回数 | 日 時 | 演 題 | 講 師 | 第31回 | 平成15年10月18日(土) | 「武田氏の山金鉱床-金鉱石」の一考察 | D・O・Cコンサルタント 原田 明氏 | 第32回 | 平成15年11月15日(土) | 「日本の地質学・鉱床学」 | 九州大学 名誉教授 井澤 英二氏 | 第33回 | 平成15年12月13日(土) | 「長尾(甲武信)金山雑考」 | 雲南・チベット民俗学会 会員 由井 格氏 | 第34回 | 平成16年1月17日(土) | 「金鶏金山の歴史と地質鉱床」 | 三井金属鉱業総合研究所 室長 五味 篤氏 | 第35回 | 平成16年2月14日(土) | 「富士山と甲府盆地」 | 山梨県環境科学研究所 部長 輿水 達司氏 |
その初回に鉱物同志会の同人・原田 明氏が”「武田氏の山金鉱床-金鉱石」の一考察”と
題して講演したのを聴講した。
講演の内容をベースに私なりに、まとめなおしてみた。
私が、鉱物採集や観光旅行で山梨県外に出ると、「信玄狼煙台」「信玄橋」「本陣」そして
愛知県の津具鉱山の「信玄坑」など、武田氏に因む遺跡や鉱山活動の跡を目にすることが
度々あります。これらを見ると、山峡の領主であった武田氏が、いかに自分の領土を拡張しようと
していたのか、ヒシヒシと伝わってきます。
山梨県内にある金山・砂金採集地すら、全部を回っていないことに気付き、今年は
地元、山梨県を最優先しようと、思っている次第です。
(2003年10月聴講)
日本の産金の初めは、天平21年(749年)、陸奥国小田郡(現在の宮城県遠田郡涌谷町)が
黄金900両を献上し、奈良の大仏建立に大きく寄与した。聖武天皇は、年号を天平から
天平感宝に変えたほどの喜びようであった。
献上された金は、砂金で、その採集の主役は朝鮮や中国からの渡来人であった。
時代が下って、戦国時代になると、坑道や露頭から金銀鉱石を採掘し、製錬する、いわゆる
”山金”技術が主になった。武田氏の領内でも1540年ごろから”山金”が主流になった。
(元筑波大学教授 田中 圭一先生によれば、山金技術は、長門国大内氏に始まり
奥州伊達氏に終わる、西から東への技術移転であった。)
No | タイプ | 鉱床の特徴 | 代表的金山 | 1 | 黒川 | 花崗岩中の石英脈・氷長石と共生 金が濃縮するためには、Alが必要 | 黒川・竜喰(りゅうばみ)・益富 | 2 | 中山 | 凝灰岩中の硫化鉱に伴う自然金 | 中山・富士(麓)・川尻(本栖) | 3 | 雨畑 | 頁岩、粘板岩、砂岩のなかの含金石英 | 保・大月・老平(ろうへい) | 4 | 甲武信 | スカルン中のTe-Bi系鉱物を伴う自然金 | 秩父・甲武信(梓) | 5 | 津具 | 多金属―硫化鉱中の自然金 | 津具・鈴庫 | 6 | 土肥 | 安山岩中の浅熱水脈含金石英 | 土肥 | 7 | 御座石 | 黒鉱中の金 | 御座石 | 8 | 金鶏 | 片岩中の含金石英脈 | 金鶏 |