山梨県甲府市竹日向町のガドリン石

山梨県甲府市竹日向町のガドリン石

1.初めに

最近、遠くへ採集に行くだけでなく、地元山梨県の鉱物産地とその産出鉱物を
体系的に整理しておきたいと考え、意識して山梨県の産地も回っている。
長島 乙吉・弘三親子による「日本希元素鉱物」には、地元も地元、私の家から
直線距離で7km足らずの甲府市竹日向のペグマタイトにページが割かれており
ガドリン石の結晶図なども掲載してある。
「日本希元素鉱物」の記述にある産地と思しきところで、念願のガドリン石を
はじめ、この地域では珍しい鉄バンザクロ石などを採集した。
(2002年7月採集)

2.産地

昇仙峡ラインの県営無料駐車場を過ぎ、ヘアピンカーブの急な坂を登ると
道路の右側に「高成町・竹日向町→」の標識がある。ここで右に折れ
約800m緩やかな坂を登ると「←高成町|竹日向町→」の分岐があり
右の道を約700m行くと竹日向集落の入口である。
「日本希元素鉱物」には、『ここ(竹日向の部落)で長石の堀場と聞けば
わかるが、主な産地は部落の東の谷に面したペグマタイト2箇所と部落の東南の
尾根と3箇所である。』とある。
地元の人が隣家に案内してくれ、居合わせた数人に”長石の堀場”を聞いたが
わからない。長島 乙吉さんがここを訪れたのは昭和24年(1949年)で
50年以上も前なのだから無理も無い。
さらに、「日本希元素鉱物」には、『案内は、竹日向の市川 利男氏を煩わすとよい。』
とあるが、氏は既に亡くなっているとのこと。
万事窮すと思ったが、「昔、山頂の禿(はげ)で、山梨大学の学生が鉱物採集をした」
との話を聞きだした。どうやらここが、”部落の東南の尾根”の産地らしいので
”東の谷”は後回しにし、とりあえずここを目指すことにした。
集落の入口に、ゲートが閉まった林道があり、ここを歩いて行くと、上空に送電線があり
ここを過ぎた左手に露頭があり、ペグマタイトが2本走っている。
ここは、今回発見した新産地です。
竹日向露頭のペグマタイト
さらに林道を行くと、左手の崖が崩れており、この下の転石でもザクロ石などが
採集できた。
林道が行き止まりになる手前に右に登る山道があり、ここを約100m行き
ここから尾根を目指して直登する。尾根には、花崗岩が風化し、真砂化し
まばらに松などが生える”はげ”が広い範囲で見られる。ここが、”部落の東南の
尾根”の産地らしい。
東南の尾根の産地
半時計回りに、尾根を回るとすぐに露頭は角礫岩になり、やがて右下から滝の水音が
するのでそちら側(北側)に下ると”東の谷”(竹日向沢)に出る。
竹日向沢
ここには、ペグマタイト脈らしきものは無く、切り通しにはコンクリートが吹き付け
られてしまっている。ただ、集落の中を流れる竹日向沢は花崗岩で所々に小さな
ペグマタイト脈がみられる。

3.産状と採集方法

ここは、典型的な花崗岩ペグマタイトです。しかし、脈状で晶洞は見当たらず
水晶や長石の完全な結晶は見当たりません。
ペグマタイト脈をハンマ・タガネで掘り込んで探します。以前誰かが掘り込んだ
ズリの表面採集も面白い。

4.産出鉱物

(1)ガドリン石【Gadolinite:Y2FeBe2(SiO4)2O2】
緑黒色で産出します。灰曹長石の中にあります。ただし、三重県宮妻峡産のような
完全な結晶は採集できませんでした。
今回採集できた標本が小さなせいか、自作の放射能検知器には、反応しません。
ガドリン石
(2)鉄バン石榴石【Almandine:Fe3Al2(SiO4)3】
完全な結晶をしたものではありませんが、石英の中に涙滴状の小さなザクロ石が
入っていたり、塊状の柘榴石が文象花崗岩との境目近くにあります。
黒平〜金峰山〜大菩薩を含む甲府盆地北部で鉄バン柘榴石の産出は珍しく
私としては最初の採集です。
山の尾あたりなら、見向きもしない標本ですが、竹日向産なので標本に加えました。
鉄バン柘榴石
このほか、黒雲母、白雲母などがありましたが、「日本希元素鉱物」に記述のある
本邦初産のタレン石などは採集できませんでした。

5.おわりに

(1)ここは、万人向けの産地とは言いがたい。労多くして成果は今ひとつです。
”禿”に登るには、木の根に捉まり、とぐろを巻くマムシにビックリしながら
難行苦行でしたが、思いもかけずガドリン石が採集でき、苦労も吹っ飛びました。
尾根からの昇仙峡の眺めも素晴らしいものです。
昇仙峡【竹日向南東尾根から】
(2)市川 利男氏の奥さんにお会いし、「日本希元素鉱物」のコピーをお渡しし
当時のお話を聞くことができた。
@当時(昭和24年ころ)、櫻井先生と長島先生が1ケ月逗留し、緑色の石
(ガドリン石のこと)を探し出した。
(昭和23年に佐野某氏が、長島乙吉氏に蛇紋石と言って緑色の鉱物を差し出したものを
一見してガドリン石とわかったので、翌24年の探査になった。)
これを機械(放射能検知器?)で調べると針が振れたのを覚えている。
A市川 利男氏は、現在の県営駐車場あたりまで、広い範囲にわたる鉱区をもって
おられた。
B標本も昔はたくさん上げたのだが、利男氏が亡くなられて20年になり、鉱区図や標本が
今どこにあるのか・・・・・。
今後、もっと詳しいお話を伺い、”長石の堀場”を探します。

6.参考文献

1)長島乙吉・弘三:日本希元素鉱物,日本鉱物趣味の会,1960年
2)柴田秀賢・須藤俊男:原色鉱物岩石検索図鑑,北隆館,昭和48年
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