茨城県城里町高取鉱山・錫高野の鉱物

         茨城県城里町高取鉱山・錫高野の鉱物

1. 初めに

   2009年の冬は異常なほど暖かく、2月中旬だというのに各地で気温25℃を超える”夏日”
  を記録し、フィールドでのミネラル・ウオッチングの開始時期も早まりそうだ。
   茨城県の石友・Tさんから、「茨城県高取鉱山の緑柱石」探査に誘われていたが、3男の
  結婚式が終わるまで延期していただいていた。それも無事終了したので、Tさんと息子のS君
  水戸市のTCさん、福島県のAさんの5人で高取鉱山と錫高野を訪れた。

   早朝6時、Tさん宅の駐車場に行き、Tさんの車に乗せていただき、集合場所の城里町の
  物産センター「山桜」に8時過ぎに到着した。まもなく、AさんそしてTCさんも到着、自己紹介の
  後、出発した。

   「緑柱石」産地は、私とTさんが別々に入手した情報でも「○○沢」となっており、信憑性も
  高そうだった。産地には、古い坑道とその前にズリが広がっていて、あちこち掘り返され
  ていた。坑道、ズリを探査したが「緑柱石」は誰も発見できなかった。
   W氏に場所を聞いたとき、『 今でも、採れるかな? 』、と言っていた通りになってしまった。

   次に高取山直下、「○沢」の奥にある坑道前のズリを訪れた。ズリに行く途中の転石にも
  小さいながらトパズが見られ、期待が高まる。坑口前のズリに到着すると既に先行者がいた。
   誰かと思えば古い石友・Yさんだった。S君と並んでズリを掘ると、小さいながら綺麗な水晶や
  「鉄マンガン重石」などが採集できた。この後、高取山(356m)の頂上を目ざす。

       高取山頂

   藪をこぎながら、斜面を下り、「蛍石露頭」に向った。ここでは、S君が2cmあろうかという結晶
  を発見し、老眼がきている”オジさん達”を唸らせた。

   この日は、例年に比べ暖かだったが、15時を過ぎると冷え冷えとしてきたので、産地を
  後にした。

   帰宅後、採集品をクリーニングすると、「錫石・トパズ付き水晶」「硫砒鉄鉱入り水晶」そして
  「蛍石」などがあり、満足のミネラル・ウオッチングだった。

   産地を案内していただき、往復車を運転してくれたTさん、同行いただいたAさん、TCさんに
  厚く御礼申し上げる。
  ( 2009年2月採集)

2. 産地

   錫高野は、草下先生の「鉱物採集フィールドガイド」に詳しく記載されているので、詳細は
  省略する。
   最近、ゲート前に「案内板」が設置され、初めての人には参考になるはずだ。

   高取鉱山周辺の地図に坑道や鉱山施設の位置を記入した地図を石友・○氏から送ってもら
  い今回これが大いに役立った。大正鉱山や岩谷鉱山なども載っている貴重なものだ。

    
                             高取鉱山地図

3. 産状と採集方法

 3.1 高取鉱山の歴史

    高取鉱山の歴史は古く、佐竹氏、徳川藩時代から錫鉱を採掘し、明治41年(1908年)に
   池内氏が重石の露頭を発見し、高取鉱山と称した。
    明治44年(1911年)に三菱の手に移り、増産に努めたが、第一次大戦後の不況と鉱況の
   不振で大正10年(1921年)に休山した。
    その後、大正14年(1925年)から昭和5年(1930年)まで細々と稼行した。
    昭和19年(1944年)以降、小規模に稼行を開始し、第2次大戦後も細々と出鉱し、昭和
   25年(1950年)、荒川鉱業(株)の経営に移り、昭和61年(1986年)ごろ閉山したらしい。

    私がはじめて高取鉱山を訪れた平成元年(1889年)ごろ、採掘は既に止めていたが、
   鉱山長はじめ何人かの方が残っておられ、鉱山案内パンフレットをいただいた記憶がある。
    高取鉱山で働いていた人の話では、高取鉱山の「上二」の坑道が錫高野に通じていたとの
   事なので、同じ鉱山とみなして良いだろう。

 3.2 高取鉱山の地質・鉱床
    高取鉱山の重石、銅、錫などの鉱床は、砂岩・粘板岩・珪岩からなる「高取系」の裂罅を
   充填した石英脈に伴うものと、その2次的生成物である砂鉱の2種類があった、とされている。
    高取鉱山は古生代の砂岩、粘板岩、チャートの中の鉱脈で、鉄マンガン重石、錫石そして
   黄銅鉱などを採掘した。

   「日本鉱産誌」によれば、昭和29年(1954年)には、出鉱量350t/月で、ほかに、WO3 を
  40t/年、粗鉱出鉱品位は、Cu 0.3〜1.0%,WO3 0.2〜1.0%とある。
    ただ、ここのタングステン鉱は、不純物の除去が難しく、電球のフィラメントなどには使え
   なかった、と聞いた事がある。

 3.3 採集方法

  (1) 「○○沢の緑柱石」
      ここは、錫高野の北にあたり、県(町?)道から林道に入り、約15分歩くと、右手にズリ
     らしき石が堆積した斜面が見える。その上方は平坦になり、その奥には坑道やその陥没
     跡が残っている。

         
             坑道                陥没した坑道
                   「○○沢」産地

      坑道内と外に広がるズリを探すが、石英脈を伴うズリ石そのものが少なく、苦戦。
     「錫石」のほか、黄銅鉱、方鉛鉱、閃亜鉛鉱などの硫化鉱物はあるのだが2時間ほど
     粘ったが、肝心な「緑柱石」は誰も採集できなかった。

  (2) 「○沢のトパズ」
       次に目ざしたのは、高取山直下の沢の1つ「○沢」だった。ここには、坑道が残り
      その前に古いズリが堆積している。
       Tさんは3mmほどのトパズを表面採集。Aさんもルーペサイズだが綺麗なトパズの
      母岩付きを採集した。
       私とS君は並んでズリを掘る。大きくはないのだが高取鉱山としては珍しい綺麗な
      水晶がポツ、ポツと出てくる。現地で気付いたのは「硫砒鉄鉱入り」だけだった。

       「○沢」坑道

  (3) 「旧採石場跡の蛍石」
       高取山の山頂を極めた後、藪コギしながら林道におり、旧採石場を目指す。ここは
      昨年、兵庫の石友・N夫妻を案内した場所で、そのときで『絶産』、かと思っていたが
      表面採集だけでも『紫色の蛍石』が採集できた。

       「蛍石」産地の一行

       眼の良いS君は、2cmの分離結晶はじめ良品を次々と採集して、私のように老眼が
      きているオジサンたちを唸らせた。
       私は、5mmサイズのトパズがビッシリ結晶した母岩付きをシッカリと採集した。

       前日に続いてこの日も暖かだったが、15時を過ぎ、陽が傾いてくると寒くなってきたので
      引き上げることにした。

4. 産出鉱物

   今回、採集できた標本の主なものは、下記のとおりである。

No鉱 物 名
(英語名)
【化学式】
 説 明標本写真備考
1鉄マンガン重石
(WOLFRAMITE)
【(Fe,Mn)WO4
 黒色で金属光沢
へき開が明瞭で葉片状に
石英塊に入っている。
 比重 7.3と大きく
手に持つとズシリ感じる
    
2黄玉(トパズ)
(TOPAZ)
【Al2(SiO4)(F,OH)】
 無色〜黄色
透明〜白濁した短柱状や
粒状結晶が石英脈や水晶の
上に結晶している
 水晶に比べ、屈折率が高く
(キラキラ輝く)、結晶面に
細かい条線見られる

      庇面式

  
     庇面式結晶図


      底面式


     底面式結晶図

庇面式は”f面”が発達し
屋根が合わさったように
先端が尖っている
 細かい条線がある
柱面(m面)がキラキラ
光る

 底面式は”c面”が発達し
菱型の面が大きく見える

3硫砒鉄鉱
(ARSENOPYRITE)
【FeAsS】
 銀白〜黄白色
ひも状結晶が水晶の中に
内包されている

 
4錫石
( CASITTERITE )
【SnO2
 小さな粒状結晶が
水晶の上に晶出
している
   
           全体


           部分

 錫石の稜や角が
トパズが出来たときjの
弗素(F)ガスで溶かされ
丸みを帯びている。

 水晶→錫石→トパズの
順で生まれただろう、と
推定できる。

 水晶の3つの柱面に
錫石は成長し、反対面には
全く見られず、ガスの流れ
などの影響と推測される

5蛍石
( FLUORITE )
【CaF2
 白雲母に伴って
粒状結晶として
砂岩の隙間に晶出
している
 色は無色か紫色

 へき開片も採集できる


 紫色と無色透明の
蛍石が累帯構造を示す

5. おわりに

 (1) 初めての産地
     高取鉱山や錫高野を何回か訪れているのもかかわらず、今回Tさんに案内していただいた
    「○○沢」と「○沢」は初めて訪れた産地だった。高取山の頂上を極めたのも今回が最初
    だった。今回、今まで自力採集できなかった「錫石付き水晶」や「硫砒鉄鉱入り水晶」など
    が採集できた。

     不思議なもので、私の場合、『過去に良品を採集できた場所』に足が向いてしまう。
    それだけ、齢をとって、”チャレンジ精神”が失くなった、ということだろうか。

     「馬には乗ってみよ、人とは交わってみよ」、というような古い諺があった気がする。
    さしずめ、「新しい産地は訪れてみよ」だろうか。
     新しい産地(私にとって)を案内していただいたTさんに改めて御礼申し上げる。

 (2) 新しい石友
      今回のミネラル・ウオッチングで2人の新しい石友と知り合った。TCさんは学校の先生
     で、鉱物採集を始めて間もない、と聞いた。
      もう1人は、Tさんの息子・S君、中学1年生だ。小学生時代は、少年野球に夢中で
     「鉱物」には全く関心がなかったようだが、最近急に興味を抱きだした、とTさんから
     聞いた。今回のミネラル・ウオッチングでも「2cm大の蛍石」を採集するなどして、一段と
     興味が深まった様子がTさんのメールから読み取れた。

     『 こちらこそ昨日は、有難うございました。・・・・・・・・・・・・・・
      息子も非常に鉱物採集に興味を持ったみたいで蛍石を自分で洗浄して眺めている
      状況です。また、採集時にも親切に接していただいて、久しぶりに息子が興奮して
      いるところを見て取れました。・・・・・・・・                          』

      これからも興味を持ち続けるように、応援したい。

 (3) 三菱の仕法
      上にも紹介したように、高取鉱山は明治44年(1911年)から大正10年(1921年)まで
     三菱合資会社の傘下にあった。

      2008年12月末、Tさんから高取鉱山でのミネラル・ウオッチングに誘っていただいた
     ころ、某オークションに「三菱合資会社・高取鉱山」の絵葉書が出品された。袋付きで
     5枚セットなので、少々高いとは思ったが入札し落札した。
      宛名面の罫線の位置や三菱の傘下に入った時期などから、明治末年から大正初め
     頃のものと思われる。

        
               袋                     第2通洞
                      高取鉱山絵葉書

      今回のミネラル・ウオッチングで「○○沢」にある坑道に入った。閉鎖された坑道の
     前には、子ども頭大のズリ石が隙間なく並べられて、坑道を封鎖するときの仕法が
     キチンと守られているのには感心した。さすが、大三菱だ。

      封鎖坑道

6. 参考文献 

 1)南部秀喜:南部鉱物標本解説(復刻版),茨城県自然史博物館,平成8年
 2)山田滋夫:日本産鉱物五十音配列産地一覧表,クリスタル・ワールド,平成16年
 3)松原 聰:日本産鉱物種 第5版,鉱物情報,2002年
 4)松原 聰:日本の鉱物,株式会社 学習研究社,2003年
 5)三菱合資会社:高取鉱山絵葉書,同社,明治末年〜大正初め
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