山梨県甲府市竹日向(たけひなた)の「ガドリン石」











    山梨県甲府市竹日向(たけひなた)の「ガドリン石」

1. はじめに

    2014年6月、恒例の『月遅れGWミネラル・ウオッチング』の初日に、甲府市竹日向(たけひなた)
   と呼ぶ希元素鉱物産地を案内した。

   ・ 2014年月遅れGWミネラルウオッチング
    ( Mineral Watching Tour , Jun. 2014 , Yamanashi & Nagano Pref. )

    ここでの目玉は、「ガドリン石」だが、大きくても1センチ、小さなものはミリ単位なので皆さん採
   集には苦戦されたようだが、若くて眼の良いHさんやMさんは昼ごはんも忘れて採集に没頭した
   結果、最近ではなかなかお目にかかれない良品を手に入れていた。

    
          竹日向産「ガドリン石」
           【採集・撮影:Hさん】

    私と同じ年代の奈良・Yさんは、アドバイスしたとおり、産地の土砂を土嚢袋に入れて下山し、途
   中の沢でラフ・パンニングして量を減らして持ち帰った。その結末を『採集記57号』で知らせてくれ
   たので紹介する。

    「・・・・竹日向から持帰った砂を洗面所で椀掛けをした結果、僅か1mm大ですが緑色のガドリン
     石を2粒得る事が出来、ほっとしました。量の多寡は運不運!何はともあれ採集出来、良かっ
     た良かった。・・・・・                                            」

    加藤先生の「ペグマタイト鉱物読本」の「ガドリン石」の項に、『・・・竹日向(山梨)のような緑色を
   呈し、メタミクト化していないものは世界に例がない』
、とあるように貴重な標本なので皆さんを案
   内した次第だ。ただ、その貴重さを解る人とそうでない人がいるのは世の常だ。ミネラル・ウオッチ
   ングは趣味だから、十人十色の楽しみ方があって然(しか)るべきだとは思うが、”きれいな水晶
   やトパズ”だけを追い掛け、産地・産状の記録も残さない人々の行為は、”産地を荒らしているだ
   け”、との謗(そし)りを免れない。

    竹日向は自宅から最も近い産地なので、過去にも何度か訪れ、そのたびにHPに掲載し、産地・
   産状を把握し、代表的な産出標本も手に入れ、この産地は ”卒業” したはずだった。

    ・ 山梨県甲府市竹日向町のガドリン石
    ・ 山梨県甲府市竹日向町の希元素鉱物
    ・ 山梨県甲府市竹日向のタレン石
    ・ 山梨県甲府市竹日向のゼノタイム
    ・ 山梨県甲府市竹日向のゼノタイム結晶
    ・ 山梨県甲府市竹日向(たけひなた)の近況 −2007年7月−

    親しい石友を案内し、産地・産状・産出鉱物、そしてそれらに関わった人々について説明する機
   会があり、新たな情報を少しでも発見し記録に加えておきたい、という思いが募り、ミネラル・ウオ
   ッチングの後、何度か産地を訪れた。その結果、次のような知見を加えることができた。

    ・ 「竹日向」と呼んでいるが、行政区画上は「竹日向」ではなく、「上帯那町(かみおびなまち)」
     と「塔岩町(とういわまち)」にまたがっている。
    ・ 産状のわかる『ガドリン石』を露頭から採集し、昭和24年に長島先生が探査した露頭を特定
      できた。
    ・ フルイ掛けやパンニングで採集した美晶(微小?)から結晶図を作成し、今まで記録のなかっ
      た y{021}面 を確認した。

    最近、「鉱物採集を止めた」、という石友が何人かいた。もっとも、その舌の根が渇かぬうちから、
   コアチコチの産地に出没している人等もいるようだからどこまで本気なのかわからない。額面通り
   受け取っておくとして、そのように達観できぬ凡人の悲しさ、”Mineralhunters”は、これからも”卒
   業”と言いつつ同じ産地を巡検することになるだろう。
   ( 2014年6月 ミネラル・ウオッチング開催、2014年7月〜9月再訪 )

2. 産地

    すでに、何回か紹介しているので、詳細は割愛する。「日本希元素鉱物」には、「長石の掘場と
   聞けばわかる」とあるが、最初に訪れた10年以上昔でも、集落の年配の方ですら知らなかった。
    同じく、「主な産地は、部落の東の谷に面したペグマタイト2箇所と部落の東南の尾根と3箇所で
   ある」と書いてあるが、石友・Mさんと東の谷を探査したが、火山岩が被った地質でペグマタイトの
   痕跡すら発見できなかった。従って、私が知っている産地は、尾根筋にある1箇所だけだ。

    産地には、「境界見出標」なる赤い札が木に結わえてあり、どうやら行政区画の境界がこのあた
   りにあるようで、産地名が「竹日向」で良いのか気になりだした。

    
            境界見出票

    そこで、国土地理院の地形図と行政区画のわかる地図を比較してみた。その結果、「竹日向」と
   呼んでいるが、行政区画上は「上帯那町(かみおびなまち)」と「塔岩町(とういわまち)」にまたが
   っているのに気づいた。

    
             竹日向の地形図
           【国土地理院より引用】

    いまさら、産地の名前をどうこういうのも野暮な話なので、「竹日向」のままにする。東の沢のペ
   グマタイトは「竹日向」で間違いない。

    自宅から産地まで直線距離で約6km、1時間で産地に到着する最も近くにある有名産地だ。

    産地に向かう林道は草が生い茂り全く利用されていないようだ。2007年7月に行ったときには
   林道脇に『山梨の巨木』がたわわに実をつけていたのだが、いつの間にか朽ちてしまったらしく
   見当たらない。その代わりと言っては何だが、2014年6月の『月遅れGWミネラル・ウオッチング』で
   気づいたのだが、桑の木が大きく成長し、赤紫の実をたわわに稔らせていた。
    緩やかな山道を登りきった峠には、道しるべの『野仏』が緑の日差しを浴びて微笑んで、出迎えて
   くれるのは今も同じで、いつものように、手を合わせ、「安全」とチョッピリ「良い標本との出会い」を
   祈る。

       
           山梨の巨木と実                     野仏
            【2007年7月】                   【2014年7月】
                         竹日向風景

  3. 産状と採集方法

    「日本希元素鉱物」には、長島乙吉先生が「昭和24年(1949年)に産地に赴いて探査した」、と
   ある。そして産状や産出鉱物を次のように書き記している。

    「・・・・・・黒色縦条の多い褐レン石・ジルコン・ゼノタイムおよび灰色のモナズ石のような鉱物を
   灰曹長石中から採取した。この他黒雲母・白雲母・ザクロ石・電気石などもあり、石英はわりに少
   なく、長石は白いものであった。モナズ石によく似た鉱物は分析の結果本邦初産のタレン石であ
   った。フェルグソン石も産する。 」

    希元素鉱物を含むペグマタイト鉱物は、花崗岩のひとつ一つの結晶粒が大きく成長した巨晶花
   崗岩(これを「ペグマタイト」とよぶ)の中に産出する。下の模式図に示すように、晶洞の中心に向
   かって、花崗岩→細粒花崗岩→文象帯→巨晶帯→中央石英帯(この中心に晶洞がある)の順で
   隠れている。

       
           ペグマタイト模式図                       実際の露頭
        【原色鉱物岩石図鑑に加筆】                   【2014年7月】

    文像帯では、曹灰長石の中に『クサビ文字』状に石英が入り込み、b軸方向に伸びた黒雲母を
   含む。巨晶帯は曹灰長石・微斜長石・石英・黒雲母・白雲母からなり、微斜長石は文像構造を示
   さず、微斜長石が斜長石に対して自形を呈する。中央石英帯の間に交代性葉片状曹長石がある
   ものがあって、既存の長石を交代する。中央石英帯も他の鉱物を交代し、脈を破って普通の石英
   脈となって貫入する。

    竹日向は近くの黒平(くろべら)のような晶洞性ペグマタイトではなく脈状ペグマタイトであり、自
   由空間の晶洞の中に大きく成長した鉱物はほとんど(全く)ない。その証拠に、ペグマタイト鉱物
   産地なら必ずある水晶ですら六角柱状のものは2013年11月の『秋のミネラル・ウオッチング』で
   案内した時に埼玉・Tさんが採集した長さ2センチのものが私が今まで見た最大級だ。
    水晶が産出しないことから、われわれが入山しても地元の人たちが目くじらを立てる気配もない
   のも皆さんを案内した理由の一つだ。

    ここでの採集方法は色々なバリエーションが考えられ、それらを一通り試してみたところ、いずれ
   の方法でも希元素鉱物を採集できた。それぞれの方法で採集できる標本に特徴があり、一通り
   試してみると良いだろう。

    1) 花崗岩がむき出しになったガレ場や露頭を観察し、結晶粒が大きくなった部分を叩いて、
      露頭から採集する。
    2) 昭和24年(1949年)、長島乙吉氏がここを訪れたときに掘っていた露頭のズリが数百メート
      ル下まで広がっているので、この範囲の転石の表面を観察したり、大きなものはハンマーで
      割って希元素鉱物をさがす。
    3) 露頭周辺の土砂を篩(フルイ)掛けし、残った大き目の石の表面を観察し、希元素鉱物の
      付いているものはキープし、フルイの中に残った小石の中から希元素鉱物を探す。
    4) 露頭周辺の土砂を土嚢袋に入れ麓まで運び、沢の水でパンニングする。
      3)の方法だと持ち帰る標本はグラム単位だ。ズリの土砂を土嚢袋に入れて持ち帰り、暇な
      ときに農園近くを流れる用水路で、パンニングをすると必ず「ガドリン石」が採集できる。
       ”砂山”や”砂利山”の土石を持ち帰ると良いだろう。

    
          自宅近くの用水路でパンニング

    いずれの採集方法についても、ご存知の方が多いと思う。しかし、『フルイ掛け』についてはこの
   産地に適した”コツ”のようなものがあるので、ご紹介する。

  【準備するもの】
   ・ フルイ(直径30センチ、目の大きさ約4ミリ角)
   ・ ブラシ(大きな石の表面の土砂を取り除く、”たわし”でも可)
   ・ スコップ(ザック似いれて運搬できるサイズ)
   ・ ハンマ(小ぶりのもので可)
   ・ 綿手袋(一部をゴムで被覆したもの)
   ・ タッパーとチャック付きビニール袋か厚手のビニール買い物袋(採集品の収納用)
   ・ ルーペ

  【手順】

     

  ズリの土砂をスコップですくい
 フルイの中に入れる。

  入れる量は自分の体力と相談
 多すぎると重くてふるえないし
 少なすぎると効率”が悪い。
  私の場合、”すり切り一杯”くらい。


     

  フルイを回したり前後に動かしてフルイの中の土石を
 動かし、細かい砂がフルイの目から下に落ちるように
 する。
  腕だけで”振ろう”とすると疲れるので、腰を使うのが
 ”コツ”だ。

  木の葉や根など、フルイの目に詰まりそうなものは
 早めに手で取り除いて捨てる。
  フルイの下には”砂山”ができるように同じ場所で
 フルイ掛けする。

  ( できるだけ移動距離を短くするのと、フルイ掛け
   未・済のエリアをハッキリさせる狙いもある )


     

  フルイ掛けは細かい砂が少し残った
 状態で止めるのが”コツ”だ。
  網目近くの細かい砂が、小さな希元素鉱物が
 網目から落ちるのをブロックしてくれるからだ。

  上手にフルイ掛けができていれば、大きな石は表面に
 浮き立て来るはずだ。

  【後日談】
  2014年広島県の土石流災害では、何トンもある
 大きな岩が表面に浮き上がり、表面はスピードが
 早いため流れの先頭に集まり、被害を大きくした。


     

  フルイの中の土砂を片側(奥)に寄せてフルイを地面に置く。

  「長石」や「石英」の入っている大き目の石の表面を
 ブラシでこすり、付着している土砂を落し、表面を観察し、
 タッパーなり袋にキープする。

  石英系・・・・・”ハロ”がきていたり柘榴石の付いているもの。
           『タレン石』(?)がきているもの。
  長石系・・・・・ガドリン石がついているもの。

     握りこぶしより大きな石は、ハンマで割って確認する。
  この工程で、「ガドリン石」、「褐簾石」、「ザクロ石」そして
 「黒・白雲母」などの母岩付きが採集できる。

     

  土砂を指先で奥から手前にかき寄せながら細かい
 結晶を探す。素手では指先を怪我する恐れがあるので
 ゴムで部分的に被覆された綿手袋が欠かせない。

  写真の指先に「ガドリン石」があるのがお解りだろうか。
  「ガドリン石」は”緑”色に見える石があったら口の中に入れ
 土砂を”洗って”見ると間違いなく探せる。

  この工程で、「ガドリン石」や「褐簾石」そして「黒雲母」
 などの小さな母岩付きと分離結晶が採集できる。


     

  フルイの中に残った小石や砂は、決めた場所に
 ”砂利山”を作るように捨てる。

   左・・・・・”砂山”
   右・・・・・”砂利山”


     

  次回訪れるまでに雨が降ると”砂山”には
 ”土柱(どちゅう)”ができ、そのてっぺんには
 『希元素鉱物』が!!

 ( そんなうまい話はめったにない・・・・為念 )


    こうして置けば、後から訪れる人が”砂山”の中からフルイの目より小さい希元素鉱物の『単晶』
   を、”砂利山”の中からは、私が見落とした『母岩付き』や『巨晶』を採集できるはずだ。

4. 産出鉱物

 (1) ガドリン石【GADOLINITE-(Y):Y2FeBe2(SiO4)2O2
      長島先生の「日本希元素鉱物」には、『 白色の曹灰長石中より産す 』とあるが、現在露頭には
     細いペグマタイト脈があるだけだ。仕方なく、文象(ぶんしょう)花崗岩〜巨晶花崗岩部分を叩
     くと、割った瞬間、”鮮緑色”と”赤色”の結晶が眼に飛び込んできた。

      ルーペで確認するとエメラルドグリーンの「ガドリン石」と赤い「鉄ばん柘榴石」の結晶だ。こ
     れによってここが、昭和23年(1948年)、長島先生が鑑定した「ガドリン石」が産出した露頭だ
     と再確認できた。

         
                   全体                    部分(鉄ばん柘榴石と共生)
                【横:70mm】                       【横:20mm】
                              母岩付き

      フルイ掛けで網目に引っかかっていた分離単晶は、新鮮な緑色、ガラス光沢、結晶面が明
     瞭で、加藤先生が「ペグマタイト鉱物」の中で、『・・・竹日向(山梨)のような緑色を呈し、メタミ
     クト化していないものは世界に例がない』
、と記しているように貴重な標本だ。

      
               分離単晶
             【長さ:10mm】

      希元素鉱物に馴染みの少ない読者のために、「メタミクト(英:metamict)」について解説して
     おく。

      『 強い放射性元素 Th(トリウム)・U(ウラン)などを含む鉱物は、放射能によって結晶格子
       が破壊されてX線回折では非晶質とみなされる状態になることがある。この状態をメタミミク
       ト状態といい、結合の弱い結晶の場合に生じる。加熱すると結晶化する。メタミクト鉱物は
       結晶質のものが放射能のエネルギーで格子が乱れたと考えられ、通常外形は結晶の形を
       保っており、結晶質から非結晶質までいろいろの段階のものが見られる。ジルコン・ニオブ
       酸塩・タンタル酸塩鉱物などに多くある。                              』

      放射能の影響で鉱物の結晶格子が歪んでシャープなX線回折像を結ばなくなり、結晶と認め
     られない状態をさすようだ。肉眼でわかるのは、透明な石英が永い間放射能を浴び続けると
     結晶格子が歪んだり破壊されて薄く着色する現象、すなわち「ハロ(英:halo、放射性色暈(し
     きうん)」」であろう。

      福島原発事故で放射能の人体などへの影響度は、放射能の強さと時間の関数だと知った人
     も多いはずだ。高い線量の原発廃炉作業などに従事する作業員は1日数10分しか作業できな
     かったり、それほど高くなくても24時間、365日浴びると累積の照射量は大きくなり、立ち入り
     が禁止されたり居住が制限されるわけだ。

      メタミクト化の程度も同じで、竹日向のガドリン石が新鮮なのは、ウラン(U)やトリウム(Th)の
     含有量が少ないことのほかに、生まれてから1,000万年くらいしか経っていない若い、というこ
     とも一つの理由だろう。

      【閑話休題】
      ガドリン石の色には緑だけでなく、黒・赤褐・そして白などあるらしい。アマゾナイトを求めて
     訪れたことがある長野県田立(ただち)・「やんぞれ」近くの「堀立(ほったて)」では、下の化学
     分析結果に示すように、カルシウム(Ca)に富むガドリン石が産出し、「カルシオガドリン石(cal
     -ciogadolinite)」とされていたが、現在この鉱物種名は使われていない。
      緑柱石(ベリル)と同じように、ガドリン石の緑色は10%前後BeOの形で含まれるベリリウム
     (Be)によるものだろう。

産地
(産状)
水晶山 竹日向 田立・堀立
(緑色)
田立・堀立
(カルシオ)
山口村 蛭川 田ノ上 比良谷
SiO2 21.59 23.09 23.26 23.89 24.94 23.59 26.41 24.6
Al2O3 0.21 0.62 0.96 1.68 1.29 痕跡 2.85 1.02
Fe2O3 1.31 1.83 4.33 7.65 6.13 0.7 6.56 4.57
FeO 18.10 12.21 8.39 11.24 7.90 11.5 10.42 10.89
MnO 0.10 0.32 1.22 0.84 2.50 0.31 7.58 0.58
BeO 4.55 9.21 10.08 10.73 9.86 9.65 10.75 9.99
CaO 0.17 1.16 0.48 11.91 2.73 0.86 2.15 0.56
MgO 0.02 0.31 0.00 0.14 0.00 痕跡 0.15 0.48
Ce2O3 }8.68 0.41 1.56 4.69 7.78 }16.80 }4.58 }46.50
ΣCe2O3 2.21 }46.94 }24.47 }34.61
ΣY2O3 44.7 48.05 33.62 24.73
ThO2 0.45 0.25 0.36 0.81 0.85 1.78 1.12 0.36
U3O8 UO2
0.03
    0.10   0.49    
2O(+)   0.45 1.60 2.05 1.20 }0.79 0.70 }1.09
H2O(-)   0.13   0.14 CO2
0.34
1.65
99.91 100.68 99.18 100.34 100.13 100.09 99.65 100.64
比重 4.61 4.5 4.4 4.4 4.7 4.33 4.355 4.303

      「日本希元素鉱物」に、竹日向のガドリン石は、『 大きなものは、6cm×5cm×6cmに達し
     た。但し結晶のよいものは小さい 』
、とある。”美晶ほど微小”という鉱物界の掟(おきて)に
     例外はないようだ。
      「日本希元素鉱物」に竹日向産ガドリン石の結晶図が掲載してあるので、比較のため、滋賀
     県比良谷産のものと比較して引用する。卓面(テーブル面)と呼ぶ c{001}面 が発達していて
     扁平に見えるのが竹日向産の特徴のようだ。

     
                竹日向産A
        
                竹日向産B                      比良谷産
                           「ガドリン石」結晶図

      竹日向産の結晶には、比良産のようにw{012}、q{011}などの面がないのだろうか。上に示し
     た結晶面が明瞭な採集標本をもとに、結晶図を描いてみた。結晶を左に90度回転し、手前に
     約45度傾けて撮った写真(左側)の稜線を直線に置き換えて作成した結晶図が右側だ。

        
                  写真                      結晶図
                        竹日向産「ガドリン石」結晶

      この結果、竹日向産のガドリン石にも比良谷産と同じように、w{012}、q{011}面だけでなく、
     高田氏の「日本産鉱物の結晶形態」にある y{021}面やDana's System of Mineralogy ,
      6th Edition にある b{010}面 も観察できた。

     
         b面を有するガドリン石結晶図
     【Dana's System of Mineralogy より引用】

      【後日談】
      後日、竹日向を再び訪れ、フルイ掛けしていると母岩についた「ガドリン石」が目にとまった。
     c面が発達した薄い六角卓状(テーブル状)で、竹日向の「ガドリン石」を代表する一品(逸品?)
     だ。
      松原先生の「日本の鉱物」には、『(ガドリン石は2ページ前にある)ダトー石のなかま』、とあ
     り、”そうなんだ”、と思っていた。
      ダトー石【DATOLITE:CaBSiO4(OH)】は、兵庫県の石友・N夫妻に四国の産地を案内してい
     ただいたときに、ボトリオライト(Botryolite:ぶどう状ダトライト)と呼ばれる淡いピンク色〜紫色
     の細かい結晶が丸く集合し葡萄状をなす珍しい産状のダトー石を恵与いただいたことがあった。
      そういえば、山梨県でも「ダトー石」が産出していたな、と思っていた矢先、T元教授が来宅し、
     手土産に山梨県産「ダトー石」を恵与いただいた。この産地も近いうちに訪れねは、と思ってい
     る。

        
              六角卓状「ガドリン石」              山梨県産「ダトー石」
                【結晶径:8mm】                 【結晶長さ:22mm】



     「ガドリン石」の名前は、最初に希土類元素の「イットリウム:Y」を発見したフィンランドの化学
    者 ヨハン・ガドリン(Johan Gadolin、1760年-1852年)の功績をたたえて名づけられた。
     これについては、次のページにまとめてあるので参照されたい。

    ・ ” Y ”のはなし
     ( Story of " Y " ( Yttrium ) , Yamanashi Pref. )

     スウェーデンの小さな町イッテルビー(Ytterby)で採掘された新奇な鉱物(のちに「ガドリン石」
    と呼ばれるようになる)を分析し、新元素を含む酸化物(イットリア)を発見したのがスウェーデン
    の学者でなく、なぜフィンランドの化学者・ガドリンだったのか、疑問に思っていた。
     しかも、Dana's System of Mineralogy に、ガドリンはスウェーデンの化学者とあるので、間違
    いだろうと思い調べてみると、彼の生涯はフィンランドがスウェーデンに占領されていた時代
    (1155年〜1809年)だったと知った。
     フィンランド人としてのガドリンにとってスウェーデンによる支配は苦痛に満ちたものだったろう
    が、化学者としては広い世界で活躍でき複雑な思いだったろう。

     ガドリンの生誕200周年を記念して、フィンランドから記念切手が発行されているので紹介する。
    図案の左下には、周期律表の一部と 『 64 GADOLINIUM 』 とあり、原子番号64のガドリニ
    ウム(Gd)がガドリンの功績をたたえて名づけられたことを示している。

     
     ガドリン生誕200周年記念切手
      【フィンランド・1960年発行】

5. おわりに

 5.1 『竹日向』産地探査
     昭和23年(1948年)、長島乙吉先生が「ガドリン石」だと鑑定し、翌24年に自ら探査した産地を
    訪れ、露頭から「ガドリン石」などの希元素鉱物を採集できた。

     まさしく、『 古泉に水涸れず 』 だ。

     早めに切り上げた日に尾根をグルリと半周し、「日本希元素鉱物」にある『部落の東の谷に面
    したペグマタイト2箇所』を探してみた。標高の高いこのあたりは紅葉もはじまり秋の気配が漂っ
    ていて、”ガマズミ”の実が真っ赤に色づいてきていた。集落の上の尾根には山神様の社が秋
    の陽射しを浴びてひっそりと鎮座していた。

        
            真っ赤に色づいたガマズミ              集落を見守る山神様

     この辺りの地質は花崗岩の上に厚く火山岩が被さっており、花崗岩は谷底近くにしか見られ
    ない。しかもその表面を困苦リート(でなくてコンクリート)で覆われてしまっている。
     近くに大きな砂防ダムがあるところから、その工事の一環で塞がれてしまった可能性が高い。

     
            東の谷のペグマタイト跡(?)

     竹日向の集落で、私と同年配か年嵩(としかさ)の婦人と男性に遭(あ)った。「キノコ採りか」、
    と聞かれ、「石を探している」、と答え、「昭和24年ごろ、白い石を掘った場所を知らないか」、と
    尋ねたが首をひねるだけだった。
     別れ際には、「がんばって探しなさい」、と労(ねぎら)いの言葉をかけてくれるほど、ミネラル・
    ウオッチングには好意的だった。( 人を見たのか・・・陰の声 )

     「日本希元素鉱物」に、『案内は竹日向の市川利男氏を煩わすとよい』、とあるので、氏の娘さ
    んが昇仙峡で営んでいる喫茶・食堂・土産店の「一休」を訪れた。

     
            昇仙峡「一休」

     ちょうど店を閉める時間だったが、娘さんから話を聞くことができた。

     ・ 昭和24年ごろ、幼児だったが、東京の先生(桜井先生一行)が来られたとき、蕎麦を打った
      りして家の中は賑やかだったのを覚えている。
     ・ 先生一行は、小さな石を採集してきていた。
     ・ 家が火災に遭ったため、沢山あった石(「ガドリン石」など)や写真などの記録も焼けてしま
      い、残っていない。
     ・ 市川 利男氏は、30年ほど前(昭和60年ごろ)に亡くなった。
     ・ 10年ほど前に私が訪れたときに話を聞かせてくれた利男氏の奥さんは、96歳になり、お店
      にはおられなかった。

     このような状況を目の当たりにするにつけ、記録として残しておくことの重要性を改めて知る
    ” Minaralhunters ” だった。
     ( 悲しいかな私自身、聞いたり、書き残したりできなくなるのも、時間の問題だ )

     今回は、「ガドリン石」しか紹介できなかったが、各種の希元素鉱物を順次紹介する予定だ。

 5.2 「何遍行けば気が済むの」
      竹日向の産地を探し当ててからでも20年近くが経ち、訪れた回数は両手の指では足りない
     だろう。
      西の方から、「何遍行けば気が済むの!♯」、といいう声が聞こえてきそうだ。それに対する
     答えは以前も紹介したとおりだ。

      益富先生の著書に「物象鑛物学」がある。日本が戦争に負けて1年もたたない、昭和21年
     (1946年)5月に印刷、6月1日に発行した。印刷されたのは限定4,000部と少なく、今となっては
     「稀覯本」の仲間だ。
      最近、古書店で昭和18年に発行されたこの本の姉妹本を入手した。姉のほうにある「鉱物
     資源利用の展望」、という章がどういう訳かは知らないが、妹本ではスッパリ削除されている。

      
          姉(昭和18年刊)         妹(昭和21年刊)
                    「物象鑛物学」

      姉妹本とも、「鉱物採集心得」なる章の「産地に於て注意すべき事柄」として、次の7項が
     説かれている。

      イ. 採集は雨上り又は降雨の翌日が最も効果的である。・・・・・・・・・・・・・・・
      ロ. ・・・・・鉱物を探す場合は下から上へと歩を運ぶ・・・・・・・・・・・・・
      ハ. 採集にとりかかる前に現場付近を一わたり見渡した上、最も面白そうな所から
         採集にかかる。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
      ニ. 採集品は一定の場所に集めるか新聞紙に包み布袋に入れる。岩角などに置くと
         持参するのを忘れ帰宅後に口惜しがってもあとの祭りとなる。・・・・・・・・・・・・・
      ホ. 採集品産出地点を地図に印し、・・・・・・・・・・・・写真を撮っておく。・・・・・・・・
      ヘ. 採集は1産地について2、3度、必要あらば10数回も訪れること。筆者等の経験で
         は・・・・・・回を重ねるに従い種類を増し美晶を得られる。これは1つは眼が慣れる
         ことに因る。・・・・・・・・・・・・
      ト. 採集道徳をまもること。
         ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

      これらのほとんどは、鉱物採集ガイドブックの類に引用され御存知の読者も多いはずだ。
     しかし、「ヘ項」の、 採集は1産地について2、3度、必要あらば10数回も訪れること。には
     度肝を抜かれるのではないだろうか。
      私などは、学識・経験豊富な益富先生ですら、1つの産地に10回以上通い詰めるのを厭(い
     と)わぬ姿勢だったことに妙に安心感を覚えた。

      訪れるたびに何がしかの発見があり、”卒業”、と言いつつ、同じ産地に通う『天呆穿人
     (てんぽうせんじん)』
 こと ”Mineralhunters” だ。

6. 参考文献

 1) E. S. Dana:The System of Mineralogy 6th ed.,1920年
 2) 益富 壽之助:物象鑛物学,日本鑛物趣味の会出版部,昭和18年
 3) 益富 壽之助:物象鑛物学,高桐書院,昭和21年
 4) 地団研 地学事典編集委員会編:地学事典,平凡社,昭和45年
 5) 長島 乙吉・弘三:日本希元素鉱物,日本砿物趣味の会,1960年
 6) 中津川鉱物博物館編:第4回企画展 長島鉱物コレクション展
                   −希元素鉱物への探求−,同館,2000年
 7) 加藤 昭:ペグマタイト鉱物読本,関東鉱物同好会,2000年
 8) 松原 聰:日本の鉱物,学習研究社,2003年
 9) 加藤 昭:鉱物種一覧 2005.9,小室宝飾,2005年
10) 松原 聰、宮脇 律郎:日本産鉱物型録,東海大学出版会,2006年
11) 桜井 弘編:元素111の新知識,株式会社 講談社,2009年
12) 高田 雅介:日本産鉱物の結晶形態 高田鉱物標本・結晶図集 第1版,
           「ペグマタイト」誌 100号記念出版,2010年
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