異聞・奇譚 「水晶」 − 一萬圓の水晶盗掘事件 −









             異聞・奇譚 「水晶」 
         − 一萬圓の水晶盗掘事件 −

1. はじめに

    2013年10月24日朝、読売新聞朝刊を読んでいると、「市有林で水晶盗掘した疑い」、
   という記事が目に飛び込んできた。

     
                 読売新聞 「市有林で水晶盗掘した疑い」

    甲府市に住む柴田容疑者が8月13日に甲府市御岳町の(みたけちょう)の山林で
   2〜3センチの水晶5本を岩から掻き採ったところ甲府市職員に発見され、10月23日
   に甲府署に逮捕された、という。

    詳細を知りたくて、コンビニまで車を走らせ、地元紙・山梨日日新聞を買った。地元の
   山梨県でもセンセーショナルな事件だったとみえて、トップ記事に取り上げられ、押収
   された水晶が入ったケースやパソコンなどの写真とともに「水晶盗掘容疑で男逮捕」
   の記事がデカデカと載っていた。

     
              山梨日日新聞 「水晶盗掘容疑で男逮捕」

    逮捕されたのは森林法違反(森林窃盗)の容疑で、このような事例は過去10年な
   かった、と書いてある。

    ミネラル・ウオッチングのストーブ・リーグの徒然に、古書店や骨董市などで買い集
   めた古書や山梨県立図書館から借り出した本を片っぱしから読んでいる。明治末期、
    水晶採掘山を経営した丹澤 喜八郎の足跡が知りたくて、以前買って読んだ「水晶
   宝飾史」を読み直していると、附録の「水晶宝飾史略年表」の明治26年(1893年)の
   項に、『 六月 増富村(八幡坑地内)で水晶大原石の盗掘事件発生』、とある。

    詳細が知りたくて、山梨県立図書館を訪れ、「地元紙・山梨日日新聞の明治26年分
   を見たい」、と係員に伝えると、1月から6月まで半年分のマイクロフィルムを投影機に
   セットしてくれ、あとは自分で検索するだけだ。
    6月7日分に、『一萬圓の水晶』と題する記事があったので、必要なページのコピーを
   自分でとって帰宅した。

    記事をジックリ読むと、『・・・縦2尺7、8寸(83cm)、横1尺5、6寸(47cm)、という巨晶
   が隠してあり、キズのない5寸玉がとれれば1万円(現在の4000万円)、印材に用い
   ても200円(現在の80万円)以上の価値がある。水晶は近日競売に附す。犯人が捕え
   られるのも近い』
、と報じている。100年以上前の明治時代にも水晶盗掘事件はあった
   のだ。

    しかし、犯人が捕まったのかとか、競売に出された結果など、その後の消息は不明
   だ。

    平成の水晶盗掘事件では、新聞には、「森林法では、水晶などの森林内の産物を
   無断で持ち出すことは禁止されている」、とある。
    これを厳密に適用し、子どもたちが山で水晶を拾う行為も違法となれば、フィールド
   での鉱物授業はやりにくくなり、警察・検察・(裁判所)の判断に注目していた。
    この事件では、罰金△十万、押収された水晶は全て没収になった、と本人から湯沼
   鉱泉社長とお姐さんが直接聞いた、と教えてくれた。
    逮捕時にあれほど騒いだのに、捜査から起訴、そして処分の内容、さらに押収した
   水晶の処置などについて新聞やテレビは口を閉ざしている。
    まさか、『特定機密保護法』の対象になったわけではなかろう。
    ( 2014年1月 調査 )

2. 山梨県立図書館で「明治26年水晶盗掘事件」調査

    2012年秋に山梨県立図書館が新しくオープンした。甲府駅北口から徒歩3分とアクセ
   スが良い。ガラス張りで、外光が十分にとりいれられている。車も150台以上が駐車
   でき、1時間までは無料だ。

     
           山梨県立図書館

    以前の場所にあったときにも何度か利用したが、駅から遠く、車で行けば数台しか
   駐車できず、駐車場が空くのを待っているありさまで、館内は薄暗く、利用者も少なか
   った。

    新しい県立図書館になって、全ての点で良くなった感じだ。それは、2013年の利用
   者数が予想の2倍あったことからもうかがえる。画期的に改善されたと思えるのは、
   次のような諸点だ。

    ・ 電子化(ペーパーレス化、省人化)
        すべての蔵書には「ICタグ」が付けてある。「タグ(Tag)」は”荷札”、と訳される
       が、アンテナがついて非接触で読み書きできる「ICカード」、と思えば良いだろう。
       中に、書名・著者名・分類No・貸出記録などが電子情報として記憶されている。
       「アンテナ」が付いているので、非接触でどこにあるかや内部の情報を読みとる
       ことができる。貸出処理も、図書館職員の手を煩わさずに借りたい人が装置の
       前に置くだけで、冊数、書名そして返却期限をプリントアウトしてくれる。

        
             本に貼りつけたICタグ                自動貸出処理装置
              【左下の白い部分】

        正しく貸出処理をせずに館の外に本を持ちだそうとすると、出入り口で”警報”
       が鳴る仕組みで、図書館での”万引き”対策も万全だ。

    ・ インターネット化
       自宅に居ながらにして、インターネットで、蔵書の有無やその本を所蔵している
      県内外の図書館がわかる。図書館に行ってから探す手間が省け、駐車場が無料
      の1時間以内にほとんどの用事が済ませられる。読みたい本が国内にあれば、
      取り寄せてもらうことも可能だ。

    ・ 図書館職員が本来業務への従事率アップ
       貸出作業から解放されたことによって、図書館職員は利用者が探している情報
      が載っている資料探しを手伝う、という本来業務に充てる時間を増やす事ができ
      サービス向上が図られ、結果として利用者の満足度(CS:Customer Satisfaction)
      が得られ、利用者増につながっているのだろう。

    明治26年6月の「水晶盗掘事件」の新聞記事を探すには、新聞名がわからないと探
   せない。平成の水晶盗掘事件では、読売新聞などの全l国紙に比べ地元紙・山梨日日
   新聞は何倍かのスペースを割いて、詳しく報道していた。そうすると、明治26年の事件
   も地元紙に掲載されている可能性が高いと踏んだ。
    図書館職員に、「明治26年6月の山梨日日新聞を読みたい」、と伝えると、待つこと
   5分ほどで、同年1月から6月までの紙面のマイクロ・フィルムを投影機にセットしてくれ
   た。装置の簡単な取り扱い説明を聞き、検索すると、ものの5分もしないうちに、『一萬
   圓の水晶』
、という記事に行きついた。

     
         マイクロフィルム投影機

    コピーが欲しい部分を選んで、ボタンを押せば、A3サイズのコピーがでてくる。1枚
   あたり10円、とコンビニ並みだ。

3. 「明治26年水晶盗掘事件」の記事

    明治26年6月7日の山梨日日新聞の第一面と「一萬圓の水晶」、の切り抜きを掲載
   する。

     
                                第一面

     
                          「一萬圓の水晶」 記事全文

    「一萬圓の水晶」の記事全文を読みやすく書き下してみた。

    『 一萬圓の水晶  北巨摩郡増富字八幡御料
      林巡視とて去る頃 御料局甲府出張所技手亀
      掛川亀二郎氏出張せしところ同林中に凡(およそ)深
      サ三十尺以上の穴を穿(うが)ち 水晶を掘り取りたる形
      跡ある故 能々(よくよく)注意してこれを熟視すれば余程
      大にして持運ぶことの出来能は(あたわ)ざりしとと見へ
      石を挽きずりし迹(あと)の残り居るに依り其迹を
      辿り行きしに二里余もある遠方の谿間(けいかん)に柴葉(しばは)
      を積みかさね かくしあるを発見せしかば 早速
      人夫を雇入 其日増富村迄持ち来り 某方に預け
      置きたるを 去卅一(三十一)日甲府出張所まで取寄せたる
      に縦二尺七、八寸 横一尺五、六寸あり、今仝出張所
      吏員の語る處(ところ)を聞くに 此水晶は性質甚だ善良
      にして五寸位の玉一個は相違なく製造し得ら
      るゝ見込みなり 尤も去る廾三(二十三)年の東京博覧会に
      中巨摩郡宮本村より五寸位の水晶玉を出品せ
      しことありしに 一萬圓の定価を附しありたれ
      ば 仝水晶にして真に瑕瑾([王?][王菫]:かきん)なき玉を製し得らる
      ゝ時は実に一萬圓以上の価値あるべく 若(も)し右
      の如き玉製造せられず 細破(さいは)して印材に用ゆる
      とも二百圓以上の価値は必ず有ならんと 仝水
      晶の如きは本縣に於て水晶採掘の始まりたる
      以来未だ嘗(かつ)て比類なき良石にして 目方七十貫
      目余あり 近日入札競売に附する由なり 又仝水
      晶を窃取(せっしゅ)せんとなせし犯罪人は目下頻(しきり)に探索
      中なるが 略(ほ)ぼ手掛りを得たる由なり 聞くが如
      くんば 仝水晶を掘り出すに付きては 犯者は横
      浜の某商人と前約をなしありしとのことにて
      仝水晶を掘取りて持帰る途中 某村長の土蔵に
      一夜預け置き 其後谷中に持行きたるものにし
      て 掘出主は人夫数名を集め水晶掘取の祝をな
      したるを見しと迄云(いう)者あれば 犯人の捕縛せら
      るゝも近日中にあるべしと                           』

3. 「明治26年水晶盗掘事件」のあらましと時代背景

 5.1 事件のあらまし
      新聞記事を総合すると、水晶盗難事件のあらましは次のようになる。

  (1) 事件の発覚
       明治26年5月ごろ、北巨摩郡増富村字八幡御料林(現在の小尾八幡山)を
       技手・亀掛川亀二郎氏が巡視していたところ、深さ三十尺(9m)以上の穴を
       発見した。水晶を採掘らしく、しかも水晶が大きかったため引きずった跡があり、
       これを辿ると二里(8km)余はなれた谷間に小枝を被せて隠してあるのを発見し
       た。

  (2) 水晶の処置
       作業員を雇って、一旦増富村まで運び、某氏宅に保管し、5月31日、御料局
      甲府出張所まで運んだ。

  (3) 水晶の大きさ、品質、価値
       縦二尺七、八寸(83cm)
       横一尺五、六寸(47cm)        重さ七十貫   (263kg)余
       質(透明度など) 甚だ善良
                  水晶採掘が始って以来、最良の水晶
       価値        5寸玉1ケとして10,000円(現在の4,000万円)
                  玉がダメなら水晶印材として200円(現在の80万円)

  (4) 盗掘犯人捜査状況
       ・ 横浜の某商人との間に前(買い取りの)約束があって盗掘した。
       ・ 掘り出した水晶を増富村村長の土蔵に一晩預けた。
       ・ その後(翌日)、谷間に隠した。
       ・ 犯人は作業員数名を集めて、盗掘成功を祝って宴会を開いているところを
         見た村民がいる。
       ・ 犯人は近日中に逮捕される見通し。

  (5) 盗掘水晶の取り扱い
       ・ 没収され、入札競売に掛けられるとのこと。

  (6) 新聞記者の取材日
       ・ 水晶を甲府まで運んだのが5月31日(水曜日)
       ・ 新聞掲載日が6月7日(水曜日)
       ・ 6月1日〜6日 の間に取材したと思われる。

 5.2 水晶採掘時代背景
      新聞の内容を覚めた眼で読みなおしてみると、この当時、水晶採掘(盗掘)が
     農閑期の村の貴重な現金収入源だったような印象だ。

      ・ 掘り取ったのは雪も溶けた5月
      ・ 村長宅の土蔵に盗掘した水晶を一夜だけにしろ預けておいた。逆に言えば
       村長は盗掘品であることや依頼者(首謀者)が誰かまで知っていて、見て見ぬ
       振りをしていた、と言われてもしかたない状況だ。
      ・ 横浜の某商人が買い取る約束があって、首謀者が地元の作業員を集めて
       御料林(皇室が所有する山林)に無断で入り込み、水晶を盗掘した。
        横浜、とあるが地元・甲府の水晶業者の可能性だってあり得る。

      当時の増富村周辺における水晶採掘の実態が「水晶物語」に載っているので
     引用する。これを読む便を図るため、金峰山周辺にあった(ある)水晶産地や鉱山
     跡の地図作成したので掲載する。

     

     『    明治二、三十年代の増富採掘

       金峰連脈で、御岳の北西裏に当る増富村比志(現北杜市比志)でも押出山(お
       しだしやま)を掘ってでた原石を文久2年(1862年)御岳の神主に頼み加工し、
       甲府の業者に売った歴史がある。その同じ押出山を同村民がそれから6年後の
       慶応4年(1868年)にまた試掘しており、一つの「カマ(晶洞)」が発見されると、
       その山を目がけて、場所を異(変)えての試掘競り合いは幕末時代が明治にな
       っても続いた。

        増富村の場合は、発掘最盛期は明治20年(1887年)ごろを中心に燃え上がっ
       ており、発掘(場所)は、八幡山の甲と乙の両坑である。これは村民の農閑期を
       利用し、労力提供が成功に導いたものとして増富小学校で調査したことがあっ
       た。それによると、八幡山の甲と乙の発掘出願人は御岳村と上手村の別々の
       人であったが、村民の労力提供で共同採掘となり、採掘途中で乙坑の方から
       重量150貫(560kg余)という第水晶「みずがき号」を掘り出したところから、2人
       の間で権利争いが生じ、この2つの坑道を「論坑」と呼ぶようになったほど大量
       に水晶が出たところである。
        現在山梨大学にある(2014年現在、ジュエリーミュージアムに展示)、百瀬康
       吉氏が大正8年鉱物標本として山梨県師範学校に寄贈した大水晶もこの「論坑」
       から産出したものであった。

        このほか、増富村には「5丈5尺坑」の名がついた、5丈5尺(約10m)掘り下げ
      て豊産をみた水晶坑も出現したが、明治30年ごろから下り坂となり、同40年ごろ
      押出坑から出た大トッコ(群晶)を最後としてあまり産出はなかった。

        増富村の各坑から産出した量は、産状・用途分類別に「総合郷土研究」に載
      っているので、次に掲げよう。

  坑   名 産出水晶の産状・用途 産出量(貫目)
八幡甲 無色透明、白・印材   6,000
八幡乙 白・天然石   5,000
大穴 無色透明・飾玉石
トッコ
天然石
  8,000
押出 トッコ   1,300
アザミ 無色透明、白・印材
飾玉石
天然石
  4,500
上(かみ)ザレ トッコ   2,000
五丈五尺 無色透明、白・印材   7,000
與(与)志 無色透明正式結晶   3,500
水穴 無色透明・飾玉石
白・印材
  1,000
  合  計    38,300
(143.6トン余)

        明治30年ごろ、押出坑の盛況の時には、採掘業者一人の年収は三千数百円
       (現在の1,500万円)に及んだという。・・・・・・・・・・・・                』

    このように、盗掘事件が起きた明治26年は、増富村での水晶採掘が最盛期を迎え
   ていたときだった。
    八幡山甲坑、乙坑はじめ、五丈五尺坑などっで大きな水晶が産出したありさまは
   今でも語り継がれ、産出した水晶の一部はミュージアムに展示されていて、それらを
   見ると、その大きさと美しさに驚嘆する。山梨県の宝だ。

     
            小尾八幡山産 大水晶
         【山梨ジュエリー・ミュージアム】

5. おわりに

 (1) 二度あった水晶盗掘事件
      「水晶宝飾史」の記述がキッカケで、明治26年(1893年)にも、水晶盗掘事件が
     あったことがわかった。山梨県立図書館で、当時の新聞記事を見つけて、事件の
     全貌を簡単に調べられた。
      山梨県に住む年金生活者にとっては”酷税”を納めさせられているが、このような
     施設の整備に使われるなら全く問題はない。

      明治と平成の水晶盗掘事件を比較してみた。

 区   分    明治26年
   (1893年)
   平成25年
   (2013年)
     備   考
採取場所 御料林 甲府市有地
【乙女鉱山?】
明治44年、御料林は
山梨県に下賜された。
地図に、「恩賜縣有林」と
あるのがその一部
摘発者 御料局技手 甲府市職員   
採取した水晶の
大きさと数
長さ:83cm
径:47cm
   1本
長さ:2〜3cm
   5本
【自宅には多量の水晶】
  
水晶の価値 200円〜1万円
(現在の80万〜4千万円)
5,000円
【自宅にあったものは?】
明治時代の1円は
現在の4,000円として
換算
採取の目的 商人に売却 趣味
【PCに採集品の売却歴?】
  
捜査状況 不明 容疑者逮捕
 【現行犯】
  
司法判断の根拠 不明 不明   
司法処分 不明 罰金△十万円
過去に採集・購入した
水晶も全て没収
  

      比較してみてまず気づくのは、平成のは120年ぶりに起きた水晶盗掘事件だ。

      両方とも、水晶を売る目的で多量の(貴重な)水晶を採取した、と判断されたよう
     だ。
      平成の事件では、司法判断の根拠が公表されていないので、こどもたちをフィー
     ルドに案内しての鉱物学習がどこまで許されるのかハッキリしない不安はあるが、
     これらの点が判断のポイントなのだろう。

 (2) 「ICタグ」
      山梨県立図書館の蔵書一冊一冊に、「ICタグ」が貼り付けてある。「ICタグ」は
     Integrated Circuit(集積回路)技術を応用したデバイスだ。

      「ICタグ」の通信原理は、図に示すように、リーダー/ライターが発する極超短波を
     アンテナで受信し、アンテナで発生した電力でチップに供給し、書き込みや読み出し
     を行っている。

      
                    「ICタグ」の通信原理
               【「ICタグビジネスのすべて」から引用】

     「ICタグ」、と聞くとH製作所の二人の顔が思い浮かぶ。
     一人目は、Fさんだ。たしか、私が結婚したかしないかの頃だから、昭和40年代末、
    Fさんは、中央研究所(?)とタグを組んで、「タグ」の開発を検討していた。
     Fさんとは、仕事よりも趣味のアマチュア無線のお師匠さんとしてのお付き合いが
    深かったので、「タグ」を開発しようとしているが効率の良い『アンテナ』が課題だ、と
    解説してくれた。その当時は、今の携帯電話が使っている○○○GHzのような極超
    短波で動作する半導体技術もなく、波長が長い周波数帯を利用するので『アンテナ』
    が大きなものになってしまうのと、チップのコストの問題もあり、その後、開発は立ち
    消えになってしまったらしい。

     もう一人は、Nさんだ。私が甲府の工場に勤務していたとき、優秀な技師として私を
    サポートしてくれた時期があった。
     2001年、H製作所は0.4mm角という当時世界最小クラスの「ミューチップ」を開発し、
    今日のICタグブームの火付け役になったとされる。私が、東京や茨城の半導体工場
    に単身赴任しているころ、Nさんが「ミューチップ」の担当部長になった。2005年に愛
    知県で開催され、”モリゾー”と” キッコロ”のゆるキャラが登場した「愛・地球博」では
    2,200万人の入退場管理に「ICタグ」が活躍したと聞いた。

     Fさんは私が甲府に転勤になって3年ほど経ったころ亡くなり、Nさんとは2010年頃
    私が週末に千葉の単身赴任先から帰ったとき、甲府駅で会ったのが最後で、程なく
    亡くなった、と聞いた。

     陳腐だが、『 一期一会 』 、だ。

 (3) 『秘密保護法』
      2014年2月初旬、某所の骨董市を訪れた。明治時代から昭和20年代の郵便物の
     束があったので、興味のあるものだけを抜き出して買った。それらの中に、開封さ
     れ、その箇所を透明な粘着テープで貼って補修した、いわゆる『検閲便』、と呼ぶ
     一通があった。とりわけ珍しい、という品ではないが、歴史の証拠品だ。

         
              表               裏
                    『検閲便』

      昭和20年(1945年)8月、日本が敗戦と同時に、アメリカ軍を中心とする連合国に
     によって占領され、各種の政策が施行された。
      その一つに、『郵便物の検閲』、があった。2013年暮れにNHKが放送したドキュ
     メンタリーで、当時の検閲関係者のインタビューなどから生々しい実態を知った。
      ただ、関係者は、”同胞を売った”、という負い目からか、検閲に関係していたこと
     を隠す人がほとんどで、なかなか実態に迫れないようだ。

      郵便物の検閲は、@ 闇取引の摘発、を目的にスタートしたが、その後、米ソ冷
     戦になると、A 思想的な動向調査 、に変質した。

      昭和21年11月、「日本国憲法」が公布、翌年5月から施行され、その21条では、
     『 表現の自由と通信の秘密遵守 』、を謳っている。

      1. 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
      2. 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

      しかるに、私が入手した郵便物には、昭和23年3月4日の消印が押してあり、日
     本国憲法が施行された後も検閲は行われていた。検閲印のアルファベットや数字
     などから、いつ、どこで検閲したかなどがわかるらしい。たぶん、手書きの”3−5”は、
     消印からみて、検閲日で、3月5日だろう。

               
                 日付印                            検閲印

      1ミリも譲れない問題だが、百歩譲って、” 占領されていたからしょうがない ”、
     としても、昭和26年9月、サンフランシスコ平和条約調印で48ケ国との戦争状態が
     終了し、”独立”した後も検閲は続いていた、とNHKの番組は伝えていた。

      私が生まれるはるか昔の話でなく、私が生まれてからも、『検閲』は行われ、米国
     の某機関では現在も行っているのは米政府も肯定し、誰でも知っていることだ。
      なんだか、『検閲の時代』に逆戻りしているような気がするのは、私だけだろうか。

      【後日談】
        10月から始まったNHKの朝ドラ「ごちそうさん」を欠かさず見ている。人気の高
       かった「あまちゃん」の後を受けてなので、出演者やスタッフのプレッシャーには
       計り知れないものがあったと思うが、視聴率が「あまちゃん」に勝るとも劣らない
       のは同慶の至りだ。
        2月6日放送分では、作家・室井の本格小説で出版が決まっていた「塩と砂糖」
       が検閲を受け、急遽出版を差し止められた。”砂糖はゼイタクだ”、という理由だ。
        戦争の影響によって軍隊動員を図るために全国規模のスポーツ大会の中止
       が発表され、第27回全国中等学校優勝野球大会(甲子園)が中止となった昭
       和16年ごろの舞台設定だ。

        当時の「大日本帝國憲法」第26条に次のようにある。

        『 日本臣民ハ法律ニ定メタル場合ヲ除ク外信書ノ祕密ヲ侵サルヽコトナシ 』

        基本的には、憲法で”信書の秘密”は守られていたが、”臣民” と ”法律に
       定めた場合を除く”が曲者だ。私なりに、憲法を解釈すると、
         ・ 天皇の忠実な僕(しもべ)・「臣民」には適用されるが、「非国民」には適用
           されない。
           「だれ誰は、非国民!!」、と国民同士を監視しあうようにし向けた。
         ・ 軍部や政府に都合の良い法律を作れば、検閲しても構わない。
           大正14年に公布された「治安維持法」は、昭和16年に改正され、思想・
          結社の取締を強化していく。

6. 参考文献

 1) 山梨日日新聞:一萬圓の水晶 6月7日,同社,明治26年
 2) 山梨縣水晶商工業協同組合:水晶,芳文堂印刷所,昭和27年
 3) 篠原 方泰編:水晶宝飾史,甲府商工会議所,昭和43年
 4) 大森 文衛:水晶ものがたり,株式会社 奎草社,昭和46年
 5) 長浜 淳之介、岡崎 勝己:図解 ICタグビジネスのすべて,
                     日本能率協会マネジメントセンター,2004年
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