ミネラル・ウオッチングの時は(に限って?)一度目が覚めると眠れなくなる。この日は、12時にはレンタカーを
返さなければならないので、今起きても8時間しかないので、行動を起こすことにした。
身支度をして、コンビニのトイレを借りてヒゲを剃り、サッパリしたところでコーヒーを飲んで目をシャッキリさせ
ようと、コーヒー売り場に行って驚いた。
日本のコンビニのアイスクリームを売っている面積の2倍くらいがコーヒー売り場で占められている。ドリップした
ものだけでも6種類あり、他にミルとドリッパーが一体になった自動機械が4セットおいてある。流石にコナ・コーヒー
の本場だと感心する。
これだけあるとどれを飲むか迷ってしまう。ちょうど現地の若い人が入ってきたので、「おススメはどれ?」、と
聞き、指さしたのを紙コップに注ぐ。これだと手に持つと熱く感じるので、”スリーブ”と呼ぶ紙製の”サック”をコップ
にはめる。そして、ミルクや砂糖などをいれるのだが、”フレーバー”なる香りづけもあるのには驚いた。これが、
ハワイ(アメリカ?)流の流行(はや)りのコーヒーの飲み方なのだろうか。
日本と違い、アメリカは豊富にある森林資源を利用して、日本なら石油製品を使うところを紙製品で済ま
せている一端を見た思いがした。この方が外貨を減らさないし、何よりも環境に優しい。
この日も、島を駆け巡ることになる。
■ 訪れた産地(@、A、C、D)
□ 訪れなかった産地(B、E)
○ 観察・採集できるとある産地
△ 少量観察できるとある産地
● 観察・採集できた鉱物・岩石
■ 現地で新たに観察・採集できた鉱物・岩石
鉱物・岩石 | 産 地 | 備 考 | @サルファ・クリフ (硫黄の崖) | Aジャガー博物館 | Bデバ・ステーション・トレイル | Cチェーン・オブ・クレーター・ロード <ペレの横顔> | Dグリーンサンド・ビーチ (緑砂海岸) | E黒砂海岸 | オリビン (橄欖石) | ● | △ | 溶岩の斑晶 海岸の 漂砂鉱床 |
硫黄 | ■ | 噴気孔 | レテキュライト (レース・スコリア) | ● | 溶岩流 | ペレの毛 | ● | ○ | ● | 火山 噴出物 |
ペレの涙 | ○ | ● | 溶岩流 |
■ 産地はどこ?
事前に得られた情報で、産地がハッキリ判っていたのは、有名な「グリーンサンドビーチ」だけで、それ以外は
全くと言ってよいくらい場所の特定はできていなかった。したがって、現地に行ってみて、”嗅覚”を働かせて、
探すしかないだろうと思っていた。
それぞれの産地の大まかな地図を以下紹介する。
産地Dの「グリーンサンドビーチ」は前の日に訪れ、「母岩付き」と「分離標本」を採集できた。この北東に
カメが産卵に上陸することなどでも有名な「黒砂海岸」があり、ここでも「オリビン」が観察できるとある。ただ、
海岸の色が黒いところから名付けられた通り、真っ黒い溶岩が細かくなった砂が主体で「オリビン」は少ないよう
なので、訪れるのは見送った。
前の日に訪れたボルケーノ・ビジターセンターは、キラウエア・カルデラに隣接している。カルデラの中にある
ハレマウマウ火口は現在も噴煙を上げ、周辺には蒸気の噴気孔があり火山活動を目にすることができる。
@のサルファ・クリフ(硫黄の崖)の近くでは噴気活動が観察できるはずだ。Aのジャガー博物館は火口観測
所に隣接し、ハレマウマウ火口を間近に観察でき、過去の噴火で噴出した「ペレの毛」などを採集できる、
とある。
当然、カルデラ内の東端にある探査路 Bの「デバステーショントレィル」でも、「ペレの毛」や「ペレの涙」が
採集できるとあるが、そこを探査するのは時間的に無理だと判断した。
キラウエア火口南東そして東側に、昔噴火活動した火口が”鎖状に点々”とつながっている。その間を縫う
ように20km先の海岸まで延びている道路が Cの「チェーン・オブ・ボルーケーノ・ロード」だ。ここには火口跡が
点在し、溶岩流が道路の両側を埋め尽くしている。ここで、「レテキュライト(レース・スコリア)」、「ペレの毛」
そして「ペレの涙」が観察・採集できるとある。
20kmのどこかを探り当てられるかは、 ”Mineral Hunters” の嗅覚にかかっている。
■ 「レテキュライト」って何?
鉱物や岩石愛好家なら、「ペレの毛」は見たことはなくても聞いたことはあるかも知れない。しかし、「レテキュ
ライト」に至っては、初耳だという方がほとんどだろう。
これらが、どのようなものかは、追々見つけ次第ご紹介する。
車の外に出るとヒンヤリしていて、慌ててジャンパーを着こむ。ビジターセンターには人はいないが、散歩して
いるらしい人をチラホラ見かける。
「サルファ・クリフ」への道を400mを進むと、シダや熱帯樹が茂る樹林に入る。その辺(あた)りからかすかに
”卵が腐ったような”と形容される硫化水素ガスの臭いがして、噴気孔が近いことを臭いで感じる。地図だとこの
右手の崖が「サルファ・クリフ」の筈だが、熱帯樹のハワイでは、噴気孔などあっという間に樹林で隠されてしま
うようだ。さらに200mも進むと樹林を抜け、前方の視界が広がる。
そこに見えてきたのは、日本ならさしずめ、『賽(さい)の河原』とでも名前が付きそうな場所で、崖から白い
水蒸気を伴う噴気があちこちから立ち上っている。崖の斜面には、ところどころ黄色いシミのようなスポットがあり、
噴気に含まれる「硫黄(いおう)」が結晶している場所だ。ここが「サルファ・バンクス」だ。
噴気孔がジャングルに埋もれてしまうのを防ぐため、人の手で噴気孔の上に岩を積んであるようだ。その岩の
隙間には硫黄の結晶が現在も成長している。
■ 「ジャガー博物館」
キラウエア・カルデラを時計の文字盤だとして、1時の位置にあるビジターセンターの駐車場にもどり、車に乗っ
9時の位置にある「ジャガー博物館」に行く。
ここはハワイ諸島の地学・自然、先住民の歴史・それにまつわる神話など、あらゆる観点からハワイ諸島に
ついて展示・解説しているので興味はあるのだが、開いているのが10時〜20時なので今回はパスだ。まずは、
ハレマウマウ火口の写真を撮る。火口湖があるらしいのだが、水面がかなり下にあるのでこの高さからは見えな
い。
博物館前の展望所は、ハレマウマウ火口を見るのには絶好のスポットになっていて、8時前だというのにアメリカ人観光
客が数人訪れていた。その傍(かたわ)らで、ミネラル・ウオッチングの私は、ひたすら「ペレの毛」を探していた。
彼らはバード・ウオッチングにも興味があるらしく、望遠鏡で火口の縁にいる鳥を探して、「あそこにNene(ネネ)
の番(つがい)がいる」、と教えてくれた。ハワイ語のネネは、ハワイガンのことで、ハワイ島、マウイ島、カウアイ島
にのみ生息しているハワイの固有種でハワイの州鳥にもなっている。
食用にされたり、人が連れて来たイヌ、ブタ、ネズミによる被害などにより生息数は激減し、1951年には30羽
まで減り、人工繁殖がされ数千羽まで回復したが、相変わらず貴重な種であることには変わりはない。
この後、「チェーン・オブ・ボルケーノ・ロード」を走っていると路肩にあった「鳥獣飛び出し注意」の標識に描か
れているのが、ハワイガンだと思い至った。(日本だと、地方によって違い、鹿、タヌキ、などだろうか)
アメリカ人のご婦人が話しかけて来た。外国人は老(ふ)けて見えるから、私とおなじくらいの年恰好だ。
( まさか、レディに 「おいくつですか」、と聞くのは控えた )
ご婦人 「あなたは、韓国人か?」
私 「いいや、日本人だ」
(なぜ、韓国人と思ったのか、その理由を聞いておけば良かった)
ご婦人 「そこで、何をしているの?」
私 「ペレの毛を探している」
ご婦人 「孫に見せてやりたいから、次に採ったのを私に頂戴」、というので採ってあげることにした。
「ペレの毛」はドロドロに溶けた溶岩が火口から噴出したときに、”よく掻き回した納豆のように糸を引き”
空気に触れると急速に冷えて固まったものだ。その太さは、0.05mmくらいから0.5mmくらい、長さは長くても
30センチくらいで、色は黒〜茶褐色で、まるで人間の髪の毛と同じだ。真っすぐな直毛もあれば、カールした
くせ毛もある点も髪の毛と同じだ。
こんな細いものをどうやって見つけるのか船の中で考えていた。”蜘蛛(クモ)の糸”のようなものだ。子どもの頃
夏休みの早朝に友人と「カブトムシ」を獲りに林に入っていくと、蜘蛛の巣が張っていて、そこに顔を突っ込んだ
友人は蜘蛛の巣だらけになってしまうことがあった。
私は、蜘蛛の巣に朝露がついたり、朝日に光るのでどこに蜘蛛の巣があるかがわかり、それを避けて歩くよう
にしていた。
この60年も前の経験から、”朝日に光る”ものを探すことにした。細いものだからつまみ上げる「ピンセット」を
日本から持参した。さらに、折れやすいので、真っ白い厚紙を入れたビニール袋を持参しその中に回収し、その
上それを入れるプラスチックケースも持参するという念の入れようだ。
「見つけ出すのが難しい」ことを表現した西洋の喩(たと)えに、『藁(わら)の山から縫い針を探す』、と言うの
があるが、それを地で行くMHだった。間もなく一本見つけて、ご婦人に見せて、袋に入れて差し上げた。
ご婦人 「まあきれい。初めて見たわ。孫が喜ぶわ。ありがとう。この辺りは、監視人が巡回しているから気をつけて」、
と言い残して去っていった。
( 孫は出汁(ダシ)で、本当は自分が欲しかったのでは、とも思ったが喜んでくれたのだから吉(ヨシ)
としよう )
■ 「チェーン・オブ・ボルケーノ・ロード」
カルデラの5時の方向から南に、そして海岸まで火口群や溶岩原の間を走っている道路が「チェーン・オブ・
ボルケーノ・ロード」だ。
道路脇の溶岩のなかに、縄(なわ)を寄せ集めたようなものがある。これがこの島で顕著に見られ、ハワイ語
で『パーホイホイ溶岩(縄状溶岩)』と呼ばれている。ハワイ島の溶岩は粘度(粘っこさ)が低く、流動性が大き
く、流れてやや固まった表面が皺(しわ)になり、写真のような形になる。
インターネット情報だと、「マウナ・ウル火口」近くにある『ペレの横顔(Maliwai a Pele)』辺りで「ペレの毛」や
「ペレの涙」が観察できるとある。道路脇に「ペレの横顔」の標識は見つかり、その周囲を探してみたのだが、
「ペレの横顔」は発見できなかった。
溶岩原を見渡すと、平坦に緻密に重なり合ったいるわけではない。近づいてみると凹凸や空隙があることが
わかった。くぼみを見ると「レティキュライト」や「ペレの毛」が観察できる。これらはこの状態で生成したものでは
なく、軽いので風に吹かれてこのようなくぼみに吹き寄せられたものだろう。
「レティキュライト」は溶岩が発泡して”スカスカ”のスポンジ状になったもので非常に軽く、手で強く握ると粉々
になってしまうほど脆(もろ)い。
レティキュライトは,マグマが著しく発泡し,気泡どうしが接触して最密充填構造をとった後、気泡壁が破裂
して、稜にあたる部分がフレームを作ったもので、閉じた空間は残されていないとされる。
レティキュライトは最も軽い火山岩であるといわれ、その密度は1983〜1986年に噴火したキラウエア火山の
もので、0.05g/cm3という文献値がある。玄武岩の密度を2.8g/cm3 とした場合、体積が56倍に膨らんだことを
意味しており、空隙率は98%とい うことになる。レティキュライトは「究極の発泡」の痕跡であるとされる。
溶岩がつららのようになった空隙の底の部分を見ると”涙滴状”になった「ペレの涙」が散らばって落ちていた。
これを持参したピンセットでつまみ、ビニール袋に回収する。
一通り目的とする鉱物や岩石を採集できた。「チェーン・オブ・ボルケーノ・ロード」は下り坂になってきて、
海が見える。この先新たな鉱物・岩石を観察、採集できそうもないし、時間も9時半を過ぎている。そろそろ
ヒロの町に帰る潮時だ。
■ ヒロの町に戻る
ヒロの町に戻ったのは11時を過ぎていた。コナ・コーヒーの丸豆(ピーベリー)、しかも生を探して、前の夜中華
料理店で教えてもらった「ファーマーズ・マーケット」にあちこちで聞きながらたどり着いた。空港の西、海岸の
近くだった。そこは、日本の「道の駅」の産地直売所のような雰囲気で、地元産の野菜・果物・花などを売っ
いた。「コーヒー豆ありますか」、と聞いても、怪訝(けげん)そうな顔をするだけで、期待する答えは帰ってこない。
これではお手上げだ。早々に見切りをつけマーケットを後にした。11号線に出て、最初にあったガソリンスタン
ドに入って”満タン”にする。11号線を時計方向に回って行くと、左に見覚えのある空港入口が見えて来た。
■ レンタカーを返す
空港のレンタカー会社の駐車場に戻ったのはほぼ12時だった。走行距離を示すオドメーターは、28,272マイル
を示していた。キーについているタグに、借りた時は28,014マイルとある。差し引き、258マイル(413キロ)を丸
一日で走ったことになる。ハワイ島を一周する距離よりも長そうだ。
荷物を整理してみる。”ゴロゴロ”とデイバッグ、そして布製のバッグに分散して詰め込んだ。”ゴロゴロ”の重量
が23キロだったかの制限を超えている。やはりハンマーとタガネは捨てて行くことにした。
ドイツで買ったものをアメリカに残していく。
レンタカー会社に行ってキーを返す。これでお終いだ。カナダでもそうだったが、日本と違って借りる前や返す
前に係員と一緒に車の周囲を見て回って、”キズ”や”凹み”、そして”忘れ物”のあるなしをチェックするなどの
七面倒臭いプロセスはないのだ。
”キズ”などは気にしないのか、大きなものは保険がカバーしてくれるのだろう。”忘れもの”は自己責任という
お国柄なのだろう。
■ 搭乗を待つ
まずは空港カウンターに行って確認だ。12時半だから早い便に空席があればそれに替えてもらう積りだった。
時刻表を見ると、ホノルル行きは午後1時17分があるが、すでに満席だという。仕方なく、予約しておいた午後
2時53分発にする。出発まで2時間以上ある。”ゴロゴロ”を預けると案の定重量オーバーで、25米ドル(3,400円)
払うが、これは承知の上だ。
さて、出発までの2時間余りをどう潰すかが問題だ。ヒロで投函する手紙を持っていたので投函しようと思い
ポストの場所を聞くと、空港にはなくてヒロの町まで行かないと投函できないという。SNSの普及で、アメリカでも
すでに郵便は人々の生活から離れてしまっているようだ。この傾向は、強まることはあっても逆戻りすることは
なさそうだ。
お腹がすいてきたので、ソフトドリンクを買って、前の日の食べ残しのスナックを食べる。待合室はエアコンが
利いているし、人が少ないせいで静かで、その上ソファはゆったりとして快適だ。横になっていると、いつの間にか
眠っていた。
2時過ぎに眼を覚まし、搭乗案内があるまで待合室のあちこちを”探検”する。貝の標本がガラスケースの中に
展示してある。寄贈したのは”マツダご夫妻”とあるから日系人だろう。
これを観ていると、つい鉱物採集・収集家だった櫻井欽一博士は、貝標本のコレクターとしても有名だった
ことなどを思い出す。
■ 行きと帰りは大違い
来るときホノルル空港での身体検査ではエライ目に遭ってしまった。帰りは私が日本人で、しかもホノルル空
港で降りることが判っているせいか、日本語で「優先スクリーニング対象者」と書いたB6サイズくらいのラミ
ネートした紙を持たせてくれた。
これを持っている人は、金属探知機を通るときに、靴を脱がなくても良いという特典(?)があるのだ。帰りは
待遇が手のひらを返したように丁寧だ。それも、日系人の人たちが勤勉に働いてハワイ島を築いたという実績
の余禄に日本人の私が与(あずか)っているのだろう。当然来るときに問題になったハンマーはないし、ナイフは
”ゴロゴロ”に入れてあるので、問題なくパスした。
ゲート近くで待っていると、ホノルル発のHA162便が入ってきて、これが折り返しHA291便になるようだ。ただ、
待合室のディスプレイには DL6800便とあったから、共同運航なのだろう。
機は数分遅れて離陸した。ここの感覚では定刻だろう。溶岩と緑の陸地と真っ青な海が遠ざかっていく。機
が雲の中を抜けたと思うと、左側にマウナ・ケア山の黒々とした山容の一部が雲の切れ間から見えた。
15時50分に機はホノルル空港に着陸姿勢に入った。バッグを受け取って、ハワイ島で投函しそこなった手紙
をポストを探して投函した。ポストには、「郵便箱」と漢字で書いてあるのも、日本人観光客が多いハワイなら
ではだろう。
■ リムジンでご帰還だ!!
空港のタクシー乗り場にいくと大きなリムジンが停まっている。客待ちの運転手たちが3人ほど集まっている。
長男の結婚式の時、リムジンを1台貸し切ってオアフ島を一周したことがあった。たしか、600米ドル払った記憶が
ある。
港までくるときはチップ込みで30ドルだったが、100ドルも吹っ掛けられたら手持ちのドルでは追いつかない。どう
しようか、と迷っていると、船の中でお茶を点(た)ててくれた仙台のHさんが両手にお土産の荷物を抱えてやって
きた。
Hさんに、「これこれこうだけど、どうする」と聞くと、「私、100米ドルくらいだった持っているから乗って行こう」、と
言うので乗り込んだ。
2人で乗るには大きすぎる。こんな機会は一生のうちに何回もない(私は2回目)だからと、お互いに写真を
撮り合う。降りる前、降りた後で運転手に頼んで”2ショット”をお願いした。心配していた料金は、メーターが
32ドルくらいで、チップを含めて35米ドルだったから特に”ボラれる”こともなかった。
この様子を見た船の人たちは”ビックリ”したようだったが、船の中の”噂(うわさ)”にならなかったのは、MHの
日頃の行いの良さだろう。(「誰もモテるなんて思っていない」・・・・・蔭の声)
■ 一難去ってまた一難
船に戻るには手荷物検査を通らないといけない。X線検査画像を見て、女性の検査官が「バッグを開けて
見せて」、というので開ける。コーヒーの袋の下に”鉱物”や”岩石”を隠しておいたのだが見つかってしまい、
「グリーンサンド」のタッパーを指して、「これは何?」、と聞かれたので「砂だ」と答える。
彼女は新人なのか、「砂は持ち込んで(持ち出して?)良いの?」、と同僚がいる奥の方に聞きに行った。
この機を逃すMHではない。バッグのフタを閉めると、”サッ”と通り過ぎて船に駆け込んだ。追ってくる気配はない。
最後の最後まで、”ハラハラ”、”ドキドキ”のハワイ島ミネラル・ウオッチングの旅だった。
ペレは、もともとは南の島(タヒチともサモアともいわれる)に生まれ育ったが、天のお告げによって兄弟たちと
共に海を渡り、ハワイ諸島最北端にあるニイハウ島へとやってくる。彼らはカウアイ島、オアフ島、マウイ島を経
て、最終的にハワイ島のキラウエア火山の火口に落ち着いた。
ペレたちがハワイ島にたどり着く旅の経路が、プレートテクトニクスで証明されているハワイ諸島の誕生のプロ
セスと一致しているのも興味深い。
■ 女神・ペレの祟(たた)り!?
原住民の間では、「ペレの毛」や「ペレの涙」をハワイ島の外に持ち出すと祟りがあると言われている。ハワイ
のページをまとめていた2018年1月、ハワイ島を訪れて1年半が過ぎていた。これまで私や家族にも何事もなく
平穏な生活を過ごしていた。
2018年の正月は、3人の息子たちがそれぞれ家族や飼い犬を連れて年末に帰省し、久しぶりに家族が集合
新しい年を迎えた。
働き盛りで忙しい息子たちは、元旦には帰って行った。われわれ夫婦は、4日から『老老介護』で母親のとこ
ろに行き、改めて新年を祝った。
山梨に戻ろうと、1月7日の早朝に母親の家を出て高速道路に入ったのは6時ごろだった。3連休の真ん中で
レジャーにでかける車が多く混雑してきた。私の2台前の車が急停止し前の車がそれに追突した。
私の車はかろうじて止まり、追突を避けられたと思いバックミラーを見ると、後ろの車がすごい勢いで突っ込ん
でくるのが見えた。”アッ”と叫ぶ間もなく”ドシ〜”と音がして、車は突き飛ばされて前の車に衝突した。6時25分
だった。
110番に電話し、指示どおり発煙筒を焚いて後続車に知らせる。10分ほどしてパトカーや事故処理車が
到着した。
衝突の衝撃で私も妻も”ムチウチ”症状になり、首から肩にかけて痛みと違和感を感じた。私の車は大破し、
保険会社に電話してレッカーを呼んでもらい、山梨のディーラーに送ってもらった。実況見分を終え、私の車が
完全に停止していたところに後続車が突っ込んできたから、0/100%の責任分担となった。
私たちが、タクシーと電車を乗り継ぎ、山梨に戻ったのは夕方だった。1月末の今も、夫婦して病院通いを
している。
これは、ペレの祟りなのだろうか。