船は北海を南下、スウェーデンとデンマークの間の狭い「オーレソン(エーレスンド)海峡」を抜けバルト海に
入る。ドイツ、ポーランドの北を東に進み、バルト三国のリトアニア、ラトビア、エストニア沖を北に進みフィン
ランド湾に入り、その行き止まりがサンクトペテルブルク(旧レニングラード)だ。サンクトペテルブルク港まで
約1,500キロ、2日半の航海だ。
(2016年5月28日〜31日 体験 )
クロンボー城はデンマークの首都コペンハーゲンから北に約30kmの、バルト海に面した海岸線にあり、わずか
幅7kmのエレソン海峡を挟んでスウェーデンのヘルシンボリと対峙する。ここに城の起源となる砦が築かれたのは
15世紀だった。
シェイクスピアの「ハムレット」の舞台「エルシノア城」として有名な城であるが、シェイクスピア自身がこの城を
訪れたことはない。城内には、シェイクスピアを記念した石版が掲げられている。2000年に、”人類の歴史上
重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例”として、ユネスコの世界
文化遺産に登録された。
もう少し南に進んだ方が城に近いのだが、背景に近代都市のビルや港湾施設が入ってしまうので、この写真
にした。これを絵葉書にして、父親がシェークスピア研究者の三男の嫁さんの実家など親族・友人にお送りした。
【後日談】
2017年は、日本とデンマークが外交関係を樹立して150周年になる。それを記念して、5月2日に10種類の
記念切手が発行された。その中に、「クロンボー城」を描く1枚がある。
『デンマーク語の”hygge(ヒュッゲ)”=「人と人とのふれあいから生まれる居心地の良い雰囲気」をテーマに、
お手紙が明るくなるようなイラストを描きおろしました』、との制作秘話が載っている。
切手発行初日に甲府中央郵便局で記念押印した。日付と”JAPAN”の間にある”鳥のマーク”は”ハト”を
描いているので、通称「欧文ハト印」と呼ばれ、原則午前中にしか押さないことになっている。
海底トンネル部分は当然船から見えないが、 全長7845 m もある橋は遠くからでもハッキリ見える。中央
部分が斜張橋になっていて、490 m のスパンと 57 m の桁下高がある。これにより航路が確保されており、
クイーン・エリザベスUも余裕を持って通過できるくらいだから、われわれの乗った船は楽に通過できた。
新聞はA3サイズ両面が多かったが、上陸が相次いだり、大きなイベントがあったりすると、A4サイズになること
もあったし、2日分をまとめた合併号も発行された。
7月26日横浜帰港が近づくころ、、「船内新聞」のバックナンバー探しを始めた。持っていない日の分を新聞
担当スタッフからもらったり、旅友から借りてコピーを取ったりした。世の中には、同じようなことを考える人がいる
もので、千葉のTさんもその一人だった。
Tさん「MH、7月18日の新聞持ってますか?」、と聞かれた。MH「私も探しているんですが、無いんですよ」。
17日24時と同時に、「日付変更線」をまたぐため、18日は”消滅日”となり、いきなり19日0時になってしまう
ため新聞はないのだ、と気づくまでしばし時間がかかった。
一般紙もそうだが、紙面の構成はほぼ固定している。サンクトぺテルブルクに向けてバルト海を航海していた
5月30日の船内新聞を紹介する。
ある日、新聞編集スタッフの”やっさん”から、「MH、船内新聞の『参加者紹介』 コーナー”旅の人 船の人”
に載せたいのですが」、と声を掛けられた。この旅を自分の一生を振り返ると同時にこれからを考えるきっかけに
しようと思っていたので、記者や船客の眼に私がどのように映っているのかも知りたくて、快諾した。インタビュー
の後、下のような記事が5月17日に掲載された。
もう一つは、電源コンセントだ。船室やデッキにある差し込み口が”ゆるく”なっていて、差し込んでも電気が
流れないことが多いのだ。私のところに、「デジカメを充電しておいたのに使えない」、と持ち込まれる相談の
大半がコンセントの不具合が原因だった。
8階のデッキの私の定位置にあるコンセントも接触不良気味だった。何とか、”騙し、騙し”使っていたが、
乗船して1ケ月半も経った5月後半には、”騙し”切れなくなっていた。
以前、船側に修理を依頼したことがあったが、その結果ははかばかしくなかった。かくなる上は、自力で何
とかしようと思い、廊下の反対側にあるコンセントを調べてみると、そこは今までほとんど使われていないせいか、
接触も良好で、ここから10メートルくらい配線を延ばせば何とかなりそうだった。
5月28日、スウェーデンのヨーテボリ港に上陸した時に、配線に必要な部品を購入してきたのは既報の通
りだ。翌29日に早速配線工事を行ったところ、大変調子が良く、パソコンを使う人たちから「快適になりました」、
と感謝された。
ところが、30日になって、旅行会社側からケーブルを撤去するようにと指示があった。「他のコンセントが使え
ないので、これがないと困るので、撤去する気はない」、と答えると副キャプテンを連れてきた。副キャプテンに
も同じように(英語で)伝えた。「修理が済んで、コンセントが使えるようになったら撤去する」と伝えると、副
キャプテンがメンテナンス部門に連絡し修理員を呼び、2人が部品や測定器をもってやってきた。部品を交換
し終わったところで、私が測定器で電圧が220ボルトあることを確認したので、仮配線を撤去した。
このことがあってから、副キャプテンが私の顔を見るたびに、「コンセントの具合いはどうだ?」、と聞いてくる
ようになり、「お蔭で良くなった」と感謝した。
日本人は、”察してくれるだろう”と何か不満があっても直接口に出すことをためらうことが多い。外国人は、
”不平不満がないのは、満足している証拠”と思っているのだから、察してなどくれない。外国でのビジネスの
”イロハ”は、「不満や感謝は口に出して言う」だ。
5.2 『MH農園』
母の介護や家の修繕で、関東に出かけ、長逗留することも多く、『MH農園』に植えた夏野菜の苗が水が
なくて枯れるのがでる始末だ。
それでも、昨年の晩秋に植えた「ニンニク」や播いた「ソラマメ」が収穫期を迎えている。どちらも、無農薬
なので安心して食べられる。「ソラマメ」は百均で買った一袋50円(税込54円)の種から採れたものだ。
5月GWに帰省した孫娘を「MH農園」に連れて行き、「なぜ、『ソラマメ』というのか」、と尋ねたが、もちろん
解るはずがない。育ててみればわかるのだが、「(熟するまで)豆が入った莢(さや)が空(上)を向いている
ので、『空豆』という」のだ。これ本当です。
母の日に、孫娘がひいおばちゃんとの2ショットを絵にかいてくれた。2人の年齢差、84歳だ。