山梨県産 水晶印材コレクション - その18 -
             「水晶刻印注文書」

1. はじめに

   2003年3月に甲府市で開催された骨董市で水晶印材を出品しているお店があり、早速8本まとめて購入した。
  これらの中に、インクルージョン入りが6本、その内、水晶峠産と思われる『山入り』のものは1本だけだった。これが私の
  水晶印材との出会いだった。

     「山入り」【2003年3月入手】

   それ以来、ネット・オークションや山梨県は無論、各地の骨董市、骨董店そして古書店を訪れる毎に、山梨県産
  の水晶製品とそれに関連するものに眼を光らせていた。
   その結果、既に300本あまりの水晶印材と「櫛」、「かんざし」、「帯留」そして「壺」などが集まり、入手の経緯とコレ
  クションを中心に「山梨県水晶細工【印材】のミニ歴史」についてHPに記載し、その回数もこれで18回を迎えている。

   ・山梨県産 水晶印材コレクション

   ・山梨県産 水晶印材コレクション-その2-

   ・山梨県産 水晶印材コレクション-その3-

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        ・
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   ・山梨県産 水晶印材コレクション-その17-

    2017年8月、ネットオークションに「水晶刻印注文書」が出品され、競り合う相手もなく落札できた。実はこれと似
   た「水晶印判注文書」を2009年7月に入手していた。それには、山梨県西八代郡楠甫(くすほ)村(現市川三郷
   町)にあった印章店・潤光堂の望月 朝吉が明治38年(1905年)11月中旬から12月末にかけ、福島、宮城、岩
   手県を行商しながら注文をとった印判や水晶製品の寸法、値段などが書き記してある。ページの間に息子と思わ
   れる望月 正昭からのハガキが2通挟んであり、いわば『行商日記』でもある。

    今回入手した「水晶刻印注文書」は、山梨県南巨摩郡五開村(現在富士川町、旧鰍沢町)の印章店・光玉
   堂派出員の依田 忠太郎が明治40年(1907年)10月中旬から12月末まで福島県を行商しながら注文を取った
   印材の寸法、値段などが書き込まれているのは「水晶印判注文書」と同じ様式だ。

    「水晶宝飾史」によれば、西八代郡の河内地方十ケ村の人々による水晶の行商が始まったのは、明治30年
   (1897年)ごろとされ、内地はもとより遠く朝鮮にまで渡り、カバン1つを提げて、町から村へと足をのばし、水晶製品
   の販路を全国に広げ、業界の発展に大きく貢献したとされる。
    しかし、その商業活動は零細な印章店や個人であったため、まとまって記録として残っているのは少ないようで、
   今回入手した「水晶刻印注文書」も貴重な資料だろう。

    最盛期には、1,000人の行商人がいたとされ、その中の1人・依田 忠太郎の足取りを追って、「山梨県水晶細
   工【印材】の歴史」の知られざる部分にスポット・ライトをあててみた。

    ( 2017年8月入手 )

2. 「水晶刻印注文書」表紙・裏表紙

 2.1 表紙・裏表紙
     入手した「水晶刻印注文書」は、和紙に印刷した「水晶印注文書」約90枚に厚手の和紙で表紙と裏表紙を
    つけて和とじにしたもので、1冊で約90件弱の注文が書き込まれている。表紙と裏表紙を下の写真に示す。

       
                  表紙                             裏表紙
                            「水晶刻印注文書」

     表紙には、『甲ノ参号』とあり、裏表紙には、『丙三号』、と紫色でペン書きされている。裏表紙には、『明治
    四拾年壱拾壱月従(から)』、とあるが、実際には10月からの注文が記録されている。

     裏表紙には、住所・所属・身分・氏名が書いてある。その当時、行商人、今でいうところのセールスマン(レディ)
    のことを、『派出員』と称していたようだ。
     今では死語になっているが、『派出婦』、という職業があった。家事の手伝いため臨時に雇われる職業婦人の
    ことで、現在のテレビドラマに登場する『家政婦』に相当するだろうか。
     依田 忠太郎は、印章店・光玉堂に”臨時に雇われた”、と考えられる。

     最後のページにも、翌明治41年1月になって書き込んだと思われる、『 明治四十壱年壹月 此帳紙数91枚
    従十一月至拾弐月(11月から12月に至る) 』、とある。

    
                最後のページ

 2.2 水晶印材を取り巻く当時の状況
     依田 忠太郎が行商を行った明治40年(1907年)前後の水晶印材を取り巻く状況がどうだったか、水晶業界、
    交通・通信、社会の断面でイベントを下表にまとめてみた。

 和 暦 西 暦       水晶産業界   交通・郵便 政治・経済・文化
明治24年 1891年        東北本線全線開通    
明治29年 1896年        局留小包郵便物の代金引換開始   
明治30年 1897年     「甲府水晶組合」結成
    河内地方農民による
    水晶行商盛んになる
    
明治31年 1898年    8月 常磐線全線開通
一般郵便物の代金引換開始
  
明治32年 1899年     乙女鉱山の重石鉱採掘着手  岩越鉄道(磐越西線)郡山―会津若松間開通    
明治33年 1900年     水晶業者33、職工88人     
明治34年 1901年  7月 「峡中文学」に水晶
    印通信販売広告掲載
    度のわかるレンズの製造成功
   
明治35年 1902年     百瀬康吉が乙女鉱山で
    水晶・重石採掘
    この年から主な錺(かざり)業者
    甲府市中央部に移転開始
     
明治36年 1903年 11月 「甲斐物産商会」が通販誌
    「甲斐物産商報」発行
    水晶採掘に砂防を義務付け
    (水晶開発費増加)
    甲府−八王子間
    鉄道開通
 
明治37年 1904年     岩越鉄道(磐越西線)郡山―喜多方間開通 2月 日露戦争開戦
明治38年 1905年 11月 望月 朝吉 印判行商    9月 日露戦争終結
明治39年 1906年 10月 一府九県連合共進会が
    甲府城跡で開催
4月 「甲斐物産商報」
    第3種郵便物認可
    甲府−塩尻間
    鉄道開通
 
明治40年 1907年     大水害で水晶採掘不可能
    (県外、朝鮮産水晶移入)
10月 依田 忠太郎 水晶刻印行商
    
明治41年 1908年     西八代郡(河内地方)水晶加工
    隆盛期に入る(第1回)
    
明治42年 1909年     石原宗平「篆刻宝典」刊行
    名工・土屋宗幸廃業
    
明治43年 1910年         
明治44年 1911年      研磨剤にカーボランダム導入
    足踏円盤研磨機発明
    モータ利用も進む
    
明治45年
大正元年
1912年      
大正2年 1913年     内松兄弟がセイロン産水晶輸入      
大正3年 1914年     「大正博」に水晶製品多数出品     
大正4年 1915年        
大正5年 1916年        
大正6年 1917年 11月 「甲府水晶篆刻同業組合」結成      
大正7年 1918年 7月 ブラジル産水晶輸入
    西八代郡(河内地方)水晶加工
    隆盛期に入る(第2回)  
     

 (1) 水晶行商の始まり
      山梨県西八代郡河内(現市川三郷町)地方の人々によって、水晶製品の行商が始まったのは明治30年
     (1897年)ごろとされる。この地方の農地は狭く、農家は早くから副業で生計を立てねばならなかった。
      いろいろな副業が取り入れられ、一時「足袋(たび)」の製造・販売がこの地域の主たる副業だったが、明治
     30年以降、水晶印の販売を主とした行商は最高の副業として望月 朝吉が住んだ楠甫村(昭和26年(1951
     年)六郷町に合併、さらに平成の大合併で現在は市川三珠町の字「楠甫」として残る)が最も盛んで、村民は
     競争するように全村が行商に従事した。

      依田 忠太郎が住んだ五開(ごかい)村はどうだろうか。下に五開村の地図を示す。

       
                                南巨摩郡五開村地図

      五開村は富士川の右岸(西)にある鰍沢村の南に隣接する山村だった。明治28年に編まれた「南巨摩郡
     地誌」によれば、『砥坂(とさか)ノ渡(箱原(はこばら)ノ渡)ハ、富士川ヲワタリテ、西八代郡楠甫村ニ通ズ』
     とある通り両村は富士川を挟んだ隣村だった。
      当然楠甫村に住む親類縁者の中にはいち早く印材行商に出た人もいたはずで、その稼ぎの良さを聞いて、
     「我もわれも」、となったのは自然なことだったろう。
      なぜなら、同誌によれば、五開村の物産は、『穀類、甘藷(かんしょ:さつまいも)、薑(はじかみ:しょうが)
     柚
(ゆず)、栗、長知澤桃、十谷柿、十谷炭、材木、三椏(みつまた)、繭、生糸等ナリ 』、とある通り、農林
     業だけで生活するのは厳しい土地だった。

 (2) 水晶の確保と印材の加工
      山梨県甲府盆地は、明治初年から明治44年までの間に、記録に残る水害は18回を数え、そのたび河川の
     沿岸は洪水に見舞われた。
      明治30年(1897年)、「砂防法」と「森林法」が公布され、明治36年(1903年)には、34,085haが水源涵養
     林や土砂防止保安林に編入された。これらの地域での鉱物採集などは制限され、取り締まりも強化された。
      荒川(金峰山〜黒平)と塩川(小尾八幡山〜増富)一帯について、水晶を採掘許可条件として、「掘り出
     した岩石と土砂が崩落しないよう、坑口の下方に必ず砂防施設を設け、採掘が終わった時は原形に復する」
     などが求められた。

      この結果、水晶を掘り当てられるかわからない試掘、採掘に多額の投資が必要になり、事実上この地域での
     水晶採掘は不可能になた。
      玉宮(現甲州市)の竹森山は、訪れたことがある人はわかる通り、洪水の原因になる虞(おそれ)が少ないと
     見られ、厳しい制限や取締りは行われなかったようだ。明治36年(1903年)、石原 宗平は、竹森山水晶坑の
     採掘・販売を一手に行うことを「甲斐繁盛記」の広告に載せている。

      いずれにしても、山梨県産の水晶の産出量は激減し、他県産や朝鮮産のものの移入(明治40年)が始まり
     ブラジル産の輸入(大正7年)が目前に迫っていた時期である。

 (3) 明治40年10月
      依田 忠太郎が福島県に行商に出た明治40年(1907年)10月がどのような時期だったのか。明治37年2月
     日本は大国ロシアとの戦争に突入した。いわゆる日露戦争である。
      日本海海戦での勝利などがあり、明治38年9月に、日本の勝利で終わった。最大の消費行為の戦争が終わ
     ると、戦勝国は経済恐慌、敗戦国はインフレになる。その例にもれず、明治40年の日本は経済恐慌に陥る。
      前年の明治39年は、株式の暴騰が続き、日本中が、日露戦争後のバブル景気に酔いしれていた。その裏で
     実体経済は、すでに不況に突入していて、明治40年1月に相場の潮目を迎える。
      大阪株式取引所株は、年初の775円から、年末にはたったの92円に暴落した。日露戦争後のバブル崩壊は
     平成のときよりも、遥かにすさまじいものだった。

      労働者や農民の生活は苦しく、全国各地で労働争議や農民騒擾が発生する。その代表が「足尾銅山暴
     動」だ。足尾銅山は、鉱毒事件で命令された鉱毒防止費用などが負担となり、鉱山労働者の賃金は安く、
     しかも、労働条件は過酷なもので、労働者の不満は高まっていた。
      明治40年2月4日、通洞抗内で見張り所が破壊され、騒ぎは翌2月5日、本山坑に飛び火し、同じようにダイ
     ナマイトで見張り所が爆破された。事態はおさまらず、翌2月6日は朝から鉱山事務所が襲撃され、所長は暴行
     を受ける。労働運動指導者の南と永岡が、教唆扇動の疑いで逮捕され、宇都宮に護送されると、暴徒を制止す
     る者がいなくなり、収拾のつかない大規模な暴動に発展した。労働者らは事務所を襲い、施設に放火した。
      事態を抑えきれなくなった警察は、栃木県知事に出兵要請するよう打電。栃木県知事の要請を受け、高崎
     歩兵第15連隊は3個中隊を足尾に派遣し、翌2月7日に到着、暴動は収拾した。

      このように、世情が騒乱、消費マインドが冷え込んだ中で依田 忠太郎は行商に行くことになる。

3. 「水晶刻印注文書」 内容

 (1) 必要記入事項
      「水晶印判注文書」は、下図のような印刷された定型の注文書が和本とじになっている。

     

 注文書には、次のような情報を
書き込むようになっていて、注文書で
あると同時に、注文人の住所・氏名
などを自署し、中には押印している
ものも多く、一種の契約書になって
いる。

@ 刻字(刻印する文字、姓名、雅号など)
A 字体(篆刻する字体)
B 寸方(寸法の誤り、印材の幅・長さ)
C 印形(印材の断面形状、〇・□・小判(楕円形)など)
D 代金(印材、彫刻料、サックの合計金額)
E 手付金(手付として受け取った代金の一部または全額)
F 注文年月日
G 注文人住所・氏名・(押印)



 (2) 注文内容
         依田 忠太郎が、10月中旬から12月末にかけ、福島県を行商しながら注文をとった刻印や印材の寸法、
     値段などをデータ・ベース化した。
      寸法は寸・分・厘単位で書いてあるが、1寸=30.3ミリとしてミリ単位に換算した。

No 月/日 市郡町村 官公庁
会社名
   印           材 篆刻 印の
種類
数量 サック
有無
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価格に含まない
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番号
  備    考
材質 断面形状 縦(mm) 横(mm) 長さ(mm) 重さ(g) 字体 文字数
1 10/11 福島県 大沼郡本郷町   水晶 13.3 28.8   古篆 4 実印 1   物品引換 1.40        
2 大沼郡氷玉岡村 役場 水晶 小判 橋鈕     大篆 2 認印 1   物品引換 1.70        
3 役場 水晶 小判 11.5 9 34.8   古篆 2 認印 1 物品引換 1.20   0.20    
4   水晶 13.3 34.8   大篆 2 認印 1   物品引換 1.90        
5   水晶 13.6 34.8   大篆 2 認印 1   物品引換 1.90        
6 10/12 大沼郡高田町 税務署 水晶 14.2 28.8   小篆 2 雅印 1   物品引換 2.00       二輪
7 役場 水晶 小判 11.5 9 42.4   古篆 2 認印 1   物品引換 1.50       穴アケ(紐を通す)
8 〃(?) 役場(?) 水晶 小判 刻替エ     古篆 2 認印 1   物品引換 0.70   0.20   再刻
9 10/13 大沼郡高田町 税務署 水晶 14.5 33.3   古篆 2 認印 1   物品引換 1.80        
10 大沼郡高田町 役場 水晶 12.7 51.5   大篆 4 雅印 1   物品引換 1.50   0.70    
11 10/14 大沼郡高田町   水晶 小判 11.5 9 41.5   小篆 2 認印 1   物品引換 2.50        
12   水晶 小判 11.5 9 36.4   小篆 2 認印 1   物品引換        
13 役場 水晶 13.6 33.3   小篆 5 実印 1 物品引換 2.00        
14 10/18 耶麻郡塩川町 呉服店 水晶 12.1 27.3   古篆 2 認印 1 物品引換 1.00       内サック30銭
15 停車場 水晶 (小判) 橋鈕     古篆 2 認印 1 物品引換 0.70        
16   水晶 13.9 45.5   古篆 3 認印 1 物品引換 1.50        
17 10/19 耶麻郡喜多方町   水晶 13.9 28.5   古篆 2 雅印 1 物品引換 1.00       内サック30銭
18 耶麻郡岩月町   水晶 13.6 36.4   大篆 2 認印 1 物品引換 1.60       サック付
19 10/20 耶麻郡大塩村   水晶 14.2 28.8   小篆 2 雅印 1 物品引換 1.50        
20   水晶 15.2 33.3   古篆 2 認印 1 物品引換 1.70        
21   水晶 13.3 33.3   古篆 2 雅印 1 物品引換 2.00       サック付
22 耶麻郡大久保村   水晶 13.3 33.3   古篆 3 認印 1 物品引換 1.90       サック付
23 耶麻郡大塩村   水晶 小判 橋鈕     小天(古篆) 3 認印 1 物品引換 0.90        
24 10/28 河沼郡柳津町   水晶 12.7 28.2   篆書 3 認印 1 物品引換 1.50       無疵水晶、三字篆書区画付
25 役場 水晶 15.2 36.4   古篆 4 雅印 1 物品引換 2.00       キヅノタメ(50銭)マケル
26 役場 水晶   古篆 2 認印 1 物品引換 1.50        
27 10/30 耶麻郡奥川村   水晶 12.1 34.8   古篆 4 実印 1 物品引換 4.00       無色透明
28   水晶 10.6 33.3   古篆 5 雅印 1 物品引換 2.00       サック付
29 10/31 耶麻郡小川村   水晶 小判   51.5   古篆 2 認印 1 物品引換 1.80       サック付
30 耶麻郡木幡村   水晶 小判   51.5   古篆 2 認印 1 物品引換 1.80       サック付
31 〃(?) 耶麻郡山部村   水晶 16 42.4   大篆 2 雅印 1 物品引換 2.30       白字、サック付
32 〃(?) 河沼郡新郷村 役場 水晶 小判 橋鈕     古篆 2 認印 1 物品引換 0.80        
33 11/1 河沼郡方門村   水晶 ○(?) 10.6 30.3   古篆 2 雅印 1 物品引換 1.50   0.50   二輪(?)
34 河沼郡束松村   水晶 小判 11.5 9 54.5   古篆 2 認印 1 物品引換 2.00   0.30    
35 11/2 河沼郡川西村   水晶 小判 11.5 9 45.5   古篆 2 認印 1 物品引換 1.00       サック付
36 河沼郡広瀬村   水晶 小判 12 9 54.5   篆書 1 認印 1 物品引換 1.60       「中太篆書己ノ太サハ字ト同ジ」、「但煙リ其他少シナリトモ疵アルトキトキハ約束ヲ無効トス」
37 11/3   水晶 12.1 24.2   古篆 2 雅印 1 物品引換 2.00       サック付
38 河沼郡坂下町   水晶 小判 橋鈕     古篆 2 認印 1   物品引換 0.90        
39 11/6 若松市 税務署 水晶 小判 11.5 9 60.6   古篆 2 認印 1   物品引換 2.00        
40 11/8 北会津郡荒井村   撮印材 小判     大篆 2 認印 1   物品引換 0.70        
41 11/15 若松市 小林区署 水晶 □/○(?) 14.2 48.5   篆書 2 認印 1   物品引換 1.50        
42 小林区署 水晶 12.1 33.3   古篆 2 認印 1   物品引換 1.30        
43 11/17 耶麻郡喜多方町   水晶 12.1 27.3   大篆 4 実印 1   物品引換 1.50        
44 税務署 水晶 小判 11.5 9 45.5   古篆 2 認印 1   物品引換 1.20        
45 税務署 水晶 小判 11.5 9 42.4   古篆 2 認印 1   物品引換 1.20        
46   水晶 小判 11.5 9 42.4   古篆 2 認印 1   物品引換 1.20        
47 11/18 耶麻郡岩月町   水晶 12.7 29.7   大篆 2 雅印 1 物品引換 1.60       サック付
48 11/20 耶麻郡大塩村   水晶 30.3   古篆 2 認印 1   物品引換 0.70   0.10    
49 11/21 伊達郡桑折町   水晶 31.8   古篆 2 認印 1   物品引換 0.80   0.30    
50 耶麻郡大塩村   水晶 □/○(?) 12.1 36.4   小篆 2 雅印 1   物品引換 2.00   0.20    
51   水晶 11.5 33.3   小篆 2 雅印 1   物品引換 1.80   0.20    
52   水晶 13.6 36.4   小篆 2 雅印 1   物品引換 2.00        
53 11/22   水晶 小判 11.5 9 31.8   古篆 2 認印 1   物品引換 0.90       取消し
54 11/21(?)   水晶   54.5   大篆 2 認印 1   物品引換 1.60        
55 11/22   水晶 12.1   27.3   小篆 2 雅印 1   物品引換 1.40   0.40    
56   水晶 小判 橋鈕       古篆 2 認印 1   物品引換 0.70   0.30    
57 耶麻郡北山村   水晶   48.5   古篆 2 認印 1   物品引換 1.20   0.20    
58   水晶 11.5   36.4   小篆 2 雅印 1   物品引換 1.30   0.30    
59   水晶 12.1   51.5   大篆 4 実印 1   物品引換 3.75        
60 耶麻郡喜多方町   水晶 13.6   33.3   小篆 2 雅印 1   物品引換 1.80        
61   黒石     小篆 2 雅印 1   物品引換 > 1.50        
62   水晶 小判 橋鈕       大篆 3 認印 1   物品引換        
63 11/26 大沼郡永井野村   水晶   37.9   古篆 2 認印 1   物品引換 1.20   0.20    
64 11/27 大沼郡氷玉岡村   水晶 楕円形(小判)     篆書 2 認印 1   物品引換 0.80        
65 大沼郡本郷町   水晶     篆書 2 認印 1   物品引換 1.60        
66 11/29 若松市   水晶 11.5   30.3   小篆 4 実印 1   物品引換 2.00        
67 耶麻郡木幡村   水晶 □/○(?) 13.6   36.4   古篆 4 実印 1   物品引換 2.00       古篆太目
68 耶麻郡小川村   水晶 □/○(?) 13.6   36.4   古篆 4 雅印 1   物品引換 2.00       古篆太目
69 河沼郡高寺村   水晶 □/○(?) 13.6   33.3   古篆 4 実印 1   物品引換 2.00   0.40    
70 12/5   水晶 小判 橋鈕       古篆 2 認印 1   物品引換 0.60       再刻
71   水晶 13.6   56.1   古篆 6 実印 1   物品引換 4.00   1.00    
72 河沼郡川西村   水晶 □/○(?) 12.1   51.5   古篆 2 雅印 1   物品引換 4.20   1.00    
73 12/6 大沼郡高田村 役場 水晶 14.5   26.7   古篆 4 雅印 1 物品引換 1.60       2本入りサック付
74 12/7 若松市 小林区署 水晶 13.6   39.4   古篆 2 雅印 1   物品引換 1.60        
75 水晶 13.6   36.3   古篆 2 雅印 1   物品引換 1.40        
76 税務署 水晶     54.5   小篆 2 雅印 1   物品引換 1.60       半白半朱
77 12/19 耶麻郡大塩村   水晶 小判 橋鈕       古篆 2 認印 1   物品引換 0.70   0.20    
78 12/20 耶麻郡喜多方町   水晶 10.6   45.5   古篆 2 認印 1   物品引換 1.96        
79 税務署 水晶 小判 11.5 9 42.4   篆書 2 認印 1   物品引換 1.20       字体はサンプル印と同じ
80 耶麻郡喜多方町 小林区署 水晶 小判 11.5 9 45.5   古篆 2 認印 1   物品引換 1.70        
81   水晶 小判 10 7.5 39.4   古篆 2 認印 1   物品引換 1.40        
82 銀行 樶印材 小判(?)         2 雅印 1   物品引換 0.80   0.80   「盛」大白字、「光」小朱字
83 水晶 15.2   27.3   大篆 2 雅印 1   物品引換 1.40   0.20    
84 水晶 小判 橋鈕       大篆 2 認印 1   物品引換 0.60        
85 12/24 若松市 小林区署 水晶 13.6   39.4   篆書 2 認印 1   物品引換 1.60        
86 12/21(?) 耶麻郡大塩村   水晶 小判 橋鈕       古篆 2 認印 1   物品引換 0.80        
87   水晶 小判 10.5 7.5     大篆 2 認印 1   物品引換        
合        計                   87     133.01   7.70   取消し1件(90銭)

4. 『水晶刻印注文書』データ分析

    依田 忠太郎が残した「水晶刻印注文書」のデータを分析して、当時の印材・水晶製品行商の実態に迫って
   みたい。

 4.1 売上高
      商売で売り歩いているわけだから、売上高(金額)がどのぐらいかが一番知りたいところだ。明治38年の望月
     朝吉の実績と比較してみよう。

氏  名 行 商 期 間 延べ日数 成約件数 売上高 1 日 当 た り 1 件 当 た り
成約件数
(件/日)
比率 売上高
(円・銭/日)
比率 売上高
(円・銭/件)
比率
望月 朝吉 明38.11.13−12.25 33(100) 73(100) 96円85銭(100) 2.2 100 2円94銭 100 1円33銭 100
依田 忠太郎 明40.10.11−12.24 75(227) 86(118) 132円11銭(136) 1.1 50 1円76銭 60 1円54銭 116

      @ 売上金額は依田の方が約36%多い。それは、行商延べ日数が227%と2倍以上長いからだ。
      A 1日当たりにすると、依田の成約件数は半分、売り上げ高は60%しかない。
      B 1件当たりでは、依田の売上高は16%高い。
         ただ、依田の行動を詳細に追ってみると、1週間あるいはそれ以上連続して注文を取っていない日がある。
        具体的には5日以上連続して成約がなかった期間は、10/21〜27(7)、11/9〜14(6)、11/30〜12/4(5)、
        12/8〜18(11) の4回で延べ日数は29日に及ぶ。
         この間行商していて1件も成約できなかったとは考えられず、山梨に戻っていたか他地域で行商していて、
        その結果は別な「注文書」に記録していたたと考えられる。この日数を除くと依田の1日当たりの成約件数は
        1.87件/日となり、売上高は2円87銭/日と望月の98%になる。日露戦争後の不況期であることを考慮
        すれば、遜色ない、と言えるだろう。

 4.2 顧客
      2人の売り上げの違いは世の中の好不況の他に顧客層によっても大きく影響される。2人の顧客を分析し、
     下の図に比較して示す。

       
                                 顧客の分析・比較

      訪れると何本かまとめて成約できる可能性が高い官公庁や民間企業を望月は1/2なのに対して依田は1/3
     しかない。官公庁などは先に開拓した行商人の縄張りで、後発の依田が入り込める隙は少なかったようだ。
      その結果、依田は足を棒にして個人宅を回るしかなかった。

      それは依田にとって悪いことだけでなかった。”薄給”の公務員よりも”豪農”などの個人の方がお金を持ってい
     て、依田が成約した1件(本)当たりの売上高が16%高い結果になっている。

 4.3 顧客の好み
      ミネラル・ウオッチングが趣味の ” Mineralhunters " としては、売上高などよりも、どのような種類の水晶、
     印材を行商人が持ち歩き、そのどれを顧客が求めたのかを知りたい。

      望月と依田が販売した印材の材質を分析して下の図に示す。

       
                               印材の材質の分析・比較

     明治38年の望月の時代には、水晶印材が99%近くを占めていた。山梨県内さんと思われる「草入水晶(苦土
    電気石などの針状結晶インクルージョン:山梨県竹森産)、「茶水晶(薄い煙水晶:山梨県黒平産)」、「星入
    水晶(白雲母インクルージョン):山梨県竹森産)」などが4%くらいあった。宮城県雨塚山産と思われる「紫水晶」
    も4%くらいあった。これらは概して透明水晶よりも高値で取引された。

    ・ 山梨県産 水晶印材コレクション- その18- 「 露入り水晶印 」
     ( Seals made of Quartz from Yamanashi -Part 18-
       QUARTZ Seals including MUSCOVITE , Yamanashi Pref. )

     2年後、明治40年の依田の時代になると、水晶印材は95%になり、「紫」・「茶」など色のついたものや「草入」
    などインクルージョン入りのものは姿を消している。
     その代わり、「樶印材(さいいんざい)」なるものが3%強を占めるようになる。辞書をひくと、「樶」は、「木の節」
    の意味とある。水晶の代わりに木の節のような堅い部分を印材にしたようだ。これは、国内産の水晶が枯渇寸前
    だったことを示している。
     とりわけ、山梨県産の水晶の産出量は激減し、他県産や朝鮮産のものの移入(明治40年)が始まりブラジル
    産の輸入(大正7年)が目前に迫っていた時期である。

 4.4 価格は何で決まるか?
      水晶印材の価格は何で決まるのかを依田の注文書のデータをもとに分析してみた。価格は一般に次のような
     要因で変わるだろうと容易に推測できる。

      @ 水晶の大きさ
         フィールドで採集できる大きな水晶は希なことから、大きな印材は原材料費が高い。印材が大きくなれば
        その形にするまでの時間(工賃)や研磨剤・研磨機を使用する量や時間も増える。大きさを体積で表現
        し、印材の体積と価格をグラフにしてみる。
      A 彫刻する文字数
         彫刻する文字の数が増えれば彫刻する時間も長くなるし、彫刻の途中で不良品になる歩留(ぶどまり)
        も悪くなり彫刻費がアップする。文字数と価格をグラフにしてみる。
      B 水晶印材の品質、特性
         印材そのものの透明度が良い、色がついている、草が入っているなどデジタルで評価できない要因が影響
        する。

      @、A の要因を調べるためのグラフを下に示す。

       
                                印材の価格の分析

      一般的には、体積、彫刻する文字数が増えれば価格は高くなる傾向にあり、@、A の仮説が正しいことを
     示している。
      しかし、これらの因子と全く関係ないグループがある。しかも、これらの価格は4円前後と平均的なものの2倍
     以上と頭抜けて高いのだ。
      これら4点について、値段の高い順に並べ替えて、詳細に見比べ、価格が高い理由を探ってみた。

No 形状 断面寸法
 (mm)
長さ(mm) 体積(?) 文字数 価格(円) 備考
72 □/○(?) 12.1 51.5 5.9 2 4.20  
27  □ 12.1 34.8 5.1 4 4.00 無色透明
71  □ 13.6 56.1 10.4 6 4.00  
59  □ 12.1 51.5 7.5 4 3.75  

       No72  長さが5センチを超え大きい。記録されてはいないが、疵もなく透明で美しい印材だったと思われる。
       No27  さほど大きくはないが、備考欄に「透明水晶」とある通り、美しいものだった。
       No71  彫刻する文字数が6と多い。それを彫れるだけ断面も大きく、それに釣り合う長さもあり、体積が他の
            2倍前後もある。
       No59  長さが5センチを超えて大きく、疵や曇りがない印材だったと思われる。

      これら4点を見ると、印材の価格は上の@、A、B で決まり、特に B で大きく左右されたことがわかる。それは、
     ”ビンタ切れ(頭が欠けている)”で濁った10センチの水晶とうっすらと煙った無疵透明な5センチの水晶があって、
     欲しい方を選べと言われたら、ほとんどの人が後者を選ぶことを考えれば納得できるだろう。

5. おわりに

 (1) 水晶印行商の実態
      今回入手した「水晶刻印注文書」と2009年に入手した「水晶印判注文書」とを通じ、明治期の水晶印
     行商の実態を把握することができた。
      最盛期には、1,000人いたとされる行商人、1人ひとり、訪れる地域、持参する商品も違い、それぞれ旅先で
     の苦楽があったことだろう。

      2人は売上代の一部を「内金」あるいは「手付金」という形で先に受け取っている。望月は2円45銭、依田は
     7円70銭で行商日数で割ると1日当たり10銭(現在の約400円)前後だ。これで、昼食や汽車賃などを賄ったと
     思われ、その生活は質素なものだった。

      『宝石の街・甲府』、と謳い、ジュエリー(宝飾)が観光、フルーツと並んで山梨県を支える産業の1つになっている
     のは、望月 朝吉や依田 忠太郎を初めとする名もない多くの行商人の苦労があったことを忘れてはならない
     だろう。

      このようにしながら、山梨県の特産である水晶製品の加工・販売に関する資料をまとめて現物と共に後世に
     伝えるのも、私の余生の生かし方だと思っている。

6.参考文献

 1) 望月 朝吉:水晶印判注文書,潤光堂,明治38年
 2) 依田 忠太郎:水晶刻印注文書,光玉堂,明治40年
 3) 山梨県水晶商工業協同組合編纂:水晶宝飾史,甲府商工会議所,昭和43年
 4) 六郷町印章誌編さん委員会編:合併二十周年記念誌 六郷 第二部 六郷町印章誌
                        六郷町,昭和50年
 5) 黒田 敏夫編集:日本地図帳,株式会社昭文社,1989年
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