山梨県甲府市竹日向町の希元素鉱物

山梨県甲府市竹日向町の希元素鉱物

1.初めに

 長島父子による「日本希元素鉱物」に私の家から直線距離で7km足らずの
甲府市竹日向のペグマタイトについての記述があり、2002年7月に訪れ、ガドリン石を
採集した。
 今回、石友のMさんを案内して、ほぼ1年ぶりに訪れ、今回、この産地での採集
方法を確立でき、ガドリン石、褐簾石などの希元素鉱物が採集できた。
 採集の帰途、「日本希元素鉱物」にも登場する故市川 利男氏の奥さんと実娘に
お会いし、ガドリン石発見当時の故桜井 欽一博士や故長島 乙吉氏にまつわる
貴重なお話を伺う事ができた。
 鉱物だけでなく、これらを記録として残しておくのも、地元に住む私の務めと
感じている昨今である。
(2003年4月採集)

2.産地

 昇仙峡ラインの県営無料駐車場を過ぎ、ヘアピンカーブの急な坂を登ると
道路の右側に「高成町・竹日向町→」の標識がある。ここで右に折れ
約800m緩やかな坂を登ると「←高成町|竹日向町→」の分岐があり
右の道を約700m行くと竹日向集落の入口である。
「日本希元素鉱物」には
 『ここ(竹日向の部落)で長石の堀場と聞けばわかるが、主な産地は部落の
  東の谷に面したペグマタイト2箇所と部落の東南の尾根と3箇所である。』
  とある。

 2002年7月に訪れたとき、年配の地元の人に尋ねたが産地がわからず、その方が
親切に隣家に案内してくれ、居合わせた数人に”長石の堀場”を聞いたが分から
なかった。長島 乙吉さんがここを訪れたのは昭和24年(1949年)で
50年以上も前なのだから無理も無い。
 さらに、「日本希元素鉱物」には
 『案内は、竹日向の市川 利男氏を煩わすとよい。』

とあるが、氏は既に亡くなって、遺族も部落を離れているとのこと。
 万事窮すと思ったが、「昔、山頂の禿(はげ)で、山梨大学の学生が鉱物採集をした」
との話を聞きだした。どうやらここが、”部落の東南の尾根”の産地らしいので
”東の谷”は後回しにし、とりあえずここを目指すことにした。
 未だに、”東の谷”の位置は分からず、今回もMさんを”部落の東南の尾根”に
案内することにした。
 集落の入口に、ゲートが閉まった林道があり、ここを歩いて行くと、上空に送電線があり
ここを過ぎた左手に露頭があり、ペグマタイトが2本走っている。
ここは、2002年7月に発見した新産地です。
竹日向露頭のペグマタイト
 さらに林道を行くと、左手の崖が崩れており、この下の転石でもザクロ石などが
採集できた。
 林道が行き止まりになる手前に右に登る山道があり、ここを約100m行き
ここから尾根を目指して直登する。尾根には、花崗岩が風化し、真砂化し
まばらに松などが生える”はげ”が広い範囲で見られる。ここが、”部落の東南の
尾根”の産地らしい。
東南の尾根の産地【2003年4月】
 反時計回りに、尾根を回るとすぐに露頭は角礫岩になり、やがて右下から滝の水音が
するのでそちら側(北側)に下ると”東の谷”(竹日向沢)に出る。
竹日向沢
 ここには、ペグマタイト脈らしきものは無く、切り通しにはコンクリートが吹き付け
られてしまっている。ただ、集落の中を流れる竹日向沢は花崗岩で所々に小さな
ペグマタイト脈がみられる。

3.産状と採集方法

 ここは、典型的な花崗岩ペグマタイトです。しかし、脈状で晶洞は見当たらず
水晶や長石の完全な結晶は見当たりません。
ペグマタイト脈をハンマ・タガネで掘り込んで探します。以前誰かが掘り込んだ
ズリの表面採集も面白い。
竹日向での採集風景

4.産出鉱物

(1)ガドリン石【Gadolinite:Y2FeBe2(SiO4)2O2】
   緑黒色ガラス光沢の塊状(稀に面がある)で産出します。灰曹長石や石英に
   接する形で産します。
   ただし、三重県宮妻峡産のような完全な結晶は、現物はおろか「日本希元素
   鉱物」の記述にも見られません。

     分離塊状結晶       母岩付き
            竹日向産ガドリン石

(2)褐簾石【Allanite-(Ce):(Ca,Ce,Y)2(Al,Fe,Fe3+)3(SiO4)3(OH)】
   「日本希元素鉱物」に記述のある通り、”黒色縦条の多い”、頭こそないが
    四周完全な結晶を採集した。
褐簾石

このほか、「日本希元素鉱物」には、本邦初産のタレン石、ジルコン、ゼノタイムが
産出したとの記述があります。タレン石は、実物を見たことがない悲しさ、ヒョッと
したら、見過ごしているかも知れません。

5.おわりに

(1)2002年7月には、山頂を目指して直登したため、木の根に捉まり、とぐろを巻く
   マムシにビックリしながらの難行苦行でしたが、今回はMさんを案内するので
   チョッと遠回りでも、尾根筋を辿るコースを選びました。
   それでも、流石のMさんも午前中の黒平慫慂が利いて、シンドそうでした。
(2)今回も約1年ぶりに、市川 利男氏の奥さんと実娘にお会いしたところ昨年夏に
   「日本希元素鉱物」のコピーをお渡ししたことを憶えてくれていて、引き続き
    当時のお話を聞くことができた。
    奥さんのお話では、
   @当時(昭和24年ころ)、櫻井先生と長島先生が1ケ月逗留し、緑色の石
    (ガドリン石のこと)を探し出した。
    (昭和23年に佐野某氏が、長島乙吉氏に蛇紋石と言って緑色の鉱物を差し出した
     ものを一見してガドリン石とわかったので、翌24年の探査になった。)
     ”岩と岩の間のこういう所から、ガドリン石が採集できた”と説明して
     くれましたが、場所の特定はできませんでした。
   A桜井先生などは、市川さんのお宅に寄宿し、一緒にきた学生達は別で
    桜井先生は、難しい本を読んでおられた。
    桜井先生の鳥料理店「ぼたん」の前まで行ったことがあり、”滝のある大きな
    店構え”であった。
    数年前にテレビで元気なお姿を拝見したが、その後どうされているか。
    (1993年に亡くなられた事をお伝えすると、驚くと同時に、人の世のはかなさを
     しみじみと噛みしめておられる様子でした。)
   Bガドリン石を機械(放射能検知器?)で調べると針が振れたのを覚えている。
   C市川 利男氏は、現在の県営駐車場あたりまで、広い範囲にわたる鉱区をもって
    おられた。
   D標本も昔は、ミカン箱に一杯あり、来る人にたくさん差し上げたが、利男氏が
    亡くなり20年が経ち、自宅が火災にあったりして鉱区図や標本が失われて
    しまった・・・・・。
    実娘さんのお話では
   @ガドリン石は、「増富温泉」のラジウムに劣らない効能があるということで
    父親の利男氏が、病気に倒れたあと、もう一度産地に連れて行こうと約束
    していたが、それも叶わぬ内に、利男氏は亡くなられた。
   Aガドリン石をお風呂の湯の沸き出し口に置くと、腰痛や胃腸の痛みなども
    不思議なほど快癒した。
   B先生方は、虫眼鏡で雲母(に挟まれた希元素鉱物)を見ては、「これは貴重な
    鉱物だ」と言っておられたが、小学生になるかならぬかだったので、理解
    できなかった。

6.参考文献

1)長島乙吉・弘三:日本希元素鉱物,日本鉱物趣味の会,1960年
2)柴田秀賢・須藤俊男:原色鉱物岩石検索図鑑,北隆館,昭和48年
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