北極圏をめぐる地球一周の旅 【コタ・キナバル】 ( Tour around the World & Arctic Circle 2016 - Kota Kinabalu - )









      北極圏をめぐる地球一周の旅  【コタ・キナバル】

       ( Tour around the World & Arctic Circle 2016 - Kota Kinabalu - )

1. はじめに

    最初の寄港地がマレーシアのコタ・キナバルで、乗船8日目の4月19日だ。それまでの間、船の中では
   船長主催のウエルカムパーティがあったりして、夕食にはドレスやスーツなどの着用が義務付けられる
   いわゆる『ドレスコード(服装規定)』があった。

      
               船長と記念写真

    熊本で大きな地震があった、とのニュースが流れてきたが、それで船を降りて帰国するという人がでる
   わけでもなく、船の上は俗世間とは隔絶され世界と割り切っておられる人も多いようだ。

    ( 2016年4月 訪問 )

2. コタ・キナバルの想い出

    あれは今から25年ほど前の平成3年ごろだった。山梨に転勤になって3年目の春に人事異動があって、
   技術担当から国内外の生産担当にコンバートされた。それまで、海外の生産会社に出張する機会が
   何度かあったが国内拠点の整理統合に忙しいという理由で部下にまかせていたが、責任者として出
   張せざるを得ない立場になってしまった。

    マレーシアのペナン島とケダ州にある工場を視察し、現地幹部の見送りを受けてペナン島を発ったの
   は20時過ぎだった。クアラルンプール(KL)でJALの夜行便に乗り換えて、翌朝成田に帰るつもりだった。
    KL上空に着いたが、飛行機は空港の上を旋回しているだけで着陸しそうにない。どうやら、激しい雷
   雨でKL空港が停電し、管制ができないようだ。飛行機が再び着陸したのはどことなく見覚えのあるペナ
   ン空港だった。
    2時間ほど待って飛行機は再び飛び立ち、KL空港に着陸したが、日航機は既に飛び去った後だった。
    日航のカウンターに行くと、翌日の朝出発する、コタ・キナバル経由の成田行きを予約してくれ、今夜
   はKLのホテルに泊まるようにタクシーとともに手配してくれた。

    翌朝、KLを発ってコタ・キナバル空港に着陸し、待合室で出発までの時間を潰してたいただけだった
   ので、町の雰囲気を直接膚で感じることはできなかった。
    待合室のガラス窓を通してみる町の風景は、ペナンなどの観光地に比べて一段と鄙びた町並みで
   太陽の光と緑にあふれていたという印象だけだった。

3. 25年ぶりのコタ・キナバル

    夜明けとともに表に出ると、北ボルネオ最高峰キナバル山の方角から日の出が望まれた。朝8時、船
   はコタ・キナバルの港に入港する。海岸沿いには建設中を含めて高層ビルがあちこちに見られ25年前と
   は隔世の感だ。

         
                          コタ・キナバル港に向かう

    ここまで水先案内人として乗り込んできて、何回か講演会を開催してくれた北海道旭山動物園の
   坂東園長がこの日船を降りるということで、記念写真を撮らせていただいた。
    ご存知のように、旭山動物園は、オランウータンの樹上生活を再現したり、パイプの中を泳ぐアザラシ
   などユニークな展示方法でお客を集め、人気No1の動物園だ。北海道外からの観光客がドッと押し寄
   せるようになった結果、地元の幼稚園児や小中学生などが見学に行くのがはばかられるような雰囲気
   もあるようで、客が集まるようになればなったで新たな悩みが尽きないようだ。

      
            旭山動物園・坂東園長と

4. コタ・キナバル観光

    コタ・キナバルでは、オプショナルツアーを予約していないので、一日自由行動だ。最初の寄港地とい
   うことで、これから先の旅の楽しみ方を試してみる機会となった。ここでやっておきたい事は次のようなこ
   とだった。

    ・ 郵便局で記念押印
       北ボルネオは、”真珠”の産地としても有名で、マレーシアが発行した真珠を描く円形切手を貼
      った記念の封筒に押印してもらう。
       真珠の組成は、CaCO3で、霰石(あられいし)と呼ぶ鉱物と同じなのだ。

    ・ 海鮮料理
       マレーシアやシンガポールに出張すると、新鮮な海産物を鍋でいただくことが多かった。マーケッ
      トでは地元の漁師が獲ったばかりのエビや魚などを買うと焼いて食べられるというので試してみる。

    ・ トロピカル・フルーツ
       マレーシアといえばトロピカル・フルーツの王国だ。フルーツの王様・ドリアンは好きな人と嫌いな
      人が両極端だ。女王・マンゴスチンは誰にでもに好まれる。まだ、本格的なドリアンシーズンには
      なっていないが”走り”が食べられるかもしれない。

    船が着いても入国管理などの手続きを一括して処理する間、下船できないのでノンビリと上陸許可
   が下りるのを待っていると、『博多のあねご』がいたので写真の撮りっこだ。

         
              『博多のあねご』                      MH
                          コタ・キナバル上陸前

 4.1 コタキナバル郵便事情

      コタ・キナバル上陸前にUさんから「ご一緒させてください」と頼まれていた。一人旅より二人旅の
     方が楽しそうなのでご一緒することにした。
      船を降りて海岸沿いの道を歩いていく。10時過ぎだというのに、頭上から降り注ぐ陽の光は強烈
     で、”クラクラ”しそうだ。コタ・キナバル市街のはずれに着くとUさんは買い物があるというので、スタバで
     11時に会うことにしてひとまずお別れした。
      「郵便局(Post office)はどこか?」と聞きながら探し歩いていくが、知らない人が多くて難儀す
     る。郵便局に用事などない人がほとんどのようだ。10人近くに聞いた挙句に、「あそこだ」と指さした
     のは先ほど通り過ぎたあたりだった。

      局に入ると窓口がたくさん並んでいる。先に同じ船の乗客が窓口に並んで押印を頼んでいる列に
     並んで順番を待つ。周りを見渡すと、イギリス領マラヤ時代の切手の写真などが展示してある。その
     当時、北ボルネオはサバ(Saba)州と呼ばれていた。最近発行された記念切手の販売もされている
     が欲しいものはなかった。

         
                    郵便窓口                     「切手ショーケース」

      順番が来て、窓口で押印を頼んだが、その意図がよくわからない風だった。きれいな切手を貼った
     封筒をわざわざ使用済の状態にするなど信じられない、といった風だった。

      
                「真珠を描く切手を貼った記念カバー」

      
                「南シナ海の5島を描く切手を貼った記念カバー」

      いつもながら、記念押印した封筒を投函すべきかそれともそのまま持ち帰るかは悩むところだ。自
     宅宛に送っても届かなければ意味がないし、ただ持ち帰るだけでは実際に郵便物として配達され
     た『実逓便』には及ばない。
      結局、ポストに投函するところを写真に撮ってもらい、記念押印してもらった封筒は持ち帰ること
     にした。

      
             記念押印した封筒を投函する(ふり)

 4.2 コタ・キナバル買い物事情

      マレーシアの一つの州にあるコタ・キナバルの通貨はマレーシア・リンギッド(RM)だ。円高傾向にな
     っていることもあって、両替を頼むと1リンギッドが28円だ。25年ほど前に出張できたころは50円の時
     期もあったし、1米ドル75円の時代には13円くらいだった。28円はまあまあのところだ。
      米ドルも使おうと思ったが、全く人気がなく、受け取ってくれなかった。これから先、アジアでは全く
     米ドルは不人気で、無理に交換を頼むとレートは悪く、”円高”傾向は続きそうだ。
      孫娘に送るオランウータンを描く絵葉書を買うと2枚で1.5リンギだから、1枚20円くらいと滅茶苦茶
     に安い。日本までの航空郵便料金も、絵葉書が0.5リンギだから15円ほどとこれまた”めちゃ”安い。

      日本の企業を退職したシニア世代の人たちが、マレーシアのペナンあたりに住む理由がわかるよう
     な気がする。

      これから先、暑い地域を通過するのに必要だと思いシッカリした仕立ての半ズボンを買うと49リンギ
     (約1,400円)だったから、国内のユニクロなどで買うのとあまり違いがない。

      郵便局を出て、10リンギでタクシーでスタバに駆け付けて、Yさんと合流し、再び市の中心街にある
     地元の人々が利用するレストランに入った。昼食に地元の人が食べていたチャーハンと野菜の餡か
     けを食べたが2人で20リンギもしなかった。

      
                       昼食

 4.3 コタ・キナバルで古銭あさり

     昼食を終えて、土産物を買いに近くのショッピングセンターのようなビルに入った。千葉の嫁さんが
    欲しがっていたマグネットが各種おいてあったので、オランウータンを描くのを3個ほど3リンギで購入した。
     とある店先に切手や古銭が山のように置いてあった。こういうのを見るとすべてチェックしないと気が
    済まない ” Mineralhunters ” だった。

      
                   古銭の山

     古銭だけと思ったのだが、最近お土産用に作った清朝銭などに混じって日本で現在通用する100
    円硬貨がたくさん混じっている。それらを20枚ほど選んで交渉すると60リンギだというのを50リンギに値
    切って買った。100円玉を70円で買った勘定で、トータルで600円の利益だった。

 4.4 トロピカル・フルーツと海鮮料理

      コタ・キナバルにはいくつかのマーケットがある。代表的なマーケットと売っているもの、開店時間は
     次の通りだ。

      セントラル・マーケット    6時〜14時 1F:野菜・果物
                             2F:服や生活雑貨/フードコート

      フィリピノ・マーケット     10時〜19時
      (Filipino Market)

      ハンドィクラフト・マーケット  16時〜23時30分
      (Pasar Kraftangan)

      セントラル・マーケットには果実や野菜が所狭しと並んでいた。売っているのはほとんどが女性で、
     東南アジアの女性のエネルギーを感じる。
      狙いは”ドリアン”なのだが、時期的に早いせいかお目にかかれない。「どこで売っているか」、と聞
     いてみると「向かいの建物の地階」と教えてくれた。
      衛生的な観点から西瓜(スイカ)の切り分けられたものはパスだし、丸ごとは食べられそういない。
     ここでは、いろいろな形のアボガドを売っていた。中には日本では全く見かけないナスかヒョウタンを
     思わせるものもある。1キロで10RM(280円)というので、船友へのお土産に1キロ購入した。

      
                 アボガドの山
                 【1キロ280円】

      海岸沿いの「ハンドィクラフト・マーケット」をのぞいてみると、北ボルネオ特産の真珠のアクセサリー
     が並んでいた。値段は、数個で5RM(140円)と驚くほど安い。品物を手に取ってルーペで見てみると、
     貝殻を丸く削って表面に真珠光沢の膜を塗った”真珠”とは似ても似つかない代物だった。

     【後日談】
      ”真珠”が鉱物なのか否かは議論のあるところだ。ただ、その成分は「霰石【ARAGONITE:CaCO3】」
     で、立派な鉱物だから、私などは、「琥珀(コハク)」や「石油」などと同じように、鉱物に準ずるも
     のだと考えて同列に取り扱っている。

      「魏志倭人伝」に、倭国の献上品として『粗製の絹織物、真珠、生口(せいこう:奴隷)男○人、
     女○人』という記述が何回か登場する。その見返りとして、「金印」、「銅鏡」そして「立派な絹織物」
     などを下賜されたのだが、それに見合う価値のある『生口』とはどのような人々だったのだろうか。こ
     れが、長い間私の疑問だった。
      数年前から、『生口は海士・海女(あま)』、だったのではないだろうかと考えるようになった。中国
     の覇者(皇帝)たちは単なる装飾品としてだけでなく、不老不死の薬としての価値を真珠に見出し
     それを自ら手に入れたいと思うようになったとしても不思議ではないはずだ。

      「魏志倭人伝」の時代から1,500年以上経った明治時代になっても、真珠(白蝶)貝を採る日本
     の潜水士に対する評価は高く、大勢の海士が木曜島などオーストラリア近海でも活躍した。
      地球一周の旅に持ってきた本の中に、司馬遼太郎の「木曜島の夜会」と御木本真珠島発行の
     「真珠博物館」があるのだが、”コンサルタント業”が忙しすぎて、乗船1ケ月が過ぎたが、未だページ
     を繰っていない。

      海岸近くのマーケットに行くと、夕食を目当てに日が暮れてから訪れる客のための仕込みに大忙し
     の様子だった。子どもから老人まで、働ける家族(一族)が総出で忙しく働いていた。女の子に「あの
     人はあなたのお兄さんか?」、と尋ねると「いとこだ」、と答えが返ってきた。昔の日本もこうだったのだ
     ろうという働くということの原点を見た気がした。

      街中をウロウロ動いたせいで、喉の渇きを覚え、1つ3RM(90円弱)のキングココナツのジュースを注
     文した。手ごろな果実を選んで、蛮刀のような包丁(鉈?)を使って果実に四角い穴を開ける。果
     実を持っている左手を切るのではないか見ているこちらはヒヤヒヤしているのだが、そんな心配を他所
     に、正確に穴を開けていく。ものの1分でストローを差し込んだココナツジュースが出てきた。

         
               キングココナツを切る                     ココナツジュース

      ココナツジュースは、新鮮な果実特有の”生臭さ”をほんのりと残しながら、”ポカリスエット”を思わ
     せる喉越しで、そのまま乾いた身体に吸収されるような気がする。それにしても、量が多い。500ミリ
     リットルは優にありそうだ。そうこうしていると、陽が傾き始めた。

         
                  何とか飲み干す                   港に陽が沈む

      陽が傾き、空腹を感じてくる。マーケットの魚介類売り場を見て回り、伊勢海老、車エビ、イカ、
     魚を注文する。伊勢エビはキロ30RM(840円)前後で、大ぶりのものでも1キロ前後だ。
      席に案内され、つなぎにビールでも飲もうと思って注文しようとすると、ムスレムの多いコタキナバル
     では限られた場所でしかアルコール類を提供していないのだ。仕方なく、3RM(約90円)のマンゴージ
     ュースを飲んで待っていると焼きあがった魚介類が届いた。

         
                   エビ類                           魚類

      伊勢海老はピリ辛の味がついてプリプリした身がおいしい。車エビと魚は臭みもなく美味しく食べ
     たのだが、Uさんが頼んだイカは泥臭さがあってほとんど手を付けられなかったようだ。

      お腹もいっぱいになり、帰船時間も迫ってきたので、タクシーを呼んで料金を交渉した。20RM(560
     円)だというのを、15RM(420円)まで値切って乗り込む。運転手と話し込むと、奥さんがいて7月には
     子供が生まれるという。Uさんと相談し、生まれてくる子供のお祝いとして5RM(140円)を加え、運転
     手の最初の言い値だった20RMを払って車を降りた。

5. おわりに

 (1) 初上陸
      12日に横浜を発って8日ぶりにコタ・キナバルに初上陸だ。オプショナル・ツアーをとらない自由行動
     だった。オプショナルツアーは、短時間のものでも7,000円、一日コースだと15,000円くらいだから、自
     由行動だとその数分の一で済むが、その分自分で企画立案する手間がかかる。

      今回、初上陸地で自由行動でのポイントがつかめ、今後役立ちそうだ。

      ・ 足の確保
         船が停泊する港から観光地までの移動手段の確保がまず課題だ。自分の脚で歩くのが一
        番確実なのだが、暑さの中で歩くことを考えると2キロくらいが限界で、それ以上の距離になると
        交通機関を利用することになる。
         コタ・キナバルではタクシー、シンガポールでは地下鉄、スリランカではバス、アテネではバスと
        列車という具合にその街にあった交通手段を選ぶことが重要だ。

      ・ 観光地の選定
         観光地と言っても人それぞれに行きたい場所が異なるので、同行者がいる場合には事前に
        調整が必要だ。私のように、大学や博物館で鉱物の展示を見たいという人は少数派なので、
        港から市街地まではご一緒し、その後別れて自由行動するケースも増えてくる。

      ・ 安全
         ツアーでの団体行動でも同じだが、旅先での安全確保は自己責任だ。命まで失うことは考
        えにくいが、旅行者を狙ったスリや強盗団などには注意が必要だ。
         アジアの国々は比較的安全だったが、ヨーロッパに入ると危険性が増え、アテネでは数人の
        被害者が出ることになる。

6. 参考文献

 1) 株式会社 御木本真珠島編集:真珠博物館,同社,平成2年
 2) 司馬 遼太郎:木曜島の夜会,文春文庫,2011年


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