われわれの船には「水先案内人」が乗ってくる。ヘルシンキから乗り込んできたのは東ちづるさんだ。彼女のことは
女優としてしか認識していなかったが、ライフワークとして骨髄バンクやドイツ国際平和村などでのボランティア活動も
20年以上続けている。3.11以降、誰も排除しない『まぜこぜ社会』を目指して、『一般社団法人 Get in tTouch』
を立ち上げ、その代表をつとめていると意外な面を知った。
この後、船内で何回かトークショーがありそれを聴講させていただき、上陸地では行動を共にさせていただく機会も
あった。
航海の間、東さんは私の定位置のWifiエリアに来て忙しそうにメールをチェックしておられた。その姿を見て、船客
の人気者”チャコちゃん”が一緒に写真を写して欲しいと頼まれ写した1枚だ。
この日、「船のプリントコーナーで写真を印刷しようとしたら、このカードを認識してくれない」、とトラブル相談が持
ち込まれた。カードを見てみると”64GB XCタイプ”だ。相談者の話を聞くと、「どれを買えばよいか判らないので、
息子が買って持たせてくれた」、という、いつもの典型的なトラブルパターンだ。
船の写真プリンターのリーダーがXCタイプに対応していなし、私が持っているカードアダプターも対応できないので
如何ともしがたい。「32GB以下、できれば8GB程度のを複数枚用意するように」、とアドバイスしてお引き取り願った。
こんなことをしているうちに、6月3日の上陸の朝を迎えていた。
(2016年6月3日 体験 )
コペンハーゲンと言えば、「人形姫」が有名だが、これが『世界3大がっかり』の一つだという。有名観光スポットだけ
ど、行ってみたらがっかりしたという場所のことで、ほかにブリュッセルの小便小僧、シンガポールのマーライオンとされる。
自分の国を外したいのは人情で、ドイツのローレライ、ローマの真実の口、シドニーのオペラハウスなどの説もある
ようだ。
デンマークは、ヨーロッパ大陸から北海に突き出た”指のような形”の農業国だと思い込んでいた。訪れるに先立って
地図をしげしげと眺めてみると、多くの島々からなる国なのだと認識を改めた。
ほぼ平坦な国土で山岳地帯があるわけでもなく、私の趣味のミネラル・ウオッチングは難しいだろうと端からあきら
めていた。ネットで調べると、デンマークが生んだ鉱物学者・ステノを記念した「ステノ博物館」がオ―フスの街にあるの
で見てみたい気持ちは強かった。
オーフスはコペンハーゲンの北西直線距離で160キロ余りだが、橋を渡り島を横断して迂回するため300キロ近く
あり、特急列車でも片道3時間はかかる。朝8時に入港して、20時に出港するまでの10時間ほどの自由行動時間
ではギリギリだと思われた。ネットで博物館の展示内容を調べたが、ステノに関するどのような展示があるかもハッキリ
せず、問い合わせのメールを送ったが返事があったのは横浜を出港する数日前で、「展示内容は、HPを見て欲しい」、
と何とも間の抜けた回答だった。
結局、デンマークではコペンハーゲン市内を観光することにして、横浜を出る前に訪れる場所を絞り込んでおいた。
【余談】
海岸には風力発電の風車が列をなして並び、羽はエーレスンド海峡の風を受けてゆったりと回転していた。
デンマークは九州と同じぐらいの面積で、人口は約560万人。一人当たりGDPは日本よりも高い。1973年に日本と
同じように国内産油量がほとんどないためオイルショックに見舞われた。当時、デンマークのエネルギー自給率は5%
程度しかなかったため、エネルギー政策として原子力発電所を作っていこうという計画が持ちあがった。
しかし、1974年にOOA(原子力情報組織)というNGOが設立され、OOAの提案で3年間のモラトリアム(猶予期間)
を設け、政府も国民も原子力発電について勉強することになった。
その結果、政府と国民の間で話し合いが進み、デンマークのような小国で原子力発電所の事故が起きたら影響
が大きすぎるということで、1985年に最終的に原子力発電に依存しないエネルギー政策を採択するに至った。
2015年のエネルギー自給率は98%(日本6%)に達し、再生可能エネルギーだけで、約35%ぐらいを賄っている。
日本の政治家は、再生可能エネルギーに移行すると経済成長が鈍ると言うが、デンマークを見るかぎりそのような
ことはなさそうだ。
やがて本来の意味の水先案内人(Pilot)の船が近づき、われわれの船と並走しながら、乗り移ってきた。
いよいよコペンハーゲン港に入港、そして上陸だ。
地図の一番上(北)にある@停泊地を8時に出発して、A、B、と順にコペンハーゲン市内を歩いて回り、船に戻っ
たのは16時を過ぎていた。歩いた距離を地図上で測ってみると、9キロ近かった。
この日のコペンハーゲンは気温が30度近くあり、この季節としては異常なようだ。スウェーデンやこれから訪れるノル
ウェーど北欧4カ国、そしてロシアもそうだった。地球温暖化が進んでいるのだろうか。
@ 停泊地
停泊したのは市街から一番遠い埠頭のはずれだった。停泊料が安いのか、ここまでくる間も市街地から遠い
港のはずれに係留する事が多かったような気がする。
埠頭の外にはお土産店がいくつか並んでいて、中には ”free WiFi” になっている店があり、夕方になると
仕事を終えた船の乗組員がスマホを片手にたむろすることになる。
A 新人形姫の像
船から500mも歩くと人形姫の像の北300mくらいのところに、最近人形姫の像ができている。花崗岩と思われる
石材を彫刻したもので、高さはゆうに3mはあり、恥じらう様子もなく乳房を露わに突き出している姿には芸術性
は感じられない。
それでも、結構人だかりがしているが、本家をしのぐほどではない。
B 人形姫の像
英語では「リトル・マーメイド」と呼ばれ、高さ80センチと思ったよりも小さなものだ。そんなところから、”がっかり”
した印象を与えるのかも知れない。私の眼には、”がっかり”するどころではなく、”感激”だった。
1913年、彫刻家・エドワードエッセンが製作した。当時バレエ「人形姫」が上演されていて、それを見たカールス
ベアビール会社の2代目社長カール・ヤコブセンがこの像を作るアイディアを思いついた。
モデルは王立劇場のプリマドンナで、それが縁で彫刻家と結婚した。1964年1月、1998年1月に首を切り落とさ
れ、2003年9月には爆破されるという災難に見舞われた。
像は西、顔は北を向いているので、朝行くときは逆光でうまく写真が撮れなかった。夕方、帰りにもう一度立ち
寄って撮ったが、この日のような晴れた日には顔が真っ黒で撮影が難しい。むしろ写真を撮るのなら曇りの日の方
がよさそうだ。
大きな声で話している中国人と思われる団体の観光客が台座のところに鈴なりで、その姿が写らないようする
ため15分くらい待たされた。
C カステレット要塞
眼の高さで見ていると気づきにくいが、上の地図を見ると星の形をした要塞だということがわかる。日本の幕末、
函館に造られた「五稜郭」を始めとする洋式要塞のひな形になった形だ。コペンハーゲン港の入口を防御する
目的で、1662年に建設された。現在では要塞の兵舎や砲台などは大部分が破壊され、芝生や木立の緑が美
しい公園になっている。
公園内の「聖アルバニ教会」のそばには、コペンハーゲンがあるシェラン島の由来を物語る「ゲフィオンの泉」がある。
噴出する水しぶきの中、4頭の雄牛に曳かれた戦車(?)を御する女神の像は迫力満点だ。
D アマリエンボー宮殿
ここに着いたのは9時過ぎだった。中央に騎馬像がある8角形の広場を囲むようにして、4棟の宮殿が向かい合っ
て建っている。デンマーク王室のメンバーが暮らす現役の王宮である。コペンハーゲンで観光客にもっとも人気を集
めているイベントが、正午に行われる衛兵の交代式だというが、それまで待っている余裕もない。たまたま衛兵の
一人が姿を見せたので”パチリ”。
E ローゼンボー離宮
宮殿から西に向かうと左手に広大な緑地が見えてくる。ここがローゼンボー離宮だ。クリスチャン4世が1605年から
建設をはじめ1634年に完成したオランダ・ルネッサンス様式。1615年38歳の王は絶世の美女キアステン・ムンクと
恋に落ち結婚、2人の新居となり、1648年王はここで亡くなる。
離宮の中は市民の散歩コースになっているようだ。あちこちに小規模なガラス張りの温室や木枠で囲われ、野菜
やハーブが植えられた畑があるので聞いてみると、「ここは、市民農園だ」、という。
デンマーク王室は世界で一番国民に近い王室だといわれる所以がこんなところからも覗い知ることができる。
F 「地質博物館(Geologisk Museum)」
デンマークの鉱物、そして鉱物学者・ステノに関する情報得たいと思い訪れたのが「地質博物館」だ。地図の
「ローゼンボー離宮」の西、国立美術館の南側にある。改めて地図を見てみると、隣接して「植物園」がある。
建物前の広場には、大きな隕石が展示してあり、ここが地質関係の施設であることを無言のうちに示している。
建物に入ると「チケット売り場→」の看板がある。水晶、土星と環、そしてアンモナイトの化石が手書きされていて
展示内容を簡潔に表現している。
入場料40デンマーク・クローネ(約700円)を払ってチケットを買う。受け取ったレシートの「消費税」を見ると(25%)
と表示されていて、世界でも消費税率が高い国のグループのようだ。
ただ、金額欄は0.00になっているので、内税なのか博物館などのような教育関連施設の入場料は無税のよう
だ。
1階には、「大陸移動」、「断層」などの地質現象の解説、隕石、化石、そして月の石などが展示してある。
学芸員と思われる男性に、「ステノに関する展示物はあるか」、と尋ねると、”よくぞ聞いてくれた”、と言わんばか
りに”喜色満面”で、「こっちにあるから、ついて来い」と案内してくれた。そこは、1階から2階に上がる階段だった。
階段を上ると踊り場の上の方に大きな壁画が描かれている。壁画の縁(へり)にはアンモナイトと三角貝が描かれ
照明器具はウミユリをモチーフにしている。壁画は向かい合った2面が1つのテーマを表現している。
この壁画がどのような場面を描いたものか、次のページを読んでいただければ得心するはずだ。
・ 「ノアの洪水」と鉱物学者・ステノ
( Noah's Flood and Mineralogist Steno , Yamanashi Pref. )
2階は鉱物の展示がメインだ。東半分には昔私が通った中学校にあったと同じようなガラス戸木製の標本棚に
鉱物が展示してある。古典的な展示方法だ。ここには、老婦人(私と同じ年代か?)静かに本を読む姿が見ら
れた。この日会った観覧客はこの婦人だけだった。
西側には、ショーケースがあって結晶学を解説したコーナーがあり、そこにステノ(Steno)の名を発見した。
ここには、1669年に発表されたステノの代表著作「De solido intra solidum naturaliter contento
dissertationis prodromus ( 「固体【岩石と考えると解りやすい】の中に自然に含まれている固体【化石】
についての論文への序論)」が展示してある。
下の説明文は全てデンマーク語なのでドイツ語や英語から類推するしかなく不確かだが、”どのような水晶でも
面角が120度と一定である”という『面角一定の法則』を発見したというようなことが書かれている。
新大陸が発見されるまでヨーロッパで多く産出した”自然銀のひげ状結晶”とそれから造られた銀貨が展示して
ある。銀貨の表面に圧印されているは、先ほど見てきた「ローゼンボー離宮」の主・クリスチャン4世だ。
デンマーク産の鉱物を探してみると「琥珀(こはく)」があった。産地はコペンハーゲンとなっている。デンマークは
琥珀で有名なバルト海に面した半島で、その海岸に打ち上げられたもののようだ。2キロ近い大きな塊から小指の
先ほどの小さなものまで多数展示してある、
見学を終え、ミュージアムショップでお土産を購入した。絵葉書や鉱物関連の本だ。絵葉書に描かれた鉱物は
全て外国産でデンマークが鉱物資源に乏しいことが窺える。
レシートを見ると絵葉書は1枚5DKK(デンマーククローネ:約85円)で、消費税は約15%で、品目によって税率
が違うようだ。
ちょうど昼時になり、屋外にテーブルと椅子を並べたカフェが目に入ったので、ここでお昼を食べることにした。Yさん
はビールか何かを飲みたかったようだが、テーブルの上を見ていただけるとお分かりのように、パンと瓶入りジュースの
つつましい昼食だった。
G 郵便局
運河沿いのカラフルな建物群があるというのでその方向に歩いて行くと赤い箱型のポストと郵便配達夫のラッパ
のマークの看板が下がった郵便局が目に入った。孫娘や友人知人に出す絵葉書や封筒を持っていたので立ち寄
ることにした。
中に入ると日本の郵便局と同じような雰囲気で、結構大勢のお客さんが窓口に並んでいた。
【後日談】
コペンハーゲンで投函した妻あての絵葉書や封書は確実に届いていた。
H 「ラウンドタワー」
1716年コペンハーゲンを訪れたロシアのピョートル大帝が馬で、エスカテリーナ妃が馬車で駆け上がったとされる
円搭。1642年クリスチャン4世によって建立されたヨーロッパ最古の天体観測所。高さ34.8m、内部には長さ209m
のらせん状の通路があり、屋上はドームになっているが外観を見ただけでパス。
I 「クリスチャンスボー宮殿」
クリスチャンスボー宮殿の裏側に出てしまったようで、尖塔だけが見える場所だった。この辺りの路上にはフリーマー
ケット(蚤の市)のテントが並んでいた。デンマークと言えば、王室御用達の”ロイヤルコペンハーゲン”の磁器が有名
だ。スウェーデンのヨーテボリのように、鉱物やコインあるいはエンター(郵便物)があればと覗いてみたが、ないので
早々に立ち去った。
J 「琥珀の家(House of Amber )」
「地球の歩き方」には、地下鉄コンゲスニュート駅歩いて2分に「琥珀博物館(Amber Museum)がある、と書いて
あるのだが、現地でもらった地図には「House of Amber 」と書いてあって、小さな字で "Amber Museum & shop"、と
付け足してある。
「琥珀の舘」くらいある大きな建物かと思いきや、あまりに小さいので「琥珀の家」が適当だと思う。博物館を見学
するには入場料が必要というので、琥珀に興味のないAさんとYさんは外で待っていてくれた。入場料 20DKK に
消費税 5DKK を加えて 25DKK (約400円余)を払って入場。消費税25%をチョッピリ実感!!。
1階は土産品売り場になっていて、2階と3階が博物館になっている。3階にはギネスブックに認定された「世界
最大の琥珀」や「虫入り琥珀」など、いろいろなサイス、色の琥珀が展示してある。
”世界最大”とされる琥珀はインドネシアで2014年に発見されたもので、57.5×62×37センチ、重さは47.5キロある。
「虫入り琥珀」には中国語で「黄蜂」の名札が付けられていた。この博物館の説明書きはデンマーク語、英語、
中国語の3言語で表記されている。現在世界で一番多く使われている言語が中国語なのだという現実に気づか
される。
この後、もう一度立ち寄った「人形姫の像」で中国系の人々の傍若無人ぶりを目の当たりにすることになる。
2階には宝飾品として古代から珍重されたバルト海産の琥珀がヨーロッパからアフリカに至る広いエリアの遺跡から
発見されていることを示している。絹が運ばれた道が”シルクロード”と呼ばれるように、琥珀が運ばれたルートが
”アンバー・ロード(琥珀の道)”、と呼ばれている。
宝飾品に加工する工房の様子も保存・展示してある。
K 琥珀ショップ
コペンハーゲンで見るべきものは見たので船に戻ることにした。船の停泊地につながる湾(運河)の岸辺に出て、
北上していくと自然に「アマリエンボー宮殿」が見えてくる。ここで、サイクリングでの市内観光のオプショナルツアーの
メンバーと会う。
要塞、人形姫の像、新人形姫を通り、港の入り口に琥珀を売っている店があったので入ってみた。琥珀を素材
にしたアクセサリーがショーケースに並んでいた。
写真の右下のペンダントトップが 1,825DKK(約3万円)、真ん中下のブレスレットが 1,130DKK(約2万円)、と
完全に観光地価格で、多少交渉の余地があるにしろ高すぎて手が出ない。
船に戻ったのは16時を過ぎていた。歩き疲れた、というのが第一印象だ。
船は21時ごろコペンハーゲン港を出港した。しばらくしてデッキに出てみると夕日が沈むところだった。この日の
日没は緯度が高いこの辺りでは21時46分の予定だった。夕日を見ていると山など全く見えず、デンマークがほぼ
平坦な陸地だということが改めて理解できた。この日あれだけ歩いたのに”坂道”が全くなかったことを思い出した。
北欧4カ国の締めくくり、ノルウェーのベルゲン港に入港するのは2日後、6月5日朝の予定だ。
82円切手が10種がシートに印刷されいる。図案はデンマーク語の”hygge(ヒュッゲ)”、(人と人とのふれあい
から生まれる居心地の良い雰囲気)をイメージして作られたと制作秘話にある。
アンデルセンの童話「人形姫」や「おやゆび姫」、歴史的な「クロンボー城」や「アマリエンボー宮殿」、観光客に
人気の「ニューハウン」や「チボリ公園」、そしてデンマークの現在の姿を伝える「豚と野菜」、「自転車に乗る人々」
「風力発電」などのイラストが描かれている。
これらの中には私が訪れたり、遠くからだが眺めたりした場所や風景があり、これらの切手を見ながら、旅をもう
一度楽しんでいる。
5.2 「一期一会」
旅行を終えて帰国して1年が経った。帰国して時間が経つにつれ近況報告の手紙やメールのやり取りも少し
づつ減ってきて、限られた人になってきた。
船を降りるとき、「私はこれから歌を生きがいに頑張る」、と言っていた埼玉のTさんから「シャンソンの発表会に
出演する」、との電話をいただいた。船の時も皆さんの発表会や誕生会では写真係を引き受けていたし、場所
都内で介護している母親の所からだと1時間半もあれば行けるので聞きに行くことにした。
30人弱の発表者の中には、緊張からか歌詞を忘れてしまう人が何人かいて、Tさんも歌いだしは緊張していた
ようだったが、すぐにのびのびと自分の想いを歌に込めて観客に伝えてくれた。
休憩時間にお話しする機会があったが、船に乗っていた時よりもむしろ若返ったようで、一つのことに打ち込む
ことが人生に張りを与えてくれることを知り、見習わなければと思いお別れした。