茨城まで行くのであれば、ひたちなか市に単身赴任していたときに懇意にさせてもらっていた古書
店のOさんが、家を新築したのでお祝いと遅くなったが南極探検のお土産を持参して訪問することに
した。
駅前で昼食を食べ終わっても、Oさんにピックアップをお願いした時間にまだだいぶ間があるので、
単身赴任のときに住んでいたあたりまでいくと、ひたちなか郵便局があったので、記念に風景印を
押印し、新しい切手を何枚か購入した。
迎えに来てくれたOさんにお会いするのは3年ぶりくらいだった。Oさんが、「MH、この木なんだか判り
ますか」、と郵便局の駐車場入り口に植えられた一本の木を指さした。農学士の石友・Yさんなら
即断できるのだろうが、葉っぱの表は枇杷に似ているが、裏に産毛がないし、何だろうかと脳内に
収納してある『MH樹木事典』を検索した。思いついたのは『多羅葉(たらよう)』だった。
Oさんから、「流石ですネ」と言われ正解だった。多羅葉は、葉っぱに文字を書いて送ると受け取っ
た人が読めることから「葉書(はがき)の起源」と言われ、植えている郵便局もあるようだ。
日立製作所員として次は技術コンサルタントとして2度の単身赴任を過ごしたひたちなか市だが
離任して10年が過ぎ、その間に駅前のあたりは大きく変貌していた。しかし、Oさん一家をはじめ気
にかけてくださる人々の変わらぬ人情には感謝している。
( 2015年12月 観察・調査 )
肉厚の葉は、20センチほどもある長楕円形で、その縁は鋸(のこぎり)の刃のように細かいきざぎざ
になっている。葉の裏面に経文を書いたり、葉をあぶって占いに使用したりしたため、その多くは寺社
に植樹されている。
文字を書くことのできる性質がインドで経文を書くのに使われた貝葉の原料であるヤシ科のタラジュ
(多羅樹、Corypha utan)という木のようだということで、タラヨウ(多羅葉)名前の由来になっている。
また、葉の裏面を傷つけると字が書けることから、「葉書(はがき)の起源」ともされ、”郵便局の木”
に定められており、東京中央郵便局の前などにも植樹されている(いた?)ようで、ひたちなか郵便
局もこれにならっている。
葉っぱを2枚失敬してきて、先を丸めた楊枝で葉の裏に「多羅葉 はがきの木」と書いておいたが、
1か月半経っても明瞭で読むことができる。
史跡「虎塚古墳の壁画」と市の木・イチョウを描く図案は同じなのだが、局名が「勝田」から
「ひたちなか」に変更になっている。変更になったのは平成13年(2001年)10月29日だったから、
ここに住んでいたはずだが、印象に残っていないのはどうした訳だろう。
仕事が忙しく、”郵趣”どころではない時期だったかもしれない。
(2) 『虎塚古墳』異聞
ひたちなか市にある「虎塚古墳」の内部には、東日本では珍しい彩色壁画が状態の良いまま
保存されている。その写真をひたちなか市のHPより引用させていただく。
HPによれば、古墳は前方後円墳で、前方部が発達した古墳時代後期(7世紀初め)古墳の
特徴を持っている。昭和48年(1973年)8月16日に発掘が開始され,9月12日,後円部の凝灰
岩製横穴式石室内に保存状態が良好な彩色壁画が発見された。
壁画は凝灰岩の表面に白色粘土を塗り,ベンガラ(酸化第二鉄)で連続三角文や環状文な
どの幾何学文と,靭(ゆぎ)*・槍・楯・大刀など当時の武器や武具等の豊富な文様が描かれ
ている。石室の内部からは成人男子の遺骸の一部と,副葬品の小大刀,刀子(とうす),鉄鏃**
(てつぞく)などが出土した。
*:矢の入れもの
**:鉄製の矢じり
昭和55年に公開保存施設が完成し,春と秋には石室壁画を一般公開しているのだが、タイ
ミングが合わず、今まで見る機会を逃している。
私が読んでいる読売新聞では、「時代の証言者」をシリーズで掲載している。2015年12月ごろ
考古学者・大塚初重(はつしげ)氏の証言が30回前後にわたり掲載された。この28回目に、
虎塚古墳壁画発見のときの模様が生々しく語られている。
『 ・・・(前年に高松塚古墳の従者像や青龍、白虎などの極彩色壁画が発見されている。)
・・・凝灰岩の扉はなかなか開きません。市役所の土木の職員に来てもらい10センチほど
こじ開けました。
赤い目玉のような絵が目に飛び込んできます。彩色壁画です。東日本の古墳に彩色
壁画はない。そんな学会の常識が覆されたのです。
・・・・・・・・
明治大学の杉原壮介先生に電話します。「壁画を発見しました。明日来てください」。
やって来ると開口一番、「大塚、田舎の古墳掘ってがたがたすんじゃないよ」。石室周辺の
テントにいた市長は苦笑いです。先生は消毒したスリッパに履き替えて中に入ります。
数分後、口角泡を飛ばす勢いで、「大塚、これは国の史跡だ。国の史跡だ!」。絵の質は
高松塚とは比較になりません。でも、本物を見ると感動するのです。
・・・・・・・・
壁画は毎年春と秋に限定公開しています。保存に心を尽くし、劣化していません。 』
高松塚古墳を保存する基金を募るため、寄付金付き記念切手3種が壁画発見の翌年、昭
和48年(1973年)3月26日に発行されている。
高松塚古墳は、藤原京期(694年〜710年)の間に造られたと確定しているが、石室を開けた
ことによって、”黒カビ”が大量発生などで壁画は劣化し、切手に描かれたようなる美しさは失わ
れてしまった。その結果、墳丘を破壊し、石室を解体し、壁画を修復している。
虎塚古墳は高松塚よりも約1世紀(100年)早い時代に造られている。高松塚の壁画は、明
らかに朝鮮など外来文化の影響を受けていて、いろいろな絵の具を使い、目にも鮮やかな極彩
色で繊細、優美だ。
一方、虎塚のものは、ベンガラの赤一色で、文様も単純で力強く、原日本人のエネルギーに
溢れている。ベンガラは、同じ赤色絵の具や防腐剤として使われる高価な辰砂(硫化水銀)の
代用品だが、それが保存を確かなものにしているのだろう。
市町村 | 所在地 | 説 明 | 甲府市 | 勝善寺 |
以前は市文化財の県内最大 (樹高17m)の多羅葉の木があった。 平成13年の強風で倒れ、指定解除 新たに植えられた木。 |
大月市 | 全福寺 | 県の天然記念物。 ・樹齢 約300年 ・樹高 16.5m ・目通り 2m |
南アルプス市 | 秋山 | 時の光昌寺住職がシャム(タイ) から持ち帰ったと伝えられる。 個人所有の雌樹で赤い実をつける。 ・樹高 14m ・根回り 2.6m |
南部町 | 慈眼寺 | 山梨県巨樹・巨木リスト掲載 |
山梨県で存在を知られた多羅葉の木は、”経文を書くのに使われた”と伝えられる通り、いず
れもお寺やそれにちなむものだ。
気候温暖な西日本に多いとされるので、お近くの多羅葉の木を検索し、訪ねてみてはいかが
だろう。