山梨大学 「水晶館」のミネラルコレクション


1. 初めに

   山梨大学には、百瀬康吉氏が寄贈した水晶をはじめとする鉱物標本を展示した
  「水晶館」があり、一度見学したいと思っていた。
   フィールドでのミネラルウオッチングが難しくなった2005年12月、長野県川上村に
  ある湯沼鉱泉の社長と石友・Yさんが来宅された。社長が知己の間柄の角田教授に
  電話で見学の了解を取り付けてくれ、早速3人で訪れた。
   2005年、「水晶館」の老朽化に伴い、収納されていた標本は事務局棟広報プラザ内の
  「水晶展示室」に公開するようになった。同時に、テレビの「何でも鑑定団」で紹介された
  水晶印材107点の寄託を受け、同じ場所に展示している。
   ここには、日本式双晶、草入り水晶など山梨県を代表する水晶のほか、ライン鉱
  トパーズなど山梨県ならではの鉱物標本と印材をはじめとする水晶加工品が並んでおり
  それらのいずれもが、”素晴らしい”の一言に尽きる。
   念願を叶えてくれた湯沼鉱泉の社長と同行いただいたYさんに、厚く御礼申し
  上げます。

       
          水晶展示           社長・Yさんと一緒
                 水晶展示室

   ( 2005年12月見学 )

2. 百瀬康吉氏と水晶館

    百瀬 康吉氏肖像

   百瀬氏は甲府市内で薬種業を営むかたわら、趣味として水晶収集を行っていたが
  王水(塩酸3と硝酸1の混合液)による水晶の美麗法に成功してから、一層水晶収集に
  熱中するようになった。
   その後、巨智部博士の助言により、飾り物としての収集だけでなく、学術参考品としての
  収集を心掛けるようになり、学術的に価値の高い、多くの水晶を収集した。
   百瀬氏は収集に当たって、優秀な水晶の見分け方は大変困難であることことから、多くの
  人が欲しがる水晶、専門家が目をつけた水晶を手元に置くことし、そのため親しい専門家と
  疎遠になってしまったこともあったが、その方針を断固として貫いた。
   また、百瀬氏は収集に際して、水晶およびその加工品を次の4つに分類していた。

   @ 結晶が完全なもので、人工の手が加わらないもの
   A 偉大なもの
   B 各産地の特色を充分発揮しているもの
   C 素人の愛玩用となるもの

   そして、分類@〜Bに相当する山梨県産の貴重な水晶を山梨県内に留め、しかも個人の
  秘蔵品とするのではなく、広く学術的に利用してもらうとともに、散逸を防ぐため、大正9年
  (1920年)に当時の山梨県師範学校に寄贈した。

   百瀬康吉氏と水晶館の歩みを一覧表にまとめてみると、次の通りである。

 年 号
(西 暦)
    記             事
明治20年
(1887年)頃
 東京薬学専門学校で、下山、丹波両博士に師事して
薬学を専攻。帰郷後、韮崎市で薬種商を営む
明治27年
(1894年)
 甲府市柳町に転居し、薬種商を営むかたわら鉱物鑑定もした
 水晶の付着物除去方法を考え、清浄な水晶に興味を持ち、私財を投じて
水晶類の収集を行う
明治37年
(1904年)
 多数集めた水晶や鉱物を始末するため、10年あまり
鉱物販売の営業を行った。
 その後、30年以上水晶の収集と保存を続け、その間多くの鉱物学者や
岩石学者と親交を深め、助言を求めて優秀な水晶類を手元に残すことが
できた
明治末年
(1900年)頃
 山梨師範学校の能勢頼俊教師の要望で、教授用標本として
水晶類20数種類を寄附
大正3年
(1914年)
 上記標本は火災で焼失
大正8年
(1919年)
 石塚末吉氏(博物学者)の勧めもあり、水晶類46点の寄附願いが
山梨師範学校にだされた
大正9年
(1920年)
 水晶類を山梨師範学校に寄贈。正式には、大正9年1月21日付で
寄附願いが許可された。
 当時、山梨師範学校は県立であったため、県有財産となり、師範学校が
保管することになった
昭和2年
(1927年)
 不燃性鉄筋コンクリート造りの「水晶館」建設

    「水晶館」(2005年12月撮影)

昭和9年
(1934年)
 山梨師範学校創立60周年事業の一環として、水晶寄贈記念碑を建設
 (この記念碑は、戦後の混乱の中で破損し、現在は破片が残っている)

       
           建設当時          記念碑破片

昭和24年
(1949年)
 国立山梨大学発足。水晶類標本は学芸学部が保管することになった
昭和31年
(1956年)
 寄贈された水晶類は、県から国に移管され、国有財産となる
昭和37年
(1962年)
 石川文一氏から水晶装身具31点寄贈
平成17年
(2005年)
 水晶館が老朽化したため、事務局棟広報プラザ内に水晶展示室として
展示することになった。
 小田切康文氏(百瀬氏の親族)より水晶印材107点の寄託を受ける

3. 水晶展示室のミネラルコレクション

   水晶展示室に収納されている標本は、おおまかに次の3つのグループがあるようです。

   @ 大正9年(1920年)  百瀬氏によって寄贈された46点
   A 昭和37年(1962年) 石川文一氏から寄贈された水晶装身具31点
   B 平成17年(2005年) 小田切康文氏より寄贈された水晶印材107点

    これらの内、@、Aは「水晶館」にもともとあったと考えられます。

 3.1 百瀬 康吉氏の寄贈品
     百瀬氏が、大正9年(1920年)に寄贈した46点について、「目録」が残されているので
    これによって、寄贈標本の概要を知ることができる。

番号  標 本 名特記事項
1水晶単柱 高さ3尺3寸(97cm) 直径最大1尺(30cm)

   

増富八幡山産
脇水鉄五郎博士によって
地質学雑誌に発表(1918年)
重量77.5kg
柱面は磨かれている
2水晶々簇 高さ1尺7寸(51cm) 幅1尺3寸(39cm)晶簇とは群晶のこと 
3水晶々簇 高さ6寸7分(20cm) 幅1尺2寸(36cm) 
4水晶々簇 高さ9寸(27cm) 幅9寸5分(29cm) 
5水晶々簇 高さ1尺9寸(57cm) 幅1尺7寸(51cm) 
6水晶々簇 高さ1尺1寸(33cm) 幅1尺7寸(51cm) 
7水晶々簇 
8煙水晶大形 
9黒水晶大形 
10傾軸式双晶々簇 次の標本がNo10〜12の何れか、不明

   
          乙女鉱山産

11傾軸式双晶々簇
12傾軸式双晶々簇
13水晶々簇 
14水晶々簇 
15草入水晶

   

雄鷹山(甲府市黒平向山鉱山)産
16紫水晶々簇 
17紫水晶々簇 
18紫水晶々簇 
19水晶々簇 重石含有のもの 
20水晶々簇 重石含有のもの 
21水晶2柱対立 
22水晶2柱対立分岐せるもの 
23水晶2柱対立双生せるもの 
24屋根形水晶 
25屋根形水晶異なる光沢あるもの 
26水晶々簇 
27傾軸式双晶7體 
28石灰重石結晶石灰重石とは灰重石のこと
29ライン鉱

   

ライン鉱とは
灰重石後の鉄重石のこと
30重石類1組26體 
31燐灰石大晶

   

 
32長石類1組30體 
33天河石2體 
34ペグマタイト 高さ2尺8寸(84cm) 幅2尺余(60cm) 
35石灰華 
36水晶大花瓶 
37水晶硯(電気石入り) 
38水入り水晶々簇

   

佐渡相川産 
39黄玉石(トパーズ)

   

甲府市黒平産 
40雨畑硯 青石 
41雨畑硯 赤石 
42雨畑硯 黒石 
43水晶異形□22體 
44鉱物1組7體 
45水晶□□□ 
46富士熔岩2體 

 3.2 石川 文一氏氏の寄贈品
     展示室の中央のショーケースの中にある水晶宝飾品が石川氏の寄贈品だと思われる。
   櫛(くし)、簪(かんざし)など女性の身を飾ったものから、老眼鏡など実用的なものまで
   水晶の幅広い用途がうかがわれます。
    水晶でできた、櫛の歯が、1つも欠けることなく仕上げられ、作られて100年以上も
   無傷で伝えられているのは、驚きと共に、大切にしたという先人の思いが伝わって
   きます。

     水晶製の櫛

 3.3 小田切 康文氏寄託品
     百瀬氏の子孫・小田切康文氏が寄託した水晶印材107点は、すでにテレビの「何でも
    鑑定団」に紹介されたものです。
     これらが、目近に見られるとは、思ってもいなかっただけに、感激します。

         
          展示全体             展示品の一部
                 印材展示コーナー

4. おわりに

 (1) 永年見たいと思っていた「水晶館」の収納品と最近寄託された「水晶印材」を目近に見る
    ことができ、感激が先立ってしまい、いざHPをまとめる段になって、あれはどうだったのか
    思い出せずに、また訪れねば、と考えています。
     観覧を希望する方は、湯沼鉱泉の社長に仲介をお願いしては如何でしょうか。
    ( ただ、見ず知らずの人を紹介して、苦い経験があると社長が漏らしていたので・・・・・)

 (2) 湯沼鉱泉の社長とYさん、そして私の3人が惹かれた標本があった。母岩付き日本式双晶
    (傾軸式双晶々簇)なので、百瀬氏の寄贈品のNo10〜12のいずれかと思われるが
    産地名が記載されていない。
     明らかに、乙女鉱山のものとは違う。3人の結論は、『長野県川上村川端下産』で
    あった。(身贔屓とお笑いください)

     日本式双晶(奥の双晶は川端下産?)

 (3) また、子持ち水晶には、川端下産との表示があり、三石勝五郎著の『詩伝・保科五無斎』の
    「子持ち水晶」の章に、次のような記述があったのを思い出し、感慨を深くした。

    『 某先生が臼田小学校おられた時のことである
     五無斎は「ニギリギン式教授法」を講演したが、その前に標本室に入って1つ1つ
     熟覧した。
      ある標本箱の前に来ると佇んだままそこを離れず、ジッと硝子(ガラス)ごしに
     水晶のいくつかに眼を注いだ。そのうちに蓋を取り、子持水晶を見付けて字母観音の
     如く、頬ずるやら、いつくしみ、ついにこれをわがポケットに入れられたのである。
      はて、このまま持ち去られては大変、案内の責任は自分にあるから、もしや・・・・・と
     冷汗かいて一言いい出そうとすると、五無斎はやっと夢からさめた如く
      「 おれは、このままうっかり持って行く所だった」とポケットから子持水晶を出して
     元の通り箱に納めたという。』

    子持ち水晶(長野県川上村川端下産)

5. 参考文献

 1)山梨大学編:山梨大学 水晶展示室パンフレット,同大学,2005年
 2)中川 清:平地学同好会 会報No25 「山梨県産 水晶印材コレクション」
         平地学同好会 ,2005年
 3)堀 秀道:水晶No14 百瀬康吉水晶コレクション,鉱物同志会,2001年
 4)山梨県水晶商工業協同組合編纂:水晶宝飾史,甲府商工会議所,昭和43年
 5)秀村 謙二郎編:水晶,山梨師範学校,昭和9年
 6)三石 勝五郎:百助生誕百年 詩伝・保科五無斎,高麗人参酒造株式会社
            昭和42年
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