スペインのモトリル港から地中海(アルボラン海)と大西洋をしきる「ジブラルタル海峡」の入口まで200キロ足ら
ずだから、15ノット(時速約27km)でユックリ走っても8時間もあれば着いてしまう。
5月18日の深夜、日付が変わるころモトリル港を出港し、翌19日9時半過ぎにデッキに出てみると右舷から
朝靄(もや)の中に陸地が見えていた。カメラのGPS情報から撮影ポイントを地図に落としてみると、「ジブラル
タル海峡」に差し掛かるところだった。
見えている陸地は進行方向右側だから、スペイン(ユーラシア大陸)側だ。真っ白い切り立った崖が見える
辺りがイギリス領ジブラルタルで、この岩山がジブラルタルのシンボル「ザ・ロック」だ。その左手に見える山々は
イベリア半島だ。狭い部分で14キロしかない海峡は風が強く、潮の流れも早いせいか、白波が立っていた。
いよいよ、「ジブラルタル海峡」通過だ。
( 2016年5月19日 体験 )
ジブラルタルにはギリシャ神話の英雄・ヘラクレスにちなむ『ヘラクレスの柱(Pillars of Hercules)』があった、
とされる。ヘラクレスに課せられた12の功業の1つに、大洋オーケアノスの西の果てに浮かぶ島エリュテイアに住
むゲーリュオーンの飼う「紅い牛」をエウリュステウス王のところに連れ帰る仕事(ヘラクレスの10番目の功業)が
あった。エリュテイアへ向かう途中、アトラス山を横断しなければならなかったが、ヘラクレスは山を登る代わりに、
近道しようと考えた。そこで巨大な山をその怪力で砕くことにした。ヘラクレスは「鎚矛(または棍棒)」で、山を
真っ二つにした。その結果、大西洋と地中海がジブラルタル海峡で繋がった。以降、分かれた2つの山をひと
まとめにして、ヘラクレスの柱と呼ぶようになった。この神話を描いた切手がジブラルタルから発行されている。
2本の柱のうち北(ユーラシア大陸)側は、「ジブラルタルの岩(Rock of Gibraltar)」との説が広く受入れられ
ているようだが、南(アフリカ)側の柱がどこなのかは諸説あるようだ。この辺の事情を切手にも反映してか、
北側(切手の左側)の柱は三角形の特徴ある「ジブラルタルの岩」の上にあるが、南側(切手の右側)の柱は、
どこにあるのかボヤかしてある。
プラトンは、「失われた王国アトランティスは『ヘラクレスの柱』の向こう(大西洋)にあった」と書き残している
くらいだから、ギリシャ時代の人々は柱があるものだと思い込んで(信じ込まされて)いたのだろう。
ジブラルタルの岩山「ザ・ロック」は石灰岩と頁岩からなっていて、東側は登攀(とはん)できないくらいの急な
崖で、西側も山頂付近は急峻だが、中腹以下は比較的緩やかな傾斜となって市街地が階段状に連なって
いる。山の中腹には、石灰岩質地質特有の鍾乳洞があり、見学ができる。
ジブラルタルからは、「ザ・ロック」を描く4種類の切手が発行されている。
実は、これらの切手にはある仕掛けがあるのだ。「ザ・ロック」の岩石を粉末にして切手に貼りつけているのだ。
この20日後の6月9日に訪れたアイスランドでは2012年に火山灰を添付した切手を発行するなど、多くの国から
同じような切手が発行されているが、その先駆けになったものだ。
岩石粉の部分を拡大してみると、サイズは0.1ミリくらい、色は透明〜白色で、「石灰岩」、鉱物名では「方
解石」のようだ。
岩石粉はまんべんなく貼りつけられているのではなく、図案の崖や露頭など岩石がある部分にだけ、選択的
に貼りつけられている。実態顕微鏡で観察すると透明インクに岩石粉を混ぜて何色刷りかの最後の工程で
印刷したようだ。
ちなみにこの切手は実際に使用することを想定していなかったようで、発売されたときにすでに消印が押された
プリ・キャンセルと呼ばれる使用済の状態だった。
船内において投函された郵便物の取り扱いについては、1892年(明治25年)7月1日より実施されたUPU
(仏: Union postale universelle、英: Universal Postal Union:万国郵便連合)ウィーン条約に次のように
定められている。(日本の実施は遅れて、1994年(明治27年)1月17日から)
・ 船内において投函された郵便物は、公海を航行するときはその船が所属する国の郵便切手を貼り、寄
港地の領海内や停泊中にはその寄港地の国の切手を使用する。
・ 船内郵便局は寄港地の領海に入ると閉局されるので、寄港地領海内を航行中および寄港中に投函さ
れた郵便物には陸揚地の郵便局で「船内投函郵便印(パックボー印)」を使用する。
このようにして投函された郵便物に、船内郵便局で使用したのが「船内郵便局印」で、陸揚地の郵便局で
使用したのが「船内投函郵便印」である。
「船内投函郵便印」には、UPUの公用語であるフランス語で「郵便船」を意味する”PAQUEBOT(パックボー)”が
表示されている。
下の写真の切手は、公海上の日本船籍の船の中で投函された、日本で大正初期から昭和10年代初め
まで使用された「田沢切手」を貼った郵便物が陸揚げされたジブラルタル港の郵便局で「船内投函郵便印」を
押されたものだ。
消印に、陸揚地の”GIBRALTAR(ジブラルタル)”とパ(ックボー)の”PA(QUEBOT)”を読み取ることができる。
消印の日付は、” 17 06 31(37?) ” と読め、1931(37)年(昭和6年(12年))6月17日だ。用紙が赤や黒に
着色した繊維が漉(す)き込まれているところから、”着色繊維すき込み白紙”で、これだとすると1931年の可能
性が高い。
【補足】
「地球一周の旅」でみた世界各国の郵便事情は次のページで紹介した。
私が乗った船には船内局がなかった。その代わり、船のレセプション(受付)では、郵便切手の代わりを
する"AIRMAIL" と印刷された「郵便物受付シール」(1枚 150円)を売っていた。支払いはカード。
絵葉書は1枚、封筒なら2枚のシールを貼って、ポスト代わりの段ボール箱に入れておくと、たぶん現地の人
が上陸した港の郵便局に持ち込んで現地の切手を貼って差し出してくれるシステムだった。
私がこのシステムを利用したのは2回くらいしかなく、95%以上のケースでは次のような手段で絵葉書類を
郵送した。
@ 日本で買っておいた上陸地の切手をすでに貼っておいて街中のポストに自分で投函する。
A 切手が不足したり、ない場合は、郵便局や売店で購入し、貼ってポストに自分で投函。
あるいは、郵便局員に投函を依頼。
B 切手を売っている郵便局、売店、あるいは投函するポストが見つからない場合、現地人ガイドにしかる
べき金額のお金を渡して投函をお願いした。
人任せにしたケースでは、日本では起こり得ないようなトラブルがいろいろ発生し、図らずも訪れた国の
”民度(みんど:住民の生活・文明・道徳などの程度)”を推し量ることができた。
A のケース、ロシアで郵便局員に10通以上投函を依頼したが、1通も届いていなかった。切手代とすでに
貼ってあった切手を”ネコババ”されたようだ。同じ事は、ベネズエラのラグアイア郵便局でも起きた。
B のケース、スリランカでガイド氏に「宝石探し」参加者の絵葉書と切手代を渡して投函を依頼した。
半月ほど過ぎて、妻から「絵葉書がたくさん届いているが、これら全部に私が切手を貼って出すの
ですか?」と意味不明なメールが入ってきた。
ガイド氏が、参加者の絵葉書に切手を貼らずに一括して私の家に送って、切手代を”チョロまかした”
ようだ。
日本の切手を貼って、甲府局消印の絵葉書を受け取った人は不審に思ったのではないだろうか。
「あの人、海外に行くとか言ってたけど、絵葉書だけ買って、国内に雲隠れしてるんじゃない」、なんて
ことにはならなかったようで、何よりだ。
ただ、私の妻のブーイングが収まるまで、”あの手、この手”の懐柔策を弄(ろう)さざるを得なかった。
退屈な航海をエキサイティングなものにしてくれるのは、クジラなど生き物との遭遇。虹、南十字星、ハロなど
天文・気象現象などがある。
2015年の「南極探検」で見た”ハロ”については、その発生する理論を解析するほど熱が入ってしまった。
切手店を巡っていると、”ハロ”を描く切手が世界各国で発行されているのを知り、いくつか購入したので紹
介する。
右の英領南極で発行した切手に ” Halo(22°) ” とあるが、上のページを読んでもらえれば、カッコの中の
” 22度 ” の意味も理解していただけるだろう。
地球上のどこでも普通にみられる虹ですら、スリランカに向かうインド洋上でみた”2重の虹”は忘れられない。
( 内側のを「主虹(しゅこう)」、外側のを「副虹(ふくこう)」、と呼ぶと、最近読んだ「雲の上では何が起こっ
ているか」で知った。)
虹を描く切手も多数発行されているが、 ” 2重の虹 ” を描いた珍しい切手もあるので紹介する。
さて、前置きが長くなってしまったが、「地球一周の旅」で乗船して間もない頃、説明会で「この航海の間に
” グリーン・フラッシュ ” が見(ら)れる、かも知れない 」、と聞いた。
初めて聞いた耳慣れない ” グリーン・フラッシュ ” とは、『太陽が完全に沈む直前、または昇った直後に、
緑色の光が一瞬輝いたようにまたたく、非常に稀な現象で、緑閃光ともいわれる 』 ものだ。
何回も乗船している写真担当者の話でも、「1航海で1回見られるか、どうか」、というくらい珍しい現象だ。
この話を聞いて以来、雨が降っていない限り、日没になると太陽が完全に沈むまでカメラを片手にデッキで夕日
を見るのが日課のようになっていた。” グリーン・フラッシュ ” の追っかけは私以外にも多くて、たまに忘れて
いると、大坂・Kさんから、「MH 昨日の夕日は綺麗でしたよ。撮った写真を差し上げましょうか 」、と声を掛けて
くれ、JPGデータを戴いたことが2回くらいあったほどだ。
4月12日に横浜港を出港してこの日が38日目だった。ここまで20回以上夕日を見てきたが、”グリーン・フラッ
シュ”は見られなかった。
22時過ぎになってようやく大西洋に沈む太陽を見ることができた。
しかし、この日も” グリーン・フラッシュ ” は観察できなかった。
帰国してしばらくたって読売新聞を読んでいると、「10月8日夕、小笠原父島で” グリーン・フラッシュ ”が
見られた」、という記事が載っていた。
添えられた写真を見ると、まさに” グリーン・フラッシュ ” だ。