北極圏をめぐる地球一周の旅 【インド洋から地中海】 ( Tour around the World & Arctic Circle 2016 - Indian Ocean to Mediterranean Sea - )









   北極圏をめぐる地球一周の旅  【インド洋から地中海】

    ( Tour around the World & Arctic Circle 2016 - Indian Ocean to Mediterranean Sea - )

1. はじめに

    2016年4月11日に甲府を発って、『地球一周の旅』を終え、7月26日朝横浜港に帰港し、お昼前に
   甲府に無事帰着した。今までに経験したことのない3ケ月半に及ぶ107日間の長旅だった。

    これだけ長期間の旅(航海)だと、世界や寄港国の情勢変化だけでなく、船の故障(?)や船客の
   帰船遅れ(行方不明?)などによって、入出港の日時が変更になったり、訪問国そのものが変わるこ
   とすらあった。

    107日間の旅日記は、2015年の南極旅行の時と同じようにオーソドックスに、日付順にまとめている。
   今回の旅友の一人、『ベル―が(beluga)の海』さんも同じスタイルだ。

    ・『belugaの海』

    横浜で下船する前に、船長・アンデルソン船長のサインと個人名の入った「地球一周の旅(航海)
   証明書」なるものが一人ひとりに渡された。

     
                    「地球一周航海証明書」

    この証明書には、26の寄港地名と前の寄港地からの距離(海里:Nautical Miles)がしるされていて、
   その合計は29,343海里(54,343キロメートル)とある。赤道での地球一周の距離は40,075キロだから、
   単純に計算すると地球一周の1.36倍の距離を航海したことになる。
    それは、私が作成して旅先からの絵葉書や封筒に貼りつけた、「地球一周航海図」からもわかるよ
   うに、日本を出てシンガポールまで南に走り、スリランカからスエズ運河、地中海を経て大西洋を北上
   し、そしてアイスランド沖の北極圏(北緯66度33分以北)からパナマまでまで南下したように、おおまか
   には西に進みながら大きく 南→北→南→北 に航海していたことによる。

     
                          「地球一周」航海図

2. 航行距離

    寄港地から寄港地までの距離を表にまとめ直してみた。スリランカのコロンボ港を出港してからキプロ
   スのリマソール港に入港するまでは、航行距離が3,664海里(6,786キロ)あり、グアテマラ−ハワイ間の
   7,527キロに次いで「地球一周の旅」で寄港せずに走った2番目に長い区間になる。

寄港地 航行距離
   国    港     海里
(Nortical Miles)
  km
日本 横浜 - -
日本 神戸 306 567
マレーシア コタキナバル 2,059 3,813
シンガポール シンガポール 823 1,524
スリランカ コロンボ 1,580 2,926
スエズ運河航行
キプロス リマソール 3,664 6,786
ギリシャ サントリーニ 422 782
ピレウス 127 235
イタリア カタニア 493 913
スペイン モトリル 1,008 1,867
ポルトガル リスボン 416 770
フランス ルアブール 905 1,676
イギリス ドーバー 122 226
ドイツ ハンブルク 327 606
スウェーデン ヨーテボリ 344 637
ロシア サンクトペテルブルグ 793 1,469
フィンランド ヘルシンキ 143 265
デンマーク コペンハーゲン 551 1,020
ノルウェー ベルゲン 400 741
ソグネフィヨルドとネーロイフィヨルド遊覧
アイスランド レイキャビック 1,122 2,078
北極圏航行
カナダ シャーロットタウン 2,032 3,763
ベネズエラ ラグアイア 2,427 4,495
キュラソー ウイレムスタード 143 265
パナマ クリストバル 680 1,259
パナマ運河航行
グアテマラ プエルトケツアル 956 1,771
アメリカ ホノルル(ハワイ) 4,064 7,527
日本 横浜 3,436 6,363
合      計 29,343 54,343

    この間の航海は、インド洋 → アデン湾 → バブルマンデル海峡 → 紅海 → スエズ運河 → 地中海 と
   変化に富んでいた。

3. 海賊の海を突破!!

    4月27日22時ごろ、スリランカでの「宝石探し」を楽しんだ後、次の目的地キプロスに向かって船は
   コロンボ港を出港した。
    翌朝デッキに出てGPSで位置を計測すると、インド大陸の南端沖のインド洋を西に進んでいた。インド
   洋は穏やかで、”油を流した”という表現がぴったりだった。ただ、朝6時だというのに気温30.3度、湿度
   80%、風がないため一段と蒸し暑く感じられる。昔、「不快指数」なる表現があったが、限りなく100に
   近い。
    冷房が効いた船室からデッキに出ると、カメラが結露してしまう。しかも、潮の飛沫(しぶき)なども浴
   びているせいか、”ベタベタ”している。撮影する前にレンズに付着した露をトイレットペーパーで拭き取る
   のを忘れると”ピンボケ”写真になってしまう。

    結露の影響なのだろうか、持参した3台のカメラの内の1台、ニコンのデジカメのズーム機能が動かなく
   なってしまった。

     
           ズーム機能が故障したデジカメ

    このカメラは2015年1月の南極探検出発直前に買ったもので、@ 30倍ズーム A GPS機能付き が
   気に入っていた。地球一周の旅のために買ったニコンの一眼レフはあまり使わず、このカメラをメインに
   ここまで使っていた。ズームは利かないが、固定焦点カメラとしては使えるし、GPS機能も生きているので、
   このまま使い続けることにして、ズーム機能は新しく買ったニコンの一眼レフに受け持たせることにした。

    【後日談】
    船の中でPCやデジカメなどのトラブル解決をお手伝いする『PCコンサルタント』を開業したことは、以前
   のページで紹介した。

   ・ 北極圏をめぐる地球一周の旅 【PCコンサルタント誕生】
   ( Tour around the World & Arctic Circle 2016 - PC Consultant - )

    相談者の中に、私と同じレンズが繰り出すズーム機能をもっているデジカメのズーム機能が動かなく
   なるトラブルに見舞われた人がいた。
    私は、ニコンのデジカメを買ってからというもの毎日のようにケースに入れてベルトに吊るしていたが、
   トイレに入ってベルトを緩めた拍子にケースごと床に落とす”耐衝撃試験”を何十回かやっているので、
   それが原因かなとも思っていた。もう一つ、ソフトケースに入れているので、農作業などで屈(かが)んだ
   拍子に電源が入ってしまい、レンズが伸び出して、狭いケースの中なので伸びきれずに”レンズエラー”
   になったことも何回かあったのも悪かったかなと思っていた。
    しかし、毎日のようにズーム機能を使っていれば、”家電品”のデジカメのこと、2年も使ったら故障して
   も仕方がないと思うようになっていた。確か、2万4千円で買ったので、1ケ月あたり1,000円、1日あたり
   30円だったら十分元はとった、と考えると安いものだ。そんなわけで、相談者には、”寿命”ですね、と
   諦めていただいた。

    7月26日に帰国して、デジカメをどうするかが問題だった。気軽に持ち歩くのに一眼レフでは仰々しい。
   まず、買った家電量販店に行って同じものを探したが、同じ型式どころか後継機すら置いていない。
   ( このタイプは、故障が多くて開発・製造中止になったかと勘ぐったりしてしまう )
    修理の見積もりを頼むと、「一万五千円から・・・」と買った値段に近い金額をほのめかされると、修理
   するのが馬鹿らしくなる。
    帰宅して、インターネットオークションで同じ型式のものを探すと何台か出ているが買った値段に近い。
   色にもこだわりがあり、今使っているのと同じ色のものは1台しかなく、しかも”訳アリ”品なので気が進ま
   ない。
    慌てて買う必要もないと思い直して、カメラを買うことを忘れてかけていた。

    帰国して10日ほど経って何気なくズームのレバーを動かすとレンズが出たり入ったりするではないか。
   実は、故障してからも、10回に1回くらいは一方向にだけぎこちないが動く気配を示すときもあったので、
   まただろうぐらいに思っていた。翌日も動かしてみると、シッカリ動くし、試しに撮ってみるとピントも合って
   いる。その後、毎日のように動作を確認しているがいたってスムースで今日に至っている。”完全復調”だ。

    技術士として気になる故障の原因だが、”結露したものから析出した潮気を含む物質がレンズを繰り
   出す駆動部に”ベッタリ”と付着して動かなくなった。帰国して、クーラーの利いた部屋に保管している
   間に乾燥し、付着物が剥がれ落ちた”のだろうと推測している。

    さて、インド洋は、波がほとんどなく、島影など全く見えず、ときたま”トビウオ”を目にするくらいで、退
   屈な海だったが、赤い日の出と夕日がきれいだったという印象だ。

        
                  日の出                            日没
                                「インド洋」

    船がインド洋からアデン湾に向かう4月29日から「ソマリア沖海賊対策」が実施されることになった。
   その主なものは、”灯火管制”だった。

    @ 日没後から日の出まで、オープンデッキへの立ち入り禁止
    A 8階デッキの窓に日没直前に遮光カーテン取り付け
(翌朝には取り外し)
    B 一部のキャビンの窓から光が漏れないよう遮光対策

    ソマリア沖の海賊(Piracy in Somalia)とは、アデン湾とインド洋のソマリア周辺海域で発生し国際
   海運の障害となっている海賊んことだ。1990年代初期にソマリア内戦が始まった頃から目立つようにな
   り、近年その活動が活発化して、スエズ運河・紅海を経由し地中海とインド洋を往来する年間約2万
   隻の商船にとって大きな脅威となっている。
    ソマリア沖というが、事件の多くはアデン湾で発生し、2008年にいたっては、そのほとんどがアラビア
   半島のイエメン沿岸というべき海域であった。
    日本政府も海上自衛隊のソマリア沖への派遣を検討し始め、2009年3月13日、ソマリア沖・アデン湾
   における海賊行為対処のための海上警備行動を発令し、翌3月14日、海上自衛隊の護衛艦2隻を
   ソマリアに向けて出航させた。
    2009年6月19日に海賊行為の処罰及び海賊行為への対処に関する法律(海賊対処法)が成立し
   たので、新法施行の7月24日以降派遣部隊は護衛活動の根拠法を自衛隊法等に定められた海上
   警備行動から海賊対処法に切り替えて、われわれの船がこの海域を通過したときも自衛隊の護衛艦
   が伴走して警備してくれた。

     
                          アデン湾航海図

    自衛艦が護衛してくれたのは、図の赤線で示す「Cポイント」から「Aポイント」まで、およそ252海里
   (470キロ)の区間だった。
    5月2日朝8時前から、「Cポイント」に集合した船団を自衛艦「ゆうぎり」が伴走する形で警護してくれ
   た。「ゆうぎり」の右舷側にはタンカーが見え、上空には哨戒ヘリコプターが舞っていた。
    5月3日の朝になると、「ゆうぎり」のヘリポートにヘリコプターが着艦する訓練風景がわれわれの目の
   前で繰り広げられた。着艦の一部始終を私が撮影した動画と写真は船内でも評判になり、写真は
   絵葉書サイズにして10人以上の方に配り、動画は親しい幾人かに提供した。
    ( つくづく”腕よりカメラ”だと思い知らされ、ニコンの本格一眼レフを持参したのが正解だったと思った )

        
                5/2朝8時過ぎ                       5/3朝8時前
                              護衛艦「ゆうぎり」

    5月4日の朝には「Aポイント」に到達し、自衛艦による護衛もここまでだ。13時過ぎ、船の警笛が何
   度か鳴ったのは気づいていたが何のための合図か解らなかった。後で聞くと、「ゆうぎり」とペアを組んで
   われわれの船を護衛してくれていた「ゆうだち」が私の指定席の左舷ではなく右舷側をすれ違って行っ
   たと知った。(「ゆうぎり」も相前後して去って行ったはずだ)
    旅友の京都・Kさんが、「MH、「ゆうだち」の写真を差し上げましょうか」と言ってくださったので、ありがた
   く頂戴した。写真を見ると、全隊員が盛装し右舷の上甲板に並ぶ、いわゆる『登舷礼』でわれわれを
   見送ってくれていたのだ。

     
           登舷礼の「ゆうだち」とすれ違う
               【京都・Kさん撮影】

    こうして海賊が出没する海域を無事に抜け、「スエズ運河」通過に向けて、船は「バブルマンデル海峡」
   を抜けて紅海に入って行った。

    【閑話休題】
     伴走してくれている自衛艦をオープンデッキで眺めながら、旅友で”スー族”のYさんと雑談した。船の
    中では、タバコを吸う人たちを”スー族”と呼んでいた。喫煙場所が8階左舷前方と後方のオープンデッ
    キにあり、前方は”一匹オオカミ”、後方は”群れ”に住み分けられていて、Yさんは前方組だった。

     Yさん「昔のこの船だったら、”自衛隊反対”のプラカードを出す人がいたでしょう」という。

     MH 「船客を見ていると、単純に地球一周が安くできるのでこの船に乗っている人がほとんどのよう
        ですね。(もっとも、自分から〇〇党支持者という人はいないが)」

     護衛してくれた自衛艦と故国を遠く離れて任務に就いている隊員たちに対して、感謝こそすれ、
    その存在や任務を否定するようなことをいう人は私が知る限りいなかった。
     ( 一日中、人だかりが絶えない”私の指定席”での観察結果だ )

4. 「スエズ運河」航行

    紅海に入っても海の色は青のままだ。ただ、流入する河川がなく砂漠地帯の真ん中にあり日射が強
   く蒸発量が多いため、塩分濃度はわれわれが海水浴で行く日本近海の海などよりも高いらしい。
    5月7日の夕闇が迫るころ、船はスエズ運河の入口の到着した。ここで、船団(コンボイ)を組むために
   停泊だ。

     
         スエズ運河南側で停泊する船舶群
            【陸地はアフリカ大陸側】

    5月8日の早朝、4時ごろから船は動き出す準備を始めたようで、エンジンの振動が伝わってくる。5時
   過ぎに甲板に出てみると、東の空が茜(あかね)色に染まり、アラビア半島(ユーラシア大陸)側からの
   日の出だ。

     
             スエズ運河南側の日の出
             【陸地はアラビア半島側

    スエズ運河は、1859年4月に着工、1869年11月に完成した。地中海(ポートサイド市)側と紅海(
   スエズ市)側の海面の高さの差が少なかったので、「閘門(こうもん)」を設けることなく、同一海面の高
   さで2つの海をつないでいるのが「パナマ運河」との大きな違いだ。
    その結果、閘門の開閉、注排水にかかる時間がないため、パナマ運河に比べ船舶が通過するスピー
   ドが速いのが特徴だ。

    スエズ運河は1本の水路があるだけで、時間を決めるなどして『一方通行』するのかと思っていたが、
   いくつかの湖をつなぐ水路と部分的には並行した2本の水路で構成されていて、一部の区間は『双
   方向通行』できるようになっていた。
    特に、2015年に完成した「新スエズ運河」で、既存の全長164キロメートルの運河に並行する旧バッラ・
   バイパスを拡幅掘削すると同時に、これを延長する形で新しい35キロメートルの運河を掘削したことに
   よって、運河の大半の区間で船が同時に双方向に航行することができるようになった。この結果、多く
   の船の待ち時間が11時間から3時間に減り、地中海から紅海への通過時間は、従来の18時間から
   11時間に減少した。

    われわれの船を先頭にして南からの船団の第一陣がスエズ運河に入ったのは朝7時を少し過ぎたころ
   だった。運河の記念碑を左に見て、船団は北上する。速度は決められた8ノット(毎時約15キロ)と自
   転車でゆっくり走る速さだ。船と船の間隔は1海里(1.8キロ)で、下の写真からその間隔がキチンと守ら
   れていることがわかるだろう。

        
               「スエズ運河記念碑」                  間隔を保って進む船団
                                            【後続の船@、A、B・・・・】

    グレートビター湖に入ると船は停泊した。アメリカ人のMs.Tが来て、「MH、エジプトの土産屋さんが乗り
   込んで来ているから見に行こう」と誘ってくれた。支払いは米ドルでできるもいう。私の”指定席”の反対
   側、8階右舷側デッキに行くと黒山のような人だかりがしていて船客が品物を選んでいる。

    紙の起源に興味のある私は、ナイル河の葦(あし)の繊維から作った紙・「パピルス」製品をエジプト
   土産に買いたいと思っていた。エジプト文様の絵を印刷した「パピルス」が並んでいたので買うことにした。
   Ms.Tが「2人まとめて買って安くしてもらおう」、というので、私が4枚、2人で12枚だったかを選んで、値引
   き交渉を彼女に任せたら、5分ほど交渉の末、1枚2米ドルだったものが1米ドルになった。

        
               エジプト土産物屋が開店!!              パピルスに印刷した絵

    このほか、ヘマタイト”風”のアクセサリーがあったが、磁石に吸い付かず模造品なので買わなかった。
   エジプトの宝石やピラミッドなどを描いた絵葉書が5枚で1米ドルという驚くほどの安さだったので、5枚買
   って次の寄港地・キプロスで投函した。

        
                ピラミッドとスフィンクス                 「エジプト博物館」収蔵品
                              エジプト土産の絵葉書

    いつの間にか船は動き出し、2本の水路が並行している旧バッラ・バイパスを進む。左舷側に「新スエ
   ズ運河」工事完成を紀念して作られたと思われる工事作業員のモニュメントが建っている。その向こう
   側にも水路があるようで、砂山の中に突然船のマストや煙突が見え、しかもそれらが動いているのに驚
   かされる。

        
             第2スエズ運河工事モニュメント              砂山の向こうを動く大型船

    やがて2本の水路が合流し、その先にはスエズ運河を横切る巨大な道路橋「日本−エジプト友好橋」
   (スエズ運河橋、あるいはムバーラク平和橋)が見えてくる。大型船の航行に差し支えないよう、海面
   から橋の桁下まで70mある。この橋は日本人技術者たちによって建設されたものだ。

     
                「日本−エジプト友好橋」

    午後5時前、船はポートサイドの町を通り地中海に抜けた。地中海というと”ブルー”のきれいな海を
   想像していたのだが、ナイル河などの影響を受けてか、海の色は薄茶色だ。ポートサイドの沖合には
   翌日の通過を待つ船団の姿がみられた。
    船は大きく北西に舵を切って、翌日寄港するキプロスを目指す。

          
                    地中海に出る!!             キプロスを目指し北西に向かう
                    【ポートサイド】

5. おわりに

5.1 退屈しない船旅
     106日間の長い船旅だったが退屈するということはなかった。船主催のパーティがあったり、事務局
    主催の文化、体育系各種イベント、水先案内人と呼ばれる外部講師による講演会、船客による
    自主企画講座など朝から晩まで目白押しで、それらを”はしご”する人たちは、船内を忙しく駆けずり
    回っていた。

         
           和服を楽しむ外国人と日本人に囲まれて
             【それぞれの国籍わかりますか?】

     こういった人為的なイベントだけでなく、天文、自然、動植物など思いがけない現象に出会うこと
    もあるのだが、気づかなければ見過ごしてしまうことも多い。

  (1) 鯉のぼり
       5月5日は「端午(たんご)の節句」だ。私が住む地方ならこの日のかなり前から鯉のぼりや籏
      (はた)と呼ぶ幟(のぼり)が見られる。5月5日には船尾の入港時に万国旗を飾るロープに鯉のぼ
      りが3匹結わえ付けられていた。

         
                 インド洋の「鯉のぼり」

  (2) 天文現象・影
        命知らずの船乗りたちが一攫千金を夢見て大海原に乗り出した大航海時代から、太陽や
       星の位置を観測して船の位置を割り出していた。このように、航海と天文学は切っても切れな
       い関係にある。
        今回の船旅でも、”南十字星”を見るのが夢だった。インド洋を航海しているときに、生まれて
       初めて南十字星を観測した。写真に残そうかと思ってトライしたのだが、それほど明るくもない
       小さな星を揺れる船の上から撮影することは不可能だと悟り、早々にギブアップした。

        5月3日のお昼頃、デッキに置いてある丸テーブルの蔭がほとんど真下にできているのに気づい
       た。ということは、太陽が真上にあるということだ。この時期だと北緯7度あたりで南中時に真上に
       くる。日本にいてはこのような経験はできないのだが、地球を一周する旅ならではの出来事だった。

         
                   真下にできる影

  (3) 自主企画『スリランカで宝石探し』余聞
        スリランカからキプロスまでの航海の間、自主企画『スリランカで宝石探し』の報告会などを実
       施したことを以前のページで紹介した。

       ・ 北極圏をめぐる地球一周の旅 【スリランカで宝石探し】
       ( Tour around the World & Arctic Circle 2016 - Jewelry Hunting in Srilanka - )

        旅友で俳句が趣味のK夫人が次のような句を作ってくださった。

        『 コロンボの
          宝石探検
          汗光る
                  深貴女  』

        また、私の指定席の近くにいつも陣取り、絵と文(短歌をふくむ)を能(よ)くするTさんが、私に
       次のような直筆色紙を贈ってくださった。これも、今回の旅の宝物の1つだ。

         
                            「宝石探し」を詠んだ色紙
                                【Tさん恵与品】

6. 参考文献

 1) 地球の歩き方編集室編:各国編 2013〜2015,ダイヤモンドビッグ社,2015年


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