山梨県産 水晶印材コレクション - その14 -
               「煙水晶製印材」 

1. 初めに

    2003年2月末、年が明けて初めて長野県川上村の湯沼鉱泉を訪れた。川上村の道路わきの
   温度計は朝9時近くでもマイナス4℃で、梅の蕾(つぼみ)もかたく、満開の甲府盆地に比べると
   まだまだ春が遠い感じだった。

    社長から「山梨大学のT教授が『鎌水晶(鎌形水晶)』を探しているから、見せてやってくれ」、と
   頼まれた。社長の頼みなので、帰宅してT教授と連絡を取ったが、入学試験とその採点などで
   お忙しく、3月になって、ようやく、お会いできた。
    ”Our Collection”の『鎌型水晶』の一部を持って、妻と一緒にT教授の研究室訪れ、見ていた
   だいた。

     

 ラベルを見ると、2005年〜2008年に
川上村川端下(かわはけ)の水晶坑道
内や、坑道前に広がるズリで、私と妻が
採集したものの一部

 最上段のものは、『鎌型水晶』の典型で
茶褐色の褐鉄鉱で汚れているが、湯沼
鉱泉社長が「酸で洗わないでそのままがイィ」
と言うので、水洗いして泥を落としただけ
(全部の標本が同じ処理)











 下から2段目左側は妻がズリで採集
したもの。







 最下段のものは、"厚みがある”もので
過去にこの1つしか採集していない。

           『鎌型水晶』【横15cm】

    T教授は、『鎌型水晶』の現物を見るのは初めて、とのことなので、しばらくの間、研究用にお
   貸しする事にした。

    この後、T教授に『水晶展示室』を案内していただいた。初めて訪れた妻は、乙女鉱山産の日
   本式双晶はじめ大きくて立派な鉱物標本、百瀬康吉氏の印材コレクションそして明治以降の
   水晶加工品に眼を奪われていた。

    百瀬康吉氏の印材コレクションの中に、煙水晶製のものが3本あった。既に200本を越える
   水晶印材を収集したが、透明なものやそれにインクルージョンが入ったものがほとんどで、煙
   水晶製のものは意外に少なく、2本しかない。今回は、それらについて、紹介したい。
    「水晶展示室」を案内していただき、「煙水晶製印材」の存在に気づかせてくれ、ご教示いた
   だいたT教授に厚く御礼を申し上げる。
    ( 2010年3月 報告 )

2. 山梨大学「水晶展示室」と「印材コレクション」

    山梨大学にある「水晶展示室」を湯沼鉱泉社長や小Yさんと訪れたのは、2005年の暮ちかく
   で、その時の様子はHPに記載した。

    ・山梨大学 「水晶館」のミネラルコレクション
     ( Mineral Collection of Hall of Quartz , Yamanashi University
      Kofu City , Yamanashi Pref. )

    ここには、百瀬康吉氏が寄贈した鉱物標本と水晶加工品が収納・展示してある。水晶印材に
   ついては、「なんでも鑑定団」でも紹介されたので、ご存じの読者もおられる筈だ。
    今回、T教授の説明で、「煙水晶」製の印材が3本あるのを知った。

       
              水晶印材展示                 水晶印材の一部
                                      【後列左から3本が煙水晶】
                     山梨大学「水晶展示室」の一部

3. 「煙水晶」製印材

    私が今までに入手した「煙水晶」製の印材2本について紹介したい。No1のものは、千葉県
   印西(いんざい)市で手にしたもので、これも奇しき”縁”であろうか。

No 入手場所 入 手 時 期    サ イ ズ 印影・印材写真    説       明
1 千葉県
印西(いんざい)市
2009年3月 14mm角×54mm
    印影


    印材

 「日向」は、”ひなた”
あるいは”ひゅうが”と読み
山梨県では珍しくない名字
 手彫り印







 濃い煙水晶で帯状に
内包物(気泡・水)による
”雲”が帯状に入っている。

 印材の角は普通直線で
”面取り”してあるが、この
印材は、曲面になっている。


2 山梨県
甲府市
2010年2月 11mm角×49mm  
    印影

 
    印材

 「原」は、武田二十四将の
一人にも数えられる、山梨
県では由緒ある名字
 手彫り印










「茶水晶」とでも呼べる
薄い煙水晶で、クリアな
透明感がある。



    2本の煙水晶製印材には、氏名が掘ってあり、朱肉の残渣も見られるところから、持ち主に
   よって実際に使われていたのは明らかだ。永年使用した結果か、印影の一部に”カケ”が見ら
   れるほどだ。

4. 印材になった「煙水晶」の産地

    これら「煙水晶」の産地はどこか、興味あるところだ。その鍵の1つが、いつごろ作られたもの
   かだろう。
    山梨はじめ国産水晶原石の産出が枯渇し、大正7年(1918年)以降ブラジル産の水晶輸入が
   本格化するからだ。

 (1) いつごろの印材か
      No1の印は、姓名(姓と号?)を囲むように2匹の鳳凰が彫ってある。この手の装飾が施
     こされるようになったのはいつごろからか。その手掛かりが甲府停車場前にあった「冨士屋
     水晶部」が発行した『カタログ』にある。
      このカタログの発行時期を推測できるいくつかの情報がある。

     
@ 甲斐國
    「国」と表記したのは、大正初期
   が最後
A 甲府停車場
    中央線が甲府までのびた
   明治38年以降
B 篆刻主任 望月正峯
    正峯の号をもつのは、ハンコの町
   六郷町出身の望月 正昭だろう。
    明治38年には、父・朝吉が東北
   地方の外交(行商)でとった注文に
   応じて篆刻していたことを別なページで
   紹介した。
山梨県産 水晶印材コレクション- その11-
       「水晶印判注文書」
( Seals made of Quartz from Yamanashi -Part 11-
QUARTZ Seal Order Form Book by A.Mochiduki
Yamanashi Pref. )

    このカタログの左半分が『印影見本』になっている。その中には、姓名の周りを鳳凰などが
   取り巻くデザインのものがいくつかある。その一例を下に示す。

     No59 【冨士屋水晶部カタログから引用】

    以上から、この煙水晶印材は明治末期から大正初期、つまり山梨など国内産の水晶原石を
   使っていた時代のものと推測できる。

 (2) 煙水晶の産地
      現在でも、私が入手したサイズの印材に加工できる煙水晶原石は山梨県内でも採集でき
     る。2009年8月、埼玉県の石友・ASさんに山梨県北部の水晶産地を案内してもらったときの
     様子と採集した標本を紹介した。

     ・山梨県中澤第四晶洞の鉱物
      ( Minerals from Nakazawa No4 Pocket , Yamanashi Pref. )

      この時の採集品で大きなものは、全長が110mmあり、上に示したNo1の印材が10本前後
     確保できる大きさがあった。

         
           濃い煙水晶              薄い煙水晶
           【全長110mm】            【全長58mm】
                    山梨県北部産「煙水晶」

      明治末期から大正初期であれば、これ以上の大きさの煙水晶が採掘できたはずだ。

      一方、「水晶宝飾史」によれば、明治末期から水晶原石の入手には苦心し、国内他県産
     の水晶を業者が奪いあうように使い始めた、とある。水晶の種類とその産地を引用し、下表
     にまとめた。

 種 類    産      地
(注補:現在の産地名)
煙水晶 滋賀県田の上山坑
苗木坑(岐阜県苗木地方)
紫水晶 宮城県小原坑(雨塚山)
鳥取県藤屋坑
朝鮮慶尚道
紅水晶 福島県合戸坑
冠水晶 秋田県荒川鉱山
水入水晶 新潟県相川鉱山(佐渡)
草入り水晶朝鮮慶尚道

      「水晶宝飾史」によれば、「煙水晶」は、田上山と苗木地方のものも使われたようだが、
     約10年間という短い期間だったらしい。そうすると、私が入手した「煙水晶」印材は、山梨県
     産である可能性が高い。

5. おわりに

 (1) 山梨県北部「水晶山」
      春を思わせる暖かさに誘われ、妻と北関東の骨董市を訪れた。水晶でできた印材、簪(か
     んざし)、風鎮などが目に付いた。以前なら、手あたり次第買い込んでいたが最近は買うも
     のが少なくなっている。その理由は、
      @ 高い
          以前なら、1,000円前後で買えたものが、その何倍かの値段になっていて、”値引き
         交渉”する気にすらならない。
      A 目新しいものがない
          既に持っているものがほとんどで、珍しいものが少なくなっている。
      これらは、「日本産鉱物50種+番外編」と同じで、コレクションの宿命なのかも知れない。

      そんな中に、「昇仙峡案内」という小冊子があった。中央線が甲府まで電化された昭和8年
     (1931年)から小海線が全通した昭和10年(1935年)の間に甲府駅前にあった御嶽自動車
     株式会社から発行されたものだ。
      この裏面は、昇仙峡を中心とした山梨県北部のパノラマ図になっている。

    
              昇仙峡案内図【御嶽自動車潟Jタログから引用】

      この地図を見ると、隅っこのほうだが、金峰山の南に「水晶山」があるのに気付き、購入し
     た。

      

 金峰山の右下に「水晶山」が
ある。

 固有名詞としての「水晶山」は
山梨県にはないから、”水晶が
産出する(した)山”、という意味
だろう。

 金峰山や(小尾)八幡山そして
上黒平集落との位置関係から
「水晶山」は現在の「水晶峠」付近
を指しているようだ。

 「水晶峠」の旁(つくり)・[上]+[下]が
欠落して「水晶山」になった訳でもない
とは思うが・・・・・・・・・

           山梨県北部の「水晶山」

6.参考文献

 1) 富士屋水晶部編:甲斐國名産水晶美術細工品略図 (型録),同社,明治〜大正
 2) 山梨県水晶商工業協同組合編纂:水晶宝飾史,甲府商工会議所,昭和43年
 3) 六郷町印章誌編さん委員会編:合併二十周年記念誌 六郷 第二部 六郷町印章誌
                        六郷町,昭和50年
 4) 角田 謙朗:甲州の水晶と水晶工芸(上)    甲斐ケ嶺 72号,甲斐ケ嶺出版,2006年
 5) 角田 謙朗:甲州の水晶と水晶工芸(下)    甲斐ケ嶺 73号,甲斐ケ嶺出版,2006年


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