朝早く起きたのには理由があった。ハンブルクに入港するクルーザーには『歓迎放水』があると聞いていたので
ビデオや写真に撮っておきたかったからだ。
まもなく派手に放水しながら上流側から近づいてくる消防艇が見えた。船に乗って40日あまりになるがこんな形
で歓迎されるのは後にも先にも初めての経験なので、ビデオと写真にシッカリ納める。後で旅友の話を総合すると、
この光景を見られた人は意外と少なかったようだ。
両岸にはハンブル郊外の市街や造船所そして古い教会の尖塔などが見える。間もなく入港だ。港の名前は
とても覚えきれないくらいに長い。「ハンブルク・クルーズ・センテー・ハーフェンシティ」だ。タグボートが近づいてきて、
接岸の手助けをしてくれる。タグボートの船名を読むと、”MICHEL" とあり、23日に訪れたフランスのモン・サン・ミッ
シェルの大天使・ミハエルの名はキリスト教国ではありふれた名前だと知る。
ほぼ予定通りの6時過ぎに接岸すると警察官が4、5人乗り込んできた。若い、金髪のいかにもドイツ人という顔
立ちで、女性も一人混じっている。昔習ったドイツ語で ” Guten Morgen !!" と挨拶すると、通じたようだ。
ドイツに入国するのは2度目だった。前回は2000年にミュンヘンの北、ランツフートにある関連会社に技術指導
で2週間滞在したことがあった。季節は同じころだったが、同じドイツ国内でも南のミュンヘンと北のハンブルでは、
印象が違う。日本でも東北地方と関東地方とで違うのとおなじことだ。
23時に出港するまでの15時間、ドイツの歩き方の候補を次のようにリストアップしておいた。
■ リューネブルク
ハンブルクから南東約50キロ、ハンザ都市の1つで、「ドイツ塩博物館」見学
■ ブレーメン
ハンブルクから「ブレーメンの音楽隊」の像を見学、孫娘たちに絵葉書を送る。
■ ハンブルク市内
「ブラームス博物館」、「ハンブルク歴史博物館」、そして男性必見(?)、レパーバンの『飾り窓』
(2016年5月26日 体験 )
下船開始の放送で最寄りのイーバーゼー・カアルティー駅に向かってまとまって歩き始める。若い(この船では、
40代は若い部類だ)男女何人か、そして私より少し若い(60歳代)男女何人かが一緒だ。300mも歩くと、地下
鉄の標識が見えた。最近できたU4線で、川底のさらに下、地下深いところを走っているせいか長い一本のエスカ
レーターで地下深くに降りていく。ふだん地下鉄に乗ったことない私には、こんなに深くまで降ったことはなく不安を
感じるほどだった。が、上には上があるもので、ロシア・サンクトペテルブルグのはこの倍以上深かった。
1.5ユーロ払って自動販売機で切符を買う。地下鉄車内は清潔で乗客の服装や顔つきを見ると安全そうで、
一安心だ。次の駅ユングフェルン・シュティーク駅で乗り換えると次の駅がハンブルク中央駅だ。
若い人達はいなくなり、気が付くと”あねご”とハンザ都市のリューベック(リューネベルクと紛らわしい)に行くという
H夫妻だけが残った。
キップを買うのだが、海外旅行慣れしているあねごが、「ヨーロッパの鉄道には周遊券や家族割引などがある
はずだから、聞いてみて」、というので、整理券(No1138)を取って順番を待つことにした。
窓口から呼ばれた気配がない(ドイツ語が聞き取れなかった?)のに、窓口の呼び出し番号表示がN1142だか
に変わった。慌てて、窓口に行って、「私はNo1138の順番を待っていた」、というが融通が利かないドイツ人の駅員
は「もう一度整理券を取れ」、という。番号はN01162だった。これだとだいぶ待たされそうだ、と思っていたら、Hさん
が「この整理券は要らなくなったから、差し上げます」、と言ってくれ、これを使って順番を大幅に繰り上げることが
できた。
窓口で、「リューネブルクに行って、ブレーメンに行ってハンブルクに戻りたい。2人だ」、というと、「グループ周遊
券がある。2人で29ユーロ(一人約2,200円)だ」、と教えてくれ、1枚の切符を買った。表面に購入者のサイン、
裏面に同行者のサインを書くようになっている。
14番線ホームに行くと9時34分発「リューネブル」行の標識が出ている。間もなく列車が入ってきた。2階建ての
快速列車で、全席自由席だ。
列車は定刻に出発した。リューネブルクまで約50キロ、1時間弱の旅だ。乗客は少なく、ガラ空きだ。列車は
新しい車両のせいもあって清潔で、トイレも設備されている。駅のトイレは0.5ユーロ払う有料だったが、ここは無
料だ。ハンブルクの市街を抜けると、田園風景が広がってくる。
途中から雨が降りだしていたが、それほどひどい降りではなくて助かった。事前に調べて知ったリューネブルクの
町での観光スポットは2か所、@ハンザ都市時代の古いクレーン Aドイツ塩博物館だ。
この日、ブレーメンにも行くことを考えるとアチコチ見て回る時間はなく、駅から2キロほど南西にあるドイツ塩博
物館だけ見て回ることにした。駅の南側でイルメナウ川にかかる橋が見えてくる。橋の手前に中世の面影を残す
建物がある。右手に見えてくる高い尖塔は聖ヨハネス教会だ。
その先には旧市街が密集している。古い町だけあって私の好きなアンティークショップ(骨董店)などもある。ここ
で(でも?)、大失敗をしでかした。郵便局があれば入って孫娘への絵葉書を出したり、切手を買ったりしたいと
思っていた矢先、” LUNE POST " という表示が目に飛び込んできた。てっきり郵便局だと思い入ってみるとそこは
地元の新聞社だった。改めて辞書を引いてみると、”POST" には、「<最新情報を>知らせる」、という意味もあるのだ。
そう言えば、アメリカの有名新聞にも”ワシントン ポスト”紙がある。
ショーウインドウに楽器が並んでいる店もある。町全体が緑が多い印象だが、植え込みの中に満開のシャクナゲ
をみつけた。5月末だから長野県川上村あたりでも今頃咲き始めているだろうな、など一瞬考えてしまう。
地図に従って南西に進むと、三角形をしたザンクト・ランベルディ広場に突き当たる。ここから南西方角にドイツ
塩博物館はあるはずなのだが、案内標識があるわけでもなくどう行くのかわからない。仕方なく、地元と思われる
人に2、3回聞いてようやく入り口が分かった。
スーパーマーケットに併設するような形で、貨物列車の車両のあるところが入り口だ。博物館に入って展示品や
図・写真を見て、この貨車は、この地で製塩業が盛んだったころに、全国各地に塩を運んだ貨車だと知った。
リューネブルク市内の4つの博物館を紹介するパンフレットに、この貨車はドイツ塩博物館のシンボルとして載っ
ているほどだ。
入口のミュージアム・ショップで入場券を買う。「シニアの割引はありませんか」と聞いたら、「6ユーロ(約900円)」、
と返ってきた。割引があったのかどうか判らず仕舞だった。入口左側の壁に、色や形が違う岩塩の標本がズラリと
展示してあるのがまず目につく。
それらの中で一番目を惹いたのは「青い岩塩」だった。塩は白いものと思い込んでおられるかも知れないが、南
米チリやヒマラヤには、オレンジ色やピンク色もある。青色や紫色になるのは、結晶格子の欠陥とされ、オレンジ色
になるのは、赤鉄鉱の影響とある。
この写真は絵葉書にして、友人・知人そして家族に送ったし、船に戻って旅友にお見せすると、「欲しい」とい
う人が多く、絵葉書にしてお配りするほどだった。
日本ではほとんど産出しない岩塩だが、世界各地に産地があり、ヨーロッパもその一つだ。オーストリア・ザルツ
ブルクは名前からして塩に関係ありそうだし、ポーランドのヴィエリチカ岩塩坑は世界遺産になっているほどだ。
リューネブルクの岩塩は坑道から掘りだしているのではなくて、井戸からくみ上げた塩水を釜で煮て水分を蒸発
させて作っていた。日本でも長野県大鹿村鹿塩(かしお)で小規模ながら生産している(いた?)やり方と同じだ。
ポルトガルでは塩水をプールのような塩田にためて天日で乾燥させているが、日光にはあまり恵まれないが燃料
の木材が豊富にあったドイツに適した製塩法だった。
そもそもリューネブルクの岩塩鉱床がどのようにしてできたのか、博物館の展示にもあったがうまく写っていなかっ
たのでミュージアムショップで買った本から引用する。
@ 海面が上昇し塩分を含む海水が A 低地に流れこみ、陸が隆起して (逆に、海の底が隆起して、と
考えることもできる) B 海水が内陸に取り残され C 太陽によって水分が蒸発し D 岩塩鉱床が形成され
た。
リューネブルクと同じように岩塩鉱床が眠っているのはドイツだけではなく、デンマークや北海に至る広い範囲で、
埋蔵量は約2,200億トンと見積もられる。
伝説によれば、リューネベルクで塩が発見されたのは1,000年以上前とされる。渡ってきたイルメナウ川近くで猪
を仕留めた猟師が、毛に白い塩の結晶が付いているのに気づき、足跡を追って塩泉を発見したというものだ。
日本でも野生動物が舐めに来る土にミネラル分が含まれている話と似たようなものだ。博物館に展示されている
資料によれば、リューネベルクでは、956年には製塩業が町の産業になっていたようだ。
博物館は1980年まで製塩工場として稼働していた建物を利用したもので、リューネベルクでの製塩の歴史と
この地の塩が果たした役割を学ぶことができる。
美味しい「○○の塩」を作るのは別にして、化学プロセスとしての製塩は塩水を汲んで、水分を蒸発させる、と
いう単純なものだ。
塩水の組み上げは、最初は浅い井戸で柄杓を使い、後にはポンプによって深い井戸からくみ上げるようになっ
た。柄杓(ひしゃく)で汲み上げている人形が置いてあるが、照明の加減もあって”薄気味悪い”印象だ。
深井戸からくみ上げた塩水がパイプの周りに付着し、長い間に結晶し、”キラキラ”とオレンジ色に光っている。
オレンジ色になるのは、赤鉄鉱の影響とあるが、パイプの鉄さびかもしれない。
大きな釜に塩水を入れて、下から薪を燃やして乾燥していたが、博物館の前身の製塩工場ができた20世紀
初頭のころは、25mプールのような大きな鍋があり、乾燥の終わった塩を機械で回収するようになっていた。これを
袋に詰めて貨車に積み出荷していた。下の右側の工場模型の写真にある貨車が現在博物館の入り口になって
いる。
中世、”白い黄金”とリューネベルクの塩がもてはやされた背景には、『ハンザ』と呼ばれる北ヨーロッパの商業圏
が存在した。北はノルウェーのベルゲン、西はフランスのブリュージュ、東はロシアのノヴゴロドまでと広範だった。
14世紀初頭には、リューネベルクからさほど遠くないリューベックが、北方交易の窓口港になった。当時、数多く
のドイツ人が鉱山開発などでスウェーデンに進出していた。当時のヨーロッパ人は蛋白源として肉よりも魚類を
摂っていた。バルト海に面したスウェーデン南部のスコーネンは鰊の豊富な漁場だった。
スウェーデンからは銅・鉄、そして鰊などが輸入された。夏から秋場に獲れる鰊を長期間保存するために、塩漬
けにして樽で輸入した。塩漬けのための多量の塩がリューネベルクからリューベックに運ばれ、船に積み込まれて
輸出された。
博物館には、輸入された塩漬けで樽詰めされた鰊の模型が展示してあった。船に乗って身体が鈍っている
ので、塩をスコップで運ぶ作業を体験してみた。岩塩の比重は 2.2 と石英などの 2.8 よりは小さくて軽く感じる
のだが、”サラサラ”して、扱いにくい。
塩分の摂り過ぎは健康に良くないと言われるが、塩分が全くなくては健康どころか生命が保てない。敵の武田
信玄に塩を送った上杉謙信の例を出すまでもなく、古くから人間の生活に塩は不可欠だった。家庭でも、塩は
料理だけでなく、スイカを食べるときなどにも使われる。
テーブル塩を入れる容器も展示してある。中にはチョッと”色っぽい”のもあった。
一通り館内を見学した後は、ミュージアム・ショップでお土産を買う。入館すると記念に袋に詰めた岩塩がもら
える、と書いているブログもあるが、今はやっていない。その代わり、袋詰めや塊のままの岩塩を販売している。透
明感があって、サイコロ状の面が見られる手ごろな大きさのものをいくつか購入した。
【後日談】
鉱物書などに、「高温多湿の日本の気候で岩塩は溶けてしまう。」、書かれていた。買ってきて夏を挟んで
7か月が過ぎたが一向に溶ける気配はない。
溶けるのは、塩に含まれている”にがり”成分の塩化カルシウムが空気中の湿気を吸って溶ける『潮解性』が
あるからだと小学校だかで習った。子どもの頃、壺に入った塩が梅雨時に”グチュグチュ”していた記憶があるが、
最近の塩はそんなことはない。”にがり”成分を取り除いているか、もともと少ない産状なのだろう。
鉱物関係では、”Salzmineralien (塩鉱物)”の副題がついた鉱物誌があったので購入した。また、中世や
20世紀になってからの製塩工場の様子と働いていた人達の集合写真の絵葉書を何種類か購入した。絵葉書
の値段が驚くほど安くて、1枚0.1ユーロ(15円)だったと思う。
【後日談】
2枚の絵葉書の上のキャプションに、” Gruppenbild mit Sau ” とある。集合した従業員の前のテーブルの上
に、豚だか猪だかの丸焼きが”デン”と据えられている。写真撮影が終わったら、これをつまみにリューネブルク
名産のビールを飲むのだろう。
「” Sau " 、とは女性を馬鹿にした言い方で『雌豚』」の意味を含んでいる」、ようだ。1900年だから大目に
見られた表現で、現在のドイツでは顰蹙(ひんしゅく)を買いそうだ。
駅に向かって歩いて行くと、緑のツタが絡まるレンガ造りの家がある雰囲気の良い通りに、「地球の歩き方」で
紹介されているレストラン『クローネ』があったので、ここでランチを摂ることにした。
まずは、ビールを注文して、乾杯だ。淡い色で口に含むとホップの香りが広がる。リューネブルクはビールの産地
で、「ビール博物館」があるほどだ。グラスの下のコースターには、” PILSENER(ピルゼン) " とあり、日本の一般
的なビールと同じ製法のもので、われわれの喉に合うわけだ。コースターには、シッカリと麦と「ホップ」の絵が描か
れている。
ドイツに来たらジャガイモ、とばかりに、”Ofenkartoffel(焼ジャガイモ)”、そして普段食べなれているスパゲッテ
ィを注文し、シェアすることにした。ドイツ、といかリューネベルクには”シェア”の文化がないのか、「取り分ける皿と
ナイフとフォークを2人分持って来てほしい」、意思を伝えるにに四苦八苦だった。でも、何とか通じて美味しくいた
だき、ご覧のように完食だ。
お腹もくちくなり、ビールで気分も良くなり、お勘定だ。2人で税込み19.2ユーロ(1人1,500円)だ。レシートを
見ると消費税率は19%だ。イギリスは20%だったが、ほとんど同じだ。ヨーロッパ経済をけん引しているイギリスと
ドイツ両国の消費税率がおよそ20%でも、景気に停滞感が感じられないのは、日本と大違いだ。
ビールを飲んだ上、これからハンブルクに戻り、ブレーメンまで行くので、トイレを済ませていると、チップを渡すのを
忘れていたことに気づき、税抜き価格の12%に相当する2ユーロをテーブルの上に置いて店を出た。ということは、
(税+チップ)を実質的な税と考えると、30%を超えることになる。
すっかり雨も上がった。さすが、『晴れ男』、(女か?)
ブレーメンへの旅のスタートだ!!
話の後さきから考えると、1900年の写真に写っていた猪と同じ図が現在の入場券にも印刷されているということ
になる。