秩父鉱山簡易郵便局【休日に撮影】
3.局の沿革
(1)秩父鉱山の沿革
秩父鉱山そのものの歴史は古く、明和2年から4年にかけて平賀源内が入山し
桃の窪旧坑(金坑)を手始めにあちこち採鉱したことからも分かります。
明治44年に英国資本家・ベーツ出資により英国人技師達が探鉱したが鉱床を
発見できず、その後、柳瀬貞三の経営となり、本坑、雁掛澤、ワナバ澤などで
短期間に金、銀、鉛、亜鉛鉱を発見し、金山として隆盛を見るに至った。
1914年に第一次大戦勃発に伴い、鉄の価格が高騰し、金より鉄に転じて全山挙げて
探鉱に取り組み、道心(神?)窪、金香坂などの大鉱床を発見し、皆野駅までの間に
空中索道を建設するなど、前途洋々と思われた。
しかし、欧州大戦の終結に伴い、鉄価が暴落し鉱業界の不振により休山に追い込まれた。
昭和7年、またまた金山として復興し、産出鉱石を日立鉱山に売鉱し、重要鉱山に
指定された。
秩父鉱山簡易郵便局の局員のお話では、鉱山の最盛期には3000名の人々がいたが
2002年には、100名ほどになってしまったそうです。
(2)秩父鉱山簡易郵便局の沿革
この局は当初「秩父鉱山郵便局」として開局したようです。開局の時期は調査中ですが
鉱山の沿革からみて、昭和10年前後だろうと考えています。
大正・昭和??年 開局(調査中)
昭和61年 簡易局に移行
平成14年 現在に至る
4.秩父鉱山の消印
消印は、官製はがきに日付印や風景印を押すのが一般的です。風景印はないので
日付印を官製はがき、コイル切手そして記念切手に押印してもらいました。
”相撲シリーズ”の記念切手にしたのは、たまたま秋場所が開催中だったからです。
官製はがき コイル切手 記念切手
秩父鉱山の消印
5.おわりに
(1)秩父鉱山簡易郵便局の局長は個人名にはなっているが、実質は「ニッチツ」が
主体で運営しているようで、局員の人も「ニッチツ」の名前が入った作業服姿です。
世の中全体の景気が思わしくない昨今、閉局にならなければ良いがと、案じています。
(2)今回、秩父鉱山の目玉である”車骨鉱”、”ブーランジェ鉱”そして”毛鉱”を
採集するついでに立ち寄りました。(結果については、後日、HPに掲載予定)
押印だけであれば、「郵頼」という方法があります。これは、押印してもらうものと
押印位置などをメモ書きしたものを宛名を書いた返信封筒と一緒に同封し、郵便局へ
送って、押印をお願いする方法です。
これですと、遠隔地でも比較的簡単に消印を入手できます。
6.参考文献
1)斎藤直基知編:大日本鉱山史,日本産業調査会,昭和15年