北極圏をめぐる地球一周の旅 【キプロス】 ( Tour around the World & Arctic Circle 2016 - Cyprus - )









      北極圏をめぐる地球一周の旅  【キプロス】

         ( Tour around the World & Arctic Circle 2016 - Cyprus - )

1. はじめに

    スエズ運河を抜け、地中海に入って最初の訪問国がキプロスだ。この地球一周の旅に申し込んだ
   ときはエジプトを訪れる筈だったが、エジプトの政情不安定を理由にキプロスに変更になった経緯(いき
   さつ)がある。

    ”石”が趣味の私としては、エジプトのピラミッドをはじめとする石造建築物は、ぜひ一度はこの目で
   見ておきたいが、最近の情勢では仮に行けたとしてもバスの中から”車窓観光”になることが多いようだ。
    一方、趣味の”鉱物”という観点から見るとキプロスも魅力的な場所だ。銅(COPPER)はわれわれの
   生活に身近で人類が最初に利用した金属鉱物だ。Concise Oxford Dictionary によれば、COPPER
   の語源は、ラテン語の cuprum で、これはさらに cyprium aes (キプロス島の金属)に遡り、キプロスに
   古くから銅採掘場があったことに由来する。銅の元素記号 Cu はラテン語の読みから取ったものだ。
    つい先週終わったリオデジャネイロオリンピックで、日本が獲得した21個の「銅メダル」の素材は青銅
   ( 銅と亜鉛と錫の合金 )で、Copper Medal とは言わず、Bronze Medal (ブロンズメダル)と呼んでいる。
   財布の中にある「10円銅貨」も、亜鉛(4%)と錫(1%)を含んでいるので正しくは「10円青銅貨」だ。

    このような背景があって、『キプロスと言えば銅鉱山』が頭があり、上陸を楽しみにしていた。
    ( 2016年5月9日 訪問 )

2. キプロスの銅

    キプロスの銅は6,000年の歴史を持つとされる。日本の年号”和銅(708-715)”命名のきっかけになった
   と同じように、まず自然銅が発見された。叩いて広げたり伸ばしたり簡単にできる(展延性に富む)
   自然銅資源はすぐになくなり、南米の原住民と同じようにカラフルで簡単に発見でき製錬も容易な
   孔雀石【MALACHITE:Cu2(CO3)(OH)2】など銅の2次鉱物のを還元して銅を得たと思われ
   る。それらも採り尽くすと、原鉱物で硫黄を含む「黄銅鉱」【CHALCOPYRITE:CuFeS2】にたどり着き、これ
   から銅を抽出する技術が生まれ、これがキプロスにもたらされたと考えられる。
    これらの採掘・製錬遺跡が大量のスラグ(鉱滓:こうさい)とともに現在も残されている。現在でも銅の
   採掘は続いており、2002年時点では5,200トンの銅を産出した。しかし、資源が枯渇している上に内戦
   によって鉱山施設が分断されたりして、キプロス経済において鉱業の占めるウエイトは大きくない。

    地質学的にキプロスの銅鉱床は、火山活動に伴う枕状溶岩の中に胚胎しており、最近話題の海底か
   ら鉱物資源を含んだ熱水が湧き出す”ブラック・スモーカー”現象で生まれたと考えられている。例えば、
   アンベリコ・アレトリ( Ambelikou-Aletri )鉱床などの銅の富鉱帯はキプロス島の北西から南東に連な
   るトロードス山脈( Troodos mountains )の北側斜面に分布している。

      
                   キプロスの地質図と銅山分布

    このように銅とそれを産出する銅山と深い結びつきのあるキプロスは、銅山や銅にちなむ切手を発行
   している。これらの切手から、南北に分断された国・キプロスの歴史が垣間見られる。

      
            1955年8月1日発行          加刷【1960年8月16日発行】
                  キプロス最大のMavrovouni銅山を描く切手

    左の切手は英国直轄植民地時代の1955年に発行され、1956年から反英運動が起こり、1960年
   8月に独立した。それを記念して、ギリシャ語とトルコ語で「キプロス共和国」と加刷して右側の切手が
   発行された。

    2008年にEUに加盟し、通貨もユーロになった。これを記念して、ニッケル黄銅(銅と亜鉛とニッケルの
   合金)と白銅(銅とニッケルの合金)からなる1ユーロ貨と鋼(はがね:鉄)に銅メッキした低額セント貨を
   イメージした切手が発行されている。切手の目打ち(ミシン目)から下の耳紙の部分の色は、それぞれ、
   ニッケル黄銅色と銅色になっている。
    1、2、5セントの低額セント貨3種は、中身が鉄なので磁石に勢いよく吸い付く。

         
               ユーロ圏のコインを描く切手               磁石に吸い付く低額セント貨
           【国名はギリシャ語・トルコ語・英語で表示】                【5セント貨】

3. 分断都市・首都ニコシアを訪ねて

    キプロスは青森県とほぼ同じ面積の島国で、住民はギリシャ系が約2/3、トルコ系が約1/3、其の他
   アルメニア系などが住んでいる。公用語はギリシャ語とトルコ語である。
    もともとはトルコの領土だったが、1878年にイギリスに割譲し、1925年に英国直轄植民地となり、
   第2次世界大戦中は重要な戦略基地だった。
    1956年から反英運動が起こり、1960年8月にキプロス共和国として独立した。しかし、1963年からトル
   コ系とギリシャ系住民の対立から内戦状態になり、1974年7月隣国トルコがトルコ系住民の保護を目
   的に東北部を占領。1983年11月トルコ占領地が北キプロス・トルコ共和国として独立宣言し、事実
   上キプロス共和国の支配下から外れた。1974年のトルコ軍の東北部占領時に、国連が北部(北キプ
   ロス)と南部(キプロス共和国)の間に「グリーンライン」を引いた。このとき、首都・ニコシアもトルコ系と
   ギリシャ系が住み区域で分断され、現在に至っている。

    キプロス島のリマソール港に予定より1時間以上早い8時過ぎに入港した。船から見える遠くの景色は、
   地中海沿岸特有の乾燥した大地にそびえる岩山だった。港に隣接する小さな礼拝堂のような建物が
   ヨーロッパに近いことを思わせてくれる。(この建物は、トイレだろうという人もいた)

         
                港からの風景                      港に隣接する礼拝堂

    リマソールでオプショナル・ツアは7コース用意されていた。港から街の中心地「オールド・ポート」まで
   でも3キロほどあり、オプショナル・ツアーに申し込むのが無難だと思った。古代遺跡や有名なキプロス
   ワインの醸造所(ワイナリー)などを訪れるコースが多く、現在も稼働している銅鉱山を見られるコース
   はなかった。
    首都リマソールに行けば、郵便局はあるだろうし、うまくすれば銅鉱石などの標本を手に入れられる
   かも知れないと思い、昼食付き「分断都市・首都ニコシアへ」に申し込んでおいた。

    10時入港予定だったので、ツアバスの出発予定時刻は10時45分とユックリだ。8階デッ
   キの指定席で一仕事終わらせてから出発だ。集合のアナウンスでラウンジに集合し、
   全員揃ったところで舷門でIDカードをチェックし、入国ゲートを抜けてバスに乗り込む。
   このツアー参加者はグリーンラインを越えてトルコが管理しているエリアに入るので、パス
   ポートの携帯が必要だ。

 (1) ニコシアへ
      バスは発車してまもなく高速道路A1に入った。ニコシアまで100キロはあるのだが、
     渋滞もなく順調に進む。車窓から見えるのは右側に地中海とそれを見下ろす高級
     別荘や住宅、左側は乾燥した大地と切通しで、川というものを見ない。切通しには
     真っ白い化石か鉱物のようなものも見られるがバスを止めてくれというのは無理という
     もの。

      社内では、現地ガイドの説明をComunication Cordinater と呼ぶ通訳が日本語
     で説明してくれる。キプロスの歴史・風土などを説明してくれる。南北に分断されて
     いるので形だけの「キプロス共和国」の国旗は、有名な銅の色で染めたキプロス島の
     地図に平和のシンボル・オリーブの枝葉を配したもので、現実とのギャップが大きすぎ
     る。

      
                「キプロス共和国」国旗

 (2) 「ビザンチン博物館」
      12時少し過ぎにニコシアの町に入る。城塞都市の性格を持っているのか、石を積
     み上げた5m近い高い城壁が市街地を取り囲んでいるのと、2015年1月に南極探検で
     アルゼンチンを訪れたときには花期を過ぎていた紫色のハラカンダ(英語名:ジャカ
     ランダ)の花があちこちで満開だった。

         
                   城壁                       「ハラカンダ」の花

      最初に訪れたのは立派な鐘楼をもつセント・ジョン大聖堂の奥にある「ビザンチン
     博物館」だった。

      
                 「ビザンチン博物館」

      ここには、12世紀から20世紀のイコンや9世紀から18世紀のフレスコ画などが展示
     してある。特筆すべきものとして、6世紀に作られたモザイクの断片7つもある。館内は
     撮影禁止のため、もらったパンフレットの画像を紹介する。

         
      「ビザンチン博物館」パンフ             イコン

      博物館の一角にモザイク画に使われる色タイルの材料の色とりどりの原石と叩いて
     割り出す台になる金床(かなとこ)、そして完成した色タイルが置いてあった。これらの
     原石は色タイルとしてだけではなく、粉末にして”岩絵の具”としても使われたのだろ
     う。

         
              色タイル原石と製作工具                完成した色タイル

      ミュージアムショップでは、1982年1月18日に博物館が開館したのを記念して作成
     したカバー(封書)を売っていたので2通買い求めた。貼ってある切手は、前の年の
     クリスマス用に発行された、アラカス聖母教会にあるキリストを描くフレスコ画からとった
     ものだ。
      キプロスの正教会大主教で初代大統領でもあったマカリオス3世(1913-1977)が
     描かれているのは、この博物館がマカリオス財団によって建設・運営されているため
     である。

      
                ビザンチン博物館開館記念カバー

 (3) ランチはキプロス料理
      日本にもある外食チェーン店などと並んで土産物屋などがあるニコシアの目抜き
     通りにあるレストランで遅めのランチだ。案内されてテーブルに着いたのは14時を回っ
     ていた。

      ドリンクの一杯目は無料というので、キプロス産の赤ワインを頼む。以下、出てきた
     料理を順番に列挙してみる。キプロス料理だが、次に上陸したギリシャ料理にも似
     ているし、串焼きなどはトルコなどイスラム圏の影響も受けている印象だ。

      ・ チーズの塊が乗った野菜サラダ
      ・ ”ナン”のようなパン
      ・ クリームコロッケ
      ・ ”お多福豆”の煮豆
      ・ 焼肉
      ・ ポテトフライ
      ・ 焼肉の串刺し(ラム)
      ・ ハンバーグ風の焼肉
      ・ クリームとハーブをのせたケーキ
     

      これから行く先々で感じたことだが、地中海沿岸の料理は”塩辛かった”。冗談で
     「地中海には塩がたくさんあるから、無理もいない」というと、結構受けた。
      それと、”ボリュームが多い”。この時も、だいぶ食べ残してしまった。ツアーなどで
     出されたものは仕方ないが、自由行動の時は、2人で一人前を注文するなどで、
     廃棄食品を減らす工夫をするようになった。

         
           テーブルごとに料理が運ばれてくる        メインが出てきたがお腹が一杯で・・・

      最後のデザートが出てきたが、お腹が一杯で手を付ける気にもならず、一足先に
     レストランを後にして、集合時間まで土産物屋を物色して回った。

 (4) 『グリーンライン』を越えて
      ニコシア近くになると高速道路の車窓からトルコが支配する北キプロス側の山腹に
     「北キプロス・トルコ共和国」の巨大な国旗が表示され、分断の溝の深さは簡単に
     修復できそうもないと感じさせられた。

      
      山腹に描かれた「北キプロス・トルコ共和国」国旗

      南北朝鮮の38度線のように、分断帯には戦車が並び、武装した兵士がにらみ合
     っているものと想像していたが、実際には女性を交えた丸腰の警察官がパスポートの
     チェックをしているだけで、拍子抜けするほどだった。
      日本の街中とあまり変わらないギリシャ系住民の居住区からトルコ系住民の居住
     する地区に行くと、なんとなく時間がゆったりと流れているように感じられ、”ホッ”とした
     のは私だけではなさそうだ。

         
               グリーンライン                      トルコ系住民居住区
              【ギリシャ側から】

    南側のギリシャ系住民の年収が約15,000米ドルに対して、北側のトルコ系住民は
   約5,000米ドルと経済的な格差は歴然としているのだが、住んでいる人々は明るく、
   国とは、本当の幸せとは、何だろうかと考えさせられる旅でもあった。

    再び、グリーンラインでパスポートを提示し、ギリシャ側に戻った。どちらかに肩入れする
   わけではないが、親日家が多いトルコに親しみを感じるのは自然の成り行きだろう。

4. キプロス郵便事情

    ギリシャ側に戻って、船に戻るバスが出発するまで、1時間弱自由時間があるというの
   で、切手を買ったり、記念押印をするために郵便局の場所を聞いた。急ぎ足なら10分
   もかからず行けそうな感じだったので行ってみた。途中でもう一度場所を確認したが、
   迷うことなく”黄色い”郵便ポストがある建物に着いた。

         
               郵便のマークとポスト                    郵便局舎
                                ニコシア郵便局

    この時すでに17時を回っていたせいか、郵便局は閉まっていて、切手を買うことはでき
   なかった。日本で買って持参したキプロス切手を貼って妻あてに絵葉書を4通ポストに
   投函したところ、全て自宅に届いていた。
    ところが、消印がないのだ。これだと、現地で投函したことが証明できず、中途半端な
   記念絵葉書になってしまった。この後、スペインで投函したものも同じように消印がなか
   った。

      
                  キプロスで投函した絵葉書
             【特産のキプロスワインを描く切手シート貼】

5. おわりに

 (1) キプロスの銅
      銅のふるさとともいうべきキプロスで、銅の鉱石を手に入れたいと思っていたが叶わ
     なかった。
      しからば、何か銅製品でもと思って最初に思いついたのは少額のユーロ貨だった。
     しかし、ユーロ圏に入って最初の国で、品物はたいがい○ユーロとか□.5ユーロと切りの
     良い値段で、5セント以下の少額貨をお釣りにもらうことはなかった。

      そこで、土産物店を探すと、銅を鋳造した動物や教会関係のグッズが目に入った。
     値段を見るとちょっとしたものでも20ユーロ(当時のレートで2,500円)くらいはする。
     これらの品がキプロスの銅で作られたという保証はないのだが、自分を納得させて銅
     で造った山羊の置物を購入した。

      
          キプロス産の銅(?)製 山羊の置物

6. 参考文献

 1) H.W.FOWLER:The Concise Oxford Dictionary,CLARENDON PRESS ,1951年
 2) 地球の歩き方編集室編:各国編2013〜15,ダイヤモンドビッグ社,2015年


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