岐阜県中津川市木積沢の「錫鉱記念碑」その3











    岐阜県中津川市木積沢の「錫鉱記念碑」その3

1. 初めに

   長島乙吉、弘三両氏による「日本希元素鉱物」を読むと、中津川市木積沢に
  「錫鉱記念碑」がある、との記述があり、2006年3月初めて訪れた。碑文を
  写真に撮り、一部判読不明な文字があったがその内容を錫鉱採掘当時の
  写真などと共に、HPに掲載した。

   岐阜県中津川市木積沢の「錫鉱記念碑」

   このページを読んだ千葉県の石友・Mさんから、「岐阜県図書館レファレンス」で
  引用している文献に碑文が記載されていた、とその内容をメールで知らせてくれた。
   この情報をもとに、HPに追加、修正を加えて、追加公開した。

   岐阜県中津川市木積沢の「錫鉱記念碑」その2

   その後、再度実地調査する機会もあり、碑文の不明部分は全て明らかになったが
  「岐阜県図書館レファレンス」で引用している文献に書かれた碑文の内容は、
  実際の碑文にある『20文字』が脱落していることがわかった。
   その後、間もなく、Mさんから「岐阜県図書館レファレンス」で引用している文献
  のコピーを恵送していただいた。

  @  『郷土読本』(昭和2年、原文の掲載されていたもの)
  A  『郷土読本』(昭和44年)
  B  『ふるさとの遺跡探訪』
  C  『福岡町史 通史編』下巻

   これらを読むと、砂錫(しゃすず)発見の蔭に、”小さな虫の巣”があったことが
  わかった。最近、「苗木石」などの希元素鉱物を求めて、苗木地方を訪れると
  錫石や石英(トパーズ?)などを集めた”虫の巣”を採集したので、砂錫発見の
  ドラマの小道具としてご紹介したい。
   文献のコピーを送っていただいた、Mさんに、厚く御礼申し上げます。
  ( 2006年4月発見 )

2. 砂錫発見のドラマ

   Mさんから送っていただいた、昭和44年に発行された『郷土読本』の錫鉱記念碑
  の章を読むと、砂錫発見のドラマは、まるで「日本昔ばなし」の一節を思い起こ
  させるような、のどかなものであった。

   『 明治16年(1883年)ごろのある日、若山新田の吉村吉兵衛は、水晶ぼりに
    あいて(飽きて)しまって、山へいってきのこをとり、その帰り道、岩にすわって
    一休していた。
     見るともなく足の下の流れを見つめていると、小さな虫が川の中の小石を
    集めて巣をつくっている。吉兵衛は、これはおもしろいと思って、巣を手にとって
    見るに、白い砂が上に、黒い砂が下になって、うまく出来上がっている。虫でも
    色が分るのかと思って、巣をくずしてみると、黒い砂は少し重いようである。さ
    ては、これが話にきいている砂錫かもしれないと川をさぐり、豆つぶほどの大
    きさのものを20粒ほどとった。
     そして、この砂を大坂へ送って見てもらった所、錫分10分の7という良質の
    砂錫であることがわかった 』

3. ”小さな虫の巣”の正体

 3.1 どんなものか?
     水の中に住む水生昆虫が造った巣を見たことがない人がほとんどだと思う
    ので、採集したものの写真を示す。
     大きさ1mm以下の砂粒を”ステンドガラス”を思わせるように、”接着剤”で
    くっ付けて、円筒状にしたもので、一方は塞がり、反対側は出入り口らしく
    開いたままになている。
     確かに、1粒だが、真っ黒い『錫石』が使われている。

           
       ”巣”【黒い粒は錫石】             出入り口
                    ”小さな虫の巣”

 3.2 住人は?
     それでは、この”巣”の住人は、誰だろう?
    ネットで調べてみると、このような巣を作るのは、『トビケラ』の仲間らしい。ある
    HPには、巣に入っている住人の様子と、成長してからの姿が載っていたので、引用
    させていただいた。
     ”ヤドカリ”のように、”家”を背負って移動しながら、餌を食べるようです。身体が
    どうなっているか見えません。別な、HPをみると、私が子どもの、頃渓流釣りで使った
    ”黒川虫”と呼んだもので、芋虫をすこしスマートにした姿をしています。

         
          水中での様子            成虫
                   トビケラの仲間

4. おわりに

 (1) Mさんから送っていただいた文献にあった砂錫発見の小道具について紹介させて
    いただいた。
     もし、文献を読んでいなければ、現地で見向きもしなかった”虫の巣”ですが、情報を
    いただいていたお蔭で、陽の目をみることができた。
     文献を恵送いただいたMさんに、改めて御礼申し上げます。
     また、頂いた文献にある砂錫発見のエピソードは、「日本金石學」が原典であるらし
    い。これを入手して、調べてみたいと、考えている。

 (2) 希元素鉱物を求めて、パンニングしていると、”外道”として、トパーズ、錫石そして
    ”虫の巣”などが採れる。
     「魚釣りの達人は、小鯵を釣りに行って、”外道”で掛かった鯛は捨ててくる」と言う
    ”神話”を聞いたことがあります。
     当方は、それ程の心境に至っておらず、トパーズは無論のこと、”虫の巣”まで持ち
    帰る”悪食”です。

 (3) 「岐阜県中津川市木積沢の「錫鉱記念碑」その2」のページの中に、『 「広開土王碑」
    では、旧陸軍将校が持参した漆喰で碑文を改竄して「拓本」をとったと言われる 』

    書いた。
     2006年4月14日付の読売新聞に、「好太王碑 改竄論争に終止符」の見出しの記事
    が掲載された。これによると、
     @ 1881年に採った、と書付のある、好太王碑文の拓本が中国・北京の古物オーク
       ションで発見された。
     A 1883年に旧日本陸軍参謀本部の酒匂景信が入手した拓本がそれまで最古の
       ものとされていた。

     @とAを比較したところ、Aの拓本には、意図的に書き換えた箇所は、見当たらな
    かった。従って、改竄はなかった、とするものである。

     これに反論する学者もおり、論争はこれからも続きそうである。

5. 参考文献

 1)長島 乙吉、弘三:日本希元素鉱物,日本砿物趣味の会,1960年
 2)長島 乙吉:苗木地方の鉱物,中津川市教育委員会,昭和41年
 3)高山高等尋常小学校編:『郷土読本』,昭和2年
 4)              :『郷土読本』,昭和44年
 5)              :『ふるさとの遺跡探訪』
 6)岐阜県福岡町編:『福岡町史 通史編』下巻 ,
 7)読売新聞:好太王碑 最古の拓本発見,2006年4月14日
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