値段はともかく、美しい紫水晶だという記憶があり、1999年9月に初めて訪
れ、2回目にようやく場所がわかり、その後も、2002年、2004年と何回か訪れ
たが「雨塚山」や「鉛沢」のような紫水晶にはお目にかかったことがなかっ
た。
2007年2月、高取鉱山で会った某氏に新らしい情報を聞き、早速訪れ、小さ
な頭付き紫水晶や赤鉄鉱などを採集した。
益富地学会館の「日本の鉱物」には、富井鉱山産の「紫水晶」ではなく
「抜け殻石英」が記載されているる有様で、「鑑定団」に出たような紫水晶は
夢なのだろうか・・・・・・・と思い始めている。
( 2007年2月採集)
1999年に初めて訪れたとき、栗畑で働いていた地元の年配の人に聞くと、ここは
戦国時代に常陸の国主、佐竹氏が金を露天掘りで掘り始めた。東海寺の虚空像も
その時代に常陸国(現在の茨城県)の東海村にあったものを移したので東海寺と
名づけられた。
その後時代が下って、坑道を掘り進み、銅やモリブデン(?)を採掘した。地
元の人が「男山」と呼ぶ山の尾根の中腹に露天掘り跡が有るそうで、その尾根を
下がった所に坑口があり、その反対側の坑口は私が入った沢のもう少し上流で
地元の人が「本山(もとやま)」と呼んでいる所らしい。(「本山」は地図にも
ある。)
その人が坑道に昔入れてもらったことがあったが、反対側に抜けるのに、40分
くらい歩いた。
その後、昭和になり、「富井(日東)鉱山」が金銀銅を採掘したが、やがて閉
山し、坑口から出る鉱毒水が問題になり、坑口は閉鎖されてしまった。
東京科学博物館に所蔵されている「野州篠井村金山図」には、『 男山(元山トモ
言フ 』の中腹まで細い道が描かれており、上の話を裏付けている。
ここで産出する石英にはいくつかのタイプがある。
@ 紫水晶【Amethyst】
紫石英と呼ぶべき脈状のものが95 %以上で、水晶の柱面や錐面が明瞭に
観察できる標本は、極めて希である。
今回採集できた錐面と柱面を有する紫水晶は、「万珠鉱山」産のものに
似た、小さなものである。
A 抜け殻石英
「日本の鉱物」によれば、ここの鉱脈は、3回鉱化作用があったとされ
最初に晶出した「重晶石」が溶かされ、その回りを石英(小さな水晶)が
覆い、もともと重晶石があった部分は空洞になっている。
抜け殻石英
富井鉱山産石英
(2)赤鉄鉱/鏡鉄鉱【HEMATITE:Fe2O3】
緑色母岩や石英の空隙や脈の中に、鋼黒色〜赤色の葉片状〜燐片状結晶の集合
として産する。
(2) 「 何でも鑑定団」に出た紫水晶は、持ち出しを禁止されていたものを抗夫が
密かに坑外に持ち出し、近くの店で酒に替えたものらしい。
その店が買いためた紫水晶は、その後纏めて売り払われたらしい。また
村の役員にも「紫水晶」が配られたらしいが、今どうなっているか、判らない。
(3) ここの紫水晶の出方は、石川県の尾小屋や遊泉寺と似ているような気がする。
尾小屋や遊泉寺ならこんな苦労はないのに・・・・・・。妻とのボヤキでした。