻石英
       「日本の鉱物」によれば、ここの鉱脈は、3回鉱化作用があったとされ
      最初に晶出した「重晶石」が溶かされ、その回りを石英(小さな水晶)が
      覆い、もともと重晶石があった部分は空洞になっている。

     
         紫石英           紫水晶【一応、頭付き】

   
        抜け殻石英
                 富井鉱山産石英

 (2)赤鉄鉱/鏡鉄鉱【HEMATITE:Fe2O3
     緑色母岩や石英の空隙や脈の中に、鋼黒色〜赤色の葉片状〜燐片状結晶の集合
    として産する。

      赤鉄鉱(鏡鉄鉱)

5. おわりに

 (1) 久しぶりに多少の期待を抱いて訪れた産地であったが、完全に打ち砕かれて
    しまった。
     鑑定団に出た、あれだけの紫水晶が出たのだから、こんな筈はない、と思った
    が、現実は厳しい。

 (2) 「 何でも鑑定団」に出た紫水晶は、持ち出しを禁止されていたものを抗夫が
    密かに坑外に持ち出し、近くの店で酒に替えたものらしい。
     その店が買いためた紫水晶は、その後纏めて売り払われたらしい。また
    村の役員にも「紫水晶」が配られたらしいが、今どうなっているか、判らない。

 (3) ここの紫水晶の出方は、石川県の尾小屋や遊泉寺と似ているような気がする。
    尾小屋や遊泉寺ならこんな苦労はないのに・・・・・・。妻とのボヤキでした。

6. 参考文献

 1)国立科学博物館編:日本の鉱山文化 絵図が語る暮らしと技術
            科学博物館後援会,平成8年
 2)益富地学会館監修:日本の鉱物,成美堂出版,1994年
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