北極圏をめぐる地球一周の旅 【パナマ】 ( Tour around the World & Arctic Circle 2016 - Panama - )









         北極圏をめぐる地球一周の旅  【パナマ】

              ( Tour around the World & Arctic Circle 2016 - Panama - )

1. はじめに

    理由が良く分からないトラブルでキュラソーの出港時間が約半日遅れ、パナマに向けて出港したのは6月25日
   9時過ぎだった。船はコロンビア沖にでて、次の目的地パナマのクリストバル港に向けて直進するコースだ。
    クリストバルまで1,260キロあるから、45時間はかかり、27日の朝に入港する予定だ。航路図の右下に、最も
   値段が高い切手の話に出てきた「旧英領ギアナ」を追記しておいた。

    
                      キュラソー−パナマ航路

    パナマに向かう船内には、変わったことが2つあった。

    @ 「エル・システマ」楽団員の乗船
       ベネズエラの音楽家、ホセ・アントニオ・アブレウ博士が、道徳と精神的価値を築くことを目的に、1975年
      社会活動組織『エル・システマ』を設立した。その中の「フランシスコ・デ・ミランダ」青少年オーケストラの
      メンバー25名がラグアイアから乗船してきた。オーケストラの編成は、弦、管、打楽器で、日本公演に向け
      船内でもコンサートやリサイタルが開かれる予定だ。
       25名の青少年が乗り込んできたことで、”老人介護施設”の雰囲気がある船の中が急に若返り、元気
      になった気がする。

    A 運動会準備本格化
       7月5日、グアテマラからハワイに向かう太平洋上で「洋上運動会」が開催される。赤、青、黄、白の
      4団に分かれ、競技、応援、参加率を競うので徐々に熱を帯びて来た。ちなみに、私は赤団だ。
       私の指定席の周りも、応援の旗や飾りの花を造ったりする作業場に変貌してきた。その合間に、競技や
      応援の練習に招集がかかる。

        
             エル・システマ団員を囲んで               赤団飾りの花造り

    そうこうしている内に、船はクリストバル港に近づいていた。
    ( 2016年6月27日 体験 )

2. パナマ運河の入口に到着

    キュラソーで丸12時間予定外の係留を余儀なくされたせいか、パナマでの接岸埠頭や到着時間にも変更が
   伝えられた。ただ、その内容は首をかしげるものだった。

   ■ 到着時間が早くなった??
      当初のパナマ・クリストバル港到着は6月27日11時の予定だった。キュラソー出港が半日遅れたのだが
     距離や船の速度から計算して27日朝7時ごろだろうと予測していたのだが、6月26日の22時になった。
      1,260kmを37時間で走ったことになり、平均時速34km(18ノット)でベネズエラで安い燃料を補給した
     からか、燃費を犠牲にしてスピードアップしたようだ。
      スエズ運河を通過のときも、前の日に入り口に着いていたように、余裕を持った日程になっているようだ。

   ■ 到着するのはコロン・ホーム・ポート??
      クリストバル港に入港するものと思っていたが、コロン市の反対側にあるコロン・ホーム・ポートに変更に
     なった。理由はよくわからないが、街を歩いてみて、安全上の理由だろうと思われた。

      コロンにしろクリストバルにしろ、探検家・コロンブスに因んで名付けられた街だ。彼の名前は、出身地の
     イタリア語でクリストファー・コロンブスだが、スポンサーだったイザベル女王の国スペイン語ではクリストバル・
     コロンなのだ。

      コロンブスは1492年(「意欲に燃えるコロンブス」、と覚えた忘れられない数少ない年号の一つ)に、『黄金
     の国・シパング(ジパングではない)』を求めて大西洋を西へ西へと航海した。この第1回目の航海記録が、
     「コロンブス航海誌」として残されている。
      これを読むと、”黄金”に執着する彼の姿が随所に登場する。また、乗組員全員でくじ引きする時、最初
     に引いて当りを引き当てることが一度ならずあり、”姑息な”一面ものぞかせている。
      公式文書なので、「原住民(インディオ)から略奪などしなかった」と書いているが、実態は後の侵略者・
     ピサロたちと変わらなかった、と伝える書もある。

      コロンブスの4回にわたる最後の航海に王からの援助は小型のボロ舟4隻だけだった。1502年に出航した
     が、パナマ周辺を6か月さまよった挙句、最後は難破して救助され、這(ほ)う這うの体(てい)でスペインに
     戻るありさまだった。

      
                         「コロンブス航海図」

3. コロン市とは

    大局的に世界地図を眺めると、パナマ運河は東の大西洋と西の大平洋を繋(つな)いでいるのだが、詳細に
   地図を見てみると運河は南北に開削されているのだ。北側の入口がコロンで南側がパナマ・シティだ。
    この2つの都市が同じ国にありながら 「こうも違うのか」、というくらい落差が大きいことは訪れてみなければ
   解らなかっただろう。

     
                       パナマ地図

    1848年カルフォルニアで金が発見され、翌1949年になると金を求めてアメリカ東部から "49's" (フォーティ・
   ナイナーズ)と呼ばれる大勢の人がアメリカ東部からカルフォルニアに向かい、”ゴールドラッシュ”が巻き起こる。
    遅れて行った人たちは、「掘ってもないなー」になったという、駄洒落がある。

    カルフォルニアへ早く・安全に移動する手段として、1850年にパナマ地峡鉄道が着工し1855年に開通した。この
   とき、大西洋側のターミナルの町としてコロンが建設された。
    その後、1914年にパナマ運河が開通し、大西洋側の出口という地勢を生かして開設された関税がかからない
   自由貿易地域として、物流が産業の中心となっている。同時に周辺地域からの貧困層の流入を招き、治安
   が極度に悪化し、中米一危険な都市と言われている。
    そんな訳で、19時以降港の囲われた範囲から外に出ることは禁止されていた。

4. コロン市内探検

    ネットで「コロン市」を検索すると、「観光施設はありません」、と出てくるくらい、一般向けの観光地ではなさ
   そうだ。そうなってくると、自分で企画・立案するしかない。

    朝5時に起きてデッキに行くと天候は曇りで、船はコロンの港に停泊していた。コロンでは、郵便局に行って
   孫娘たちへの絵葉書を投函した後、「パナマ鉄道」でパナマ・シティに一人で行く予定だった。
    しかし、もろもろの事情があってコロン市外に出ることができず、結局コロンブスではないが3回にわたってコロン
   市内を探検することになる。この行動軌跡を地図に示す。

    −−−− 第1回  単独行で、パトカーで護送事件
    −−−− 第2回  Tさんと再び郵便局へ
    −−−− 第3回  ミネラル・ウオッチングの後、Aさんとショッピングモールへ

     
                       コロン市内探検マップ

  ■ 第1回  単独行で、パトカーで護送事件
    コロンでの上陸が許可されたのは、6月27日の8時過ぎになってからだった。8時40分に船を出て、郵便局を
   目指して、まっすぐ西に行く。この町は碁盤の目のように区画されているのでわかりやすい。
    町に高い建物は少なく、平屋か2階建てで一様に古く空き家も目立つ。道路にはゴミが散乱し、泥水が溜
   まった水たまりがには板が渡してある。マンホールの蓋がないのは、金目のものなので、盗まれてしまったのだろう。
    平日だというのに、働き盛りの男たちが数人集まって騒いでいる。中米一危険な街というのもうなずける。

        
              水たまりのある道路                   蓋がないマンホール
            【ドブのようなところも多い】

    1キロ強離れたコロン郵便局に着いたのは9時だった。近くまで来たが、それらしい建物がわからず、地元の人
   に案内してもらってようやく入口がわかった。表通りに面したシャッターは降ろされ、建物の脇の小さな鉄の扉が
   唯一の出入口なのだ。別れ際に、「ここから先は危険だから行かないように」、と注意してくれた。

     
                         郵便局
                  【左奥の小さな扉を開けて入る】

    中にはいると、ベネズエラの郵便局よりは清潔で整理・整頓されているが、余分なモノがほとんどない”殺風景”
   なのが第一印象だった。客は私を入れて3人で、いくつもある窓口で、開いているのは2つしかなかった。
    「案内(General)」の窓口で「郵便」の窓口を聞き、そこに行くと誰もいず、しばらくして局員が出てきた。
   窓口との間には、金網が張り巡らされ、”物騒な”この国の治安状態を如実に物語っている。

        
                 案内窓口                        郵便窓口

    日本までの郵便料金を聞くと、「絵葉書が1米ドル、封書は2米ドル」だというので必要な枚数の切手を買う。
   切手を見ると、パナマ運河建設を描く図案なので未使用のまま持ち帰ろうと、5枚買い足した。

     
                      「パナマ運河100年」記念切手
                         【パナマ 2015年発行】

    台切手(元になっている切手)は、1999年に「パナマ運河85年」を記念して発行された額面0.40B(バルボア、
   約40円)切手だ。
    左の切手には、”パナマ開削・建設100周年 2004-2014”、右の切手には”1914 パナマ運河は100年人類に
   貢献している 2014”というフレーズ、そして両方の切手には”1.00B(バルボア、約110円)の新額面が黒字で
   加刷(台切手の上に追加で印刷)してある。

     【後日談】
      パナマの切手は日本では入手が容易ではない。帰国して間もない2016年9月末に届いた趣味の雑誌に
     この切手の通信販売広告があった。1枚1,210円だった。これを110円で買ったわけだから、5枚で6,000円
     近く”得した”ことになる。(日本で売っている外国切手の値段が高すぎるだ)

    この後、パナマ・シティまで行く予定だから、一か所でノンビリしてはいられない。郵便局から南に下っていけば、
   パナマ運河鉄道の駅があるはずだ。だんだん人通りが増えてきて、バスターミナルが見えた。

     
                           バスターミナル前

    ベネズエラでもそうだったが、開発途上国では鉄道よりもバスの方が発達していることが多いので、バスがある
   か運よく(結果的には、運悪くだった)居合わせた警察官に尋ねてみることにした。
    英語で「パナマ・シティに行きたいがバスはあるか。なければ鉄道の駅はどこか」、と聞くのだが、英語が解らな
   いイケメンの警官は携帯を取り出して何やら話し始めた。口調から、上司に指示を仰いでいる風だった。

    10分経つか経たないうちに、1台のパトカーが来た。2人の警官の内上司と思われる方は少し英語が解るようで
   同じことを話すと、「パトカーに乗れ」と後部座席のドアを開けてくれた。
    駅の方に向かっているので、駅まで送ってくれるのかと都合のよいことを考えているうちに、コロン駅についた。

     
              パトカーに乗せられて

   フェンスの向こうには、パナマ運河鉄道の旅客列車がホームに停まっているのが見える。駅の入口には鍵が掛
  かり、閉ざされている。パトカーから降りて、偉い方の警官が指さす表示を見て驚いた。
 

     
                     パナマ鉄道コロン駅

    世界一短かい77キロの大陸横断鉄道のパナマ運河鉄道だから、悪くても1時間に1本くらいは走っているの
   だろうと思い込んでいたのだが、旅客列車は”一日一往復”、しかも月曜から金曜の平日しかないのだ!!
    朝7:15にパナマ・シティのコロザル旅客駅を発ち、8:15コロン着と夕方17:15にコロンを発ち18:15にコロザル
   旅客駅着だ。停まっている列車は今朝着いて、夕方の発車を待っているのだ。

    再びパトカーに乗せられて、駅の北側を通ると、機関車や客車が見える位置で停めてくれ、写真を撮ること
   ができた。

        
                 機関車                        客車

    黄色と赤色に塗り分けられ車両は熱帯のジャングルを疾走するのに相応しい。機関車は77キロを1時間で
   走り抜ける力強さを感じさせてくれる。乗りたかったな〜。

    パトカーはコロン港の方に戻って行く。要所要所に立っている警察官が敬礼するから、助手席の警官は
   お偉いさんなのかも知れない。
    この時のメモを見ると、パトカーに乗ったのが9:50で、旅客ターミナルに戻ったのが10:10だったから、わずか20分
   の”護送劇”だった。

        
               パトカーで”護送”                    警官と別れ
               【後部座席のMH】

    パトカーの周りには大勢の日本人船客がいた。上の写真もその一人にカメラを渡して撮ってもらったものだ。
   パトカーから降りてくるところだけを見た人たちは、「MHがパトカーで護送されてきた」と思ったらしい。話題に飢え
   ている船のこと、話が「前々からMHは危ないと思っていたが、パナマ・シティからパトカーで護送されてきた」まで
   話が大きくなるのに、たいして時間はかからなかった。

  ■ 第2回  第2回  Tさんと再び郵便局へ
    船に戻っていつもの指定席に行くと、千葉県から参加したTさんがいた。私も千葉県に足掛け5年単身赴任
   していたことや3男家族が千葉県にいることなどを話し、このころから親しくなっていた。
    Tさんが「MH、町に行ってみよう」、と乗り気なので、まさか「たった今、パトカーで送られてきたばかりだ」、とも
   言えず、再び船を離れた。ちょうど10時半だった。

    先ほど郵便局に行った道をたどり、10時50分に郵便局に着いた。いつも持ち歩いている封筒で急きょ妻宛
   の封書をこしらえて、切手を貼って局内のポストに投函するところをTさんに写真に撮ってもらった。窓口でコロン
   局のゴム印を写真に撮らしてもらった。日付の部分が差し替え式になっている、ごくありふれたタイプだ。

        
              日本宛封書を投函                  消印用ゴム印

     【後日談】
      ここで投函した絵葉書や封書は無事に日本に届いていた。大丈夫か心配だったが、パナマの運河地帯は
     1999年末まで米国の施政下にあった。その遺風は今も残っているようだ。

     
                     無事に届いていた妻宛ての封書
                   【パナマ建設85年と100年記念切手貼】

    長居は無用とばかりに、船に戻ることにした。ここにも中華料理店があり、華僑がここまで進出しているのには
   驚きだった。

     
          ここまで進出している中華料理店

    船に戻ったのは、11時半だった。

  ■ 第3回  ミネラル・ウオッチングの後、Aさんとショッピングモールへ
    船に戻って昼食を食べ、部屋に戻ると歩き疲れたので、昼寝だ。15時近くに目が覚めると、今朝船から見え
   た海岸近くに岩が積んであったのが気にかかっていた。その奥には、レストランやショッピングモールがあるようだ。

     
                       船から海岸方向の景色

    キュラソーの例もあるし、ハンマーとタガネをバックに忍ばせて行って見ることにした。海岸に積んである岩は
   礫岩で鉱物学的に面白味がなかった。
    ショッピングモールに行く道というよりグラウンドのような赤土のところに子供の頭大の石が落ちていたので叩い
   てみると晶洞(空隙)があり、その中に「方解石」の結晶が観察できたので、持参した新聞紙にいくつか包んで
   持ち帰ることにした。

    私が石を叩いている一部始終をAさんが観察していたようで、一段落したと思って声を掛けて来た。「ショッピ
   ングに行きたいので、ついてきて欲しい」、というのでお付き合いすることにした。
    レストランを”チラッ”と見ると日本人の船客がたむろしていたので、足早に通り過ぎる。その先のショッピング
   モールは真新しくて、お土産店もある。
    明日は船に乗ってパナマ運河を通過すると、次の寄港地はグアテマラになるので、パナマ土産を買うのはここ
   しかないと思ったが、”パッ”としないものばかりだ。「パナマ帽」なども売ってはいるが、被(かぶ)る機会はありそう
   にない。
    結局、寄港地で必ず買い続けて来たマグネットと自分のためにパナマ運河の地図を描く絵葉書を購入した。

    この辺りまでは安全だが、ここから西に通りを一つ越えるとゴミゴミした旧市街だ。このまま船に戻るのも勿体
   (もったい)ないし、Aさんに確認すると「行ってみても良い」、というので行ってみる。時間は16時だった。

     
                        夜は歩けそうもない

    16時半ごろ、郵便局近くのスーパー”Super Market 99"に入る。地元の人がよく利用するスーパーのようで、
   結構賑わっている。
    パナマは自国のお札を持っていないので、値段の表示がB(バルボア)となっているが、そのまま米ドルに置き
   換えればよいのだ。硬貨にはセンタボ単位の自国通貨もあるというのだが、私がお釣りにもらった小銭は全て
   セント単位で、” UNITED STATES OF AMERICA " と刻印されていた。

    女性と一緒では、なおさら長居は無用と、船にもどったのは17時半だった。

5. おわりに

  ■ パナマ文書
     「パナマ」、と聞いて皆さんがまず思い浮かべるのが「パナマ文書」ではないだろうか。パナマ文書とは、パナマ
    の法律事務所「モサック・フォンセカ」から流出した膨大な量の内部文書だ。南ドイツ新聞が匿名の人物
    から入手し、国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ)とともに分析して、われわれがパナマに入港する寸前の
    2016年5月に21万以上の法人とその株主らの名前を公表した。

     世界各国の首脳や富裕層が、英領バージン諸島、パナマ、バハマなどを初めとしたタックスヘイブン(租税
    回避地)を利用した金融取引で、資産を隠していた可能性を示していた。各界の日本人の名前も多数
    含まれていた。

     この文書には、中国やロシアの首脳の名前があったとされ、アイスランドのグンロイグソン首相は、われわれ
    がアイスランドを訪れる寸前の2016年4月に首相を辞任するなど、政財界にも影響があった。
     私を含めほとんどの日本人はタックスヘイブンなどに縁がなく、それが犯罪の可能性があるという認識が
    薄いから、大きな騒ぎにならなかったようだ。

     2017年10月16日、地中海のマルタ共和国でパナマ文書をもとに政府を追及していた女性ジャーナリスト・
    ダフネ・カルアナ・ガリチアさん(53)さんが自動車に仕掛けられた爆弾で殺害されたのを最後に、われわれの
    記憶から消えていきつつあるようだ。

  ■ 世界一周でなくなる!!
     この日、オプショナル・ツアー「マチュピチュ観光」に参加した大阪・K夫妻は、運河の閘門を見学した後、
    ペルーのリマに向けて飛び立った。合流できるのは7月2日、グアテマラを出港する直前になるはずだ。
     私も日本出発の半額ぐらいで行けるこのツアーに申し込んでいたのだが、考えてみれば、「世界一周」の
    一筆書きからパナマ運河からグアテマラの間が抜け落ちてしまうことに気づき、急遽キャンセルした。
     旅慣れた船友にきくと、「今は、マチュピチュには、そのくらいの金額で行けるツアーがたくさんある」、という
    ことだった。
   

  ■ パナマ運河事情
    この日、オプショナル・ツアーに参加した新潟のYさんからパナマ運河拡張の画像をいただいた。パナマ運河の
   船舶通過量が増加し、建設後100年経ちパンク寸前にあった。運河の中央部は天然湖や人造湖を利用して
   いるが、通行量を制限しているのは両端にある「閘門」部分が文字通り”ボトル・ネック”になっていたのだ。この
   部分を拡張しり、バイパスを設ける工事が進んでいたのだ。

    実は、われわれの船がコロンに到着した6月26日に開通し、開通式典がパナマ・シティで開催されたその余波
   で、コロン市内も厳重警戒下にあった、ということがわかった。私がパトカーで”護送”された原因は、こういうこと
   もあったらしい。

     
                         パナマ第2運河
                       【撮影 新潟・Yさん】

    この工事の完成によって、より大型船の通行が可能になり、積載貨物量に換算して、一挙に2.6倍にアップ
   したという報道もある。

    そうなると、中国が主導してパナマの隣国ニカラグアに建設する予定の「ニカラグア運河」の雲行きが怪しく
   なってきた。

    一本の運河を通して、世界の経済や政治が見えてくるから面白い。明日は、愈々(いよいよ)船に乗って
   パナマ運河通過だ。

6. 参考文献

 1) 林屋 永吉訳:コロンブス航海誌,岩波書店,1981年
 2) 地球の歩き方編集室編:各国編2013〜15,ダイヤモンドビッグ社,2015年


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