ここは、私のHPに記載してあるように、過去に数回訪れていたが、行ってみる気
になった理由の1つは、会社のKさんが、私のHPを読み、石好きの子供にせがまれ
玉川にメノウ(瑪瑙)を拾いに行ったが護岸工事がしてあって見つからなかった、
と言っていたので、最近の状況を知りたかった。
もう1つの理由は、2006年7月、赴任してきてすぐ、山梨に置き忘れてきた「常陸
風土記」を買い込み、この本に記載されている鉱物産地を回ってみようと思ってい
た。
しかし、帰任間際になって振り返ってみると、1つも訪れていないので、せめて近
くの「玉川」だけは、となった次第である。
産地は護岸工事がしてあったが、砂利の堆積があちこちに見られ、その中から
赤〜黄〜白(半透明)までのメノウ(瑪瑙)と珪化木が1時間ほどでかなりの数拾え
2001年に初めて訪れた当時と余り変わっていないことが確認できた。
早速、会社のKさんに、見本を差し上げ、最新情報を教えてあげるつもりだ。
( 2007年3月採集 )
No | 産 地 | 産 出 鉱 物 | 備 考 | 1 | 久慈郡静織里玉川 | メノウ | 火打ち石に適した | 2 | 久慈郡藻島駅の海岸 | 玉 | 碁石に加工して出荷 | 3 | 久慈郡河内里 | 青紺色の土 | アオニ・カキツニと呼び 絵の具として利用 朝廷にも献上 |
4 | 久慈郡薩都里 | 白色の土 | 絵の具として利用 | 5 | 香島郡若松浜 | 砂鉄 |
「常陸風土記」から「玉川のメノウ」の部分を引用してみる。
『 郡の西□里に、静織(しどり)の里有り。上古の時、綾(しず)を織る機を
いまだ知る人あらざりき。
時に、この村に初めて織りき。よりて名づく。北に小水(おがわ)あり、丹
(あか)き石交雑(まじ)れり。色は、ひん碧に似て、火を鑽(き)るにいと
好(良)し。
もちて玉川と号(なず)く 』
(2)常陸風土記とは
「続日本紀」によれば、和銅6年(713年)、古代天皇制を確立途上にあった朝廷が
畿内と七道諸国に次のような命令を発した。
「 諸国の郡郷の名称に好(良)き文字をつけること。郡内の産物について目録
をつくること。土地の生産力状態を調査すること。山や川・原野の名称の由来を
調べること。土地の伝承を古老から聞き取ること 」
現在、出雲、播磨、肥前、豊後そして常陸の5ケ国が完全な形で、その他の国は
逸文(断片)が知られている。
常陸風土記の編者は、養老3年(719年)から養老7年(723年)ころまで国守
・按察使であった藤原不比等の第3子・藤原宇合(うまかい)と万葉歌人の高橋
虫麻呂の共著とする説がある。さらに、行政区が郷里制で統一改称されたのが
大宝令制の霊亀元年(715年)で、これ以前の状況を記述していることから、常陸
国守・石川難波麻呂との説もある。
(3)残り少ない茨城県での日々となった。できるだけ多くの産地を回って、現状を眼に
焼き付けておきたいと思う。