雨脚が強まる中、名神道を順調に進み、中国道に入り、「西宮名塩SA]で車中泊だ。夜中に低気圧
の通過に伴って雨脚は一段と強まり、強風も吹き始め、妻は気が気でなかったようだが、私は「白河夜
船」だった。
翌朝、風は強いものの雨は小降りになっていた。朝食を済ませ、Nさん宅に着いたのは約束よりも少し
早い時間だった。
N夫妻に関西・中国・四国の産地を初めて案内していただいたのは2003年11月だったから、12年ぶり
になる。
この間に産地の様子が変わったり、新しく発見された産地もあり、時の流れを感じさせられる。その最た
るものが、2006年(平成18年)に発見された「丹波竜」の発掘現場で、最初にここを案内していただいた。
( 2015年12月 訪問 )
発掘現場近くにある「丹波竜の里」の駐車場に行くと、2006年の第一回発掘調査からボランティアとし
て参加しているMさんが待っていた。N夫妻が私たちのために案内・説明をお願いしておいてくれたのだった。
初対面の挨拶もそこそこに現場に行くと、テレビなどで何度か見ていたのとは大違いの光景に”びっくり
ポン”だ。冬なので水が少ないはずだったが数日来の大雨で篠山川が濁流になっていて景色が一変して
いた。
M氏も「水が少なければ発掘現場まで案内できたんやが」と残念そうだった。現場を見下ろす「旧上久
下(かみくげ)村営上滝(うえたき)発電所記念館」の中で、Mさんがいろいろな資料をもとに、発見当時
のエピソードや恐竜が生きていた時代の篠山などを熱く語ってくださった。
2時間ほどかけて、2本の骨を掘り出した。2本はつながっていて、長さ約30センチ、厚さ3センチ、幅
8センチあった。
化石愛好家の間では、「白亜紀の篠山層群はめぼしい化石が出ない」、というのがそれまでの常識
だった。
「白亜紀でこれだけ大きい動物は何だろう?」。「恐竜?、そんな訳ないだろう」。
2人は翌々日の8月9日、再び掘り続け、化石片を5つ採集した。午後になって、これらの化石を持
ってN夫妻の住む三田市にある「兵庫県人と自然の博物館」に向かった。古脊椎動物研究家の三枝
研究員に面会し、持参した化石を見てもらった。
一目見るなり三枝研究員は「これはすごい、どこで見つけたんですか」。「すぐ、現場に連れて行っ
てください」。3人は再び現場に取って返した。現場を見て、保存の良さに驚き、「掘りましょう」と試
掘を決めた。
(2) 試掘
9月27日、業者の作業員、足立さんら約10名が参加して試掘が開始された。肉食恐竜の歯が見
つかったのを皮切りに、V字型の「血道弓(けつどうきゅう:尻尾の骨の下側についていて、動脈を守っ
ている骨)」など、多数の化石が採集された。
(3) プレス発表
明けて2007年元旦、神戸新聞が恐竜発見の第一報を伝え、1月3日に博物館は緊急記者会見
を開いた。
『 白亜紀前期の泥岩層(篠山層群下層部:約1億4千万年前の堆積層)からテイタノサウルス形
類(竜脚類:史上最大の生物)の肋骨などの化石十数点が確認された 』
この恐竜の骨格化石は、発見者の村上さんによって『丹波竜』と命名された。
(4) 本格的な発掘調査
化石の発掘現場が河川敷にあるため、発掘は春から秋の増水期を避けた冬に行われることになっ
た。
2007年3月の第1次から、2012年1月の第6次まで、渇水期を狙って継続的に発掘調査が進め
られた。
これら一連の発掘で『丹波竜』の骨だけでなく、獣脚類(肉食恐竜:ティラノサウルス類やテリジオ
サウルス)、鎧竜類、鳥脚類などの歯やカエル類の骨格そしちぇ恐竜の卵の殻などの化石が発見され
た。
(5) 今後の化石発見の可能性
『丹波竜』化石を含む「篠山層」は、アクセスマップの黄色い部分で、丹波市と篠山市にまたがって
広い範囲に分布している。
Mさんから頂いた新聞切り抜きを読むと、われわれが訪れる数日前、12月6日に開催された「丹波竜
フェスタ2015」に集まった国内外で活躍する古生物学者から、「篠山層群は状態の良い化石が出る
宝の山」と評価されている。
具体的に、現在県道工事で掘削中の「川代トンネル」の地層が、丹波竜発見現場の地層の延長
線上にあり、化石が含まれている可能性がある、と指摘する学者もいる。
1) 保存状態が良い
通常、化石は後から積み重なった土砂などの重みで変形してしまう。小さな化石では特に変形が
大きい。
丹波竜化石は変形や損傷が少なく、骨の細かい特徴がきれいに残っている。このため、他の恐竜
との比較検討に役立つ。
さらに、恐竜の化石が元の位置関係を保ったまま一個体分産出したのは日本では初めてのこと。
世界的にも発見例が少ない環椎(かんつい:第一頸椎)と脳函(のうかん:頭骨の一部)も発見され
ている。
2) 国内初の角竜(つのりゅう)類化石
篠山市宮田から角竜類のあごの化石が見つかった。角竜類は草食恐竜の仲間で、3本の角で有
名なトリケラトプスにつながる原始的な角竜類「基盤的ネオケラトプス類」とみられる。角竜の起源と
なる化石は中国で見つかっていて、恐竜が生きていた時代の日本が大陸の一部だったことを示して
いる。
3) わたしたちの先祖?哺乳類化石
角竜類と同じ場所から国内最古級の哺乳類化石が発見された。白亜紀前期の哺乳類化石の
産出は世界的にも珍しい。
当時の哺乳類はネズミくらいの大きさしかなく、進化の空白を埋める貴重な発見として世界中から
注目されている。
4) カエルやトカゲもいた
篠山層群から、無尾類(カエル類)の化石が見つかった。白亜紀前期のカエル類の全身骨格化石
がほぼ完全な形で見つかったのは国内初。当時の生態系解明の手掛かりとなった。
5) あなたも化石発見できる!
化石発掘現場近くの「元気村かみくげ」では、おおぜいの小学生がハンマーで化石を含む”赤っぽ
い”篠山層群の石を小割りして化石を探していた。
これまでも、地元の小学生によって、獣脚類や曲竜類(鎧竜類)の歯が発見されている。
これまで発見された化石から丹波竜が生きた時代の環境や生態系が再現されている。それによれば、
現在の化石発掘現場は山間の河川敷になっているが、当時は平坦な土砂がたまる「堆積盆」で、現在
の西日本一帯に広がっていたと考えられる。
年間の平均気温は25℃と現在の神戸の19℃に比べ6℃も高く、シンガポールなど熱帯と同じ環境だった。
丹波竜は、体長15メートルに成長し、シダやソテツなどの植物を食べてその巨体を維持していた。シダや
ソテツなど栄養価の低い食物から必要なカロリーを得るためには量をたくさん食べるしかない。丹波竜の
歯を見ると葉っぱを磨り潰す”臼歯”はなかった。”櫛の歯”のような歯で、植物の葉を削ぎとって丸ごと飲
み込んで、胃袋の中の”胃石”で磨り潰したり、発酵させて栄養価の高いものにしていたのだろう。
Mさんから頂いた資料の中に、恐竜が生きた時代を描いた「丹波竜フェスタ2015」のパンフがあったので、
引用させていただく
(1) 「2015年ミネラル・ウオッチング納め」
2015年は、町内会の役員最後の年を迎え、ミネラル・ウオチングに出る機会は少なかった。数少な
いミネラル・ウオッチングもこどもたちや学生の案内が中心だった。
年末になってようやく関西の産地を訪れ、いくつかのすばらしい標本を入手でき(恵与いただき)、
大満足で帰宅した。
初日、2日目とNさん運転の車に乗せていただき楽をさせていただき、総走行距離は1,022キロだっ
た。まさに
『 深く一礼(10)、Nさん夫婦(22)』だ。
(2) 『旧上久下村営上滝発電所記念館』
発掘現場を見渡す右岸にイギリス積赤レンガ造りの古い建物がある。Mさんの説明によると、「旧上
久下村営上滝発電所」跡だ。
大正9年(1920年)、当時不便なランプ生活だった上久下村に電気を引きたいと、平藤村長らが
村営の水力発電所を建設することを決議した。
12月に予算8万円で着工、11年6月に竣工、12年(1923年)1月8日から本格的な送電を開始し
た。総工費109,800円(現在の約3億円)の捻出に苦労したが、8ケ集落は山林の売却などでこれ
に充てた。
当時としては近隣に例を見ない施設の完成で、村民の生活環境は大きく改善され、その喜びは
大きかった。
しかし、昭和17年の電気事業統合令により、昭和18年(1943年)に関西配電株式会社に統合
され、創業以来わずか20年で発電所は閉鎖された。
その後、関西電力株式会社に引き継がれ、昭和38年(1963年)まで運転されていたが、電力需
要の増大で大規模発電所が整備され、小規模な発電所は廃止された。
丹波竜が発見された2006年ごろには、屋根は抜け落ち、”お化け屋敷”と呼ばれる有様だったが、
2008年文化庁の「登録有形文化財(建造物)」に指定され、整備された。
2階には、丹波竜発掘の展示などもあり、1階には、すでに撤去された発電機などの往年の姿を
写真で展示している。発電機なども手掛けているH製作所のOBである私にとって、メーカーがどこかを
知りたかったが写真からだけでは手掛かりは得られなかった。
撤去された発電機の代わりに農業用水を利用して毎秒10リットルの水で出力が最大500ワットのマイ
クロ発電機が設置され館内の必要電力の一部をまかなっている。この日の発電量は20ワットほどで、
2階の電灯が時々明滅していた。
福島第一原発事故以来、再生可能エネルギーが見直されてきていて、上滝発電所のような小規
模の水力発電所が脚光を浴び始めた今、単に建物だけを遺産として管理していくのはもったいない
気がする。
恐竜といえば、丹波竜の先輩格の越前竜や福井竜を展示する福井県立恐竜博物館が有名だ。
恐竜が大好きな千葉の孫娘を喜ばそうと、ここを訪れたのは2014年8月で、折から夏休みで大勢の
入館者で大混雑だった。
・ 2014年夏の観光旅行
− 北陸ミネラル・ウオッチング行 -
( Sightseeing and Mineral Watching in Hokuriku Area , Summer 2014 )
建物は黒川紀章の設定で、建設費だけで約90億円かけたらしい。それに展示するための標本の
購入費を加えると総額でいくらかけたのか。
Mさんは、「福井県は原発の補助金があって・・・・」、と悔しそうな口ぶりだった。
(3) 『ミネラル・ウオッチング』
旧上久下村営上滝発電所記念館の敷地内から扉を開けてもらうと発掘現場に行けるのだが、
この日は川の水量が多くて近づくことさえ危険な状態だった。
川の露頭には、「篠山層群」の下の礫岩が観察できた。礫として最大直径5センチの「石灰岩」や
「石英」が含まれている。
同じ白い小石に見えるが、石灰岩は酸性雨で溶けて凹み、石英は風化に強いので飛び出してい
るので区別は容易だ。
礫は角張っていて、大きな塊から崩落して、さほど遠くないところに堆積したと思われる。しからば、
大きな塊はどのようにしてできたのか、『地球の岩石の輪廻』を垣間見る思いで、興味は尽きない。